前回「経営の落とし穴」の項で、徳川幕府・保科正之の政策について、その成果とアイロニー(落とし穴)を論じたけれど、今回は複眼主義の対比、
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」
を参考に、「教義と信仰」という観点から、徳川幕府初期の統治政策を考えてみたい。複眼主義ではA側とB側のバランスを大切に考える。列島のA側は長く漢文的発想が担っていたが、戦国時代以降、漢文的発想と西洋語的発想とは共存、その後長い時間をかけて漢文的発想は英語的発想に置き換わってゆく。
ある宗教ないし思想を見た場合、その「教義」はA側の発想で(理論的に)作られ、その「信仰」はB側の発想で(感性的に)念じ仰がれる。
A 教義・外面
B 信仰・内面
この二重性がバランスよく機能すれば、独善的な教義や行き過ぎた信仰は抑制される。
先日『百花深処』<天道思想について>の項で、戦国時代の天道思想の特徴を記した。そのA側は儒教道徳、B側は非排他的な神仏信仰であり、外面(教義)と内面(信仰)は互いに別物として捉えられていた。武家集団ではA側が強かったものの、B側への配慮もあったということだ。
徳川幕府が導入した朱子学も、A側は儒教道徳であり、B側は神仏儒信仰だった。天道思想の延長のようだが、天道思想がその原点(天)を天体運行・四季循環・災害といった具体的な自然現象に置いたのに対し、幕府は(下克上を抑える目的で)それを天皇に置き、徳川幕府は天皇から統治委任を受けたという形を取った。また、耶蘇教は禁制とした。下克上(武ののさばり)が抑えられたことも手伝って、当初A側とB側のバランスは程よく保たれたといえるだろう。
ベンチャー魂は、現実を踏まえつつ夢を追い求める姿勢だから、A側とB側の良きバランスの下で育まれる。『天地明察』で描かれた渋川春海の活躍は、教義=儒教道徳、信仰=神仏儒というバランスの取れた体制下で生まれたのだと思う。
もう一つ、『百花深処』<近世の「家(イエ)」について>の項で、徳川幕府が「家(イエ)」というユニークなシステムを導入したことを記したが、ベンチャー魂の継承にはこの仕組みが役立った筈だ。