荷風の話を続けよう。前回「荷風を読む II」で紹介した岩波文庫三冊、
『浮沈・踊子 他三篇』
『花火・来訪者 他十一篇』
『問はずがたり・吾妻橋 他十六篇』
の他、同文庫から出ている荷風の作品を以下、列記・紹介したい(括弧内は第一刷発行年月、新版・改版がある場合はその第一刷発行年月)。
『夢の女』(1993年4月)
『あめりか物語』(2002年11月)
『ふらんす物語』(2002年11月)
『すみだ川・新橋夜話 他一篇』(1987年9月)
『江戸芸術論』(2000年1月)
『下谷叢話』(2000年9月)
『腕くらべ』(1987年2月)
『おかめ笹』(1987年4月)
『つゆのあとさき』(1987年3月)
『墨東綺譚』(1991年7月)
『荷風随筆集(上) 日和下駄他十六篇』(1986年9月)
『荷風随筆集(下) 妾宅他十八篇』(1986年11月)
『摘録 断腸亭日乗(上)』(1987年7月)
『摘録 断腸亭日乗(下)』(1987年8月)
以上十四冊だが、岩波のサイトによると他に品切れとして『珊瑚集 仏蘭西近代抒情詩選』『地獄の花』『雨瀟瀟・雪解』がある。
荷風は明治36年(1903)9月から明治41年(1908)7月まで、アメリカ・フランスに滞在した。『夢の女』と『地獄の花』はそれ以前に出版された小説。エミール・ゾラの影響が強いという。
『あめりか物語』と『ふらんす物語』は、滞米滞欧中に執筆した短編を纏めたもの。『すみだ川・新橋夜話 他一篇』は帰朝後数年のうちに書かれた小説集。他一篇とあるのは明治42年に発表された短篇「深川の唄」で、『永井荷風巡歴』菅野昭正著(岩波現代文庫)はこれを荷風の小説の《始まり》としている。
『江戸芸術論』は浮世絵などを論じた評論集。『下谷叢話』は母方の祖父鷲津毅堂やその周辺の幕末維新漢詩壇の人々を描いた史伝。師と仰ぐ森鴎外の史伝に触発されたという。『腕くらべ』『おかめ笹』『つゆのあとさき』『墨東綺譚』は言わずと知れた荷風中期の小説群。
『荷風随筆集(上) 日和下駄他十六篇』『荷風随筆集(下) 妾宅他十八篇』は随筆を集めたもの。『摘録 断腸亭日乗(上)』『摘録 断腸亭日乗(下)』は38歳(1917)から79歳(1959)まで42年間に亘って書き続けられた日記の摘録。
「荷風を読む II」で見たように、荷風が自分の文学と合致させようとした人生の一面は“正しい言葉があり得ない場所を生きる人生”というものだった。若くして西洋に滞在した荷風は、「近代」を生きる作家として、明治以降の日本を近代不在(疑似近代)と捉え、「正しい言葉があり得ない場所」としてそこを小説に描き、日記に書き綴った。日本の近代不在に対する荷風の悲嘆については、「社会と国民」の項で紹介した『「社会」のない国』(菊谷和宏著)などに詳しい。もう一つの面は、“戦争に否をとなえ、生の美しさ、楽しさを愛する人生”。荷風は生まれ育った環境から日本の「近世」を身近にとらえ『江戸芸術論』や『下谷叢話』、『荷風随筆集(上)(下)』などにそれを理想郷として描いた。
去年、文芸評論「百花深処」の方で、「古代」と「中世」の結節点に立つ人として西行を論じた(<西行考>)が、明治・大正・昭和を生きた荷風は、「近世」と「近代」の結節点に立つ人として重要だと思う。その結節点は、
(1) 江戸と西洋
(2) 儒教とキリスト教
(3) 下町と山の手
(4) 江戸幕府と明治政府以降
といったいくつかの軸で分析できよう。江戸、儒教、下町が「近世」の、西洋、キリスト教が「近代」、山の手と明治政府以降が「疑似近代」の諸要素。近代不在の明治以降をよく知るために、彼の文学と人生をさらに研究したい。