夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


谷を渡る風

2016年07月26日 [ 街づくり ]@sanmotegiをフォローする

 この間の週末、三浦半島・小網代の森を歩いてきた。数年前、知人の柳瀬博一さんからお話を伺い是非行きたかった場所だ。小網代の森には、源流から海までの生態系がまるごと残されている。最近その柳瀬さんを共著者とする『「奇跡の自然」の守り方』岸由二・柳瀬博一共著(ちくまプリマー新書)がでたが、その本にはこの森のことが詳しく書かれている。新聞の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

神奈川県三浦半島の先端にある「小網代の森」は、山頂から河口まで、ひとつの「流域」が自然のまま残る世界的にも珍しい地域だ。1980年代末には開発計画も浮上した森がどう守られたのか。政治活動に頼らない、市民組織による長きにわたる活動の歩みが具体的に紹介されている。

(引用終了)
<日経新聞 5/22/2016>

「流域」とは、「雨水があつまる大地の領域と定義される生態系」のこと。小網代の森は、コンパクトながら、その源流から河口まですべての生態系が観察できる稀有の場所である。

 当日の散歩は、雨上がりだったこともあって暑くもなく快適だった。「中央の谷」から「まんなか湿原」「やなぎテラス」「えのきテラス」へと進むあいだ、アスカイノデ(巨大なシダ)、浦の川、ハンノキ林、ジャヤナギの林、アシ湿原、などが次々と眼前に現れる。さらに「アカテガニ広場」「河口干潟」「眺望テラス」と巡るうちに、磯辺でチゴガニのダンスも見たし、岩に隠れるように潜むアカテガニの姿もみることができた。心地よい風が谷を渡る。自然を愛する人々にとって、ここは本当にワクワクする一級のジオパーク(geopark)といえるだろう。

 この本は、そういった小網代の森の全貌を紹介するとともに、どのようにして著者たちがこの素晴らし土地を乱開発から守り、ジオパークとして育て上げていったかという歴史が書かれている。行政(国・県・市)、有志、市民、開発企業(京急など)といった関係者たちを、どのようにして纏め上げて行ったか。1960年代までの「裏の田んぼ・裏の林」だった時代、1980年代の大型リゾート計画、1990年代のバブル崩壊、計画の見直しなどを経て、2014年の施設完成まで、もちろん時代のタイミングも良かったのだが、最大の成功要因は、この本の共著者でもある岸由二という素晴らしいリーダーがいたことだろう。

 詳しくは本書をお読みいただきたいが、彼の<流域一番>という理念、保全戦略は当初からブレることがなかった。やみくもに開発に反対するのではなく、柔軟に関係者たちをつなぎ、コンセンサスを得ながらグランドデザインの実現へと人々を導いてゆく。信念を持ってやり抜くこと、それは起業においてもリーダーの大切な資質(dispositions)である。

このブログでは、岸氏が提唱する、流域を一つの纏まりと考える「流域思考」についても、

流域思想
流域思想 II
流域社会圏
流域価値
流域地図

などの項で論じてきた。併せてお読みいただきたい。写真は散歩時に撮った小網代の森。

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posted by 茂木賛 at 10:45 | Permalink | Comment(0) | 街づくり

神道について

2016年07月19日 [ 公と私論 ]@sanmotegiをフォローする

 『神道はなぜ教えがないのか』島田裕巳著(ワニ文庫)を面白く読んだ。日本固有の神道は、開祖も、教義も、救済もない、ないないづくしの不思議な宗教だという。本カバー裏表紙の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

 古代から現代にいたるまで私たちの暮らしに深く関わっている「神道」。だが私たち日本人は「神道」という宗教の本質を本当に理解しているといえるだろうか?本書では、開祖もいなければ、教義もない、そして救済もない「ない宗教」としての神道の本質を見定め、その展開を追う。日本人が神道とどのようにかかわってきたかを明らかにすることは、私たち日本人の基本的な世界観や人生観を考えることにつながっていくのである。

(引用終了)

 先日「宗教から芸術へ」の項で、同じ島田氏の『宗教消滅』(SB新書)という本を論じた際、複眼主義の対比、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

において、宗教における「教義」の部分は、もっぱらAの側で理論構築され、感性が支配する「信仰」部分は、おおむねBの側と親和性が強いと書いたが、日本固有の神道にはなんとAの側がないわけだ。日本語的発想だけでA側の教義を構築することの難しさである。ちなみに、西洋と出会う前の日本では、古来A側は漢文的発想によって担われてきた。

 同項ではまた、普通の宗教はAとBのバランスの上に築かれるもので、独善的な教義や行き過ぎた信仰行為は抑制されると書いたが、神道の場合、Aがなくてどのように信仰が抑制され得るのか。教義がなくてどのように信仰があるのか。

 神道のもとを辿れば、古代から日本列島にあった自然信仰に行き着く。『百花深処』<修験道について>の項でみたように、古代からの自然信仰は中国の陰陽五行思想と習合して神道となり、その神道は仏教と習合する。神道はその後、儒教とも習合する。つまり日本人は、神道の教義のない部分を、他の思想や宗教の教義で補ってきた。「教義」は外来思想・宗教、「信仰」は神道ということで、AとBのバランスをなんとか保ってきたわけだ。

 しかし、王政復古によって誕生した明治政府は、祭政一致の国家体制をつくるべく、「神仏判然令」(「神仏分離令」ともいう)によって、神社から仏教的要素を一掃した。廃仏毀釈である。江戸時代より、神道の「教義」の部分をなんとか自前の思想でつくろうということで「国学」が生まれていたのだが、明治政府はこれを利用した。それを復古神道という。

 だが、西洋はこの段階で近代国家をつくっており、古い祭政一致の試みは失敗に終る。明治政府は次に西洋の立憲君主制を範に取り、天皇を君主とする立憲君主制を採用する。さらに天皇を現人神とする「皇室祭祀」を整えた。その際、神道は国家全体の祭祀であり宗教ではないとされた。それが国家神道である。形だけ西洋に範を取りながら、頭は祭政一致にあったのだろう。

 宗教でなければ「教義」も「信仰」もない。神道が「ない宗教」だったからできた荒業というべきである。だが国家神道は国民をむちゃくちゃな戦争へ駆り立てていった。もはや国にAとBのバランスを取るメカニズムは存在しなかった。

 戦後、国家神道は崩壊し、神社には宗教法人格が与えられる。明治以前に戻ったわけだが、神道に「教義」はないのだから、AとBのバランスは崩れたままだ。A側の不在。これは『百花深処』で書いた<日本の戦後の父性不在>に繋がる問題である。

 これからの時代、「宗教から芸術へ」の項で見たように、共同体の紐帯は、情緒的・宗教的なものから、より理性的なものになっていくべきだと思う。A側は、宗教の教義によってではなく、「日本流ディベート」の項で述べたような「対話」をベースにしたResource Planning、立法・行政制度設計であるべきだろう。その際、A側不在の神道は、昔の自然信仰の象徴として機能させるべきだと思う。

 先日あたらしい小説『記号のような男』を書いた。主眼は「形のあるものをつなぐと、形のないことのつながりが見えてくる」というテーマなのだが、社会の奥にある人々の心の拠り所として、「神道=山岳信仰」というコンセプトを明示採用してみた。併せてお読みいただけると嬉しい。

P.S. 小説『記号のような男』はリライト中。小説投稿サイト「カクヨム」の該当記事を非公開にしました。(5/5/2019)電子書籍サイト「茂木賛の世界」に小説『記号のような男』のリライトバージョンをアップしました。(5/26/2019)

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posted by 茂木賛 at 11:24 | Permalink | Comment(0) | 公と私論

庄内地方の在来野菜

2016年07月17日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 『奇跡のレストラン アル・ケッチャーノ』一志治夫著(文春文庫)という本がある。副題は「食と農の都・庄内パラディーゾ」。山形県の庄内地方には、外内島(とのじま)キュウリ、だだちゃ豆、藤沢カブ、平田赤ネギ、民田ナス、宝谷カブ、ズイキイモといった在来野菜が多い。口細カレイや岩牡蠣などの魚介類、肉類も豊富だ。この本は、そういった食材の生産者たち、地元でその食材を料理するイタリアン・レストランのシェフにスポットを当てたノン・フィクションである。本カバー裏表紙の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

 山形県は庄内地方。日本海にほど近い小さな町に、全国から予約が引きもきらないレストランがある。海の幸にも山の幸にも恵まれたこの地には、地方再生への豊なヒントが含まれている。天才シェフ・奥田政行と優秀なスタッフ、そして彼らを支える多彩な篤農家、生産者たち。本書であなたの人生も変る! 解説・今野楊子

(引用終了)

 同書のプロローグからも引用したい。

(引用開始)

 山形県の庄内地方はかつて陸の孤島と言われていた。内陸部の山形市方面に抜けるには、最上川を遡るコースか、修験者が通る月山越えルートをとるしかない。陸上交通の便が極めて悪い土地だった。もっとも海上交通は中世より盛んで。最上川河口に位置する酒田港は北前船貿易で栄えた。
 つまり日本という島国の中のもうひとつの島国だったのだ。
ゆえに、三十万石ともいわれるほどに米作に優れた絶景の地の純度は落ちることなく、そして古(いにしえ)から伝わるさまざまな文化は弱まることなく、残った。
 その文化のひとつが、在来作物だった。長い間かけてその土地だけで育ってきた野菜である。
オセロの白黒があっという間に反転するかのごとく、日本中の作物は、戦後わずか半世紀で一変した。戦前に食べていた野菜といま私たちが口にする野菜はまるで別の食物である。
 しかし、庄内には、孤島ゆえ、戦前から、いや中には江戸時代以前から継承されてきた野菜が数多く残った。庄内の在来作物は、何百年も前から自家採種を繰り返しながら同じように作られ続けてきた。
 むしろ変ったのは、その在来野菜の食べ方ということになるのかもしれない。ひとりのシェフと在来野菜が出会ったことで、庄内の野菜はまた新たな息吹を吹き込まれることになったのである。

(引用終了)
<同書 8−9ページ>

 前々回「庭園・芸術都市」の項で、これからの日本の街づくりに必要なコンセプトとして「庭園・芸術都市」を提唱したが、当然のことながら、そこには外から来る人の観光(宿泊・食事・買物・見物といった活動)が付随する。付随するというか、そういう人たちがその都市に活気を齎(もたら)すわけだから、観光の重要性はいうまでもない。以前「観光業について」の項で、海外観光客向けになすべきこととして、

(1)日本語(文化)のユニークさをアピールする
(2)パーソナルな人と人との繋がりをつくる
(3)街の景観を整える(庭園都市)

という三点を挙げが、(1)の「日本語(文化)」をさらにbreakdownすれば、「地元の言葉と文化」ということになる。その意味で、庄内のユニークな作物にフォーカスした『奇跡のレストラン アル・ケッチャーノ』という本は、localで起業しようとする人にとって大いに参考になる筈だ。

 先日私も庄内地方で、孟宗竹や細口カレイなどの食材や、「……ども」「……のう」といった庄内弁を楽しむことができた。アル・ケッチャーノにこそ行けなかったけれど、米、酒、温泉も素晴らしく、鳥海山や出羽三山、最上川や日本海の景色は奥深く雄大だった。写真は旅行時に撮った庄内平野。

庄内平野

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posted by 茂木賛 at 11:12 | Permalink | Comment(0) | 起業論

これからの起業マインド

2016年07月05日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 このブログでは最近ここまで、『和の国富論』藻谷浩介著(新潮社)に拠って、

里山システムと国づくり III
個業の時代
営業生活権
日本流ディベート

さらに加えて『宗教消滅』島田裕巳著(SB新書)と『芸術立国論』平田オリザ著(集英社新書)、『下り坂をそろそろと下りる』平田オリザ著(講談社現代新書)によって、

宗教から芸術へ
庭園・芸術都市

と書き進めてきた。これらの話を総括するような宣言(Statement)が『和の国富論』の中にある。今回は(これらの項の)中締めとして、藻谷氏のその文章を引用しておきたい。

(引用開始)

 採算性を追求する事業マインドと、公益を追求するパブリックマインドと、美を追求する感性。これらが別々に存在していたのが日本の二〇世紀後半であるとすれば、共にあるのが二一世紀だろう。
 生産者と、流通業者と、消費者。生産地と、流通市場と消費地。彼らが分立していたのが日本の二〇世紀後半であるとすれば、消費者が生産者となり、消費地が生産地となって融合していくのが二一世紀だろう。
 コンテンツがあって立地条件が良ければ事業が成り立ったのが日本の二〇世紀後半であるとすれば、コンテンツも立地条件もそれを活かす経営人材次第というのが二一世紀だろう。
 生業にいそしむ自営業者と、雇用を与えられたサラリーマン。生業が年々破壊される中「雇用される権利」が強調されたのが日本の二〇世紀後半であるとすれば、雇用が破壊される中で「営業生活権」が再発見されるのが二一世紀だろう。

(引用終了)
<同書 84ページ>

21世紀日本の(一味違う)豊かさと楽しさはここにあると強く思う。皆さんはいかがだろう。

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posted by 茂木賛 at 11:22 | Permalink | Comment(0) | 起業論

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