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助詞の研究 IV

2014年09月23日 [ 言葉について ]@sanmotegiをフォローする

 日本語の助詞の歴史についてここまで、

「は」の働き:問題の提起、場所や環境の提示(「助詞の研究」)
「の」「に」の働き:所有する物や所属する場所を示す(「助詞の研究 II」)
「ぞ」「か」「も」「が」:疑問詞を承ける(「助詞の研究 III」)
「なむ」「や」「こそ」「は」:疑問詞を承けない(「助詞の研究 III」)

と見てきたが、今回は「が」の働きについて考えてみたい。これまで同様、『日本語で一番大事なもの』大野晋・丸谷才一共著(中公文庫)から引用する。

(引用開始)

丸谷 ちょっと脱線の気味があるんですけれども、「が」という助詞は、昔あまり使われなかったんではないですか。「の」が使われたのでは……。
大野 「の」と「が」では使われ方に全く差がありました。助詞の中でいちばん多く使われたのは「の」で、使用頻度では「が」は十位までに入りませんでした。
丸谷 それで主格に使う「が」は、いつ頃から出てきたんですか。
大野 主格に使って、下がマルで切れるようになるのは一般的には江戸時代からです。今は「私が行く」と言いますけれども、もとは「我が行く」で切れることはなかった。「我が行く道」みたいに下に「道」のような名詞(体言)がこなければだめだったんです。「わが国」「君が代」みたいな使い方がいちばん古い使い方です。
丸谷 それは所有を表わすものですね。
大野 所有、所属を表わします。要するに「が」とか「の」とかは、名詞と名詞の間に入って、「が」の上の言葉は所属の場所を表わしたんです。(中略)
丸谷 すると、王朝和歌で主格を表わす助詞というのはないわけですか。
大野 日本語に主格を表わす専属の助詞はなかったんです。裸でよかったんです。「花美し」「山高し」とか、「花咲く」「われ行く」と言いました。動作の主体をきちっと表わす特別の助詞はありませんでした。「私が取る」のような言い方は、江戸時代になっておそらく主として関東から始まるんです。(中略)もともと関東では「が」をよく使っていたんです。「が」というのは、その上の人間が卑下するとか、その人間を蔑視するとかの場合に使うものだったんです。関東は関西から蔑視されていたし、関東人は卑下していたから、関西よりも一般的に「が」を多く使ったようです。
 それが主格を表現する助詞にどうしてなることができたかというと、いろいろな条件が絡み合っていたんですね。まず係り結びで「ぞ」「なむ」「や」「か」がきた場合に、倒置によって下の終結が連体形になったでしょう。その形がたくさん使われているうちに、倒置による強調ということが忘れられ、文末の連体形があたかも終止を兼ねる形のように受け取られ始めたんです。つまり古い連体形が終止の役目と連体の役目とを一つ形で兼ねるようになった。連体形は体言に相当する資格があって、名詞の代用をすることができますから、本来は名詞と名詞との間に入るはずだった「が」を「体言+が+名詞」の代わりに「体言+が+連体形」の形で使うことが可能となった。そこで「此のやうな事がある」などという表現が江戸時代に広まったんです。つまり「事がある」といえば、「事」は体言で、その下に「が」が来て、その下の「ある」が連体形で、つまり体言扱いになるから、これは「体言+が+体言」と同じ形だと意識されるようになったんです。これは室町時代にもないことはないけれども、およそ江戸時代以降のことです。それまでは、ゼロで主格を表わした。「事あり」とか「われ取る」と言ったんです。しかし、「われ取る」では、「われを取る」のか、「われが取る」のか、文脈によらなくては分らなかった。そこではっきりしようというわけで、「が」が入り込むようになったんです。

(引用終了)
<同書 200−202ページ>

長い引用になったが、ここでわかることは、「が」という助詞はもともと「の」や「に」と同じように所有、所属を示すものだったけれど、係り結びとの関連で、江戸時代以降、主格を表現する助詞としても使われるようになったということだ。「助詞の研究 II」の項で、

(引用開始)

大野 このように考えますと、「の」と「に」という助詞が、非常に古い時代には一元的にくっついていた時期があるという感じがします。そして次に「が」という助詞が出てきますと、さらに日本人の場所認識が、はっきりしてきたといえるんじゃないでしょうか。

(引用終了)
<同書 282ページ>

とあるのは、主格助詞として以前の、所有、所属を示す「が」の役割について言っているわけだ。

 今の日本語で「私が」「私が」というと、相手にあまり良い顔をされないのは、「が」を主格助詞として使っていても、そこに昔の所有的ニュアンス(さらには卑下や蔑視といったニュアンス)が残っているからかもしれない。「は」は問題の提示であり、「が」も由来を辿ると所有、所属を示す助詞だったということは、どちらも、純粋に主格を表現するにはそぐわないということになる。以前「議論のための日本語 II」の項で、存在のbeを「!」記号を使い、

I think, therefore, I amは、「私は考える、だから私!。」
Chances areは「チャンス!。」
Let it beは「そのまま!。」

と訳してみてはどうかと書いたけれど、助詞の「は」も「が」も使わないこの方法はなかなかいい線なのではないだろうか。

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posted by 茂木賛 at 10:09 | Permalink | Comment(0) | 言葉について

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