『エマニュエル・トッドで読み解く世界史の深層』鹿島茂著(ベスト新書)を興味深く読んだ。トッド氏は1951年生まれのフランス家族人類学者。この本は、彼の家族類型論をベースに、仏文学者の鹿島氏が、世界の歴史やこれからの社会について語ったもの。目次は次の通り。
序章 人類史のルール
第一章 トッド氏に未来予測を可能にする家族システムという概念
第二章 国家の行く末を決める「識字率」
第三章 世界史の謎
第四章 日本史の謎
第五章 世界と日本の深層
第六章 これからの時代を生き抜く方法
あとがき
ドット氏の家族類型については、以前「中国ビジネス II」の項で、
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エマニュエル・ドットの家族類型はまず、
@親子関係が自由で兄弟関係が不平等な「絶対核家族」
A親子関係が自由で兄弟関係が平等な「平等主義核家族」
B親子関係が権威的で兄弟関係が不平等な「権威主義家族」
C親子関係が権威的で兄弟関係が平等な「共同体家族」
の4つに分けられる。親子関係が自由か権威的かとは、子供が結婚後も親と同居するなら権威的、独立するなら自由とする。兄弟関係が平等か不平等かとは、相続にあたって親の財産が男の兄弟の間で均等に分割されるなら平等、1人を残してその他が相続から排除されるなら不平等とする。例として、
@はイングランド、オランダなど
Aはフランス北部など
Bは日本、朝鮮半島、ドイツなど
Cは中国、ロシアなど
が挙げられている。Cの「共同体家族」は、近親婚(主としていとこ婚)のタブーがどの程度許容されるかによってさらに、
●外婚制共同体家族:いとこ同士の結婚不可
●内婚制共同体家族:いとこ同士の結婚の許容
●中間形態型共同家族:兄妹・姉弟の子供同士の結婚の許容
に分けられ、近親相姦を厳しく禁ずる中国は、「外婚制共同体家族」の家族形態をとるということになる。
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と纏めたことがある。鹿島氏による家族類型の解説は、「権威主義家族」を「直系家族」と呼んでいる以外同じだが、ここでは今一度鹿島氏の本からそれぞれの特徴を引用しておく。
(引用開始)
(1) 絶対核家族〔イングランド・アメリカ型〕
結婚した男子は親とは同居せず、かならず別居して別の核家族を構成します。そのため、親の権威は永続的ではなく、親子関係も権威主義的ではありません。結婚しなくとも、生計が成り立ち次第、子どもは独立する傾向にあります。親はあまりこれに干渉しません。親の財産は、兄弟のなかの誰か一人に相続されますが、それが誰かははっきりとは決められていません(遺言に一応依拠)。兄弟間に平等意識はなく、相続をめぐってしばしば争いが起ります。この不平等が前提となった競争意識がのちに資本主義を生むと説明されます。子どもの早期の独立が奨励されますから、教育には不熱心で、識字率も高くはありません。
ただし女性の地位は比較的高く、したがって女性識字率も比較的高く出ます。トッドはこの理由について、兄弟間の不平等が兄妹あるいは姉弟の平等を生むとしていますが、これについては後述します。いずれにしろ、覚えておくべきは、この類型においては女性識字率は高く、よって出産調整の開始も比較的早いということです。
〔主要地域〕イングランド、オランダ、デンマーク、アメリカ合衆国、オーストラリア、ニュージーランド
〔イデオロギー〕自由主義、資本主義(市場経済)、二大政党、小さな政府、株式資本主義
(2)平等主義核家族〔フランス・スペイン型〕
この類型においても核家族が原則です。子どもは早くから独立傾向を示し、結婚後に親と同居することはまずありません。そのため、親の権威は永続的でなく、親子関係は非権威主義的です。この点はイングランド型と同じなのですが、兄弟間、とくに遺産相続が完全に完全に平等である点が大きく違います。遺産は正確に均等に分割されます。親子関係が権威主義的ではないため、識字率は低く出て、教育への関心も低く、家庭内における女性の地位は直系家族や絶対核家族に比べると低いのが普通です。その理由は兄弟間が平等であるため、姉妹が排除されやすいからと説明されます。
〔主要地域〕フランスのパリ盆地一帯、スペイン中部、ポルトガル南西部、ポーランド、ルーマニア、イタリア南部、中南米
〔イデオロギー〕共和主義、無政府主義(サンジカリズム)、小党分立、大きな政府
(3)直系家族〔ドイツ・日本型〕
結婚した家族の一人(多くは長男)と両親が同居するのが原則。親の権威は永続的で、親子関係は権威主義的です。兄弟間は不平等で、財産はそのなかの一人(多くは長男)のみに相続されます。次男以下と女子は相続に預かれないか、財産分与を受けて、結婚後は家を出ます。ポイントは長男の嫁で、未婚の兄弟姉妹に対して権威を持つことが要求されますから、長男とあまり年のちがわない女性が選ばれることになります。この類型においては、識字率、特に女性の識字率は高く出て、類型として教育熱心な傾向にあります。
〔主要地域〕ドイツ、オーストリア、スイス、チェコ、スウェーデン、ノルウェイ、ベルギー、フランス周辺部(ドイツ国境地域、南仏)、スペインのカタロニア地域・バスク地域、ポルトガル北部、スコットランド、アイルランド、韓国、北朝鮮、日本
〔イデオロギー〕自民族中心主義、社会民主主義、ファシズム、政権交代の少ない二大政党制、土地本位制、会社資本主義
(4)外婚制共同体家族〔ロシア・中国型〕
男子は長男、次男以下の区別なく、結婚後も両親と同居します。そのため、かなりの大家族となります。父親の権威は強く、兄弟たちは結婚後もその権威に従います。ただし、父親の死後は、財産は完全に兄弟同士で平等に分割され、兄弟はこのときにそれぞれ独立した家を構えます。トッドは、こうした父親の強い権威と兄弟間の平等が、ロシア・中国型の共産主義、つまりマルクス・レーニン主義(スターリニズム)を生んだと考えます。この外婚制共同体家族と共産主義国家の分布の見事な一致の発見が、イデオロギーを家族類型型から説明するトッド理論が生まれたと述懐しています。
この類型においては、長男の嫁という特権的なポジションがありませんから、嫁の初婚年齢は低く、したがって家庭内における女性の地位も低いのが普通です。又兄弟の完全平等という要素も姉妹を排除することで成り立ちますから、余計に女性の地位は低く、当然、女性の識字率は低く出て、教育への関心も低くなります。
ただし、ロシアは直系家族であったノルマン人の植民によって生まれたという歴史的背景もあり、中国よりは女性の地位と初婚年齢、それに識字率が高く出ています。
〔主要地域〕ロシア、中国、フィンランド、フランスの中央山間部、イタリア中部、ハンガリー、セルビア、ボスニア、ブルガリア、マケドニア、ベトナム北部
〔イデオロギー〕スターリン型共産主義、一党独裁型資本主義
この四類型が互いに影響しあいながら歴史は変容し、多様なイデオロギーや思想、文化を生み出していくというわけです。
また、その変容の過程において、親子関係、兄弟関係のほかに、重要なパラメターとして作用するのが、「識字率」と「出生率」です。この二つについても、トッドの定義を簡単に述べておきましょう。
●識字率
母語で読み書き能力を持つ一五歳以上の人が、ある母集団中で何%を占めるかを示す数値。トッドは、男性の識字率が五〇%を超えると社会変革への気運が生まれ、続いて女性の識字率が五〇%を超えると出生率が下がり、社会が安定することに気付きました。女性の識字率が五〇%を超えた時点を、トッドは「テイク・オフ」と呼び、その地域/社会は近代化の段階に入ったと推定します。(中略)
●出生率(合計特殊出生率)
一人の女性が一生のうちで産む子供の平均人数。トッドは、女性の識字率が五〇%を超えると出産調整が始まり、出生率が下がることに注目しました。つまり、人口学で最大の問題となっている出生力転換、多産多死社会から少子少死社会への転換の原因は経済ではなく、女性の識字率にあると考えたのです。ここから、テイク・オフのパラメターとしての女性の識字率と出生率(合計特殊出生率)の相関関係が俄然、クローズアップされるようになりました。なぜなら、家族類型によって女性の識字率はかなり異なるので、女性の識字率がもともと高い家族類型、たとえば直系家族などではそれが出生率の低下を招くので、テイク・オフが早くなるが、共同体家族においては外婚制にしろ内婚制にしろ、総じて女性識字率が低いので、出生率は高止まりで、したがってテイク・オフが遅れるということが言えるからです。(後略)
(引用終了)
<同書 26−33ページより>
以上だが、家族類型にはこのほかに、「起源的核家族」と呼ばれるものがある。それは上の四つの類型以前の家族形態で、
(引用開始)
この起源的核家族が、父方居住、母方居住、双方居住、統合的核家族、一時的同居を伴う核家族などのバージョンを経た後、農耕や定住などさまざまな要因の影響で、「絶対核家族」「平等主義核家族」「直系家族」「共同体家族」の四つの形態に分化していくのではないかということです。
(引用終了)
<同書 74ページ>
例えば日本の平安時代の妻問婚は、起源的核家族の母方居住とされる。
その他鹿島氏は、日本の直系家族型は、中国や韓国のような男系原則ではなく双系である(跡継ぎは女性でも構わない)こと、直系家族においては、しばしば権威と権力との分離が起る(跡継ぎが権威は持つけれど実際の権力は他の者が持つ)こと、などを指摘している。
前回「帰属集団について」の項で、“ここでいう帰属集団とは、家族の上位にある社会構成員の拠り所といった意味で、江戸時代は「村落共同体」、明治以降は「家」、戦後(バブル崩壊まで)は「企業」、という変遷を経て今に至った。(中略)今の多くの日本人は、拠り所としての帰属先が無いまま、(市町村や都道府県といった中間機構を経由しつつ)政府の行政に直面する羽目に陥っているから、結婚だけでなく子育てや仕事、社交などにおいてとてもストレスが大きいのではないだろうか”と書き、“家族の帰属先としての「新しい拠り所」をどう制度設計してゆけば良いのか、さらに考えたい”と結んだが、今回はこの鹿島氏の本によって、戦後日本の家族そのものの変遷を辿ってみたい。
(引用開始)
■きわめて「アメリカ的な」日本国憲法
昭和二〇年(一九四五)八月一五日の玉音放送で戦争は終わり、連合国軍最高司令長官マッカーサーによる日本占領が行われます。これはソ連による満州占領などと比べると実に平和的、民主的、紳士的な占領であり、満州からの引揚者に言わせると、こんなものは占領とは呼べないということですが、しかし、マッカーサーはこれまでどんな占領軍もやらなかったことをやったのです。
それは、戦争中から行われていた日本研究の成果を応用して、軍国日本の諸悪の根源は直系家族にありとみなして、直系家族を核家族に無理やり変更するような諸政策を実行に移したのです。
その最たるものが『日本国憲法』の前文であり、ここに謳われているのは直系家族原理を否定し、それに代える核家族の原理をもってすることです。つまり、きわめてアメリカ的な核家族原理に基づく憲法が日本国憲法なのです。マッカーサーはさらに一歩進んで、直系家族原理の中核である家督相続を廃止させ、民法からも直系家族要素を一掃させました。通説では、占領軍は憲法、刑事訴訟法に比べると民法改正には関与しなかったといわれますが、しかし、皮肉なことに民法改正においても、父親であるマッカーサーの「意志」を忖度しようという学者が多数出て、民法は完全にアメリカ的な絶対家族的なものに変更されました。
■教育勅語を廃止し、自由主義教育へ
また、教育という直系家族的な理念が幅を聞かせていた分野でも、教育勅語を廃止し、教育基本法を始めとする教育三法により、絶対核家族的な自由な自由教育主義にこれを変更させました。
ひとことでいえば、マッカーサーは憲法と民法と教育から直系家族理念を一掃することで、日本の家族システムを変更するという、これまでどんな占領軍もやったことのない冒険に乗り出したのです。
しかし、朝鮮戦争を巡ってトルーマンと対立したマッカーサーがGHQ総司令官を解任され、昭和二十七年に占領が終ると、日本のあらゆる中間団体で直系家族理念が復活しはじめます。政治の分野では、それでも大っぴらに直系家族理念に回帰することはできませんでしたが、規制のまったくない企業と官僚組織と労働組合では直系家族理念が蘇り、日本の企業と官僚組織のほとんどは直系家族に逆戻りしました。もっとも、戦後の復興には、こうした直系家族的組織運営はジャスト・フィットしたらしく、戦前の陸軍に代わって企業と官僚組織と労働組合が日本株式会社として発展をリードしていったのです。
(引用終了)
<同書 179−181ページ>
この「日本株式会社」がバブル崩壊で衰退したことは、前回「帰属集団について」の項で見た通り。
以上を踏まえ、「帰属集団について」の指摘を家族類型でみると、“江戸時代の直系家族(農民)の上にあった拠り所は「村落共同体」、同じく直系家族の武士の拠り所は「家(イエ)」、明治時代の直系家族の拠り所も「家」、そして核家族化が進んだ戦後(バブル崩壊まで)は「企業」だった。しかし企業の力が衰退したバブル崩壊以降、多くの核家族は、拠り所としての帰属先が無いまま、(市町村や都道府県といった中間機構を経由しつつ)政府の行政に直面する羽目に陥っているから、結婚だけでなく子育てや仕事、社交などにおいてとてもストレスが大きいのではないだろうか”と言い換えることが出来る。アメリカでは、家族の拠り所として教会や地域コミュニティが存在するが、戦後日本の核家族は急ごしらえで周りの環境が整えられていないのだ。私たち誰もが否応なく所属する今の中間団体(国家と個人の間に位置する政府、政党、軍隊、会社、学校、宗教団体、町内会、部活動など)は、必ずしも家族の拠り所にはならない。
戦後日本の家族は、占領軍によってそれまでの直系家族からアメリカ的な絶対核家族に変更された。しかし人々のメンタルには、それまでの直系家族的価値観が残っている。私は法律家ではないから不正確かもしれないが、たとえば、家族の遺産相続は(遺言がない限り)男女双系の平等核家族的に為されるが、老後の親の面倒をみる、先祖代々の墓を継承する、親族の法事に出る、などは依然として長男(もしくは長女)の仕事とされているケースが多い。金銭的には兄弟姉妹平等なのに、メンタル的には直系家族意識が残っているのだ。この不平等感がしばしば家族争議の種ともなる。この家族類型という視点を入れつつ、家族の帰属先としての「新しい拠り所」をどう制度設計してゆけば良いのか、さらに考えたい。
このブログで追及してきた戦後日本の国家統治能力(父性)の不在(「父性の系譜」)も、その原因の一つにこの家族システムの変更を挙げることが出来るだろう。直系家族にあった家長(長男)の権威と権力が制度的に消滅したこと、核家族における父性体現が未消化・不十分、国家統治に間接的に影響を及ぼす教会や地域コミュニティの役割(家族の拠り所)が設計されていないこと、などが考えられる。