前回「国家理念の実現」の項で、そろそろ我々もどのような道筋で合理的なstateをつくるかきちんと話し合うべきだと書いたが、その際に必要なのは、話し合う人たちがintegrityを持っているということだ。
integrityとは何か。『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治著(集英社インターナショナル)から引用しよう。
(引用開始)
「インテグリティ(integrity)」というのは、アメリカ人が人間を評価する場合の非常に重要な概念で、「インテグレート」とは統合するという意味ですから、直訳すると「人格上の統合性、首尾一貫性」ということになると思います。つまりあっちこっちで言うことを変えない。倫理的な原理原則がしっかりしていて、強いものから言われたからといって自分の立場を変えない。また自分の利益になるからといって、いいかげんなウソをつかない、ポジショントークをしない。
そうした人間のことを「インテグリティがある人」と言って、人格的に最高の評価をあたえる。「高潔で清廉な人」といったイメージです。一方、「インテグリティがない人」と言われると、それは人格の完全否定になるそうです。ですからこうした状態をただ放置している日本の政治家や官僚たちは、実はアメリカ人の交渉担当者から、心の底から軽蔑されている。そういった証言がいくつもあります。
(引用終了)
<同書 13−14ページより>
ここでいう「こうした状態」とは、沖縄米軍飛行訓練基準が米国内のそれと違っている状態を指す。
強い国の言うことはなんでも聞き、相手が自国では絶対にできないようなことでも原理原則なく受入れ、その一方で自分たちが本来保護すべき国民の人権は守らない、といった官僚・政治家のことを「インテグリティがない」というわけだ。
このintegrityという言葉、日本語では「高潔」、「清廉」などと訳されるが、これでは「統合性」のニュアンスが出ない。一体具体的に何が統合されているのか。
以前『21世紀を生きる学習者のための活動基準』(アメリカ・スクール・ライブラリアン協会編)という本の編集協力(翻訳のお手伝い)をしたことがある。ここで挙げられている学習の基準は大きく分けて、
skills(スキル)
dispositions(資質)
responsibilities(責任)
self-assessment(自己評価)
の四つあり、学生はこれらを学ぶべく様々なカリキュラムをこなす。integrityで思い浮かぶのは、これら四つが高いレベルで統合された人だ。
四つの基準を高いレベルで統合した人格。これはあくまでも私の言葉解釈だが、integrityを保つには、単に高潔であればよいというものではなく、この四つの面での学習と努力が必要だと思う。
逆にいうと、人は誰でも学習によってintegrityを持つことが出来るということでもある。高潔を求めて仏門に入る必要があるわけではない。
上の四つのうち、dispositionsだけはぴったりくる訳語がなくて困った。結局「資質」と訳したのだが、ぴったりこないのは、日本語の「資質」という言葉が、教育によって後天的に高められるというよりも、生得的なニュアンスが強いからだろう。dispositions in action(行動に結びつく資質)ともいい、それは、思考や知的活動を左右する持続的な信念や態度のことで、実際の活動によって評価できるとする。日本では、スキル(技能)、責任、自己評価などは教えるが、この「資質」はあまり教えないのではないだろうか。これが日本人の「公」の弱い理由(の一つ)ではないかと思う。
integrityは、stateの議論みならず、business全般においても極めて重要だ。スキル、資質、責任、自己評価をバランスよく学び、高いレベルで統合された人格を目指そうではないか。資質の向上については、「自分の殻を破る」の項も参照していただきたい。
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