前回「新しい統治思想の枠組み II」の項で、非線形科学を取り入れた教義の惹句の一つとして、寺田寅彦の「天災は忘れられたる頃来る」という言葉を選んだが、『寺田寅彦は忘れた頃にやって来る』松本哉著(集英社新書)という本に、その言葉が刻まれた碑のことが載っている。碑は高知の寺田寅彦記念館(寺田寅彦が幼少期に住んでいた家の跡地)にあるという。同書から引用しよう。
(引用開始)
南側の川に面した正面から写真を撮っておいた。「寺田寅彦先生邸址」と刻まれた大きな碑の下の石垣に横長の銘板がはめ込まれていて、そこに書かれているのが「天災は忘れられたる頃来る」という有名な言葉である。口惜しいことに寺田寅彦自身がこの言葉を書いたものは見つかっていない。伝説的に伝わった言葉なのである。やかましい人がいて、どうしても寺田寅彦の発言だったという確証を出せと言われれば、ここにこうして刻み込まれていることが何よりの「お墨付き」になる。そんな気がして一度は見ておきたかった。その文字は、地元高知の生んだ世界的植物学者・牧野富太郎氏が筆をとられたものである。
なお、これも「槲」誌で知ったのだが、大阪にある「水防碑」にもこの言葉が刻まれているらしい。ただしそちらは「災害は忘れたころにやってくる」である。
(引用終了)
<同書 219−221ページ>
「槲」誌とは寅彦研究会機関紙。著者が撮った記念館の写真と銘板の文字が220ページに掲載されている。
寺田寅彦は、「非線形科学」などといった言葉がない時代から、「生きた自然に格別の関心を寄せる数理的な科学」に深い関心を示していた。同書の紹介文をカバー表紙裏から引用する。
(引用開始)
寺田寅彦は実験物理学者にして文筆家。「天災は忘れた頃にやって来る」という格言を吐き、一方で多数の科学エッセイを書いて大衆の心をつかんだ。茶碗の湯、トンビと油揚、金平糖といった身近な話題を通して、自然界のぞっとするような奥深さを見せつけてくれたのである。明治に生まれ、昭和に没したが、その鋭く豊かな着想は永遠のものであり、混迷の二一世紀あって、あらためて注目されることを願う。夏目漱石、正岡子規といった文学者との交流も懐かしい。高知、熊本、東京にまたがる生涯と魅力的な人物像を追う。
(引用終了)
「自然界のぞっとするような奥深さ」こそ非線形科学が対象とする分野である。寺田寅彦の発想の一端を同書から引用したい。
(引用開始)
昭和六年に「科学」という雑誌が岩波書店から創刊されたとき、その第一号に文章を寄せて寺田寅彦は言った(『日常身辺の物理的諸問題』)。
「毎朝起きて顔を洗いに湯殿の洗面所へ行く、そうしてこの平凡な日々行事の第一ヵ条を遂行している間に私は色々の物理学の問題に逢着する」
こういうものの言い方、この文章から想像される「私」という男の姿、これほど寺田寅彦らしいものはないだろう。
どんな問題かというと
「金盥とコップとの摩擦によって発する特殊な音」
「窓ガラスに付着した水滴の大きさ、並び方の統計的相違」
「湯を沸かすときの湯気の立ち方と湯の温度の関係」
「蛇口から出てくる水のふるまい」
などを並び立てる。一般大衆の興味を引くためでなく、科学の専門家に対して、「これらの問題はいずれも工学上のみならず気象学や海洋学上の重要な諸問題とかなり密接につながっているのだから、誰かこの一つでもいいからわずかな一歩をでも進めてくれないか。自分一人では全部をやることができないのだ」と呼びかけているのである。
「工学」ほどすぐに何の役にたつというのでもないし、腹の足しにも、金もうけにもならないが、こんなことを考えるのが「理科」だ。
(引用終了)
<同書 192−193ページ(フリガナ省略)>
こういう発想は、前回紹介した『渋滞学』の著者と通ずるものがある。そういえば『渋滞学』にも、列車の遅れ(ダンゴ運転)の考察のところで“これは有名な物理学者である寺田寅彦もだいぶ昔に考察している”(178ページ)と記してあった。
寺田寅彦の言葉とその評価をさらに『寺田寅彦は忘れた頃にやって来る』から引用しよう。
(引用開始)
「われわれが存在の光栄を有する二十世紀の前半は、ことによると、あらゆる時代のうちで人間が一番思い上がって、われわれの主人であり父母であるところの天然というものを馬鹿にしているつもりで、本当は最も多く天然に馬鹿にされている時代かもしれないと思われる。科学がほんの少しばかり成長して、ちょうど生意気盛りの年頃になっているものと思われる。天然の玄関をちらと覗いただけで、もうことごとく天然を征服した気持ちになっているようである。科学者は落ち着いて自然を見もしないで長たらしい数式を並べ、画家はろくに自然を見もしないでいたずらに汚らしい絵の具を塗り、思想家は周囲の人間すらよくも見ないで独りぎめのイデオロギーを展開し、そうして大衆は自分の皮膚の色も見ないでこれに雷同し、そうして横文字のお題目を唱えている」(『烏瓜の花と蛾』昭和七年)
カラスウリの花が不思議なスイッチを入れられたかのように、一定の時刻になるといっせいに咲き、それに合わせて無数の蛾が突然に現れてきてこの花に集まる。ホウセンカの実が一定時間の後にひとりではじける。そんな情景を目にした寺田寅彦が「真似したくてもこれら植物の機巧はなかなかむずかしくてよくわからない。人間の叡智はこんな些細な植物にも及ばないのである。植物が見ても人間ほど愚鈍なものはないと思われる」とため息混じりに語った言葉だ。
「二十世紀の前半」はとっくに過ぎ去り、今や二十一世紀の前半に突入している。さすがに「生意気盛り」はごく一部の人たちだけに限られてきているようだが、「自然を見もしない」とか「雷同」「独りぎめのイデオロギー」「横文字のお題目」の弊害はしばしば目に余るような気がしてならない。
(引用終了)
<同書 30−31ページ>
いかがだろう、寺田寅彦に興味を持たれた方はぜひ同書をお読みいただきたい。寺田寅彦は非線形科学探求の先達だと思う。彼の言葉を日本の新しい統治思想教義の惹句に選ぶ理由である。