『コモンズ思考をマッピングする』山本眞人著(BMFT出版部)を読んだ。四百頁余りの労作で、最近のコモンズを巡る議論を整理し、その先を考える内容の本。中南米などでの実例紹介も豊富だ。副題には「ポスト資本主義的ガバナンスへ」とある。本の目次は次の通り。
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序章
第1章 E・オストロムのコモンズ研究
第2章 ヴァナキュラーな領域と複雑性
第3章 過去と現在のエンクロージャー
第4章 生態的コモンズの囲い込みとカウンター・ヘゲモニー
第5章 都市コモンズの囲い込みとカウンター・ヘゲモニー
第6章 デジタル・コモンズの囲い込みとカウンター・ヘゲモニー
第7章 「コモンズ+P2P」思考を地図化(マッピング)する――ポスト資本主義的ガバナンスへ
補論 クレーバー&ヴェングロー“The Dawn of Everything”を読む
あとがき
参考文献リスト
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ポスト資本主義的ガバナンスにおいて鍵となるのは、
@ハイ・モダニズム vs 複雑性・多様性
A新たなエンクロージャー vs カウンター・ヘゲモニー(コモンズの復権)
Bネオ・リベラリズム vs 社会的連帯経済
という三つの対抗軸だと山本氏はいう。@ハイ・モダニズムとは、自己完結的な政策科学と中央政府によるトップ・ダウン的政策を支持するイデオロギーのことで、科学技術の進歩、生産の拡大、社会秩序の合理的なデザイン、自然に対する支配を過信する。A新たなエンクロージャーとは、情報・知識のデジタル化とインターネットの普及による「共の潜在力」の拡大という状況のもと、これを囲い込み、営利企業の資本蓄積のチャンスにしようとする企てを指す。Bネオ・リベラリズムとは、国家による福祉・公共サービスの縮小と、大幅な規制緩和、市場原理主義の重視を特徴とする経済思想のこと。山本氏は、これらと対抗する@複雑性・多様性、Aカウンター・ヘゲモニー(コモンズの復権)、B社会的連帯経済の充実こそ、ポスト資本主義的ガバナンスの目指すべき方向であると説く。
このブログでは「ポスト資本主義」という言葉は使っていないが、西洋近代が煮詰まった今の状況を「後期近代」と呼び、その特徴を、
〇 貧富の差の拡大
〇 男女・LGBT差別
〇 自然環境破壊
〇 デジタル・AI活用、高齢化
〇 グローバリズム
〇 金融資本主義
〇 衆愚政治
と纏めた。このブログではまた、「複眼主義」と「モノコト・シフト」という二つのキーワードを使って、人の生き方と社会の在り方を探ってきた。複眼主義とは、
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」
という対比において、両者のバランスを大切に考える。ただし、
・各々の特徴は「どちらかと云うと」という冗長性あり。
・感性の強い影響下にある思考は「身体の働き」に含む。
・男女とも男性性と女性性の両方をある比率で併せ持つ。
・列島におけるA側は中世まで漢文的発想が担っていた。
・今でも日本語の語彙のうち漢語はA側の発想を支える。
モノコト・シフトとは、20世紀の「大量モノ生産・輸送・消費システム」と人のgreed(過剰な財欲と名声欲)が生んだ、「行き過ぎた資本主義」(環境破壊、富の偏在化など)に対する反省として、また、科学の「還元主義的思考」によって生まれた“モノ信仰”の行き詰まりに対する新しい枠組みとして、(動きの見えない“モノ”よりも)動きのある“コト”を大切にする生き方・考え方への関心の高まりを指す。
その上で、後期近代の先に見える未来の姿について、negativeに考えると、
● 高度監視社会
● 政治の不安定化(監視社会への人々の反撥)
● 災害の頻発(恐慌やパンデミックを含む)
といったものになるだろうが、モノコト・シフトが行き渡り、かつ複眼主義でいうAとBのバランスが取れれば、
● local communityの充実
● 継続民主政治による社会の安定
● 自然環境の保全
といったこと(positiveな未来)が実現する可能性もあると書いた。山本氏のいうポスト資本主義的ガバナンスは、このpositiveな方の未来への道と重なると思う。
@ハイ・モダニズム vs 複雑性・多様性
A新たなエンクロージャー vs カウンター・ヘゲモニー(コモンズの復権)
Bネオ・リベラリズム vs 社会的連帯経済
におけるハイ・モダニズムは“モノ信仰”や自然環境破壊と、新たなエンクロージャーは“高度監視社会”と、ネオ・リベラリズムは“グローバリズム”と近接している。positiveな未来は、コモンズ思考と共にあるわけだ。
山本氏は、補論においてクレーバー&ヴェングローの“The Dawn of Everything”を紹介する中で、(王の主権と結びついた)官僚制の弊害も指摘しておられる。このブログでも以前「“モノ”余りの時代」の項で、自然権派を標榜する官僚について論じたことがある。併せてお読みいただけると嬉しい。