街から書店が消えていく現状について、先日、新聞夕刊のコラムに次のような記事があった。
(引用開始)
リアル書店の再生とは
街の書店が静かに消えていく。全国の書店数はこの二十年で半分になった。
住宅街の一角に小さなカフェができた。わずかだが新刊と古書が並べられ、ときには地元の詩人や作家の朗読会が催されている…。
古い書店が静かに消え、新しくにぎやかなショップが出現する。書店を巡る現状とその意味に、雑誌『創』(創出社)の11月号が特集で迫っている。
この二十年余り、インターネットの普及による本離れに、アマゾンを筆頭としたネット書店の大攻勢が加わり、リアル書店の苦境がもたらされた。しかし、リアル書店の側にも問題はなかったか。
「書店業界の論客」と紹介されるジュンク堂書店難波店店長の福嶋聡(あきら)は、一九九四年に書店に導入されたPOS(販売時点情報管理)レジの功罪を説く。市場動向が即座にわかり市場欲求に合わせての素早い配本、次の本作りが可能になったが、同じ本や同類の本がリアル書店の店頭を占拠するようになったのだ。
リアル書店には、他にはない新鮮な発見と驚きこそが求められる、と福嶋は主張する。いわば「出来事としての書店」である。こう考えれば、リアル書店の現状と未来は、文学の現状と未来と深くかかわっているといってよい。(書店愛)
(引用終了)
<東京新聞「大波小波」11/1/2019>
このブログでは、21世紀を「“モノ”から“コト”へのパラダイム・シフト(略して“モノコト・シフト”)」の時代としている。それは、20世紀の大量モノ生産・輸送・消費システムと人のgreed(過剰な財欲と名声欲)が生んだ、「行き過ぎた資本主義」(環境破壊、富の偏在化など)に対する反省として、また、科学の「還元主義的思考」によって生まれた“モノ信仰”の行き詰まりに対する新しい枠組みとして、(動きの見えない“モノ”よりも)動きのある“コト”を大切にする生き方・考え方への関心の高まりをいう。
「出来事としての書店」とは、書店が、書籍という“モノ”の陳列場から、書籍を通じて生まれる“コト”の創発の場となるということで、まさに“モノコト・シフト”の時代を反映していると思う。「経済の三層構造」の項で述べたように、“モノコト・シフト”の時代には、「モノ経済」や「マネー経済」よりも「コト経済」に対する人々の親近感が増すのだ。
「出来事としての書店」では、客が思いもよらなかった作品を見つけたり、珈琲を飲みながら詩を読んだり、朗読会や対談・対話などで作者と読者とが出会い、そこで新たな本の企画が生まれたりするのだろう。
この春『茂木賛の世界』にアップした「記号のような男」という小説では、桑富市有前町の本屋が食堂に生まれ変わったが、やがて有前町の何処かに、小舞台とカフェを併設したこだわりの書店が出来るに違いない。