非常事態宣言が解除されたところで、久しぶりに、外資系の会社に勤めるAさんとアメリカ人のボス・トムに登場願おう。ある日のこと、二人はカスタマー訪問のあと、一緒に電車に乗ることになった。急いでいるのに、エスカレーターでホームへあがると二人の目の前で電車の扉が閉まった。トムはすかさず“Damn it!”と怒ったようにいった。一方のAさんは、「あ〜あ」という感じで照れ笑いをした。するとトムはAさんにむかって、“What’s so funny?”と不審げに尋ねた。Aさんは、これをどう説明したものか考え込んでしまった。
Aさんはこれ、可笑しいから笑ったわけではない。電車に乗り損ねたことに対するとっさの照れ笑いだ。日本人ならわかる。一方、トムの方も本当に怒ったわけではない。電車に乗り遅れたりしたとき、アメリカ人はとっさによくこういう反応をする。だから、これは文化の違いというべきである。
このブログでは、複眼主義と称して、
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」
という対比を掲げている。とっさの振舞いは反射的なものだが、Aの主格中心とBの環境中心という違いがはや現れるのだろう(念のため、AさんのAと複眼主義A側のAとは無関係)。
トムが“What’s so funny?”と尋ねたのは、相手のとっさの顔から感情までをも判断しようとしたからだ。しかし、『情動はこうしてつくられる』リサ・フェルドマン・バレット著(紀伊國屋書店)によると、とっさの顔からダイレクトに感情の判断はできない。感情に基づく表情は大脳新皮質の運動野が作り出す。複眼主義では、日本語的発想に特徴的な感性の強い影響下にある思考も「身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き」に含めているが、「現場のビジネス英語“mind & sensory”」でみたように、本来、喜怒哀楽といった感情は大脳新皮質で認識する思考の相である。とっさの顔からわかるのは、痛いとか身体的な快・不快、やる気といった感性レベルのことまでだ。Aさん、その場は「可笑しいから笑ったわけではありません」とでも云っておけばよい。表情と感情のはたらき、文化の違いなどについては別の機会にゆっくり説明するのがよかろう。
どの社会にも、トムのようにとっさの顔から相手の感情を判断しようとする人は多い。だから処世術的には、いつも朗らかな顔でいた方が人から好かれる。よく怒ったような顔をして街を歩いている人がいる。多くの場合、そういう人は歩きながら何か難しいことを考えているのであって、怒っているわけではない。だからそういう真面目な人に道でも訊けば急に笑顔になって教えてくれる筈だ。
さて、Aさんとトムのとっさの顔の違い、ここでは簡単に「文化の違い」と記したけれど、この違いを深く追及すると、「内因性の賦活 II」で指摘した、
(引用開始)
1.脳の個性
LGSの基本構造は熱対流によって作られるから、その機能は人によって特有の精度分布を持つ。人の才能や性格はそのバリエーションによる要素が強い。一方、学習はニューロン・ネットワークが担っている。言語や利き腕による脳の活性化領域の違い、LGS機能の習熟効果、奇形などによって、どのような脳の個性(多様性)が人に生じるのか。
(引用終了)
という話になる。Aさんも、この辺りをトムと情報共有できれば“What’s so funny?”といった質問は受けずに済むだろう。面白い文化談議に発展するかもしれない。
言語については、カテゴリ<言葉について>において様々論じてきた。
「日本語について」
「脳における自他認識と言語処理」
「身体運動意味論について」
「メタファーについて」
「心と脳と社会の関係」
「容器の比喩と義人の比喩」
「容器の比喩と義人の比喩 II」
「存在としてのbeについて」
「母音言語と自他認識」
などなど。興味のある方はお読みいただきたい。とくに日本語的発想と英語的発想の違いについては、母音言語(日本語)と子音言語(英語)の違いに注目すべきである。