以前「荷風を読む」という項をアップしたのは4年前、2017年8月のこと。『老いの荷風』川本三郎著(白水社)に拠って永井壮吉(ペンネーム永井荷風)の晩年の作品背景を知ることができるのは有難いと書いたのだが、その後、手頃な文庫形式によってそれらの作品が相次いで出版された。
『浮沈・踊子 他三篇』(2019年4月)
『花火・来訪者 他十一篇』(2019年6月)
『問はずがたり・吾妻橋 他十六篇』(2019年8月)
いずれも岩波文庫。それぞれの紹介文を本カバー表紙から引用しよう。
(引用開始)
『浮沈・踊子 他三篇』
昭和10年代の東京を舞台にして、ヒロインの起伏にとんだ日々を描いた『浮沈』,浅草の若い女性が逞しく生きる姿を活写した『踊子』。「蟲の声」「冬の夜がたり」「枯葉の記」は,散文詩の如き小品。戦時下に執筆され、終戦直後に発表,文豪の復活を告げた。時代をするどく批判した文学者・荷風による抵抗の文学。(解説=持田叙子)
『花火・来訪者 他十一篇』
祭典と騒乱の記憶から奇妙な国の歴史を浮かび上がらせる「花火」,エロスの果てに超現実を垣間見せる「夏すがた」,江戸情調を文章に醇化した戦前の小説,随筆を精選した。「来訪者」は,戦中に執筆,終戦直後,発表の実験小説。贋作問題と凄愴の趣を込めた男女の交情に、「四谷怪談」や夢の世界が虚実相半ばして交響する問題作。(解説=多田蔵人)
『問はずがたり・吾妻橋 他十六篇』
荷風の戦後は「問はずがたり」とともに始まる。一人の画家の眼を通して,戦中戦後の情景が映し出される。若い女性の心象を掬いとる「吾妻橋」「或る夜」「心づくし」「裸体」。下町を舞台とした戯曲「渡鳥いつかえる」。戦禍を生き抜き,新たな生を受けとめる人々への哀感と愛惜のまなざし。戦後の荷風文学がよみがえる。(解説=岸川俊太郎)
(引用終了)
昭和16年(1942)12月8日に書き始められた「浮沈」は、解説者の持田さんによると、1936年にアメリカで出版された『風と共に去りぬ』(マーガレット・ミッチェル著)と構図がよく似ているという。
(引用開始)
日米開戦の日に書き始められた荷風晩年のもっとも大きな長編小説「浮沈」とは、かつて留学したアメリカへの思いも濃密にこめて、山の手の優しい母なる旧世界の滅亡にあらためて愛をささげる、荷風版<風と共に去りぬ>でもあるのではないだろうか。
その問題もふくめ、戦下に書かれたこの作品には、荷風らしい反骨精神の表れとして、西洋の文化がかぐわしく薫る。
(引用終了)
<同書 285ページ(解説)>
昭和19年(1944)4月に脱稿した「来訪者」は、きわめて複層的な実験小説だ。作中に出てくる「怪夢録」という短篇は偽書なのだが、よく似た「夢」という作品が後日公刊されている。解説者多田氏の文章を引用したい。
(引用開始)
「わたくし」が書いたという「怪夢録」の筋書きは、贋作者である白井の艶物語とあちらこちらで呼応する。「怪夢録」では女が金の蛇を漬けた酒を持ってあらわれるのに対し、白井と交渉をもつ未亡人は「蛇屋の娘」。「怪夢録」で夢中の夢に女に会う前には夕陽が「火の海」のように見えたとされるが、白井は未亡人の風貌にダヌンツィオの「火焔(イルフォコ)」を思い起こす。白井は「新四谷怪談」なる小説を構想するが、「東京近郊のひらけなかった頃の追憶」にもとづく「怪夢録」の叙景には四谷怪談の舞台が含まれていた。おまけに「わたくし」の原稿を体裁や書体、印まで本物そっくりに仕立てた白井は、ふと旧友を思い起こすほど「わたくし」の好みにかなった人物であるとされる。「わたくし」にある意味でよく似た白井が「わたくし」の自筆を贋作し、贋作者である白井の話を、かつてよく似た話を書いた「わたくし」が虚構にしている。贋作者事件以来白井を見ていない「わたくし」の行文がリアリティをもつのは、文学の好みが白井と同じで、白井が感じるはずのことを筆にできるという、いわば偽者による保証があるからだ。
『来訪者』はこうしたしかけをもとに、実物と贋作との関係を鏡合わせのようにくりひろげてゆく。自筆と贋作、実作者の旧稿と贋作者の体験、探偵の報告書と木場による白井の話、「わたくし」が現在書いている小説、などなどの伝聞や文書はたがいちがいに重なりあっていて、白井の話と「わたくし」の話を腑分けするどころか、本物とフェイクを見分けることさえむずかしい。極端にいえばこの小説はすべて白井が作り上げた話を「わたくし」に書かせているのだといった荒誕さえゆるしかねないような情報の網を、荷風はしたたかに張り巡らせているのである。(中略)
複数の確からしい物語によって、正しい言葉がありえない場所の輪郭を描くこと。作品が公刊された後の昭和二七年(一九五二)には、「怪夢録」とほぼ同じだが少し違う内容を持つ『夢』(昭和五年稿)の原稿が、しかも複製によって公開されている(原本は阪本龍門文庫所蔵)。『夢』の公表をゆるす行為が『来訪者』の見え方をどう変えているか、ぜひ読者に確かめていただければと思う。奇妙な映像や言行を世間にふりまき、何か複製めいた作品をさかんに書いている戦後の荷風の姿も、この論理をたどった先にあるのではないかと、今は考えている。
(引用終了)
<同書 276−278ページ(解説)傍点省略>
興味深い分析だ。
これら岩波文庫と前後して、中公文庫からも、
『麻布襍記―附・自選荷風百句』(2018年7月)
『葛飾土産』(2019年3月)
『鷗外先生―荷風随筆集』(2019年11月)
の三冊が出た。それぞれの紹介文を本カバー裏表紙から引用する。
(引用開始)
『麻布襍記―附・自選荷風百句』
永井荷風は大正九年五月、東京・麻布市兵衛町に居を移し、以来、洋館「偏奇館」に二十五年暮らした。本書は彼の地で執筆した短篇小説「雨瀟瀟」「雪解」、随筆「花火」「偏奇館漫録」「隠居のこごと」など全十四編を収める。抒情的散文の美しさを伝える作品集。「自選荷風百句」を併録する。
巻末エッセイ・須賀敦子
『葛飾土産』
麻布・偏奇館から終の棲家となる市川へ。「戦後はただこの一篇」と石川淳が評した表題作ほか、「東京風俗ばなし」などの随筆、短篇小説「にぎり飯」「畦道」、戯曲「停電の夜の出来事」など十九編を収めた戦後最初の作品集。巻末に久保田万太郎翻案による戯曲「葛飾土産」、石川淳「敗荷落日」を併録する。
<巻末エッセイ>石川美子
『鷗外先生―荷風随筆集』
森鷗外を生涯師と仰いだ荷風。「森先生の伊沢蘭軒を読む」「鷗外記念館のこと」などの随筆、大正十一年〜昭和三十三年の鷗外忌の日録を収める。そのほか向島・浅草をめぐる文章と、自伝的作品を併せた文庫オリジナル随筆集。巻末に谷崎潤一郎・正宗白鳥の批評を付す。
<解説>森まゆみ
(引用終了)
そして去年(2020年)1月、『花火・来訪者 他十一篇』の解説者多田蔵人氏の編集による『荷風追想』が岩波文庫から出版された。本カバー表紙裏の紹介文には、
(引用開始)
明治・大正・昭和にわたる文豪、永井荷風。近代文学に深い刻印を残した荷風は、時代ごと、また場所ごとに、実に様々な面影を残した人でもある。荷風と遭遇し、遠くから荷風を慕った同時代人の回想五九篇を選んだ。荷風と近代を歩くための、最良の道案内。
(引用終了)
とある。
明治・大正・昭和を生きた荷風の著作は、小説、日記、随筆、訳詩、戯曲、俳句など多岐に亘り、その数も多い。「荷風を読む」の項の最後に、“荷風は自分の文学と人生を合致させようとした”という持田さんの書評文章を引き、何が彼をしてそのような生き方を選ばせたのか考えてみたいと書いたが、これらの文庫を読みながら、それと併せ、“荷風が自分の文学と合致させようとした人生とは何か”についても考えたい。
持田さんの書評には“戦争に否をとなえ、生の美しさ、楽しさを愛する人生”とあったが、多田氏のいう“複数の確からしい物語によって、正しい言葉がありえない場所の輪郭を描くこと”が荷風の論理だったとすると、合致させるべき人生は、不穏で敗北的なものということになる。生の美しさと楽しさを愛する人生と、正しい言葉があり得ない場所を生きる人生。合わせ鏡のような二つの人生を一身に負うたがゆえに、それと合致せし荷風の文学はかくも味わい深いのだろうか。