久しぶりの読書法シリーズ、今回は私が去年読んだ文庫の中から、印象に残る本を幾つか選んで紹介したい。
1.Art
『ブエノスアイレス午前零時』藤沢周著(河出文庫)
去年舞台化されたのを機に新装版が出た。雪国の温泉町、古いホテルのダンスホールで孤独な青年カザマと盲目の老女ミツコが出会う物語。二人がタンゴを踊るに連れて、ブエノスアイレスと温泉町とが交叉するラストが味わい深い。「二つの短編小説」の項で書いたように、私の『夜のカフェ』という短編はこの作品からインスピレーションを得て出来上がった。また、青年と老女がダンスを踊ることで幻が出現するという話は、三島由紀夫の『近代能楽集』「卒塔婆小町」へと連想を誘う。能楽を現代に生かすという手法は私が二つの小説で試みたことでもある。
2.History
『ローマ亡き後の地中海世界1〜4』塩野七生著(新潮文庫)
ローマ帝国滅亡後の地中海世界を描く。イスラムの海賊とその背後にあるオスマントルコ対キリスト教諸国の戦いが主なテーマ。スペイン、フランス、イタリア、ヴェネツィアなどの対応の違いが国柄を表していて興味深い。以前読んだ『海の都の物語』や『レパントの海戦』などの舞台を、地中海という別の視座から眺める面白さがあった。
3.Natural Science
『キャラクター精神分析』斎藤環著(ちくま文庫)
氾濫する日本の「キャラ」とは、人間という主格=固有性と同一性(一般性)の混淆から、同一性部分だけを拡大強調、主格もどきとして複製し、与えられた環境=場所において、相手とコミュニケートするときに使う道具(tool)だという。英語のように主格中心でない、環境中心の言葉を使う日本人が、(特に公私の間の微妙なコミュニケーションにおいて)主格もどきの「キャラ」を対人の道具として使おうとするというのは納得できる。「キャラ」は、「文化の三角測量」の項で書いた日本文化の特徴、「道具の人間化」の類型・発展系でもあるのだろう。しかしこういうこと(同一性部分の拡大強調)ばかりやっていると同化圧力が強まって社会が窮屈になる。本物の主格の尊重とのバランス(固有性の擁護)が必要だと斉藤氏はいう。氏の主張をより深く理解するには『生き延びるためのラカン』(ちくま文庫)との併読をお勧めしたい。精神分析治療から人(と世界)を眺めるとこう見えるのかという面白さがある。
4.Social Science
『日本の歴史を貫く柱』副島隆彦著(PHP文庫)
単行本でも読んだが文庫化されたのを機に再読。日本の儒教、仏教、神道の系譜を辿り、江戸中期の思想家富永仲基の考え方を発掘、評価する。それは大坂で生まれた町人、商人の思想で、松下幸之助に代表されるような、まじめな商業利益で生きることを肯定し、率直に実利に生きよというものだという。日本が、道教、仏教、儒教さらにはキリスト教などの外来思想にどのように影響を受け、どうそれを日本化してきたかが分りやすく解説してある。これまで日本列島人は、抽象的な外来思想をそのまま受入れるのではなく、具象的な環境や場所に落とし込んで土着の信仰に習合させてきた。発想がやはり環境中心なのだ。
5.Geography
『山の仕事、山の暮らし』高桑信一著(ヤマケイ文庫)
日本の山で生きる(山の恵みを暮らしの糧とする)人びとの姿を描く。「只見のゼンマイ採り」「南会津の峠の茶屋」「川内の山中、たったひとりの町内会長」檜枝岐の山椒魚採り」「足尾・奈良のシカ撃ち」などのタイトル(全19話)が並ぶ。大量生産・輸送・消費とは無縁の世界。これからのモノコト・シフトの時代に読み直されるべき書だと思う。
以上、『ブエノスアイレス午前零時』を例外として、どれも、これまでこのブログや新しく始めた文芸評論『百花深処』で取り上げなかった本を選んだ。
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