文芸評論『百花深処』<日本の女子力と父性について>の項で、『33年後のなんとなく、クリスタル』田中康夫著(河出書房新社)について書いたけれど、この小説、作者(と思しきヤスオ)が過去の自作の続編に登場し、フィクションとリアル(らしさ)が交叉する中で、過去のフィクション自体に新しい事実(由利が当時ヤスオと付き合っていたことなど)を付加してしまう、というユニークなスタイルで書かれている。
これは、書き手が専業作家であれば、オリジナル作品の自律性が損なわれてしまうと考えて躊躇するかもしれない手法だ。田中氏がそこまでして新作にヤスオを登場させ、フィクションとリアルを交差させたのは、この国あり方を問うメッセージのインパクトを高める為ということが一つ。もう一つは、政治活動も恋愛も作家活動もボランティアも、「人の喜びこそ我が楽しみ」という意味で全て等価、と言い切る田中氏において、読者に新しい小説スタイルを愉しんでもらいたいという、サービス精神の表れではないかと思う。
以前「現場のビジネス英語“after you”」の項で、after youというフレーズについて述べた。エレベーターなどで相手にかけるこの言葉は、
A:After you.
B:Thank you.
A:It’s my pleasure!
とつづく場合が多い。ここに出てくる“It’s my pleasure!”というフレーズは、まさに「人の喜びこそ我が楽しみ」という意味である。相手に先を譲り、それに対して相手が感謝の気持ちを述べたところで、あなたの喜びは私の楽しみですと声を掛ける。
「人の喜びこそ我が楽しみ」という考え方は、複眼主義の「生産(他人のための行為)は消費(自分のための行為)に先行する」、「人は自分のためではなく他人や社会のために生まれてくる」といった考え方と重なる。
田中氏はまた、ご自分のホームページ(「田中康夫Official Web Site」)で継続的に情報を発信し、それを誰にでもアクセスできるようにしている。こういった氏の姿勢は、クリエイティビティをシェアすると共に、社会に蓄積される暗黙知に信頼を置き、その先のことをそれらの人びとに委ねようとする新しい「公」の精神ともいえる。
A:After you.
B:Thank you.
A:It’s my pleasure!
という会話についてもどこかで取り上げておられた。
『33年後のなんとなく、クリスタル』の販促において、ロッタに本を紹介させたり、メグミにPOPを作ってもらったり、ホームページで様々な人の書評をなかだちしたりするのも、単なる広告作戦ではなく、本について作者以外の関与を積極的に呼び込もうとする、田中氏のサービス精神、公的精神の表れなのだろう。それはまたネット時代における「“ハブ(Hub)”の役割」の実践でもあると思う。
「人の喜びこそ我が楽しみ」という考え方には、自分だけがよければ他はどうでも良いと考える現代人特有の冷たさがない。権利と義務に縛られた人間関係ではなく、「出来る時に出来る事を出来る人が出来る限り」というしなやかな人間関係。これこそ21世紀に求められる「公」の精神であろう。
我々も、“It’s my pleasure!”の精神で、理念の実現に邁進したいものだ。尚、クリエイティビティをシェアする「クリエイティブ・コモンズ」の考え方については、「シェア社会」の項を参照していただきたい。
『33年後のなんとなく、クリスタル』には、2060年とそれ以降の人口予測の表が本文の一部として掲載されている。オリジナルの前著『なんとなく、クリスタル』にも、将来の人口予測の表が本文の一部として掲載されていた。
巻末の表が2060年とそれ以降をカバーしていること、それが前著同様の位置づけ(本文の一部)にあることの二点から、『66年後のなんとなく、クリスタル』が2047年に書かれることが予測される。田中氏も雑誌のインタビューで、「『33年後〜』も30年くらい経ってから、(時代の変容が)見えていた、と言われるようなものになれば本望です。」と述べておられる。
2047年に『66年後のなんとなく、クリスタル』が書かれるとすると、その内容のトーンを決めるのは、『33年後のなんとなく、クリスタル』に関わった人たち(読者、編集者、登場人物のモデルなど)、田中氏とクリエイティビティをシェアした人たち全てに違いない。
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