以前「反重力美学」の項で、交感神経由来の美的感覚であるところの、重力に逆らうものに対する憧れを、「反重力美学」と名付けた。走る男、空へ舞い上がる鳥、天へ向いた穂先、スポーツ・カーの流線型など、重力から逃れようとする運動や形態に対して、人間は本能的に美を感じ取るという話だ。
それに対して、いとしさ、懐かしい香り、心やすらぐメロディー、散る桜をうたった歌、長閑な田園風景など、郷愁を誘う物事に対して感じるのは、同じ自律神経でも、副交感神経由来の美的感覚だと思われる。
「交感神経と副交感神経」の項で見たように、副交感神経は、消化が行なわれているときに活性化し、<安らぎと結びつき>作用による身体的適応に関連しているわけだから、その美的感覚は、身体がリラックスしたときに発動する筈だ。確かに、いとしさや香りを感じるのはそういうときに違いない。この副交感神経由来の美学を、「反重力美学」と対にして、「郷愁的美学」と名付けたい。複眼主義の関連対比でいえば、
「生産」:理性的活動−交感神経優位−反重力美学
「消費」:感性的活動−副交感神経優位−郷愁的美学
という連なりになる。
この美的感覚の対比は、文芸評論『百花深処』<迷宮と螺旋>などで検討した、
「男性性」:螺旋的な遠心性
「女性性」:迷宮的な求心性
といった時空構造とどう繋がるのだろうか。
「反重力美学」の項で言及したように、反重力美学は西洋的なリズム感を伴っている。走る男、空へ舞い上がる鳥、天へ向いた穂先、スポーツ・カーの流線型に憧れるのは男性の方が多いから、「男性性」と「反重力美学」は親和性が強い。一方、いとしさ、懐かしい香り、心やすらぐメロディー、散る桜をうたった歌など郷愁を誘う物事を好む女性は多いから、「女性性」と「郷愁的美学」は親和性が強い。しかし、
「生産」:理性的活動−交感神経優位−反重力美学
「消費」:感性的活動−副交感神経優位−郷愁的美学
という対比は機能的(functional)な分類で、
「男性性」:螺旋的な遠心性
「女性性」:迷宮的な求心性
の対比は構造的(structual)な分類だから、二つの対比は同じではない。
美的感覚は、機能的な@「反重力美学」とA「郷愁的美学」という対比と、構造的なB「男性性」とC「女性性」とが「縦軸と横軸」の関係性を持ちながら、その全体を形成しているといえるだろう。
だから、四つの項目の比率は、その対象や鑑賞者の心身状態によって違ってくる。
音楽を例に取ってみよう。様々な音楽のうち、リズムを重視するジャズの感覚は、どちらかというと「反重力美学」的であり、嗜好者には男性性を出自に持つ人たちが多い。メロディーを重視するリラックス系音楽は「郷愁的美学」であり、嗜好者には女性性を出自に持つ人たちが多い。しかし、女性のジャズ愛好家はいるし、リラックス系音楽を好む男性もいる。ジャズでもスローな曲は郷愁的だ。そして人は、鑑賞するときの気分(心身状態)に応じて、ジャズを聴いたりリラックス系の音楽を聴いたりする。
それぞれの比率は、その人の育ち、風土や言語といった文化的背景の違いによっても異なるに違いない。たとえば日本では、男性でもわび・さびなど「郷愁的美学」を好む人が多い。それは、文芸評論『百花深処』<迷宮と螺旋>の項で述べたように、日本の男性性(螺旋運動)が、場所に牽引され、抽象的な高みに飛翔し続けないことと大いに関係がありそうだ。
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