前回「心ここに在らずの大人たち」の項で、養老孟司氏と隈研吾氏の『日本人はどう死ぬべきか?』という本を引用したけれど、その隈研吾氏が、『フルサトをつくる』伊藤洋志×pha(ファ)共著(東京書籍)という「心ここに在る若者たち」の本を新聞で紹介している。まずはその新聞書評を引用しよう。
(引用開始)
参勤交代を復活すべきだというのが、養老孟司の説である。都市と地方の格差解消策、過疎地対策として有効なことはわかるが、現実的に無理だろうと思っていた。
しかしこの本を読んで、参勤交代は復活できると確信した。しかも、上からの強制によらず、各自が勝手に、自分たちの変える場所を見つけ、それを自分のフルサトとして再定義することができれば、結果としてそれが現代の参勤交代となり、日本を救うかもしれないのである。
2人のニート、ギーグ(オタク)っぽくてゆるめな若者の主張が説得力を持つのは、2人が縁もゆかりもなかった熊野という場所に通って、新しいフルサトつくりを実践し、それなりの成果を獲得し、かなり充実した感じで実際に「交代」しているからである。
2人がフルサトつくりに成功したのは、骨を埋めようという面倒臭いことは考えず、可能な限り軽くて、気楽に場所をエンジョイし、友達を作ったからである。都市の再生に用いられるシェアハウス、シェアオフィスという新しい概念も、彼らは地方でこそ有効だと考えて、実践した。
まず2人は熊野が好きになって通いはじめた。その「通う」感じがまさに参勤交代で、「通う」距離感が、地域と東京との新しい関係性を作り、おかみに頼らず、補助金にも大資本にも依存しない、地域のお気軽な活性化の鍵となる。移動によって、シェアによって「小さなお金を」生み出す具体的秘策ももりだくさんである。「小さなお金」で満足できれば、フルサトは誰でもつくり出せる。
これは定住とも遊牧とも異なる第3の道である。読み終わって、日本人にはそもそも、こんな軽いフルサトが似合っていたような気がしてきた。日本人は縄文の頃から、採集生活が得意で、物を拾い集めて場所を渡り歩くような、軽やかな生き方をしてきたのだから。
(引用終了)
<朝日新聞 7/13/2014>
本のサブタイトルは「帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方」、本の帯(表紙)には、
(引用開始)
「ふるさと」は、自分でつくってもいい。
暮らしの拠点は1箇所でなくてもいい。都会か田舎か、定住か移住かという二者択一を越えて、「当たり前」を生きられるもう一つの本拠地、“フルサト”をつくろう!多拠点居住で、「生きる」、「楽しむ」を自給する暮らし方の実践レポート。
(引用終了)
とある。
このブログでは、経済というものを、自然の諸々の循環を含め人間を養う社会の根本理念・摂理として捉え、その全体をマネー経済、モノ経済、コト経済の三層に分けて考えている。「経済の三層構造」で述べたことだが、
「コト経済」
a: 生命の営みそのもの
b: それ以外、人と外部との相互作用全般
「モノ経済」
a: 生活必需品
b: それ以外、商品の交通全般
「マネー経済」
a: 社会にモノを循環させる潤滑剤
b: 利潤を生み出す会計システム
ということで、モノコト・シフトの時代においては、経済の各層において、a領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力が高まると共に、特に「コト経済」(a、b両領域含めて)に対する親近感が強くなってくるだろうと予測している。
この本にある、フルサトをつくる、食うに困らない場所をつくる、小さなお金を生み出す、多拠点居住を目指す、「生きる」と「楽しむ」を自給する、といったことは、まさにa領域の経済、さらには「コト経済」を最大限に起動させようということに他ならない。本書から引用しよう。
(引用開始)
ここで考えたいのは「経済とはマネーの交換だけじゃない、とにかく何かが交換されればそれは経済が生まれたと言ってもよいのではないか」ということだ。交換が活発であれば人は他人同士がうまくやっていける状況ができている、これが大事だろうと思う。地域経済活性化を「お金を落としてもらう」とか、そういう意識で捉えている人は、はっきり言ってズレている。「交換を活性化させる、それが経済の活性化」と定義しなおすと、いろいろやるべきことがはっきりする。
(引用終了)
<同書 159ページ>
限界集落に近い田舎に第二の生活拠点を構え、「生きる」と「楽しむ」を自給すること、それはこれからの確かな生き方の一つであり、そこにスモールビジネスの活躍の場も大いにある筈だ。
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