夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


核家族の価値観

2022年08月31日 [ 公と私論 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「街場の建築家」の項の最後に、「(直系家族ではなく)核家族や新しい家族の価値観を良く消化・吸収しておく必要があると思う」と書いた。今回はその「核家族」の価値観について考えてみたい。

 「家族類型から見た戦後日本」の項にあるように、核家族型の特徴は、親子関係が権威主義的でないことだ。親が子を導くのは権威によってではなく自らの価値観によってである。親子関係を一般的組織に広げて考えれば、メンバーを導くのはリーダーの理念や価値観であり、それが明確に示されれば組織は健全に働く。逆に親やリーダーの価値観が偏っていれば子供や組織はうまく育たない。

 次に、核家族は横で見守る親族がいないから、集団との軋轢(あつれき)に対するバッファーとして、local communityの役割が重要だ。それがないと、親子だけで集団と対峙せざるを得ない。親の力が弱いと子供は(親も)集団圧力に負けてしまう。組織もスタート時単独では弱いからそれを保護する機構を必要とする。local communityは多様な価値観の交流・発展の場としても重要。

 また、権威によらない価値の伝達には、相手をリラックスさせて納得してもらう必要がある。そのためにはユーモアが欠かせない。以前「現場のビジネス英語“sense of humor”」の項で欧米人のユーモアを幾つか拾い出したことがあるので参照して戴きたい。

 日本は戦前まで直系家族型だったから、こういった親の価値観の自律性、local communityの役割への認識が甘い。親は外の権威(世間の評判や学校教育、宗教の教えや統治者の指示)によって子を導くことが多く、親子は集団との軋轢に裸で対峙させられ、その圧力に負けることが多い。組織における外の権威にはOBの圧力や古い習慣なども加わろう。いまでも学校などでは真面目で冗談を言わない生徒の方が信用される傾向がある。

 核家族の具体例を欧米文学に探すと、アメリカのローラ・インガルス・ワイルダーが書いた『大草原の小さな家』という児童小説がまず念頭に浮かぶ。テレビドラマにもなったから覚えている方も多いだろう。映画でいうと『サウンド・オブ・ミュージック』で、マリアがトラップ大佐と結婚したあとのトラップ・ファミリー。日本の歌では吉田拓郎の「落陽」という曲に直系家族にない生き方の芽生えを感じる。

 核家族における価値観を消化・吸収しないと、これからの日本の家族や組織はやってゆけないと思う。直系家族にあった家長の権威がまだ残っていてそれに守られる家族や組織もあるだろうが、戦後、直系家族の家長の権威は法制度的に消滅しているからだ。精神的に自立して理念を子供に伝える、対話する、ユーモアのセンスを欠かさず、local communityを大切にして自ら参加する、そういった人が増えると良いと思う。

 さて、以前「近代家族」の項で、近代以降の家族を指す社会学の用語として「近代家族」という言葉を紹介し、その特徴を、

1.家内領域と公共領域の分離
2.家族成員相互の強い情緒的関係
3.子供中心主義
4.男は公共領域・女は家内領域という性別分業
5.家族の団体性の強化
6.社交の衰退
7.非親族の排除
8.核家族

と記したことがある。これは西洋近代の特徴のひとつである「資本主義」の労働者家族にフィットした家族形態で、欧米の核家族を祖型としている。戦争に負けて核家族化した日本以外でも、それまで直系家族や共同体家族型だった西側社会の多くが資本主義の徹底化でこのように形態変化した(日本同様それまでの家族類型の特徴を保ちつつ)。しかしこれは後期近代に至り制度疲労を起こしてきた。そこでモノコト・シフト時代の家族について、「新しい家族の枠組み」の項で、

1.家内領域と公共領域の近接
2.家族成員相互の強い理性的関係
3.価値中心主義
4.資質と時間による分業
5.家族の自立性の強化
6.社交の復活
7.非親族への寛容
8.大家族

といった特徴を挙げた。ここでいう大家族とは家族類型としての直系家族や共同体家族を指すのではなく、local communityによりオープンな家族形態をイメージしている。この新しい家族の価値観については、項を改めて考えてみたい。

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posted by 茂木賛 at 09:15 | Permalink | Comment(0) | 公と私論

無意識について

2022年08月16日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 『BTS、ユング、こころの地図』マリー・スタインス/ティーヴン・ビュザー/レオナード・クルーズ共著(創元社)という本を読んだ。BTSというグループがユング心理学の影響を濃く受けているとは知らなかったが、ユングの自我、ペルソナ、影、アニムスとアニマ、コンプレックス、集合的無意識、といった諸概念をあらためて確認することができた。ユングについてはこれまで、「百花深処」<平岡公威の冒険 4>の項で触れたことがある。三島由紀夫(本名:平岡公威)が晩年嵌ったのがユングの集合的無意識だった。

 そのこともあり、今回は「無意識」について、いくつか思いつくことを備忘録的に記しておきたい。

(1)人の内面の新大陸

 「後期近代」で書いたように、西洋で発祥した「近代」の特徴は、

〇 個の自立
〇 機会平等
〇 因習打破
〇 合理主義
〇 地理的拡大
〇 資本主義
〇 民主政治

といったことだったが、この中の「因習打破」や「合理主義」が、人の無意識というものを見つけ出すのに役立った。それは内向きの「地理的拡大」であり、人の内面の新大陸発見だったといえる。

(2)個人の精神分析ツールとして

 「無意識」はまず、精神分析ツールとしてフロイト(1856-1939)によって定律化された。精神分析は、近代の特徴である「個の自立」を目指すためのツール(の一つ)として社会に広まった。フロイトに続き、無意識の研究はアドラー(1870-1937)やユング(1875-1961)、ラカン(1901-1981)、さらにはギブソン(1904-1979)らによって深化。フロイトは「性」、アドラーは「社会の中の個人」、ユングは「元型」、ラカンは「言葉と性」、ギブソンは「生態」といったキーコンセプトによって「無意識」を追求した。

(3)社会の構造分析ツールとして

 「無意識」の研究はさらに精神分析の範囲を超え、ベンヤミン(1892-1940)の集団の無意識、フロム(1900-1980)の社会的性格論、ギブソンのアフォーダンス、ブルデュー(1930-2002)の界とハビトゥス、トッド(1951-)の家族類型論などによって、社会構造の重要なエレメントとしても注目されるようになった。

(4)諸刃の剣として

 後期近代の特徴は、

〇 貧富の差の拡大
〇 男女・LGBT差別
〇 自然環境破壊
〇 デジタル・AI活用、高齢化
〇 グローバリズム
〇 金融資本主義
〇 衆愚政治

といったものだが、無意識の研究はこれから、人類にとって“諸刃の剣”となると思われる。人々の理解が深まって社会の安定が進む一方、権力を握った富者は、(個や集団の)無意識を使って貧者を支配する術に磨きをかけるだろう。

(5)複眼主義でいうと

 このブログでは複眼主義を提唱している。複眼主義では、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

という対比を掲げ、生き方としては両者のバランスを大切に考える。ただし、
・各々の特徴は「どちらかと云うと」という冗長性あり。
・感性の強い影響下にある思考は「身体の働き」に含む。
・男女とも男性性と女性性の両方をある比率で併せ持つ。
・列島におけるA側は中世まで漢文的発想が担っていた。
・今でも日本語の語彙のうち漢語はA側の発想を支える。

「無意識」を複眼主義で考えると、それは基本的にB側、身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働きといえる。性の深層、条件反射、感性、夢の形象、知らず知らずのうちに身に付いた暗黙の知の体系などなど。モノコト・シフトの時代はB側偏重でもあるから、ますますこういった無意識への注目度は高まるだろう。

 西洋近代の道程は、新大陸発見の旅(地理的拡大)と並行して、A側による内側新大陸(無意識=B側)探検の旅でもあった。外側新大陸発見の旅の最後、極東の果てにB側王国の「日本」があったことは愉快な偶然、ユングにいわせれば「意味のある偶然の一致(シンクロニシティ)」なのかもしれない。「ひらめきと直感」の項でみたように、ユングは日本人のB側偏重に気付いていた。

 以上、無意識について思いつくことを記したが、私が社会学における無意識について知ったのは、中学か高校生の頃に読んだフロムの『自由からの逃走』(東京創元社)によってだった。個人の無意識については、同じ頃読んだ三島由紀夫の『音楽』(新潮文庫)によって。最近は、ビジネスコンサルとして経営的観点から、文芸評論として歴史・文化的見地から、「無意識」に興味を寄せてきた。これからもこの“諸刃の剣”について留意しながら、後期近代のpositiveな未来、

● local communityの充実
● 継続民主政治による社会の安定
● 自然環境の保全

の実現に向けて考えを進めたい。

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posted by 茂木賛 at 09:17 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

街場の建築家

2022年08月11日 [ 街づくり ]@sanmotegiをフォローする

 『建築家の解体』松村淳著(ちくま新書)という本に導かれて、

界とハビトゥス」(7/28/2022)
空間(space)と場所(place)」(7/29/2022)

と綴ってきた。今回は同書によって、これからの建築家の在り方、その界とハビトゥスについて考えてみたい。

 まず同書から後期近代の特徴である「専門家システム」について引用する。

(引用開始)

 (前略)後期近代という時代区分において重要なものは、一つは「空間」と「場所」をめぐる議論であり、二つ目は専門家(プロフェッション)についての議論である。
 後期近代論において、専門家は重要な働きを担う。建築家も専門家の一種であるが、建築家の専門家としての在り方が、後期近代という時代の中で大きく変容した。
 産業社会のみならず、我々の生活世界を覆い尽くす高度に発達したインフラは、匿名的(アノニマス)な専門家システムによって駆動される。建築もまた、そうしたインフラの一つとして都市に配置される。それはもはや、個人の建築家の手に負えるものではない。

(引用終了)
<同書 217ページ>

 松村氏は、こうした現状において、これからの建築家の在り方は、「場所」に根ざした顔の見える専門家として、local communityの人々と二人三脚で仕事をしてゆくことではないかと述べる。空き家をリノベーションしたり、みんなの居場所を作ったり。氏はこうした建築家を「街場の建築家」と呼ぶ。

(引用開始)

 後期近代社会は、専門家によって設計・運営される「空間」が主流を占めるが、同時に「場所」も勃興してくる。個人名で活動する建築家にとって、「場所」こそが、職能を発揮する場になっている。「場所」において必要とされるのは「顔の見える専門家」である。「場所」の再生と建築家が交差するとき、「顔の見える専門家」として建築家の職能を拡張する契機が現れる。(中略)
 建築家という職能は属人的であるため、後期近代における専門家システムとは相性が悪い。個人の建築家がどんどん公共建築の設計から追いやられていくのは無理もない話であるが、建築は一九六〇年代以降、ずっとそうした状況に抗い続けてきた。
 システムが私たちの生活世界にまで浸潤してくることによって、かろうじて残されていた個人の住宅という建築家の仕事も、住宅メーカーやマンションデベロッパーに委ねられることが増えた。
 しかし、近年のまちづくりや、リノベーションのシーンは、そうしたシステムの「外側」で盛り上がっている。そこには個人名と顔を取り戻した建築家が、生き生きと活動している。
 本書ではそうした顔を取り戻した建築家を「街場の建築家」と呼んでいるが、彼らがシステムの「外側」の生活世界を構築するキーマンとなっていくのは間違いないだろう。
 こうした活動は今後、さらに活性化していくとみているが、もしかしたら、そうした活動もやがてシステムに飲み込まれていくかもしれないという懸念もある。

(引用終了)
<同書 292−297ページ>

 このブログでは、「建築士という仕事」や「建築について」の項で、スモールビジネスとしての建築について語ってきたが、それは松村氏のいう「システムの外側の仕事」というコンセプトと重なると思う。建築だけでなく他の職種でも、規模が小さく現場への対応力が強いスモールビジネスは、これからの時代に適合的だ。それにしても「街場の建築家」はスモールビジネスの有力選手であろう。

 さて、上記引用文の最後に松村氏は、「もしかしたら、そうした活動もやがてシステムに飲み込まれていくかもしれない」との懸念を述べられている。今の「専門家システム」という界とハビトゥスの支配者は、住宅建築では住宅メーカーやマンションデベロッパーの資本家・経営者たちだろうが、彼らに飲み込まれないために街場の建築家はどうすればよいのか。

 それを考えるにはまず、建築界よりも上位にある、後期近代社会そのものの界とハビトゥスを研究する必要があろう。なぜなら、ある「界」におけるその上位・下位(の界)には、一定に共通する特色があると思うからだ。<スポーツ界>の下位分化<角界(相撲界)><野球界><サッカー界>には独自の仕組みや規則性があるにしても、「身体運動による自己表現」といった一定に共通する特色がある。日本においてはさしあたり「界とハビトゥス」の項でみた「戦後日本の無意識」をよく研究すべきだ。

 ここで復習しておくと、<界>とは、社会の中に存在する集団のことで、各界は相対的に自立している。それぞれの界には固有の秩序や規範、動的なメカニズムが存在している。<ハビトゥス>とは、界において行為者が身に付ける暗黙の知の体系で、その界において個人がほぼ自動的に行っている価値判断やモノの見方を指す。

 「集団の無意識」の項では戦後日本の無意識を、

(1)家族類型
(2)平和憲法
(3)言語特性
(4)歴史認識

とに分けてみたが、建築の界とハビトゥスはとくに(1)との関りが強いのではないだろうか。
-----------------------------------
(1)家族類型

 戦後日本の家族制度は、占領軍によってそれまでの直系家族からアメリカ的な絶対核家族に変更された。しかし核家族の価値観は未消化・不十分で、人々のメンタルには、それまでの直系家族的価値観が残っている。儒教的価値観、組織における先輩・後輩関係の重要視、妻よりも夫の不倫への世間的寛容、老後の親の面倒をみる、先祖代々の墓を継承する、などが依然として長男(もしくは長女)の仕事とされているケースなど。しかし直系家族にあった家長の権威と権力は、制度的には消滅している。夢の形象には無能な二世議員、三世議員たちの姿が相応しいだろう。
------------------------------------
今の住宅メーカーやマンションデベロッパーの界とハビトゥスには、この直系家族的なメンタルが強い筈。街場の建築家は、(直系家族ではなく)核家族や新しい家族の価値観を良く消化・吸収しておく必要があると思う。その新しい価値観に基づいた界とハビトゥスがどのような性質ものであるかについては、また項を改めて考えてみたい。

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posted by 茂木賛 at 09:26 | Permalink | Comment(0) | 街づくり

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