夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


ファッションについて

2016年02月23日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 境界の話に戻ろう。『境界の現象学』河野哲也著(筑摩選書)という本がある。「皮膚、家、共同体、国家。幾層もの境界を徹底的に問い直し、まったく新しい世界のつながり方を提示する」(本の帯より)ことを意図した内容で、副題に「始原の海からの流体の存在論へ」とある。この本に「ファッションと生まれることの現象学」という章がある。今回はこれを導き手に、「自分と外界との<あいだ>を設計せよ」の一例として、ファッションについて考えてみたい。

 ファッションとは何か。まずそれについて同書から引用しよう。

(引用開始)

 複雑で長い歴史を持つファッションを定義することは難しい。しかしさしあたり、流行とは、スタイルの共時的模倣であると定義できよう。ファッションとは、衣服なり化粧なりの外見のスタイルを、同時期的に模倣することである。この模倣の伝搬の仕方は、「伝染する」と呼びたくなるような急激な速さで広まることもある。これに対して伝統とは、スタイルを通時的に模倣することであり、過去の様式を受け入れることである。伝統は、服従や訓練や教育によって人工的に見につけるものである。学校の制服などはこれに当る。
 ジンメルによれば、ファッションは「両価的」である。ファッションは、帰属しているグループの仲間の模倣であるが、同時に、他のグループから自分たちを差異化する。ファッションとは、自分をある差異化されたグループへと同化することである。それは、個性と同調を同時に追及する。(中略)
 ファッションは遊戯であり、それゆえに、おのれの無根拠性を示し、それによって同時に世界の無根拠性をも顕にする。しかし、ファッションは否定的な効果だけをもつものではない。ファッションは意味も目的もない変化であるが、同時に誘惑である。ファッションは、服飾であろうと化粧であろうと、他人に見られなければならない。他人の目を引き、他人から鑑賞されることのない外見はファッションたりえない。

(引用終了)
<同書 33−40ページ>

ファッションとは、意味も目的もない遊戯でありながら、なにやら誘惑的であり、一筋縄ではいかない「両価的」なものだという。

 「両価的」とは、「模倣」と「差異化」の二つの方向を指すわけだが、模倣するとは“見る”ことであり、差異化するとは“見られる”ことを意味する。「平岡公威の冒険」の項で述べたように、普通、ものを“見る”のは脳の働きであり、“見られる”のは身体の働きだが、ファッションの場合、“見られる”ことの方が脳の働き(差異化)となり、“見る”ことの方が身体の働き(模倣)になる。

(引用開始)

 見ることは、一見すると能動的な行為に思われる。しかし、見る対象に視線を合わせ、対象を目で追い、目をこらして調整しなければならない点で、対象のあり方を受容しなければならない。この意味で、見ることは受動的である。他方、見られることは、一見受身的なことに思われる。しかし、知覚するものの視線を自分に集めさせ、注目を引きつけ続けて、自分のあり方に知覚者を服従させる点において能動的である。見られるという受動性は、自分の発する可視性の中に相手を捉え、可視性を放射することによって、周囲の他者たちの態度を変容させる。見られることは、見る者を誘惑することである。

(引用終了)
<同書 40ページ>

ファッションは、通常の“見る者”と“見られる者”の立場を反転させる。自分と境界との<あいだ>を設計する上で、ファッションのこの「両価性」を弁えておくことは重要だと思われる。さらに著者の文章を追ってみよう。

(引用開始)

 自己を特定の社会的な役割や慣習、固定的なアイデンティティに基づかせる伝統的社会とは異なり、私たちは、誰もが誰でもない者として自分の周囲を通り過ぎていく社会に生きている。そうした社会に生きる身体は、ファッションに身を包む。ファッションは見られることによって新しいものとして地上に再降臨する。新たに創造されたものは、新しいがゆえに、古いものから切断され、無根拠である。創造することとは、神の世界創造のごとく、無根拠である。あるいは、無意味な行為といってもよい。「新しい」とは過去から切り離されていることである。こうした新しく創造された無根拠なものを地上に普及させることが、ファッションである。ファッションを身にまとう人は、創造されたものを人の目の前に見せ、人の視線を集め、自分を人々の中へと定着させる。それは、すなわち、誕生したものを地上へ定着させること、言い換えれば、養育することである。ファッショナブルな人とは、そうした、いわば誕生と養育とを繰り返し生きる人間である。
 新たな皮膚=衣服を作り出すとは、新しい生き物を生み出し、育てることである。ファッションは、パーソナリティの心理学者が到底、追いつかないほどに、はるかに深遠な存在論的な出来事である。表面は深遠である。

(引用終了)  
<同書 42ページ>

ファッショナブルであることは、極めて生産的(他人のための行為)であるわけだ。新しい時代は、新たらしいファッションと共にやってくる。これから街にどのようなファッションが表れるのか、興味深い。

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歴史の表と裏

2016年02月16日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「物事の表と裏 II」の項で、歴史について、

(引用開始)

正史と外史、すなわち時の権力勝者が綴った表史と、敗者が綴った裏史の両方を知ることは、歴史を学ぶ際の基本であるが、裏は確かさの見極めが難しい。いろいろな仮説が生まれる所以だ。玉石混交で面倒くさがりには敬遠されるが、暇を惜しまず吟味していくと、思わぬ繋がりが見えてくることもある。

(引用終了)

と書いたけれど、今回はその一例を示してみたい。

 先日、『下山事件 暗殺者たちの夏』柴田哲考著(祥伝社)という本を読んだ。これは占領時代の日本で起きた事件をフィクションの形で追いかけたものだ。内容は勿論「いろいろな仮説の一つ」だが、当時歴史の裏で暗躍した政財界の大物、日米諜報員、特務機関員、検察・警察などのことが詳しく描かれている。

 この本と、以前「国家理念の実現」の項で紹介した『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治著(集英社インターナショナル)にある日本の国家権力構造の変遷、

戦前(昭和初期):天皇+日本軍+内務官僚
戦後@(昭和後期):天皇米軍+財務・経済・外務・法務官僚+自民党
戦後A(平成期):米軍+外務・法務官僚

とを繋げて考えると、権力中枢と一般国民との間の層(中間層)がより鮮明に見えてきた。

 先日『百花深処』<平岡公威の冒険 5>において、その大枠を、

(引用開始)

 戦後日本の姿を今一度振り返ってみよう。戦争に破れると、国(state)は主に以下の人々よって形作られた。

〔1〕
@ 一人の占領軍司令長官(米国軍人)
A 一握りの理想家米国軍人
B 多くのゴロツキ米国軍人

〔2〕
@ 一人の敗戦国君主
A 一握りの生き残り官僚
B 多くの生き残り軍人
C 無数のその日暮らしの庶民たち

 多大な影響を齎したのは勿論〔1〕の人々だ。戦犯を裁き情報を検閲し、米軍が末永く支配するための体制を作り必要な資金を投入した。〔1〕Aの人々は特に憲法作成と文化保全に力を注ぎ、Bはそれ以外全てを担った。〔2〕は皆そのために利用された。

 数年後日本国はサンフランシスコ講和条約によって独立を回復したが、「米軍が末永く支配するための体制」は日米安全保障条約などによって継続。〔1〕の人々の多くは帰国し、体制は〔2〕によって担われることとなった。

 ここで〔2〕の取りうる選択肢は二つあった筈だ。一つは「米軍が末永く支配するための体制」から脱却し真の独立を勝ち取る道。もう一つは独立よりも資金的(狭い意味の経済的)繁栄のみを選ぶ道。

 国家統治を任された〔2〕@、A、およびBの一部の人々は後者を選んだ。その方が自分達のためになると考えたからだろう。その下で、Bの大半の男たちは復興のために挺身し、Cの人々はそれを支えた。冷戦の時代を経て、確かに日本は資金的に復興した。しかし独立国となる道は閉ざされたまま、文化的繁栄は細々としたものに留まった。平成の今、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』にあるように、日本国は依然として米軍と官僚とに国家統治能力を奪われている。 

(引用終了)

と纏めた。他の関連本と照らし合わせても、この結論はいまのところかなり確かだと思っている。当然「いろいろな仮説の一つ」としてではあるが。

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物事の表と裏 II 

2016年02月10日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「物事の表と裏」の項で、裏を見つけるのは分析派Aの得意技、奥に気付くのは直観派Bの方と書いたけれど、今回はその辺りをさらに敷衍してみたい。AとBというのは勿論、複眼主義の考え方の対比、

------------------------------------------
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
------------------------------------------

------------------------------------------
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
------------------------------------------

を指している。

 物事には表・奥・裏とあるわけだが、Aの考え方は物事をどちらかというと構造的に理解しようとする。学問で言えば理論科学、ビジネスでいえばメリット・デメリット、pros and cons分析など。一方のBは物事を機能的に体感しようとする。学問で言えば実験科学、ビジネスでいえばサントリーの「やってみなはれ」、英語で言えばjust do itなどがそれだ。Aは物事を静止させてその物(モノ)の構造を見る。Bは物事の動き(コト)に身を投じてそのダイナミズムを観る。これは「背景時空について」の話に繋がる論点でもある。どちらの役割も大切なのは言うまでもない。そういえば以前「ホームズとワトソン」の項で、あの有名な探偵小説にAとBの対比を当て嵌めたことがある。

 物事を「変化」という点から見ると、物(モノ)は静止しているわけだから、変化は、物と物との間で起る歪みやひび割れなどの構造的な変形、ということになる。一方、事(コト)の変化は、内側に秘められたエネルギーによる質の変化、卵の孵化、蛹から蝶へのメタモルフォーゼといった奥からの変化である。変形が変質を促し、変質が変形を齎すという相互作用もある。たとえば「エッジエフェクト」というのは、異なるモノが接する界面から新たなコトが生成する作用をいう。

 表と裏の話に戻ると、正史と外史と呼ばれる歴史についての表・裏もある。歴史書は誰かが書いたものだからAの範疇だ。正史と外史、すなわち時の権力勝者が綴った表史と、敗者が綴った裏史の両方を知ることは、歴史を学ぶ際の基本であるが、裏は確かさの見極めが難しい。いろいろな仮説が生まれる所以だ。玉石混交で面倒くさがりには敬遠されるが、暇を惜しまず吟味していくと、思わぬ繋がりが見えてくることもある。Bの力を借りるために、現地へ足を運んだり、内なる直感に耳を傾けることも必要である。

 文明の発展に寄与する二元論もA領域の話だ。仮想としての宗教や律法、理論科学などを背景時空として、善と悪、正統と異端、正と否(right and wrong)などと分けてゆく二元論は、西洋近代文明を作った弁証法の基でもある。その時、B側の考え方を忘れるとえらいことになる。A側の暴走、特に過激な一神教と結びついたそれは環境を破壊し、作られた武器は人類を滅亡させかねない。21世紀のモノコト・シフトは、A側のロジックに、どれだけB側のハートが寄り添えるかのチャレンジである、という見方も出来るだろう。

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posted by 茂木賛 at 11:54 | Permalink | Comment(0) | 起業論

物事の表と裏

2016年02月02日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 物事には表もあれば裏もある。「3の構造」でいえば表・奥・裏の3つだろうか。表と裏はたとえば、光と影、天と地、南側と北側などで、それ自体は価値中立的だ。しかし(奥もそうだが)裏は往々にして人の目から隠れている。都市のインフラでいえば下水やゴミ処理場など、裏は概ね人目に付かないところにある。そこで、物事の良し悪しを表と裏で表現することが起る。たとえば世間と裏世間、表の仕事と裏の仕事などなど。

 複眼主義の対比、

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A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
------------------------------------------

------------------------------------------
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
------------------------------------------

でいえば、A、Bそれぞれの行き過ぎが裏=悪しとなる。Aは過度の分析的・理知的な考え方、Bは過度の直感的・感情的な考え方が裏=悪しとなる。個体においてAとBは拮抗的だから、Aの行き過ぎはBの過小、Bの行き過ぎはAの過小となる。このバランスが上手く取れないと、人は「三つの宿痾」のどれかに陥りやすくなる。

(1)過剰な財欲と名声欲(greed)
(2)官僚主義(bureaucracy)
(3)認知の歪み(cognitive distortions)

このことはこれまでも縷々述べてきた。

 物事は、片側ばかり見ていたのでは全体は掴めない。表で活躍するためにも裏を知ることが重要だ。表と裏、良し悪し、両方を均等に見ること。それはビジネスの第一歩でもあるがこれがなかなか難しい。習慣や経験、好みなどが邪魔をして見方を偏らせる。光が当る表ばかりに目が行く。縁の下の力持ちに目が届かない。話の裏が読めない。裏で蠢く共謀が見抜けない。

 裏を見つけるのは分析派Aの得意技だ。直観派Bの方は裏よりも奥に気付く。日本語を母語とする人はもともとBが強い。世界の先進国を中心にAへの偏りが強かった20世紀、日本人の多くはその行き過ぎた物質主義や拝金主義に随分と感化されたけれど、国家の統治に関してはAを他人任せにしてきた。政治の裏が見えなかったからかもしれない。いや、見たくなかったのか。それが統治に関して<日本の戦後の父性不在>を生み出してきた。これからの世界はモノコト・シフトで全体にBに偏ってくるから、様々な分野で我々は先頭を走っていることになるが、政治に関しては逆にAを強化し、「アナロジー的思考法」の佐藤優氏を見習ってもっと見えない裏を知る必要がある。

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posted by 茂木賛 at 16:48 | Permalink | Comment(0) | 起業論

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