このブログでは、今の時代に見える傾向を「モノコト・シフト」と呼んでいる。モノコト・シフトとは、20世紀の「大量モノ生産・輸送・消費システム」と人のgreed(過剰な財欲と名声欲)が生んだ、「行き過ぎた資本主義」(環境破壊、富の偏在化など)に対する反省として、また、科学の「還元主義的思考」によって生まれた“モノ信仰”の行き詰まりに対する新しい枠組みとして、(動きの見えない“モノ”よりも)動きのある“コト”を大切にする生き方・考え方への関心の高まりを指す。地域差があるから一概にはいえないが、日本の若年層の間ではシンプルな家や簡素化した生活が好まれ、キャンプや車中泊、トレランやジョギング、ソーシャルネットワークやゲームなどが流行りの先端を行く。観光業界などでは「コト消費」という言葉も生まれている。
西洋近代ではこれまでも、人々が因習打破や人間性の回復を求め、自然など動きのある“コト”を大切に考えようとするムーブメントはあった。古くはウィリアム・モリスのアーツ&クラフツ運動、近くではサンフランシスコのフラワー・チルドレンなど。しかし当時は、宇宙や生命の原理はその物質解析の先に見えてくると信じられていて、“モノ信仰”の行き詰まりまではなかったと思う。自然は大切だが“モノ”は生活を豊かにし、世界を進歩させるというのが常識だった。
動きのある“コト”といえば、過去二回の世界大戦も、戦争という渦のような“コト”に人々が巻き込まれた事例だが、それは人々が求めたというよりも、権力を握った富者が、金融と情報の操作を通じて人々を扇動した、といった方が正確だろう。新しい武器(“モノ”)がふんだんに供給され、“モノ信仰”のもとにあった人々はその威力に酔わされた。戦に負け、焼け野原に立った人々が次に求めたのも、復興物資という“モノ”であった。権力を握った富者は武器の供給で儲け、復興物資の供給で二度儲けたわけだ(greedの面目躍如)。
2022年も、サッカーのW杯など人々を興奮させる様々なコトがあった。「後期近代 II」の項でみたウクライナでの戦争も起きたし、コロナ禍も続いている。今回は、モノコト・シフト以前の“コト”への熱狂と、モノコト・シフト時代のそれとの違いについて考えてみたい。
「モノとコトの間 II」などの項で記してきたように、複眼主義ではモノとコトについて、
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話者から見て、
動きが見えない時空=モノ
動きが見える時空=コト
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と定義し、「世界はそれら無数の時空の入れ子構造としてある」と考える。一方、西洋近代の科学は「宇宙は唯一無二の空間であり、そこには均一の時間が過去から未来へ滔々と流れている」ことを前提にしていて、コトは「モノが時間の流れに沿って変化する現象」であると考えるから、コトの原因を探るには、それを構成するモノを解析すればよいとなる(還元主義)。
複眼主義では、
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」
という対比を掲げ、AとBのバランスを大切に考える。ただし、
・各々の特徴は「どちらかと云うと」という冗長性あり。
・感性の強い影響下にある思考は「身体の働き」に含む。
・男女とも男性性と女性性の両方をある比率で併せ持つ。
・列島におけるA側は中世まで漢文的発想が担っていた。
・今でも日本語の語彙のうち漢語はA側の発想を支える。
モノとコトをこの対比に関連付けると、
A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
ということで、モノコト・シフトとは人々がB側を重視する傾向を指す。
モノコト・シフト以前は、コトの背後にはモノがあると信じられてきたし、モノは生活を豊かにし、世界を進歩させると思われてきたから、一時の熱狂(Bへの過度の傾斜)はあっても、やがて(一部を除き)人々はAとBとのバランスを回復した。
しかしモノコト・シフト時代以降は、モノ信仰が薄れているから、いっとき何かに熱狂(Bへの過度の傾斜)すると、人は永くその影響下に留まる(B側偏重が続く)ようになる。薬漬けになってしまう人々、ゲームオタクで引きこもりになる若者、戦争の長期化などなど。また、他人のB側傾斜をみて、反動で過度にA側偏重にシフトする人もでてくる。
環境破壊や富の偏在化がA側偏重への反省を生み、それがB側への傾斜を齎したけれど、それが度を超すと、AとBのバランスを欠いた状態が出来するという次第。例えば戦争の長期化において、A側偏重の人はデジタル・AIを活用するドローン兵器使用にあまり抵抗感がないだろう。
日本人(日本語的発想の人)はもともとB側に傾斜している。先の大戦では最後まで熱狂が覚めなかった。2023年が「新たな戦前」と呼ばれるのは、そういった日本人の特徴がふたたび顕著に顕れてきた兆しかもしれない。だから今の日本人はむしろA側を強くして、AとBのバランスを取らなければならない。その為には、例えば外国語を学ぶのも良い(「近代西欧語のすすめ」)。
モノコト・シフトの時代、複眼主義によって、線形科学が(真理の追求などではなく)工学的なものにすぎないことを認識した上で、そうはいってもB側だけに過度に入れ込まないこと、AとBのバランスを保つことの大切さを肝に銘じたい。
「モノコト・シフトの研究」
「モノコト・シフトの研究 II」
「モノコト・シフトの研究 III」
「モノコト・シフトの研究 IV」