夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


大きな物語

2016年01月26日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「アナロジー的思考法」の項で、佐藤優氏の『世界史の極意』という本を紹介したが、その中に「大きな物語」という言葉が出てくる。その部分を引用したい。

(引用開始)

 「大きな物語」とは、社会全体で共有できるような価値や思想体系のこと。「長い十九世紀」の時代であれば、「人類は無限に進歩する」とか、「民主主義や科学技術の発展が人々を幸せにする」というお話が「大きな物語」です。
 ところが民主主義からナチズムが生まれ、科学技術が原爆をつくるようになると、人々は「大きな物語」を素直に信じることができなくなります。
 とくに、私の世代以降の日本の知識人は、「大きな物語」の批判ばかりを繰り返し、「大きな物語」をつくる作業を怠ってきてしまいました。
 歴史研究でも、細かい各論の実証は手堅くおこないますが、歴史をアナロジカルにとらえ、「大きな物語」を提出することにはきわめて禁欲的でした。
 その結果、何が起きたか。排外主義的な書籍やヘトスピーチの氾濫です。
 人間は本質的に物語を好みます。ですから、知識人が「大きな物語」をつくって提示しなければ、その間隙をグロテスクな物語が埋めてしまうのです。
 具体的にはこういうことです。知識人が「大きな物語」をつくらないと、人々の物語を読み取る能力は著しく低下する。だから、「在日外国人の特権によって、日本国民の生命と財産がおびやかされている」というような稚拙でグロテスクな物語であっても、多くの人々が簡単に信じ込んでしまうようになるわけです。

(引用終了)
<同書 22ページ(フリガナ省略)>

「大きな物語」とは、「社会全体で共有できる価値、思想体系」ということである。佐藤氏は、人々がこんなに簡単に稚拙でグロテスクな物語を「大きな物語」と勘違いして信じ込むとは思わなかったとし、次のように書く。

(引用開始)

 そこで自覚的に日本の「大きな物語」を再構築する必要を感じました。それを踏まえて、帝国主義的な傾向を強めていく国際社会のなかで、日本国家と日本民族が生き延びる知恵を見出していくことを意図していたわけです。
 しかし現在の私は、そういった作業の必要性を感じていません。というよりも、グロテスクな「大きな物語」の氾濫をせき止める物語を構築するほうが急務の課題だと認識しています。
 以上のような個人的な反省も踏まえて、本書では、アナロジーによって歴史を理解するという方法論を採ることにしました。これが実利的にも有益であることは、ここまで述べたとおりです。

(引用終了)
<同書 23−24ページ>

グロテスクな物語の氾濫をせき止めるため、そしてグロテスクな物語によって起りうる戦争を阻止するため、佐藤氏は「アナロジー的思考」という手法を使って、いまの世界の問題を解説しようとするわけだ。それはそれで宜しい。

 では、21世紀の「大きな物語」をどう作るか。前回、アナロジー的思考は複眼主義の対比、

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A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
------------------------------------------

------------------------------------------
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
------------------------------------------

でいうA側の考え方だと書いたが、私の考えでは、「大きな物語」は、A側の考え方だけでは作れない。「背景時空について」の項で述べたように、B側のキーワードは「連続」だ。「分析」と「連続」、両方揃わなければ新しいアイデアはなかなか創発しない。21世紀の「大きな物語」は、A側だけでなく、B側の考え方との対話のなかから生まれるはずだ。

 このブログでは、21世紀はモノコト・シフトの時代だと述べている。モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。それは、A側に偏った20世紀から、B側の復権によってA、B両者のバランスを回復しようとする21世紀の動きといえる。「揺り戻しの諸相」で書いたように、振り子はA側とB側の間を行ったり来たりしながら、A、B両者のバランスが回復したところでモノコト・シフトは終わるだろう。「大きな物語」はその先にある。これからA側に必要なのは、Bの考え方と対話しながら、柔軟な理論を組み立てることだと思う。やがてそれが「大きな物語」へとつながるに違いない。

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posted by 茂木賛 at 11:42 | Permalink | Comment(0) | 起業論

アナロジー的思考法

2016年01月19日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「階層間のあつれき」の項で、『官僚階級論』佐藤優著(モナド新書)を紹介したが、『世界史の極意』(NHK出版新書)という本は、佐藤氏が「アナロジー的思考」という手法を使って、現在世界で起きている様々な問題を解説したものだ。アナロジー的思考とは、

(引用開始)

 本書では、<いま>を読み解くために必須の歴史的出来事を整理して解説します。世界史の通史を解説する本ではありません。世界史を通して、アナロジー的なものの見方を訓練する本です。
 いま、「アナロジー(類比)」と書きました。これは、似ている事物を結びつけて考えることです。アナロジー的思考はなぜ重要なのか。未知の出来事に遭遇したときでも、この思考法が身についていれば、「この状況は、過去に経験したあの状況とそっくりだ」と、対象を冷静に分析できるからです。

(引用終了)
<同書 10−11ページ(フリガナ省略)>

ということで、これは「背景時空について」の項でいうところのA側の考え方、「分ける」発想法、分けたものを固定・類比し整理する思考である。複眼主義の対比、

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A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
------------------------------------------

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B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
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でいうA側の考え方である。

 なぜアナロジー的思考法なのか。氏は、今の世界は「戦争の時代」が再燃しようとしている状況だとし、

(引用開始)

 このような状況にあって、知識人の焦眉の課題は「戦争を阻止すること」です。そして、戦争を阻止するためには、アナロジカルに歴史を見る必要があります。
 なぜか。
 すでにお話したとおり、アナロジカルに歴史を見るとは、いま自分が置かれている状況を、別の時代に生じた別の状況との類比にもとづいて理解するということです。こうしたアナロジー的思考は、論理では読み解けない、非常に複雑な出来事を前にどう行動するかを考えることに役立つからです。(中略)
 第一章でくわしく見るように、現代は十九世紀末から二〇世紀初頭の帝国主義を繰り返そうとしている。帝国主義の時代には、西欧諸国が「力」をむきだしにして、勢力を拡大しました。現代もまた中国、そしてロシアが帝国主義的な傾向を強めている。これが、アナロジカルに歴史を見ることの一例です。 

(引用終了)
<同書 17−18ページ(フリガナ省略)>

と書く。本の目次を紹介しよう。

序 章 歴史は悲劇を繰り返すのか?
――世界史をアナロジカルに読み解く
第一章 多極化する世界を読み解く極意
――「新・帝国主義」を歴史的にとらえる
第二章 民族問題を読み解く極意
――「ナショナリズム」を歴史的にとらえる
第三章 宗教紛争を読み解く極意
――「イスラム国」「EU」を歴史的にとらえる

 今の世界を氏は「新・帝国主義」の時代と分析し、それを「資本主義と帝国主義」「民族とナショナリズム」「キリスト教とイスラム」という三つの背景時空からアナロジカルに読み解いてゆく。

(引用開始)

 資本主義、ナショナリズム、宗教――私の見立てでは、この三点の掛け算で「新・帝国主義の時代」は動いている。その実相をアナロジカルに把握することが本書の最終目標です。

(引用終了)
<同書 28ページ>

 私も、「熱狂の時代」の項で述べたように、モノコト・シフトの時代、人々の考え方がB側に偏りすぎると、熱狂による戦争が起りかねないと考える。我々はA側の考え方をもっと学ぶべきだし、そのためにこの本の知見が役立つと思う。

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posted by 茂木賛 at 13:14 | Permalink | Comment(0) | 起業論

日本アニメの先進性

2016年01月12日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 「日本アニメの先進性」などというと、何を今さらと言われそうだが、前回の「背景時空について」に関連付けて書くのでご一読いただきたい。ただしここで書くのは日本アニメといっても専ら高畑勲監督のことである。

 以前「21世紀の絵画表現」の項で、『かぐや姫の物語』高畑勲監督(スタジオジブリ)について、

(引用開始)

『かぐや姫の物語』は、一枚の絵全体が動くようなアニメーションが特に素晴らしかった。この、背景時空の無い、水彩画のような動画、絵画のような深みを持ちつつ、「コト」表現として充分な情報量があるアニメは、新しい視覚表現の一つの方向だと思われる。

(引用終了)

と書いたことがある。この“背景時空の無い”というのは映画のパンフレットからヒントを得た言葉だ。その部分を引用しよう。

(引用開始)

 従来のアニメーションでは背景とセル画は別々の様式で描かれる。これはセルアニメーションと言う手法を採用する際に避けては通れないものだった。しかし、高畑監督が挑戦したのは、背景とキャラクターが一体化し、まるで1枚の絵が動くかのようなアニメーション。アニメーションの作り手たちが一度は夢見る表現である。(中略)一見あっさりしているようで、実は図抜けた画力と膨大な手間の集積によって生み出された、本当の“リアル”を感じさせる表現は、78歳の高畑勲が生み出した全く新しいアニメーション表現として、アニメーション史のエポックメイキング的作品となるだろう。

(引用終了)
<同パンフレット「プロダクションノート」より>

 先日新聞に、高畑監督が自身のアニメ表現や日本人の完成の特徴について語ったシンポジウムの記事があった。『かぐや姫の物語』の手書きの特徴を生かした線による表現について「雨の線が浮世絵を思わせる。日本の伝統的な絵画の影響があるのでは」などの質問に対して、


(引用開始)

 高畑さんは「僕は普通の人と同じくらいしか浮世絵を見ていない。けれど日本に住んで育ってきたこと自体が、僕の一つの特徴になっている。と回答。日本には雨や波、炎など、固定していない「現象」を描く伝統があると説明し、「これは西欧絵画にはない特徴。日本は現象を見て、本質は問わない傾向がある。だから平安時代から、滑って転ぶというような描きにくいポーズもたくさん描かれている。そういう伝統とアニメは関係している」と話した。

(引用終了)
<東京新聞夕刊 9/24/2015>

とあった。ここでいう“固定していない「現象」”とは、複眼主義の対比、

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A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
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B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
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におけるB側の日本語的発想、「モノコト・シフトの研究 II」の項でいう「事象(matter)を脳(大脳新皮質)で考えるのではなく、身体(大脳旧皮質+脳幹)で考える」ことだと思う。“本質を問わない傾向”というのが面白い。本質を問うには「分析」しなければならないから、A側の話になってしまうわけだ。

 日本人はB側の優位に拠って、アニメーションにおいてついに「背景時空」を無くすレベルにまで到達した。「日本アニメの先進性」という所以である。勿論制作にお金は掛かっただろうが、これはジブリにしか出来なかった快挙だと思う。スタジオジブリについては、かつて「借りぐらしのArrietty」の項でその特長を書いたことがある。

 高畑監督は、今年米アニー章功労賞を受賞したという(発表・授賞式は今年2月6日)。

(引用開始)

「アニメ界のアカデミー賞」と呼ばれるアニー賞を主催する国際アニメ映画協会は一日、功労賞の一つで、アニメ界のへの長年の貢献をたたえる「ウィンザー・マッケイ賞」を日本のアニメ映画監督の高畑勲さん(八〇)に授与すると発表した。(以下略)

(引用終了)
<東京新聞 12/8/2015>

21世紀のアニメの方向性を示唆する映画を作ったのだから、単なる功労賞ではなくアニメ大賞であるべきだが、まあそれはおいおい西洋人も解ってくるのではないか。 

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posted by 茂木賛 at 14:39 | Permalink | Comment(0) | アート&レジャー

背景時空について

2016年01月05日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「所有について」の項で、

(引用開始)

 複眼主義によって、所有を脳の働きと身体の働きとに分けて考えてみよう。

A 脳(大脳新皮質)の働き
B 身体(大脳旧皮質+脳幹)の働き

Aにおける所有とは、都市における「法的」な所有を指し、Bにおける所有とは、何かを身につける「身体的」な付加を指す。たとえば、前者は土地や金銭の所有、後者は贅肉が付くことや衣服を纏うことだ。

(引用終了)

と書いたけれど、Aにおける所有は、“モノ”を周囲環境から切断することで成り立つ考え方である。Aの詳しい属性は、

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A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
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であり、こちら側の考え方にとっては、「分ける」ことが話の前提になる。「分解」「分析」「分離」「分断」「分類」「分布」「区分」などはこちら側の言葉だ。「自立」も周りからの分離独立である。ちなみにBの属性は、

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B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
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ということで、こちら側のキーワードは「連続」となろう。

 “モノ”をこのように(切断して)認識するためには、もう一つ重要なファクターがある。それが「背景時空」だ。所有する“モノ”を他と区別するには、それを単体として浮かび上がらせる背景が必要になる。舞台が必要になる。理論の前提、法律の枠組み、絵画のフレーム、科学のXYZ軸などなど。

 背景時空とは、あくまでも主役を際立たせるためのものだ。だからそれは「仮想」である。しかしそれがないと、人の脳(大脳新皮質)は事象(matter)を固定して客観的に認識できない。これは人工知能の「フレーム問題」とも通ずる話だ。

 “コト”を所有できないのは、それが背景時空と相互作用を起こし単体として分断できないからだ。非線形科学(複雑系)でいう「バタフライ効果」は時空が連続しているから成り立つ。Bではだから「境界性」が重要ファクターとなる。アフォーダンス理論でいうところのミーデアム(空気や水などの媒体物質)とサブスタンス(土や木などの個体的物質)、そして二つが出会うところのサーフェス(表面)から成る自然界に分断はない。全ては境界で繋がっている。

 Aにとっての「分断」と「背景時空」の必要性、と同時にその仮想性。Bにとっての「連続」と「境界性」。そして両者のバランスの大切さ。ここで「動詞形と名詞形」の話を想い起こすのも良いかもしれない。

 以前「自分と外界との<あいだ>を設計せよ」の項で言いたかったのは、Bの世界にある我が身と、周囲環境との<境界>を、Aによって客観的に眺め分析し(自立し)、より良い影響を我が身と周囲に与え続けられるよう設計せよ、ということなのである。

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posted by 茂木賛 at 13:19 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

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