二か月程前に「新しい統治正当性」を書いて以来、『百花深処』の方で、
<天道思想について II>
<渋沢栄一と天道思想>
<武士の再興 II>
<渋沢栄一と福沢諭吉>
<渋沢・福沢の統治思想(仮想)>
と、日本近代におけるあらまほしき統治理論の枠組みを探ってきた。最新の<渋沢・福沢の統治思想(仮想)>の項では、
<渋沢・福沢の統治思想(仮想)>
「対象」:日本国
「至高」:自然
「教義」:論語+西洋合理思想
「信仰」:教義を守る
「特徴」:政治による集団救済。代議制民主政体。因果律。
と記し、
(引用開始)
さて、これで日本は20世紀を乗り越え、実り多い21世紀を迎えられただろうかというと、そうはならなかったと思う。「教義」が論語+西洋合理思想だけでは、日本の統治は、官僚たちに牛耳られていたに違いない。儒教の聖人政治はそのままでは漢字文化=律令体制の確立に傾斜するし、『夜間飛行』「“モノ”余りの時代」で述べたように、西洋合理思想においては、自然権派はその後過激な人権派に敗れ、やがて人権派は官僚たちに敗れるからだ。実り多い未来に向けて、そうならないような「教義」の深化が必要である。
(引用終了)
というところまで考えを進めた。
一方このブログでは、「フィードバック効果」の項で、フィードバック効果が働く「非線形現象」とそうでない「線形現象」とを比較し、複眼主義の対比、
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」
A、a系:デジタル回路思考
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」
B 女性性=「時間原理」「関係原理」
B、b系:アナログ回路思考
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
において、これからの列島統治はB系の思考を活用すべき、というロジックを提出した。国家統治は体系的なA系思考がメインだとしても、これからはモノコト・シフト(モノからコトへのパラダイム・シフト)の時代でもあり、B系思考の活用が重要になる筈だからだ。
これら二つ(官僚主義に陥らないための「教義」の深化と、B系思考の活用)から、日本における新しい統治思想として、
<新しい統治思想>
「対象」:日本国
「至高」:自然
「教義」:非線形科学の知見を取り入れたもの(新規起草)
「信仰」:教義を守る
「特徴」:政治による集団救済。代議制民主政体。因果律。
という枠組みが導き出される。明治の先達・渋沢と福沢の肩の上に乗って、そこから21世紀の「教義」を展望した形。
「至高」が“自然”であってみれば、その「教義」は、論語+西洋合理思想から一歩進んで、「生きた自然に格別の関心を寄せる数理的な科学」である「非線形科学」の知見を取り入れたものがやはり相応しい。20世紀後半に西洋の合理主義的科学から派生してきた、「カオス」、「フラクタル」、「ネットワーク理論」、「パターン形成」、「リズムと同期」など、自然をダイナミックに捉える「非線形科学」。この自然学はまだまだ新たな発見を伴うだろうから、新しいことを嫌う官僚主義には太刀打ちできない。いかがだろう、今後さらに考えを詰めてみたい。