夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


象徴主義絵画

2016年04月26日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 19世紀後半の象徴主義絵画についても触れておきたい。象徴主義について、『西洋美術史』高階秀爾監修(美術出版社)から引用する。

(引用開始)

 象徴主義は、19世紀後半の(印象主義と並ぶ)もう一つの重要な芸術の流れである。科学と機械万能の時代の実利的なブルジョワ精神、芸術の卑俗化を嫌悪した文学者や芸術家は、人間存在とその運命に関する深い苦悩、精神性への欲求から、内的な思考や精神の状態、夢の世界などを表現しようとした。それゆえに象徴主義は、主題や表現手段の上できわめて多様な形を取った国際的な潮流となった。
 イギリスに現れたラファエル前派は、最初の象徴主義の運動の一つにかぞえられる。

(引用終了)
<同書 147ページ(括弧内は引用者による補注)>

先日取り上げた「ラファエル前派の絵画」は、象徴主義の表れのひとつでもあったわけだ。

 象徴主義絵画といえば、去年(2015年)4月、ブリジストン美術館の(新築工事のために長期休館する直前に開かれた)「ベスト・オブ・ザ・ベスト」展で、ギュスターヴ・モローの『化粧』という小品(33.0cm x 19.3cm)を観た。

(引用開始)

あでやかな東方風の装いの女性が、柱あるいは衝立に物憂げにもたれかかっています。その身にまとった鮮やかな色彩の豪奢な織物と美しい宝石類は、彼女が権力者の寵愛を受ける立場であることを想起させます。非常に繊細なデッサン、そして水彩絵具の即興的な性質を生かし、色彩の濃淡や、質感を描き分けて完成させた魅力溢れる作品です。モローは旧約聖書の時代と空間、すなわち古代とオリエントから着想を得て多くの作品を描きました。堅固で暗い建築空間の中に、人物の衣装や装身具のあざやかで豊な色彩を合わせ、固さと柔らかさ、あるいは明暗などの絶妙なコントラストを表すことによって、ドラマティックで演劇性に富んだ絵画を制作しました。

(引用終了)
<カタログ「ブリジストン美術館名作選」より>

 休館となったブリジストン美術館の良さは、19世紀以降のフランスを中心とした西洋近代美術が系統だって揃えられていることだった。印象派、ポスト印象派、フォービズム、キュビズム、抽象画などなど。残念だが、数年後、新たに生まれ変わった姿が見られるということなので期待して待つとしよう。

 ギュスターヴ・モローについて『西洋美術史』には次のようにある。

(引用開始)

モローは聖書や異教的な神話を題材にしながら抽象的な概念を描き出した画家で、「オルフェウスの首を抱くトラキアの娘」《IX-21》は彼のデビュー時代の代表作である。モローが作り出した驚くべきイメージ、とりわけサロメのような邪悪で魅惑的な女性像は、ビアズリー《IX-22》、クリムトなどの画家や世紀末の文学、音楽全般に大きな影響を与えた。

(引用終了)
<同書 149ページ(図版省略)>

 オーブリー・ビアズリーの作品は、『百花深処』<エレガントな女性美>の項で紹介した「ザ・ビューティフル 英国唯美主義 1860−1900」で、『クライマックス―サロメ』(素描)など7点を観ることができた。『クライマックス―サロメ』と他の2点は、作家オスカー・ワイルドの戯曲本『サロメ』の挿絵として描かれたもので、それらは、今でも1880年代のデカダンスの縮図と見做されているという。

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写実絵画について

2016年04月19日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 先日、千葉市郊外(あすみが丘)にある「ホキ美術館」で、五味文彦氏や大畑稔浩氏などの写実絵画を観てきた。写実絵画とは、対象を見たまま詳細に描く絵画で、ホキ美術館には主に日本の現代作家約50人による400点以上のコレクションが集められている。

 数年前(2010年)にオープンしたばかり、交通の便もあまり良くないロケーションにも拘らず、美術館は多くの人で賑わっていた。何故このような絵画がいま人気なのだろうか。

 写実絵画が写真と異なるところは、写真が「一焦点」であるのに対し、写実絵画は「多焦点」であることだろう。絵のどの部分にも焦点が合っているから、観ているうちに、画家が描いた長い長い時間と、自分の生命の時間とがシンクロする。絵のテーマにではなく、描かれた対象(と自分との関係性)に心地よさを感じ始める。「何も起らない映画」の項で書いた、「観客としての自分の生命の時空と、映画の中の時空とがシンクロする」のと似たようなことが起るのだ。

 写真は、額縁フレームという背景時空の中に主題が納まるが、写実絵画は、額縁に収まった絵が鑑賞者の前で動き出す。「額縁のゆらぎ」の項で紹介したスーラの絵とは違い、堅牢な額縁中の絵そのものが時間を内包しているのだ。そこに写実絵画の人気の秘密があるような気がする。素朴な鑑賞者でも「すご〜い、写真みたい!」といいながら美術館を巡るうちに、だんだん絵の時空と自分の時空とがシンクロして、全点見終わる頃には、不思議な満足感に涵(ひた)されるという次第。

 写実絵画を描く画家の一人青木敏郎氏は、フェルメールの『デルフトの眺望』を見て仰天しこの道に入ったという。「21世紀の絵画表現」で千住博氏の滝の絵について、「フェルメールからモネの睡蓮を通って、主題を持たず動き(時間)そのものを描こうとする筋があり、その線上に、21世紀の絵画表現の一つがあるのかもしれない」と書いたが、それに即して写実絵画についていえば、フェルメールから写実絵画に繋がる、時間を豊に内包した絵画という別の筋があり、その線上にも、21世紀の絵画表現の一つがあるのかもしれない。

 ここまで、21世紀の絵画表現について、

●動きそのものを描こうとする絵画(「21世紀の絵画表現」)
●汎神論的、自然崇拝的な絵画(「ラファエル前派の絵画」)
●豊な時間を内包する絵画(「写実絵画について」) 

と書いてきた。この三つは21世紀の映画における、

○背景時空そのものが動くアニメ(「21世紀の絵画表現」)
○汎神論的、自然崇拝的な映画(『指輪物語』など)
○何もドラマが起らない映画(「何も起らない映画」)

と対応するように思うがいかがだろう。

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何も起らない映画

2016年04月12日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 現代の日本映画には「何も(ドラマが)起らない映画」という筋がある。場所と人との関係が中心テーマで、ドラマチックなストーリー展開がなく、淡々とその時空が描かれるような映画、場所と登場人物たちの魅力だけでもっているような作品。私が辿った範囲では、2006年の『かもめ食堂』(荻上直子監督)がその劈頭を飾るようだ。

『かもめ食堂』(荻上直子監督)2006年
『めがね』(荻上直子監督)2007年
『食堂かたつむり』(富永まい監督)2008年
『プール』(大森美香監督)2009年
『マザーウォーター』(松本佳奈監督)2010年
『レンタネコ』(荻上直子監督)2012年
『しあわせのパン』(三島有紀子監督)2012年
『パンとスープとネコ日和』(松本佳奈監督)2013年

と続く。「ファッションについて II」の項で触れた2015年の『縫い裁つ人』(三島有紀子監督)や、「日米の映画対比」の項で紹介した2014/2015年『リトル・フォレスト(春・秋/冬・春)』(森淳一監督)なども、この筋に重なると思う。これらの作品は、自然描写、食べ物、丁寧に描かれる日々の暮らし、四季の移り変わり、人々の関係性など、複眼主義でいうところのB側、

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B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」
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の考え方が横溢している。原作や企画、監督(上記)や出演者には女性が多い。原作者では群ようこさん、企画としては霞澤花子さん、出演者では小林聡美さんやもたいまさこさん、市川実日子さんなどなど。

 B側の映画(B級映画ではない!)は観ていていつもホンワカとした気分になる。なんとなく懐かしい気分になる。それは、観客としての自分の生命の時空と、映画の中の時空とがシンクロするからではないだろうか。だから見終わった後も心地よさが残る。元気になる。皆さんはいかがだろう。

 普通映画では、上映1時間半なりの中に、起承転結を踏まえた枠組み(フレーム)があり、そこで恋愛や戦争、社会問題といった各種ストーリーが展開するわけだが、その枠組みは、「背景時空について」の項でみた「人の脳が認識しようとする主役を、単体として浮かび上がらせる為のもの」である。観客は脳の働きでストーリーを追う。複眼主義でいうA側の作用だ。

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A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」
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だから普通の映画の場合、場所や登場人物の魅力は勿論大切だが、ストーリーが駄目だと映画自体面白くない。例えば、最近DVDで観た『ソロモンの偽証(前編・事件/後編・裁判)』(成島出監督)は、登場人物・柏木卓也のキャラクターが弱いこともあって、ラストがいまひとつだった。

 ストーリーが存在しない「何も(ドラマが)起らない映画」においては、起承転結といった枠組みもない。あるのは場所と登場人物の魅力だけである。いってみれば場所そのものが「フレーム」となる。あとは全て「シークエンス」。こういう映画は、日本以外にはあまりないのではないか。先日イギリス・イタリア合作の『おみおくりの作法』(ウンベルト・パゾリーニ監督)を観ていてそうなる(何も起らない)かと思ったら、最後にドラマが待っていた。他にはあるだろうか。すこし調べてみよう。いずれにしても、日本の女性監督は世界へ出て行って、どんどん「何も(ドラマが)起らない映画」を作ったらどうだろう。そっち(B側)だけを強調した映画。『かもめ食堂』や『プール』の発展形として、場所だけでなく出演者もその地域の人々を中心としたもの。

 たとえば「日米映画の対比」で紹介した『警察署長ジェッシイ・ストーン』をベースにしてそれを作る。警察署長ジェッシイ(トム・セレック)の住む海辺の小さな家、彼はいつもウィスキーを飲みながらブラームスのピアノ協奏曲を聴いている。となりのソファには大きな犬が寝そべっている。夜の海、月の光、朝の日差し、田舎町パラダイスに住む人たちの日々の暮らし、寄せる荒波、漁師たちの生活、太平洋という自然。そこへジェッシイの元妻がロス・アンジェルスから移り住んでくる。彼女は町で何か店を開く。そんな、場所と人との関係だけをテーマにした『パラダイス』。事件は何も起らない。そんな映画はどうだろう。

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posted by 茂木賛 at 12:36 | Permalink | Comment(1) | アート&レジャー

ラファエル前派の絵画

2016年04月05日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 20世紀を前にしたイギリスの絵画も見ておこう。先日、渋谷の「Bunkamuraザ・ミュージアム」で、ヴィクトリア朝時代に華開いた、ラファエル前派の作品展を観た。「英国の夢 ラファエル前派展」がそれで、作品はリバプール国立美術館所属のコレクションの中から選ばれたとカタログにあった。同館プロデューサー木島俊介氏の新聞紹介記事を引用しよう。

(引用開始)

革新の中の夢想

 一八四八年、イギリスに誕生した「ラファエル前派」グループの活動は、現代という時代に向かって旧い社会構造を変容させることとなる産業革命が、ヨーロッパ全域に波及しようとしていたまさにその直中において、夢想され、かつまた実践された、はかなく切実な美しさの追求であった。それは旧弊に陥っていたアカデミズムに反抗したことにおいては切実な革新運動であったが、ラファエロ的古典主義以前に回帰すべきとしたところにおいては、大いに夢想的であって、この困難な矛盾を実践に移そうとするものであった。ミレイ、ハント、ロセッティという画家たちは、ダンテ、ボッカチョといったイタリア文学や、アーサー王伝説といった中世物語に題材をとったことにおいて反時代的であったが、その彼らも、彼らの時代の現実に体験される苦悩、愛、希望の表明は避けられない。この断層が、繊細優美な表現と謎めいた象徴主義とによって、実に見事に埋めあわされたのである。むしろ、表現の新しさが現実の欲望を旧い主題のなかに生きさせたというべきだろう。今回の展覧会では、既に著名な前期の画家たちに加えて、バーン=ジョーンズ、ストラウィック、ウォーターハウスといった「ラファエル前派」第二第世代ともいうべき画家たちの魅力的な作品も多く見られる。美しさのなか込められている彼らの希求をぜひ見いだしていただきたい。

(引用終了)
<東京新聞 12/19/2015(フリガナ省略)>

 ラファエル前派の革新性は、フランス印象派のように実験的な方向へは行かなかったけれど、絵画の枠を超えて、ウィリアム・モリス(1834−1896)のアーツ&クラフツ運動に引き継がれた。これは、手工芸の革新を通して芸術を再生させるという運動で、壁紙、刺繍、タペストリー、テキスタイル、ステンドグラス、家具、装飾、本の装丁、印刷など生活工芸品のデザイン及び生産を主とした。
 
 『百花深処』<イギリスの庭>で触れた20世紀の造園家ガートルード・ジェキル(1843-1932)は、このアーツ&クラフツ運動と縁が深い。同項で紹介した『旅するイングリッシュガーデン』横明美著(八坂書房)には、

(引用開始)

 彼女の最初のキャリアは、クラフトウーマンだった。アーツ&クラフツ運動を始めたウィリアム・モリスに1869年に出会い、テキスタイル・デザインを師事した。間もなく刺繍やタペストリー、銀製品、木彫、インテリア・デザインなどの仕事を始め、勢力的にこなすが、40代になると視力の衰えが激しく、目を酷使する仕事を諦めるよう医師に宣告された。
 一方で、1875年にはウィリアム・ロビンソンの雑誌『ガーデン』の女流ライターとして連載を始めるが、あくまでもガーデニングは趣味だった。ところが華麗な転身が待っていた。1889年、友人宅のお茶会でアーツ&クラフツ運動に造詣の深いエドワード・ラッチェンスに出会ったのだ。ラッチェンスはニューデリーの都市計画など、多くの公共事業を手がけた、新進気鋭の建築家だった。25歳の年齢差だったが、二人はすぐ意気投合し、田園を廻りながらコッテージの石組みやティンバーフレームについて熱く語り合う。こうして年齢も性別も越えた、世紀のコラボレーションが始まった。屋外での作業が主であるガーデニングは、彼女の目にとって負担が軽く、一石二鳥だった。

(引用終了)
<同書 140ページ(文中「勢力的」は「精力的」の間違いか)>

とある。ラファエル前派の革新性は、アーツ&クラフツ運動を経由して20世紀の造園にまで引き継がれたといえるだろう。

 <イギリスの庭>の項で、イギリス庭園の非整形性には、古いケルト文化の影響があるのではないかと私見を述べたが、ラファエル前派やアーツ&クラフツ運動にも、スコットランドやアイルランド文化の影響を窺うことができると思う。ミレイはスコットランドで「春(林檎の花咲く頃)」を描いた。アーサー王伝説もキリスト教以前からある古い物語だ。横明美さんの文章に出て来るイングリッシュ・フラワーガーデンの父、園芸家、ガーデンライター(園芸作家)のウィリアム・ロビンソン(1838−1935)はアイルランド出身。そういえば今回の作品展はアイルランドに近いリバプール国立美術館所属のコレクションである。

 20世紀を席巻した大量生産の時代、キリスト教文化圏絵画の主流は、点描画、フォービズム、キュビズムを経て抽象絵画、シュルレアリスム、表現主義へと変化してゆくが、ラファエル前派に底流した古いケルト的精神は、絵画の枠を超え、生活芸術や造園へと流れ込んだと考えられる。それもやがて二つの世界大戦とアメリカ文化全盛によって、地下に潜ってしまうのではあるが。アーツ&クラフツ運動の意義とその失敗については、「場所の力」の項で紹介した『場所原論』隈研吾著(市ヶ谷出版社)でも取り上げられている。

 これからの絵画表現として、「21世紀の絵画表現」「額縁のゆらぎ」の項などで「主題を持たず動き(時間)そのものを描こうとする筋」について考えてきたが、もう一つ、この「汎神論的、自然崇拝的な絵画」という筋もあるのではないか。今のラファエル前派の人気はその辺りにあると思われる。

 ラファエル前派については、2014年にも、六本木の森アーツセンターギャラリーで「テート美術館の至宝 ラファエル前派展」が開かれた。そのときはミレイの「オフィーリア」も来ていた。自然豊な川に浮かぶ死せる少女をそこで見たときの不思議な印象が忘れられない。それは、高層ビルの天辺という20世紀の頂点的場所で、19世紀と21世紀とを結ぶ回路(の一つ)を体感したせいなのかもしれない。

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posted by 茂木賛 at 10:38 | Permalink | Comment(0) | アート&レジャー

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