『蔦屋重三郎 江戸を編集した男』田中優子著(文春新書)という本を面白く読んだ。蔦屋重三郎は江戸中期の版元(出版業者)で、吉原文化、天明狂歌、洒落本や黄表紙、浮世絵などを編集した。彼の人脈に連なる大田南畝、山東京伝、喜多川歌麿、東洲斎写楽らの活躍、当時の世相、後に連なる葛飾北斎、曲亭馬琴、十返舎一九らの消息が豊富な挿絵とともに描かれているので、あの時期についての理解度が上がった。
この本には江戸時代の「役割社会」についての言及がある。その点について、これからの地域充実社会との関連で思う所を記しておきたい。「役割社会」とは、徳川幕府が作った社会秩序と価値観の内部で、士農工商隅々に亘るまで役割がはっきり分けられており、それぞれが与えられた役割を果たすことで、各々の存在が承認されるような社会のことである。蔦屋重三郎は出版業を通じてそういった「役割」の外(そと)に「別世」を作り出し、息苦しくなりがちな社会に文化によって風穴を開けたが、「役割社会」そのものは江戸時代を通じて維持され徳川平和の礎となった。
「役割社会」について思いつく論点は今のところ5つある。江戸時代と環境は異なるが現代でも参考にすべき点は多いと思う。
1.役割社会は、地域社会という舞台で各々が与えられた役を演ずるわけだから、それが機能するためには、観客側である社会の成熟が必要。地域社会の中核を担うのは金持ちでも貧乏でもない中間層だから、そういった階層が充実していないと役割社会は機能しない。
2.与えられた役割とは、各々にとって自分の存在意義を確認できるものであり、以前「不変項」などの記事で述べた「居場所」と同様なものである。
3.役割社会が継続するためには息苦しさを軽減する「別世」の存在が必要。それを力で押さえつけると不満が溜まり社会の安定性が損なわれる。「田沼意次の時代」の項でも述べたが、蔦屋重三郎が活躍したのは老中田沼意次が開明政策をもって幕府を差配した時期で、田沼が失脚したあとの寛政の改革は、緊縮財政に偏した窮屈なものでそれが幕府衰退の一因になったと思われる。
4.その人の資質に応じて役割を入れ替えることができる制度的な仕組みが担保されていること。『江戸時代の「格付け」がわかる本』大石学監修(洋泉社歴史新書)によると、当時の身分はその人を一生制約するわけではなく入れ替わり可能だったという。限定的なものではあっただろうが。
5.生身の人間を社会的役割としてのみ見てしまわないための法的整備。本の最後、蔦屋重三郎に欠けていた視点として田中さんは、
(引用開始)
それは、作品を担うのは「生身の人間」であるという観点である。この観点は、人間を社会的役割としてのみ見てしまう社会全体の問題だ。人権思想が広がっていくと、そこに「労働」という概念が入り、「生身の人間」の観点から労働には制約が加えられる。労働から外れた行動についても人権の侵害という観点から、法に訴えることができる。
(引用終了)
<同書 230−231ページ>
と書いておられる。
「後期近代 III」の項で、これからの地域充実社会は、中産階級が充実しなければならないと書いたが、中産階級の充実と役割社会は車の両輪のようなものなのかもしれない。それをどのように設計・構築するかさらに考えたい。