前回「志向の様式」の項で、あらゆる時空の変化は、
アルカイック:初歩的で、古拙的。
クラシック:円熟して、古典的。
マニエリスム:形式的で、技巧的。
バロック:歪んだ真珠のようなスタイル。
グロテスク:異様で、怪奇的。
といった流れに沿って発展・終結するとし、「志向」(人が追及する認識と欲望の形式)も外からの刺激がないと、最後はグロテスクなものになってしまうと書いたけれど、「志向」の集積である「文明」もまた、同じ運命の下にある。
20世紀半ばに円熟し古典期を迎えた西欧近代文明は、
(1)社会の自由を抑圧する人の過剰な財欲と名声欲
(2)それが作り出すシステムとその自己増幅を担う官僚主義
(3)官僚主義を助長する我々の認知の歪みの放置
という三つの宿痾によって、環境破壊と貧富格差が増大し、21世紀初頭において一部はすでにグロテスクの段階に達している。
文明の終焉はこれまでにもあったが、西欧近代文明の影響範囲は地球規模だから、このままにしておくと地球そのものが滅んでしまう。日本も明治以降、西欧近代文明の一翼を担ってきた。近代日本語をつくり、議会制民主政治を目指し、要素還元主義科学を応用して便利な道具や機器を造り、それを世界に普及させてきた。だから我々にも、西欧近代文明に刺激を与えその流れを変える責任があると思う。
その刺激の一つが、このブログで「モノからコトへのパラダイム・シフト(モノコト・シフト)」と呼んでいる、世界各地で澎湃と起こりつつある新しいトレンドだ。それは、モノよりもコトを大切にする生き方・考え方で、環境破壊と貧富の格差増大の源にある「行き過ぎた資本主義」に対する反省として、また、要素還元主義によって生まれた「モノ信仰」の行き詰まりに抗して表出した、新しい思考の枠組みである。
「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」
「場のキュレーション」
「時空の分離」
「経済の三層構造」
「21世紀の絵画表現」
などの項をお読みいただくとモノコト・シフトの姿が見えてくるだろう。
西欧近代文明の時空は(地球規模ではあるが)一様ではない。「モノコト・シフト」の進んでいる地域もあれば、そうでない地域もある。進んでいる階層もあれば、そうでない階層もある。その中で、いち早く「モノ経済」が飽和状態に達したいまの日本(の多くの地域と階層)は、モノコト・シフトの最前線に立っているのではないだろうか。人口も減り大量生産・輸送・消費システムを増強する必要もない。だから日本は、この新しい思考の枠組みに移行しやすい筈だ。
日本が世界に貢献できるのは、複眼主義の対比、
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−男性性
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−女性性
における、B、b系分野であろう。「モノと物質主義」の項でみたように、B、b系はもともと自然環境との共生が得意だ。我々はこの力をさらに磨き、世界によい刺激を与え続けなければならないと思う。
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