夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


古代史の表と裏 II

2018年05月23日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 『古代の技術を知れば「日本書紀」の謎が解ける』長野正孝著(PHP新書)が出版された(2017年10月)。長野氏には「古代史の表と裏」の項で紹介した『古代史の謎は「海路」で解ける』(2015年1月)、『古代史の謎は「鉄」で解ける』(2015年10月)が既にある。当著は続編の体裁。概要把握のためにその紹介文を、帯表紙、カバー表紙裏、帯裏表紙の順で引用しよう。

(引用開始)

<技術者の「知」が古代史研究の盲点を突く>
出雲、丹後、敦賀などの『古代海洋王国』が消された理由がよく分かった。(ベストセラー『日本史の謎は「地形」で解ける』著者竹村公太郎氏推薦)

日本最初の正史である『日本書紀』には頻繁に軍隊の派遣がある。当時の交通の技術を考えれば、特に冬季における軍隊の移動が難しいことは明白であるにも拘わらず、なぜ冬場の行軍の記述が多くあるのだろうか? また、対馬で二世紀ごろから海の安全を祈る太占(ふとまに)やアマテラスの信仰が行われていたこと、そして、出雲や丹後が交易で栄えていたことに、『日本書紀』はなぜ触れていないのか? 津島、壱岐、丹後、敦賀など現地を訪れ、技術者の視点で先入観を排して分析すると、『日本書紀』の実質的な編纂者である藤原氏の深謀が明らかになった。古代史研究の盲点を突く意欲作。

第一章 出雲はなぜ泡(うたかた)の国とされたのか
第二章 海路でつながる壱岐、沖ノ島の神々
第三章 神功皇后の九州遠征――奪われた九州の遺産(レガシー)
第四章 「倭の五王」の国・出雲王国
第五章 神武東征――国威発揚と国土荘園化
第六章 虚構から現実の歴史に――継体天皇の淀川凱旋
第七章 隠され、無視され続けた古代海洋王国群
第八章 解けた巨大古墳群の謎――百舌鳥・古市古墳群考察
第九章 『日本書紀』の呪縛を解く

(引用終了)
<引用者によって括弧などを追加>

 「古代史の表と裏」の項では、“日本古代外史を考える際の鍵は、正史であるところの『日本書紀』からどれだけ離れて真実を探ることができるかだ(長野氏は正史を「中央史観」と呼ぶ)”と記した。当著で長野氏は、八世紀に書かれた『日本書紀』のトリックを「郭公(かっこう)の托卵の技」として解く。それは、

(引用開始)

 ご存じの通り、鳥の郭公は他の鳥の巣に卵を産む習性がある。その雛は他の卵より早く孵り、遺伝子に組み込まれた行動で、目の見えないうちから他の卵を巣から蹴り出してしまう。親は知らないから、この残った雛を大切に育てる。藤原氏は、このようにして他の氏族の神を自分の氏神にする替え、消したり、移したりした。藤原氏が舞台の配役を代え、その配役がスターになってゆく仕掛けである。

(引用終了)
<同書 87ページ(フリガナ省略)>

ということ。対馬や壱岐、九州北部、丹後や敦賀などで信仰されていた地元の神々を、中央の神話に取り込みながら、天孫降臨や神武東征、神功九州遠征などのストーリーを創作し、その末裔が列島を支配する今の王権であるかのように見せ、地方豪族がその権威に服従するように仕向けると同時に、対外的には王権の正当性を主張する。同族会社を乗っ取るのに、家系図に細工して、周囲に自分が古くからの一族の末裔であることを信じ込ませる手口とそっくり。

 「古代史の表と裏」の項では、“当初日本列島には、海岸地域に暮らす海洋民族(おそらく朝鮮半島のそれと同類)、内陸に暮らす狩猟民族がいただろう。それが半島と交易するなかで、農耕民族、遊牧民族が移入し、彼らの文化、居場所が形成される。その後、各民族が棲み分け、共生、あるいは戦いながら各々の文化を熟成、列島で鉄が作られ始める紀元七世紀ごろより、日本は半島・大陸から離れて独自の民族的発展を遂げてゆく。各民族文化のブレンド具合が今に繋がってくるわけだ”とも書いた。長野氏は当著で、このなかの「海洋民族」としての倭人にスポットを当て、彼らが日本海側を中心に作り上げた「古代海洋王国群」を丁寧にトレースする。氏によると、『三国志』(東夷伝倭人の条)の卑弥呼や『宋書』(倭国伝)に記された倭の五王(讃・珍・済・興・武)の国々は、共にこの古代海洋王国群に含まれるという(卑弥呼は丹後、倭の五王は出雲か)。この説は、『魏志倭人伝の謎を解く』渡邊義浩著(中公新書2012年5月)、『倭の五王』河内春人著(中公新書2018年1月)といった最近の学者の研究と照らし合わせても矛盾がないように見える。鍵は瀬戸内海横断航路がいつ開通したかだ。

(引用開始)

 簡単に説明すれば、手漕ぎの舟は潮流が約二ノット(時速三・八キロメートル)を超えると、物理的に前に進めない。瀬戸内海にはマラソンランナーと同程度の流速があり、数多くの岩礁がある。具体的には、最強時には関門海峡で時速十七・四キロメートル、大畠瀬戸で時速一二・八キロメートル、来島海峡で時速一九・一キロメートル、備讃瀬戸で時速六・三キロメートル、明石海峡で時速一二・四キロメートル、鳴門海峡で時速一九・四キロメートル。この海を、手漕ぎの船団で隊列を組んで航行を始めるには手助けがないと無理がある(潮流の数値は海上保安庁海洋情報部)。古代も大きくは違っていなかっただろう。
 さらに、瀬戸内海には水がない島が数多くある。東西の瀬戸内海が通れるようになったのはいつか? 拙著『古代史の謎は「鉄」で解ける』で述べたが、四世紀末から五世紀初めである。瀬戸内海で最も航海が難しい芸予諸島の遺跡から、いつ頃、鉄器が発見されたかでわかる。
「神武東征」が弥生時代であれば、瀬戸内海には高地遺跡が数多くあり、船団でも通ろうものなら島から弩による攻撃が行われただろう。その状況を示している遺跡もある。
 この海は、「渡しの神」の助けがなければ、食料も水も得られない。ここの海の航行が難しかったからである。ここの神々は対馬や壱岐を中心とする神々とは違う。天気予報は必要なかったが、必要なのは急流の中で船を操る神業であった。

(引用終了)
<同書 152−153ページ(フリガナ省略)>

 文芸評論『百花深処』では、列島の父性(国家統治能力)の研究を続けており、その源泉として、

(1)騎馬文化=中世武士思想のルーツ
(2)乗船文化=武士思想の一側面 
(3)漢字文化=律令体制の確立
(4)西洋文化=キリスト教と合理思想

を挙げているが、古代海洋国家群は、このうちの主に(2)が形作られるのに貢献しただろう。ちなみに、(1)は、古代海洋国家群を通過して、或いはさらに北から、時計回りに内陸に入ってきた遊牧民族を祖に持つと思われる。

 『日本書紀』を信じている人は列島の本当の歴史を知らない。『日本書紀』は藤原政権に有利になるように真実を隠してしまった。権力者による歴史の改竄。列島ではそれ以降もたびたび同じような手口が繰り返されてきたのではないか。これからも様々な時代の歴史の裏を探ってゆきたい。

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posted by 茂木賛 at 12:18 | Permalink | Comment(0) | アート&レジャー

評伝小説二作

2018年05月05日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 前回「音楽活動その他」の項で、列島における父性(国家統治能力)の系譜を辿る研究の一環として江戸時代の思想家たちに嵌っている、と書いた。読んでいるのは、思想家たち自身の著書(現代語訳)や彼らに関する評論が主だが、彼らを主人公にした評伝小説も、思想背景や時代の雰囲気を知る上で参考になる。興味をお持ちの方のために、ここで、最近私が読んだ二作品を紹介したい。

 一作目は、新井白石(1657−1725)を描いた『新装版 市塵(上)(下)』藤沢周平著(講談社文庫)。カバー裏表紙の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

 貧しい浪人生活から儒者、歴史家としてようやく甲府藩の召し抱えられた新井白石は、綱吉の死後、六代将軍家宣となった藩主とともに天下の経営にのり出していく。和漢の学に精通し、幕藩改革の理想に燃えたが、守旧派の抵抗は執拗だった、政治家としても抜群の力量を発揮した白石の生涯を描く長編感動作。(上)

 内政外交の両面で新井白石は難題に挑んでいく。綱吉時代に乱れた経済立て直しのための通貨改革、朝鮮使節との交渉。国のため、民のために正論を吐く白石だが、その活躍ぶりを快く思わない政敵も増えた。そんななか、白石を全面的に庇護してきた家宣の死で、白石の運命は、また大きく変わることとなった。(下)

(引用終了)
<フリガナ省略>

藤沢周平の略歴をカバー表紙裏から引用しておく。

(引用開始)

1927年、山形県生まれ。’73年「暗殺の年輪」で直木賞を受賞し人気作家となった。’86年「白き瓶」で吉川英二文学賞、’90年「市塵」で芸術選奨文部大臣賞。’97年、69歳で死去。上杉鷹山を描いた「漆の実のみのる国」が絶筆となった。

(引用終了)

このブログでは、以前「庄内弁の小説」の項で、氏の『春秋山伏記』を紹介したことがある。

 二作目は、荻生徂徠(1666−1728)を描いた『知の巨人 荻生徂徠伝』佐藤雅美著(角川文庫)。こちらもカバー裏表紙の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

 江戸時代中期、儒学の世界を根底から覆した学者、荻生徂徠。幼い頃から書物に親しみ、父の江戸追放で上総に逼塞するも、独学で学問を身につける。その才と学識の深さから柳沢吉保に取り立てられ、徳川吉宗の政治にも影響を与えた。貧困、学者からの無視、妬み交じりの反撥……どんな苦境にも学問への情熱を絶やさず、近代思想の礎を築いた不屈の天才。彼が追い求めた思想と、その生き様を描いた歴史小説の金字塔。解説・宇野重規

(引用終了)

佐藤雅美の略歴もカバー表紙裏から引用しておく。

(引用開始)

1941年兵庫県生まれ。早稲田大学法学部卒。雑誌記者を経て作家となる。85年『大君の通貨』で第4回新田次郎文学賞、94年『恵比寿屋吉兵衛手控え』で第110回直木賞を受賞。主な近著に、『御奉行の頭の火照り 物書同心居眠り紋蔵』『美女二万両強奪のからくり縮尻鏡三郎』等がある。

(引用終了)

 新井白石と荻生徂徠、二人は徳川時代中期、四代将軍家綱から八代吉宗までの時代を共に生きた。年齢差は9歳(白石が年長)。しかし白石は徂徠を「風変わりなことをやるただの酔狂者」と見ていたようだし、徂徠は白石のことを文盲と罵っている((『知の巨人 荻生徂徠伝』193−194ページ)。駄目な組織は、バカが仲良く連(つる)んでいるかリコウが反目しあっているかだというけれど、徳川幕府の衰退(「内的要因と外的要因」)は、すでにこの時期にその萌芽があったのかもしれない。二人が膝を突き合わせて徳川幕府の正当性などを論じてくれていたらその後の列島の歴史も変わっていただろうに。二人の考え方の違いについては、『荻生徂徠「政談」現代語訳』尾藤正英抄訳(講談社学術文庫)に載っている訳者の「国家主義の祖型としての徂徠」が興味深い。

 『市塵(上)(下)』と『知の巨人 荻生徂徠伝』、思想家の評伝だから内容は地味だが、どちらも文芸評論(『百花深処』)で展開している列島の父性(国家統治能力)の系譜を巡る研究に役立たせてもらった。そちらも併せて読んでみて戴きたい。そういえば、思想家以外の評伝、「経営の落とし穴」で紹介した『天地明察』(数学者・渋川春海の評伝)も、徳川時代を考える上で大いに参考になった。同じ作家(冲方丁)の『光圀伝(上)(下)』(角川文庫)、あるいは藤沢周平の『漆の実のみのる国(上)(下)』(文春文庫)なども面白そうだ。入手して読んでみたい。

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posted by 茂木賛 at 10:26 | Permalink | Comment(0) | アート&レジャー

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