夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


建築自由と建築不自由

2017年02月14日 [ 街づくり ]@sanmotegiをフォローする

 「空き家問題 II」でも触れた『都市計画法改正―「土地総有」の提言』五十嵐敬喜・野口和雄・萩原淳司共著(第一法規)を再読していたら、第3章「近代都市計画法の構造」3都市計画法内部の構造と論点(7)<世界の都市計画法と建築許可>の項に、「建築自由」と「建築不自由」という言葉があった。

 同項は、日本と西欧(アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ)の都市計画法の違いを論じているのだが、日本における都市計画のマスタープランは、議会の議決もなく有効性が薄く、開発や建築確認がマスタープランと無関係に行われるのに対して、西欧におけるマスタープランは、都市の将来像を示すものとして議会の議決を要し、現実の建築に影響していくとした上で、この違いの根幹には、土地所有権に対する哲学と法制度の差異があるという。

(引用開始)

 このように双方を分岐していくのは、結局のところ、土地所有権に対する哲学と法制度の差異である。既にみたように、土地は本来基本的に自由なのであって、これが制約を受けるのは、その利用が他者を害する時だけであるとし、この他者への侵害を「公共の福祉」として捉え直し、これを法的に構成したのが日本の憲法の土地所有権であった。これを建築自由といおう。各国は、これとは反対の論理構成をとっている。つまり、土地所有権はもともと制限されているものであり、これを開放していくのが都市法であるというのである。これを建築不自由といおう。これはいわば前にみたワイマール憲法の「土地所有権には義務が伴う」を前提として都市計画を構成しようとするものである。

(引用終了)
<同書 124−125ページ>

 以前「都市計画の不在」の項で、「日本の都市には、都市の文脈の中で建築物をどうつくるかという、本来あるべき長期的な視点に立ったResource Planningがまったく不在だという」と書いたが、都市計画法や建築基準法はあっても理念に基づいた本来の都市計画が不在であり、「建築自由」つまり土地所有に義務が伴わないのであれば、今の日本各地でみられるような、自治体の恣意的な取り決めと市場原理主義(儲け主義)とによる、「乱開発と空き家増加の同時進行」は避けられないわけだ。勿論例外自治体はあるにしても。

 日本では、近代化、復興と成長を推し進めるために都市計画法が存在したので、土地所有権も建築自由のままで来てしまった。それに対して、

(引用開始)

 欧米の近代国家は、初期の資本主義の段階で、建築の自由から建築の不自由へいち早く転換し始め、特に都市への人と経済活動の集中に伴い発生した都市の爆発的拡大をゾーニングにより制御しようとしていた。後にこれに「計画」の概念が付加されて都市計画となるのである。

(引用終了)
<同書 20ページ>

 日本には議会で定める長期的な視野に立った都市計画はないが、中央官僚がつくる景気刺激策としての公共事業は山のようにある。その多くは「公共の福祉」の名を借りた無駄なものだ。「道路、河川等々の公共事業は、計画、財源、そして組織などのすべて、いわば頭から尻まで「国」が独占的に仕切っていて、市民はもちろん、自治体すらほとんど介入の余地がないというのが日本の法的な現実」(同書105ページ)なのである。

 複眼主義の、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

という対比において、A側、すなわち「公(Public)」=「都市」における諸活動は、他人との利害調整を必要とすることが多く、その場合活動は一般的に「原則制限、例外許可」という形を取らざるを得ない。ただしその「原則」は市民の合意に基づくものであることが前提だが。一方B側、すなわち「私(Private)」=「自然」における諸活動は、「原則自由、例外制限」であることが普通だ。

 近代国家における「土地」の所有はA側に属する活動である。だからそもそも「原則制限、例外許可」のはずなのだが、言語的に発想がB側に偏っている日本において、それがB側の「原則自由、例外制限」となっている。近代化の過程で起きたこの捻じれ現象は興味深い。

 『都市計画法改正―「土地総有」の提言』における「土地総有」というコンセプトは、西洋的な「コモンズ」=「ある特定の人々の集団あるいはコミュニティにとって、その生活上、或いは生存のために重要な役割を果たす希少資源そのものか、あるいはそのような希少資源を生み出すような特定の場所を限定して、その利用に関して特定のルールを定めるような制度を指す」(同書172−173ページ)と似ているが、土地そのものを対象にする点で「コモンズ」ルールのさらに上を行く。

 発想がB側に偏っている日本人は、近代国家における土地所有の「原則制限、例外許可」という概念を一気に飛び越えて、「原則自由、例外制限」どころか「土地も空気や水と同じ自然であるからそれは個人の所有にそぐわない」という超越的発想が可能なのかもしれない。そこまで著者たちの射程距離に入っている(提言の前提に含まれている)のかもしれない。

 複眼主義ではAとBのバランスを大切に考える。「新しい会社概念」の項で、資本主義終焉のあとの会社の在り方について考えたが、これからの新しい土地所有概念についても、複眼的視点でさらに研究したい。

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posted by 茂木賛 at 11:41 | Permalink | Comment(0) | 街づくり

空き家問題 III

2017年02月07日 [ 街づくり ]@sanmotegiをフォローする

 空き家問題の考察をさらに続けたい。ここでは『ひらかれる建築』松村秀一著(ちくま新書)によって、空き家活用を含むこれからの街づくりについて考える。副題に“「民主化」の作法”とある。松村氏は東大大学院工学系研究科建築学専攻教授。例によってまず新聞の書評を紹介しよう。

(引用開始)

生活者の想像が未来を開く

 本書はケンチクやタテモノからの卒業をうたう。ケンチクとは建築家の先生が設計する芸術的な作品。一方、タテモノとは経済的な営為から生産される通常の建物。東京のごちゃごちゃな街並みこそが民主主義の風景だと、海外の研究者から指摘されたことを受けて、著者は近代以降の建築の歴史を民主化の3段階でとらえなおす。
 第一世代は、工業化・規格化の発展によって同一の安い箱を多く生産した。第二世代は、人々が居住環境の形成に関わるシステムや地域生活の再評価など、選択の多様性を提示した。著者の専門は建築構法であり、この二つの世代の内容はわれわれが暮らす環境の背景を理解するうえで興味深い。例えば、釘の量産化がツーバイフォー構法をもたらしたこと、戦後の鉄鋼業が新たな市場を求めてプレハブ住宅に注目したこと、使用者が参加するデザイン手法の系譜、大工・工務店、ハウスメーカー、DIY,セルフビルドの状況など、研究成果に基づく知見が披露されている。
 1957年生まれの著者にとって第一世代はすでに成し遂げられた過去、第二世代はその活動に並走した現在形の出来事だったが、第三世代のリノベーションはもっと若い人やアートなど建築以外の領域が切り開く、未来へのムーブメント。ゆえに、中学校をアートセンターに改造したアーツ千代田3331やオフィスの居住空間への転用など、象徴的なエピソードをもとに期待を込めてルポルタージュ風に書かれている。
 日本はすでに膨大なタテモノをもち、今や大量の空き家が問題だ。そこで著者は、箱から場所へ、あるいは生産者から生活者へ、という転換を示し、使い手の想像力が重要になると説く。小難しいケンチクと違い、リノベーションは専門以外の様々な人が参加できるプラットフォームになりうる。これは建築の職能が変わることで豊かな生活がもたらされる希望の書である。(評・五十嵐太郎)

(引用終了)
<朝日新聞 11/27/2016>

本のカバー表紙裏の紹介文も引用しておこう。

(引用開始)

ケンチクとタテモノ――。近代的夢の象徴としてイメージされてきたケンチクと経済行為として営々と生産されてきたタテモノ。一九七〇年代半ばに「建築家」を志して以来、つねにそのあいだで葛藤してきたが……。二一世紀、局面は大きく変わった――。居住のための「箱」から暮らし生きるための「場」へ。私たちの周りに十分すぎるほど用意された「箱」は今、人と人をつなぎ、むすぶ共空間<コモン>を創造し、コミュニティとなる。これからあるべき「ひらかれる建築」の姿を、「民主化」をキーワードに、関わった「三つの世代」の特徴と変遷から描き出す。

(引用終了)

本の章立ては次の通り。

<はじめに> 建築で「民主化」を語る理由
序章  民主化する建築、三つの世代
第1章 建築の近代――第一世代の民主化
第2章 建築の脱近代――第二世代の民主化
第3章 マスカスタマイゼーション――第二世代が辿り着いた日本の風景
第4章 生き方と交差する時、建築は民主化する
第5章 第三世代の民主化、その作法

 「箱」から「場所」へということで、この本は、建築・街づくりにおける「モノコト・シフト」を説く内容となっている。その意味で論点は「空き家問題をポジティブに考える」の項と重なるが、本書は建築の専門家からの提言である。モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、20世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲(greed)による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。

 「空き家問題 II」の項で野澤さんが「住宅過剰社会」と呼んだ問題を、松村氏はポジティブに「空間資源大国」と呼び、第一世代、第二世代を通して蓄積された大量の住宅=「箱」を、みんなが使う「場所」として蘇らせるために何ができるかを問う。

(引用開始)

 健康で近代的な暮らしがおくれるような建物=「箱」を人々に届けるために、優れたプロトタイプを案出し、量産技術で遍く実現することを目指して専門家たちが邁進した第一世代の民主化。その目標がある程度達成された時点で、第一世代が軽視してきた人々の個性や「箱」の置かれる地域の特性等を考慮の対象とすることの重要性を認識し、専門家たちが第一世代の基盤だった「近代」志向から脱する、或いは多様化という言葉に代表されるような市場の変化に適応することを目指した第二世代の民主化。そして、二一世紀の日本では、二つの世代を通じて蓄積されてきた十分な量の「箱」と技術や知識を、それぞれの人が、自身の生き方を豊かに展開する「場」創りに利用する第三世代の民主化が始まっている。本書の中で述べてきたことを概括するとそいうことになる。

(引用終了)
<同書 182ページ>

著者は第5章で第三世代の民主化の作法として、

〇圧倒的な空間資源を可視化する
〇利用の構想力を引き出し組織化する
〇場の設えを情報共有する
〇行動する仲間をつくる
〇まち空間の持続的経営を考える
〇アレとコレ、コレとソレを結ぶ
〇庭師を目指す
〇建築を卒業する
〇まちに暮らしと仕事の未来を埋め込む
〇仕組みに抗い豊かな生を取り戻す

といった内容を提言する。庭師を目指すというのが楽しい。

 この本では、都市計画法や住宅政策の問題はあまり語られない。東京のごちゃごちゃな街並みこそが民主主義の風景だというデルフト工科大学教授の考えに共鳴するくらいだから、著者は政府の役割にはあまり期待しておられないのかもしれない。モノコト・シフトの時代、人々の気持ちは、複眼主義の、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

という対比のうちB側に傾斜する。複眼主義ではAとBのバランスを大切に考えるが、建築の専門家である著者は、政府の政策舵取りの欠如(A側の欠如)については業界常識として織り込み済みなのだろう。しかしA側の仕事である理念・政策がいい加減だと、第三世代の民主化も無秩序状態に陥りかねない。個人レベルでも、個の自立(A側)と共生への志向(B側)とのバランスが大切だと思う。話はここで「流域思想」、「庭園・芸術都市」といった街づくり理念の問題へと戻ってくる。これからも研究を続けたい。

 さて、建築の専門家からの提言といえば、「みんなの家」、「みんなの家 II」と辿ってきた、建築家伊東豊雄氏の最新著作『日本語の建築』(PHP新書)もまた、建築家による「街づくり」の提案である。タイトルからして複眼主義対比のB側志向といえる。本カバー表紙裏の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

 壁、壁、壁……。東北の被災地で巨大な防潮堤を成立させている「安全・安心」という堅固な壁は、いまこの国のいたるところに聳え立つ。「せんだいメディアアーク」「みんなの森ぎふメディアコスモス」で壁を立てない、自然の中にいるような空間をつくり、「みんなの家」から震災後の人と人をつなぐ場所を考え、今治「大三島」を日本一美しい島にしようと島の人たちと取り組む。「管理」と「経済」の高く厚い壁に取り囲まれ、グローバリズムの海に溺れる現代に、場所と土地に根差す「日本語の建築」で挑む。建築家が建築家であるために、いま、なしたいことと、必要なこと。

(引用終了)

本の章立ては以下の通り。

<はじめに>
序章  グローバル経済とバーチャルな建築
第一章 新国立競技場三連敗
第二章 「管理」と「経済」の高く厚い壁――東日本大震災と「みんなの家」
第三章 「時代」から「場所」へ
第四章 東京と『東京物語』
第五章 「日本語」という空間から考える
第六章 大三島にて
第七章 「場所」から生まれる想像力
終章  熊本地震と「くまもとアートポリス」
<おわりに>

「日本一美しい島」という理想を掲げる大三島プロジェクトの先行きを楽しみにしたい。

 街づくりの話は、「限界集落は将来有望」の項で紹介したようなフィクションによる考察も面白いと思う。私も過日『記号のような男』という街づくり(と山岳信仰)の小説を書いた。併せてお読みいただけると嬉しい。

P.S. 小説『記号のような男』はリライトを計画中。小説投稿サイト「カクヨム」の該当記事を非公開にしました。(4/27/2019)電子書籍サイト「茂木賛の世界」に小説『記号のような男』のリライトバージョンをアップしました。(5/26/2019)

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posted by 茂木賛 at 14:22 | Permalink | Comment(0) | 街づくり

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