この秋、金沢の町を少し歩いてきた。『金沢を歩く』山出保著(岩波新書)によると、金沢は「ヒューマンスケールのまち」だという。確かに、金沢城址・兼六園から30分もあれば、旧市域のどこへでも歩いて行くことができる。
金沢の町を上から眺めると、東に浅野川(女川)、西に犀川(男川)が流れている。その中心の台地に金沢城址・兼六園などがあるわけだが、二つの川は用水路で結ばれていて、市中いたるところに清らかな水が流れている。
金沢は、戦国武将の前田利家が築城とまちづくりを行なったわけだから、室町・江戸時代の文化様式を色濃く残している。成巽閣、長町武家屋敷跡、にし・ひがし茶屋街、寺町などなど。空襲の被害を免れたから今でも古い家並みが多く残っている。
金沢は金箔、加賀友禅、九谷焼など、職人文化の町でもある。石川県立美術館や石川県立歴史博物館、金沢21世紀美術館など文化施設も多い。泉鏡花、徳田秋聲、室生犀星などの文学者、鈴木大拙、西田幾多郎などの思想家たちも金沢の出身だ。鮮魚、加賀野菜などを扱う近江町市場の賑わいもある。郷土料理や鮨、和菓子やケーキなども美味しかった。
最近文芸評論『百花深処』<出口なき迷宮>の項において、「女性的な鏡花の小説世界と、反転同居の悟りを齎す利休の茶室。この二つの時空構造の共通性にこそ、日本文化の真髄があるのではないか」と書いたけれど、金沢という町の魅力は、バランスよくこの二つをその懐に擁しているところではないかと思う。
その象徴が「泉鏡花記念館」と禅の「鈴木大拙館」だ。前者は東の浅野川の畔、後者は西の犀川に近い場所にある。旧市域を歩いて実感したのは、文化の豊かさと共に、このバランスの良さだ。勿論、東京や京都、その他の町にも、女性的な鏡花の小説世界と禅の茶室はあるだろう。しかし金沢は、東西がそれぞれの個性を発揮しながら、全体がコンパクトに纏まっている。
『金沢を歩く』を書いた山出保氏は、1990年から5期20年金沢市長を勤めておられた。本の新聞紹介記事には、
(引用開始)
一国一城の武家文化を基礎とする城下町の景観とものづくりの伝統。街の個性をコミュニティーとして確認しながら、新しい仕掛けをつくってきた都市の歴史と魅力を、5期20年市長を務めた著者が語る。二つの美術館をつなぐ「美術の小径(こみち)」や歴史景観の町並みなどを紹介。
(引用終了)
<朝日新聞 9/14/2014>
とある。以前「元気なリーダー」の項で、元気な街にはかならず元気なリーダーが居ると書いたことがあるが、市長のリーダーシップによって金沢の今があるようだ。氏はこの本の「あとがき」に、
(引用開始)
まちは、長い時間のスパンのなかで、ていねいにつくりあげていくことが大切です。
まちづくりには、テーマがあってストーリーが必要です。理念のもとに、計画と方針があるべきです。計画と方針に沿って、拙速を避け、識者や市民の意見を聴きながら、ゆっくりとつくりあげていく過程が、まちづくりでしょう。もし、理念や計画・方針を変えようとするなら、識者による審議と市民の合意が欠かせません。
「まちは市民の手に成る芸術品」といわれます。市民一人ひとりの協力と参画が必要です。
いたずらに効率と機能を追い求めるのではなく、歴史や伝統を重んじ、住む人の息づかいが聞こえる、そんなまちこそ望まれます。あわせて、まちは美しくなければなりません。そのためにも、緑と水を守り育てるほか、市民と企業の美的感性が磨かれ、高められなければならないのです。
(引用終了)
<同書 207−208ページより>
と書いておられる。金沢は、これからもたびたび訪れたいと感じさせる町だ。
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