夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


周辺国で完結する市場

2020年06月22日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前々回「ひらめきと直感」、前回「自粛警察」の両項を並べると、人に直感(intuition)を齎してくれるB側は、自粛警察という行き過ぎも引き寄せることが分かった。ここでいうB側とは勿論、複眼主義の対比、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

におけるB側で、複眼主義では両者のバランスを大切に考える。ただし、
・各々の特徴は「どちらかと云うと」という冗長性あり。
・感性の強い影響下にある思考は「身体の働き」に含む。
・男女とも男性性と女性性の両方をある比率で併せ持つ。
・列島におけるA側は中世まで漢文的発想が担っていた。
・今でも日本語の語彙のうち漢語はA側の発想を支える。

 一方、人にひらめき(inspiration)を齎してくれるA側は、間違えると、過剰な財欲と名声欲(greed)を引き寄せる。このことは「五欲について」や「三つの宿痾」の項などで見た通り。

 さて、先日「コロナウイルスとモノコト・シフト」の項で、

(引用開始)

 コロナウイルスの流行を目の当たりにしたことによって、日本各地でさらにモノコト・シフトが加速するだろう。しかし一方、これまでの枠組で利益を得てきた集団は、中央集権による監視社会の方を指向するだろう。人類は今この二大潮流の鬩ぎ合いの場に立ち会っている。

(引用終了)

と書いた。今回は、この二大潮流の鬩ぎ合う世界の今後を考えてみたい。

 モノコト・シフトとは、20世紀の「大量モノ生産・輸送・消費システム」と人のgreed(過剰な財欲と名声欲)が生んだ、「行き過ぎた資本主義」(環境破壊、富の偏在化など)に対する反省として、また、科学の「還元主義的思考」によって生まれた“モノ信仰”の行き詰まりに対する新しい枠組みとして、(動きの見えない“モノ”よりも)動きのある“コト”を大切にする生き方・考え方への関心の高まりを指す。“モノ”は所有原理、“コト”は関係原理の下にある。つまり、世界全体で、複眼主義でいうところの「B側」への偏重が起っているということだ。

 法政大学教授水野和夫氏の「新型コロナ 出口はどこに」という新聞インタビュー記事に次のようにあった。水野氏についてはこれまでも、「新しい会社概念」、「ヒト・モノ・カネの複合統治 II」の項などでその著書を紹介してきた。

(引用開始)

<周辺国で完結する市場に>

 新型コロナウイルスは16世紀以来世界に広がってきた、グローバル資本主義というシステムを終焉(しゅうえん)させる役割を果たすことになるでしょう。
 このシステムは21世紀を迎えたころから、限界が見え始めていました。地球上にフロンティアはなくなり、電子金融空間でしか利益を出せなくなった。富は一握りの人たちに集中し、格差はどんどん拡大していました。
 人・モノ・カネの移動を促進したグローバル化は、皮肉なことにウイルスの移動も活発化させました。以前なら、武漢で封じ込められたかもしれない新型コロナは「一帯一路」で欧州から米国に広がり、グローバル資本主義の中心ニューヨークが最大の被害を受ける結果を生みました。(中略)
 これを機に、世界経済の構造を大転換させるべきです。世界秩序が崩壊していく状況下で、世界中にサプライチェーンを張り巡らせるのではなく、狭い地域で完結できる構造へと変えていくのです。
 日本は、韓国・台湾・豪州・ニュージーランドと経済的連携を強め、ブロック化していくべきです。韓国と台湾から工業製品を、豪州やニュージーランドから農産物を調達し、サプライチェーンを縮小する。つまり、人・モノ・カネの流れを限定した地域内で経済を回していくのです。
 韓国・台湾・豪州・ニュージーランドは、いずれもコロナ対策で成功しました。新たな感染症が起きた時、日本と協力して防疫体制をとれるようにする。次のウイルスの脅威に備える体制の構築こそが出口戦略のあるべき姿です。
 安倍晋三首相は、コロナ前のグローバル資本主義や成長戦略に戻せると思っているように見受けられます。しかし、日本経済の最大の問題は供給過剰にあります。空き家が増えているのに新築住宅を建て続け、食品や衣服もつくりすぎでロスが出ている。もう無駄な経済成長よりも、ムダをなくして、労働時間を減らすほうを優先すべきです。(後略)

(引用終了)
<朝日新聞 5/9/2020>

韓国・台湾・豪州・ニュージーランドとのブロック経済、という視点が興味深い。ウイルスという“コト”との共生も、モノコト・シフト時代に必要な対応の一つなのだろう。

 社会が何かで急激に「B側」に振れると、日本では自粛警察のような内向きの相互監視、アメリカでは外向きの都市暴動のようなことが起りやすい。その違いは「現場のビジネス英語“damn it!”」の項でみたように文化の違いだろうが、きちんとA側とB側とのバランスを考えた上で、監視社会下でのグローバル資本主義ではなく、よりローカルな“コト”を大切にしてゆくにはどうしたら良いか。さらに考えたい。

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posted by 茂木賛 at 10:24 | Permalink | Comment(0) | 起業論

自粛警察

2020年06月11日 [ 言葉について ]@sanmotegiをフォローする

 新型コロナウイルスの感染流行で、「自粛警察」という言葉があった。今回はこの言葉の背景を、当ブログで提唱している複眼主義によって探ってみたい。

 複眼主義では、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

といった対比を掲げ、人や社会における両者のバランスを大切に考える。
・各々の特徴は「どちらかと云うと」という冗長性あり。
・感性の強い影響下にある思考は「身体の働き」に含む。
・男女とも男性性と女性性の両方をある比率で併せ持つ。
・列島におけるA側は中世まで漢文的発想が担っていた。
・今でも日本語の語彙のうち漢語はA側の発想を支える。

 まず「自粛警察」に関する新聞記事をみてみよう。

(引用開始)

 新型コロナウイルスによる緊急事態宣言下で営業している飲食店に「火付けるぞ」と脅したとして、警視庁巣鴨署は威力業務妨害の疑いで、東京都豊島区役所職員の男(63)=同区=を逮捕した。逮捕は20日。署によると、職員は容疑を認め、「感染の恐怖心から間違った正義感を持ってしまった」と供述している。22日に釈放された。
 匿名で店舗に自粛を迫る行為は「自粛警察」と呼ばれ、誹謗中傷や脅迫的な手法が問題となっている。(後略)

(引用終了)
<東京新聞 5/23/2020>

 そもそも「自粛」とは何だろう。日本人はなぜ自粛するのだろう。先日の朝日新聞「著者に会いたい」というコラムにそのことが書いてあった。<同調圧力が生む自粛警察>という見出しの下、『加害者家族バッシング 世間学から考える』(現代書館)の著者佐藤直樹氏へのインタビュー記事。佐藤氏は日本社会特有の「世間」について研究しておられるという。

(引用開始)

 「社会」とはバラバラの「個人」の集合体で、法のルールによって動く。ところが日本にあるのは社会ではなく「世間」で、その集団の力学こそ物を言い、絶大な力を持つ。
 著者は本書でそう説き、「くり返すが、『世間』においては個人が存在しない」と書いている。刑事法学の専門家で、1999年に歴史学者の阿部謹也氏(故人)らと「日本世間学会」を創設、大学でも学問としての「世間学」を講じてきた。現在は評論家として様々発言している。
 犯罪が起きると加害者の家族までがなぜ目の敵にされるのか、変えるにはどうすべきかを論じた本だが、それにはまず世間とは何かを考えることが不可欠として紙幅を割いた。加害者家族への非難はもとより、新型コロナウイルス対策を巡って現れた「自粛警察」にしても、世間と深く結びついている現象だと語る。
 「世間にはメリットとデメリットの両面ありますが、同調圧力と相互監視がグロテスクに表出した。人に迷惑をかけるなという世間の共同感情を害してはならないのだ、と」
 ひと頃はやったように「空気を読め」というわけだが、これはKYと称される前から強固な世間のルールであったし、今もある。新型ウイルス対策でも「要請」と「自粛」が連呼されてきた。「この国ではそれだけで十分なんですよね。言うことを聞かない人には同調圧力が働く」

(引用終了)
<朝日新聞 5/30/2020>

「自粛」とは、政府の「要請」に対する「世間」の対応なのだ。

 それにしても日本人はなぜ「自粛」できるのか。複眼主義によって考えてみよう。日本語的発想のひとつに、ものごとを並べて考えるとき、外から内への順に並べるというのがある。「そこここ」、「あれこれ」「ああだこうだ」など。『日本語びいき』清水由美著(中公文庫)の12章「ウチ向きな日本の私」のコラムに、日本語では、

(引用開始)

「こうだああだ言う」とは言いません。「こうそうしているうちに」とも言わないし、「これあれ遠慮する」とも言いません。話し手の縄張りという点から見て、かならず「遠→近」の順に並んでいるのです。語頭音だけでいうと、「あ→そ」「あ→こ」「そ→こ」という順です。「こ」が、「そ」や「あ」より前に来る組み合わせはないのです。ほかの例もあげてみましょう。「ああ言えばこう言う」、「そこここに散らばる」、「そんなこんなで忙しい」、みんなこの「遠→近」の法則に従っています。
 だから何だと言われれば、なんでもなくてそれだけの話なのですが、たとえば英語だと、here and there, this and thatという具合に、「近→遠」の順に並べることが多い。不思議です。だから、それが何、と問い詰められると困ります。いや、ただ、ちょっとおもしろいですよね、という、それだけのお話。

(引用終了)
<同書 136ページ>

とある。これを複眼主義で解読すると、Bの環境中心の発想は、環境(外)から自身(内)へ向けて力が働き、Aの主格中心の発想は、自己(内)から環境(外)へ向けて力が働くから、語順もそれに従うということになる。

 外からの内向きに働く力が「自粛」を可能にする。日本人は(目上の人に対して恐れ多く感じて)恐縮したり、人前で(恥ずかしくて)小さくなったりする。そういえば、『「縮み」志向の日本人』李御寧著(講談社学術文庫)という本もあった。

 自粛が感染拡大を防いだ功は勿論あるが、危機に際して、人や社会のバランスがB側に偏りすぎると、佐藤氏のいうように、同調圧力と相互監視がグロテスクに表出し、自粛警察のような行為が起る。社会にはやはりAとBのバランスが必要なのだ。法のルールはA側の「公(Public)」の発想である。佐藤直樹氏へのインタビュー記事の続きを引用しよう。

(引用開始)

 「世間の国」には、国内の安全が他国より保たれているといった利点もある。「武士階級は別としても、江戸時代までの世間は『やさしい世間』で相互扶助の面も大きかった。必要なのは、世間のルールを緩めていき、明治以来の『きびしい世間』を変えていくことです」
 家父長制度、死刑制度、天皇制と、世間学の射程は広い。日本語という言語の面からも追及したいと考えている。

(引用終了)
<朝日新聞 5/30/2020>

自粛警察は、法のルールによらないところが、戦時中の「隣組」や、江戸時代の「村八分」とよく似ている。

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posted by 茂木賛 at 11:08 | Permalink | Comment(0) | 言葉について

ひらめきと直感

2020年06月04日 [ 言葉について ]@sanmotegiをフォローする

 ひらめき(inspiration)と直感(intuition)の違いについて考えたい。似ているような気もするが、だいぶ違うような気もする。

 英語の意味を辞書に探ってみよう。まず“inspiration”から。辞書の定義は“a sudden good idea”(Cambridge Dictionary)とある。拍子抜けするほどシンプル。次に“intuition”はどうか。“(knowledge from) an ability to understand or know something immediately based on your feelings rather than facts”(Cambridge Dictionary)とある。

 “idea”(考え)は大脳新皮質の“mind”(理性)の範疇のことだから、ひらめき(inspiration)は理性の働きといえる。直感(intuition)をもたらす“feelings”(感情)は、理性の働きでありながら、快・不快といった大脳旧皮質の“sensory”(感性)に近接している。その辺りに違いがありそうだがどうだろう。

 補助線として、よく耳にする言葉を二つ挙げてみる。

「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」
「女の直感はよく当たる」

 複眼主義では、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

という対比を掲げ、両者のバランスを大切に考えようとている。勿論各々の特徴は「どちらかと云うと」ということだが、ここでは、日本語的発想に特徴的な感性の強い影響下にある思考も「身体の働き」に含めている。また、誤解のないように断っておくが、男であろうと女であろうと、男性性と女性性の両方をある比率で併せ持っている。

 「天才とは、1%のひらめきと99%の努力である」という言葉は、発明王エジソンの名言だ。エジソンの「努力」とは、たゆまぬ「内因性の賦活」のことだろうから、これは「モノゴトを突き詰めて考えて初めて、その先にひらめきが待っている」ということで、たしかにA側の話だ。「女の直感」の方は、感性をうまく働かせれば作動する筈、だからB側の話に違いない。

 ひらめきと直感、二つは似ているようで、元を辿ると理性と感性の対比が見えてきた。そういえば去年の新聞に次のような記事があった。

(引用開始)

 ユングは民族性の研究で、日本人は世界で唯一、「意識は内向的で、起った物事を感覚で受け止め、フィーリングで判断し行動するタイプだ」と分類している。確かに、私の周囲の人たちは圧倒的にフィーリング派が多い。二〇一八年の平昌五輪で優勝した小平奈緒選手が、インタビューで「氷と対話する」と話しているのを聞き、やはりと思った。この言葉を、論理型の人たちに英訳しても理解してもらえない。
 「職人は技を盗め」とか、「先生の背中を見て育て」といった、よく耳にする言葉も同じである。山中伸弥博士は、ご自分の研究は「日本人だからできたもので、論理的な米国人では手を出さなかった。とにかくなにかあるのではと追及して、発見に至った」と言われている。古くは湯川秀樹博士も「日本人は抽象的思考に適していない。感覚的事象にしか興味を示さない」と言われている。
 私の研究分野でも、成果を上げたわが国の学者は、ほぼ例外なくフィーリング型だった。日本人は、自分がフィーリング型であることを誇りに思うことが大切である。そして、日本人ほどフィーリング型のセンスのいい民族はいないと思っていい。欧米の理論派の人たちに臆することなく胸を張ってほしい。すてきな偶然に出会ったり、予想外のものを発見したりするセレンディピティ―は、フィーリング型の人にほほ笑む。(山本尚・中部大教授)

(引用終了)
<東京新聞夕刊 2/12/2019(「紙つぶて」)>

複眼主義ではAとBのバランスを大切に考えるが、ひらめきや直感を鍛えるためには、ある時期、とちらか一方にのめり込むことも必要なのかもしれない。

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posted by 茂木賛 at 10:46 | Permalink | Comment(0) | 言葉について

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