前回紹介した『和の国富論』藻谷浩介著(新潮社)、<第三章:「空き家」活用で日本中が甦る……清水義次(都市・建築再生プロデューサー)>の中に、今の時代、若い人の方が(年寄りよりも)公的精神を持っているタイプが多い、という話がある。清水氏の「いまの若い人たちとの方が話が合いますね」というコメントを受けて始まる、その対話部分を引用しよう。
(引用開始)
藻谷 すごくわかります。私より数年下、だいたい今の四五歳ぐらいから、量的な拡大よりも質的な面白さを求める人が、ぼつぼつと出始めていて、三〇代、二〇代と若くなると、急に増えている気がします。
清水 先ほど申し上げた通り、僕の大もとの仕事は、社会風俗を観察して潜在意識の変化を読み取ることですが、いま日本社会にものすごく大きな変化が起きていると感じます。生まれながらにパブリックマインド(公共精神)を持っているタイプの、二〇代・三〇代がすごい勢いで増えている。地方でリノベーションスクールを開いてみると、やはり四〇代以上の人たちと、それ以下の人たちとの間には圧倒的な意識の差がある。
ちょっと真面目な話をすると、ついに市民社会が成熟し始めたのかなという印象です。イギリスなどは長い時間をかけてゆっくりと市民社会が成熟を遂げてきたわけですが、日本社会は今ものすごい勢いで変化している。
藻谷 ついに日本が……ちょっと感動を禁じえませんね。それなのに、一方で「日本を、取り戻す。」なんてのがウケているらしい。いったい何を取り戻したいのか。
清水 あまりに時代感覚がズレている。二段階ぐらい断絶している。
藻谷 大企業に入って闇雲なグローバル競争で消耗するのでもない。かと言って、補助金・福祉依存で食わせてもらうのでもない。地域社会の中でささやかに自立し協業しながら、楽しく生きようとする若者が増えてきた。前時代的な「家業」から「企業」の時代が来て、ようやく「個業」の時代へと変化しようとしている。
清水 僕の仮説では、そうやって自立して生きる人の比率が増えれば、街がどんどん面白くなる。それを実地で証明していくのが「現代版家守」のテーマです。
(引用終了)
<同書 91−93ページ>
このブログでは、「若者の力」や「女子力」、「心ここに在らずの大人たち」や「フルサトをつくる若者たち」などの項で、若い世代の台頭に期待を寄せてきた。「組織は“理念と目的”が大事」の項で紹介した『PTA、やらなきゃダメですか?』の著者山本浩資氏も1975年生まれとあるから41歳だ。こういう世代の地域社会への関与は心強い。
またこのブログでは当初から、これからはフレキシブルで、判断が早く、地域に密着した「スモールビジネス」の時代だ言い続けてきた。詳細はカテゴリ「起業論」をお読みいただきたいが、それは藻谷氏のいう「個業」の概念に近いと思う。
若い世代による「個業」の増大。この現象の背景には、家族組織の変化があると思う。なぜなら、働く形態は、そのベースとなる(それを支える)家族組織の変化と対応する筈だからだ。「家業」から「企業」、そして「個業」への変化は、家族組織の変化、「家父長制」から「近代家族」、そして「新しい家族の枠組み」への変化と同期しているはずだ。「近代家族」の枠組みは、
1. 家内領域と公共領域の分離
2. 家族構成員相互の強い情緒的関係
3. 子供中心主義
4. 男は公共領域・女は家内領域という性別分業
5. 家族の団体性の強化
6. 社交の衰退
7. 非親族の排除
8. 核家族
であり、新しい家族の枠組みは、
1. 家内領域と公共領域の近接
2. 家族構成員相互の理性的関係
3. 価値中心主義
4. 資質と時間による分業
5. 家族の自立性の強化
6. 社交の復活
7. 非親族への寛容
8. 大家族
というものだ。若い世代の「個業」ないし「スモールビジネス」は、この新しい家族の枠組み各項目と親和性を持ちつつ展開すると考えられる。だからこれからの市民社会の成熟は、これらの価値観が社会に行き渡ることと同義であるとも言える。逆にいうと、これらの価値観が行き渡るまでは、「日本を、取り戻す。」といった勘違い感覚が(旧世代を中心として)なくならないわけだ。
若い世代でも、新しい価値体系に全面的に移行できない人たちもいるだろう。たとえば、「個業」に惹かれながらも「男は公共領域・女は家内領域という性別分業」にこだわっていたり、「子供中心主義」を捨てられなかったり、「地元」に残りたいけれど「家内領域と公共領域の分離」が刷り込まれているから近所には仕事がないと思い込んだり、「家族構成員相互の理性的関係」を築くことが出来ずに親の宗教やしがらみに引き摺られたり。こういった混乱はしばらく続くのではないか。この辺について、項を改めてもう少し探ってみたい。