前々回「ひらめきと直感」、前回「自粛警察」の両項を並べると、人に直感(intuition)を齎してくれるB側は、自粛警察という行き過ぎも引き寄せることが分かった。ここでいうB側とは勿論、複眼主義の対比、
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」
におけるB側で、複眼主義では両者のバランスを大切に考える。ただし、
・各々の特徴は「どちらかと云うと」という冗長性あり。
・感性の強い影響下にある思考は「身体の働き」に含む。
・男女とも男性性と女性性の両方をある比率で併せ持つ。
・列島におけるA側は中世まで漢文的発想が担っていた。
・今でも日本語の語彙のうち漢語はA側の発想を支える。
一方、人にひらめき(inspiration)を齎してくれるA側は、間違えると、過剰な財欲と名声欲(greed)を引き寄せる。このことは「五欲について」や「三つの宿痾」の項などで見た通り。
さて、先日「コロナウイルスとモノコト・シフト」の項で、
(引用開始)
コロナウイルスの流行を目の当たりにしたことによって、日本各地でさらにモノコト・シフトが加速するだろう。しかし一方、これまでの枠組で利益を得てきた集団は、中央集権による監視社会の方を指向するだろう。人類は今この二大潮流の鬩ぎ合いの場に立ち会っている。
(引用終了)
と書いた。今回は、この二大潮流の鬩ぎ合う世界の今後を考えてみたい。
モノコト・シフトとは、20世紀の「大量モノ生産・輸送・消費システム」と人のgreed(過剰な財欲と名声欲)が生んだ、「行き過ぎた資本主義」(環境破壊、富の偏在化など)に対する反省として、また、科学の「還元主義的思考」によって生まれた“モノ信仰”の行き詰まりに対する新しい枠組みとして、(動きの見えない“モノ”よりも)動きのある“コト”を大切にする生き方・考え方への関心の高まりを指す。“モノ”は所有原理、“コト”は関係原理の下にある。つまり、世界全体で、複眼主義でいうところの「B側」への偏重が起っているということだ。
法政大学教授水野和夫氏の「新型コロナ 出口はどこに」という新聞インタビュー記事に次のようにあった。水野氏についてはこれまでも、「新しい会社概念」、「ヒト・モノ・カネの複合統治 II」の項などでその著書を紹介してきた。
(引用開始)
<周辺国で完結する市場に>
新型コロナウイルスは16世紀以来世界に広がってきた、グローバル資本主義というシステムを終焉(しゅうえん)させる役割を果たすことになるでしょう。
このシステムは21世紀を迎えたころから、限界が見え始めていました。地球上にフロンティアはなくなり、電子金融空間でしか利益を出せなくなった。富は一握りの人たちに集中し、格差はどんどん拡大していました。
人・モノ・カネの移動を促進したグローバル化は、皮肉なことにウイルスの移動も活発化させました。以前なら、武漢で封じ込められたかもしれない新型コロナは「一帯一路」で欧州から米国に広がり、グローバル資本主義の中心ニューヨークが最大の被害を受ける結果を生みました。(中略)
これを機に、世界経済の構造を大転換させるべきです。世界秩序が崩壊していく状況下で、世界中にサプライチェーンを張り巡らせるのではなく、狭い地域で完結できる構造へと変えていくのです。
日本は、韓国・台湾・豪州・ニュージーランドと経済的連携を強め、ブロック化していくべきです。韓国と台湾から工業製品を、豪州やニュージーランドから農産物を調達し、サプライチェーンを縮小する。つまり、人・モノ・カネの流れを限定した地域内で経済を回していくのです。
韓国・台湾・豪州・ニュージーランドは、いずれもコロナ対策で成功しました。新たな感染症が起きた時、日本と協力して防疫体制をとれるようにする。次のウイルスの脅威に備える体制の構築こそが出口戦略のあるべき姿です。
安倍晋三首相は、コロナ前のグローバル資本主義や成長戦略に戻せると思っているように見受けられます。しかし、日本経済の最大の問題は供給過剰にあります。空き家が増えているのに新築住宅を建て続け、食品や衣服もつくりすぎでロスが出ている。もう無駄な経済成長よりも、ムダをなくして、労働時間を減らすほうを優先すべきです。(後略)
(引用終了)
<朝日新聞 5/9/2020>
韓国・台湾・豪州・ニュージーランドとのブロック経済、という視点が興味深い。ウイルス感染という“コト”との共生も、モノコト・シフト時代に必要な対応の一つなのだろう。
社会が何かで急激に「B側」に振れると、日本では自粛警察のような内向きの相互監視、アメリカでは外向きの都市暴動のようなことが起りやすい。その違いは「現場のビジネス英語“damn it!”」の項でみたように文化の違いだろうが、きちんとA側とB側とのバランスを考えた上で、監視社会下でのグローバル資本主義ではなく、よりローカルな“コト”を大切にしてゆくにはどうしたら良いか。さらに考えたい。