夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


階層間のあつれき

2015年12月29日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「揺り戻しの諸相」の項で、モノコト・シフトを巡る様々な力関係における守旧派と新興勢力間の「せめぎあい」に関して、

(引用開始)

 20世紀を担ったのは(当然ながら)21世紀の老年層であり、主導したのは欧米諸国の富裕層による覇権主義である。従って、「様々な力関係」のうち、世代間では「老年層の守旧と若年層の新興」、男女間では「男性性の守旧と女性性の新興」、階層間では「富裕層の守旧と貧困層の新興」、といった大まかな対立軸を描くことができる。宗教間や地域間、国家間における対立や分裂は、「覇権主義=守旧、多極主義=新興」といった軸で見るのがいいだろう。

(引用終了)

と書いたけれど、今回はそのうちの「階層間のあつれき」に焦点を当ててみたい。

 富裕層には、人類の三つの宿啞、

(1)社会の自由を抑圧する人の過剰な財欲と名声欲
(2)それが作り出すシステムとその自己増幅を担う官僚主義
(3)官僚主義を助長する我々の認知の歪みの放置

のうち、(1)の過剰な財欲と名声欲(greed)を持つ人が少なくない。彼らは(2)の官僚主義(bureaucracy)を利用して、中間層や貧困層を(3)の認知の歪み(cognitive distortions)に陥れながら自らの財を増やしてきた。だから彼らの守旧運動は概ねこのスキーム上で繰り広げられる。

 彼らが富を成す有力手段の一つは「経済の三層構造」でいう「マネー経済」b:「利潤を生み出す会計システム」上の株式や債券投資だ。それらの富は財といっても、信用創造と金利だけが頼りのペーパーマネーだから、モノコト・シフトによって「“モノ”余りの時代」が到来すると、それと同期して収縮せざるを得ない。守旧運動はその実態を隠しながら行なわれる。しかし所詮は悪足掻きに過ぎない。『再発する世界連鎖暴落』副島隆彦著(祥伝社)には、greedを持つ人々のそういう悪足掻きが、数字を伴って暴かれている。2015年11月発行の本だ。参考になると思う。恐ろしいのは彼らが戦争をも利用しようとすることである。大きな戦争となるともはや地球環境が持たないかもしれない。

 参考までに経済の三層構造とは、

「コト経済」

a: 生命の営みそのもの
b: それ以外、人と外部との相互作用全般

「モノ経済」

a: 生活必需品
b: それ以外、商品の交通全般

「マネー経済」

a: 社会にモノを循環させる潤滑剤
b: 利潤を生み出す会計システム

であり、モノコト・シフトの時代には、特にa領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力と、「コト経済」(a、b両領域)に対する親近感が増す。尚、ここでいう「経済」とは、「自然の諸々の循環を含めて、人間を養う社会の根本理法・理念」を指す。

 官僚主義(bureaucracy)を体現する人々を、一つの「階級」として扱おうというのが『官僚階級論』佐藤優著(モナド新書)だ。2015年10月発行の本。官僚は(1)のgreedに取り入るだけでなく、集合的無意識によって自らを守るとする、ユニークな視点の本だ。官僚は「nationとstate」の項で述べた「state」の今を裏から牛耳る。greedの後ろで蠢く官僚を、「階級」として扱うことで表に引き摺り出そういう意図があるらしい。副題に「霞ヶ関(リヴァイアサン)といかに闘うか」とある。本の帯にある紹介文には、

(引用開始)

官僚はこう信じている。「有象無象(うぞうむぞう)の国民を支配するのは自分たち偏差値エリートだ」と。

(引用終了)

とある。これも読むと面白い。

 階層間の「富裕層の守旧と貧困層の新興」。これからの時代、地球環境を守りつつ貧困層を新興させるには、富裕層が溜め込んだ、あるいは官僚が隠し持つ「マネー経済」b:「利潤を生み出す会計システム」上のペーパーマネーを、「マネー経済」a:「社会のモノを循環させる潤滑油」の方に活用して、必要な産業基盤(インフラ)への投資を行なうことだと思う。

 日本でいえば観光インフラ投資、とくに日本海側への投資、海外でいえばユーラシア大陸への投資(「観光業について」「観光業について II」「日本海側の魅力」各項参照のこと)。福祉への投資も大切だ。副島氏は『再発する世界連鎖暴落』の中で、ユーラシア大陸のど真ん中に沢山都市をつくり、中国だけでなくユーラシア全体の職のない若者たちのために、新しい雇用を生み出すべきだという。そして日本の汚水処理技術と海水から真水をつくる技術を惜しみなく導入する。

(引用開始)

 もう日本人は東シナ海ばかりを見ている時代ではない。これからの世界は、ユーラシア大陸が世界の中心となる“陸の時代”なのだ。水さえ十分つくれれば、人類は生きてゆける。巨大な有効需要もつくることができる。そうすれば、大きな戦争=第3次世界大戦をしないですむのである。

(引用終了)
<同書 239ページ(フリガナ省略)>

 尚、副島氏と佐藤氏には『崩れゆく世界 生き延びる知恵』(日本文芸社)という共著もある。2015年6月発行。副題には「国家と権力のウソに騙されない21世紀の読み解き方」とある。併せて読むとよいと思う。

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揺り戻しの諸相

2015年12月22日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「時代の地殻変動」の項で、『物欲なき世界』という本を紹介し、モノコト・シフト時代の地殻変動の様子を見たが、当然のことながら、変化には「揺り戻し」が付き物だ。同書からそのことを指適する部分を引用しよう。

(引用開始)

 現在進行中の、そしてさらに顕在化されるであろう「物欲なき世界」は、貧しいわけでも愚かなわけでもない。むしろ今まで以上に本質的な豊かさを感じられる世界になるはずだ。ただ、「何をもって幸せとするか」を巡る価値観の対立は今まで以上に激しくなるだろう。これまでの見える価値=経済的価値を信奉する守旧派と、見えない価値=非経済的価値を提唱する新興勢力とのせめぎあいはあらゆる局面で顕在化してくるに違いない。

(引用終了)
<同書 247ページ>

 守旧派と新興勢力との「せめぎあい」は、社会の様々な力関係における対立、あるいは分裂として立ち現れてくる筈だ。「様々な力関係」とは、世代間、男女間、階層間、宗教間、地域間、国家間などのそれを指す。

 モノコト・シフトは、複眼主義の、

------------------------------------------
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−「都市」
A 男性性=「空間重視」「所有原理」

A、a系:デジタル回路思考主体
世界をモノ(凍結した時空)の集積体としてみる(線形科学)
------------------------------------------

------------------------------------------
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−「自然」
B 女性性=「時間重視」「関係原理」

B、b系:アナログ回路思考主体
世界をコト(動きのある時空)の入れ子構造としてみる(非線形科学)
------------------------------------------

という対比において、A側に偏った20世紀から、B側の復権によってA、B両者のバランスを回復しようとする21世紀の動きだから、揺り戻しの諸相は、その逆の(A側の守旧)運動として捉えることができるだろう。

 20世紀を担ったのは(当然ながら)21世紀の老年層であり、主導したのは欧米諸国の富裕層による覇権主義である。従って、「様々な力関係」のうち、世代間では「老年層の守旧と若年層の新興」、男女間では「男性性の守旧と女性性の新興」、階層間では「富裕層の守旧と貧困層の新興」、といった大まかな対立軸を描くことができる。宗教間や地域間、国家間における対立や分裂は、「覇権主義=守旧、多極主義=新興」といった軸で見るのがいいだろう。

 ただし、これらはあくまでも大枠であって、それぞれの内部では別の動きもある。振り子はA側とB側の間を行ったり来たりしながら、A、B両者のバランスが回復したところでモノコト・シフトは終わるだろう。その先の新しい時代の実相を今から見通すことは難しいが、“コト”(“固有の時空”)の相互作用を十分踏まえたものとなることだけは間違いないと思う。

 揺り戻しは、「熱狂の時代」の項でみたように、人類の三つの宿啞、

(1)社会の自由を抑圧する人の過剰な財欲と名声欲
(2)それが作り出すシステムとその自己増幅を担う官僚主義
(3)官僚主義を助長する我々の認知の歪みの放置

によって動機付けられるだろう。人は本来「理性を持ち、感情を抑え、他人を敬い、優しさを持った責任感のある、決断力に富んだ、思考能力を持つ哺乳類」だと私は考えている。だから性悪説は採らないが、この三つの宿啞を上手くコントロールしないと、人類はその先の新しい時代どころかモノコト・シフトすら達成せずに滅ぶかもしれない。地球環境が持たないからだ。改めて「三つの宿啞」の項をお読みいただきたい。

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時代の地殻変動

2015年12月15日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「“コト”のシェアと“サービス”」の項で、

(引用終了)

 シェア・サービス(の提供と享受)を通して、自分自身がどう変るか、それがモノコト・シフト時代の本質ではないだろうか。(中略)
 “コト”は双方向、相互作用なのだ。商品を通して“コト”をシェアする、そしてその先に「変った自分」を発見する。それがこれからの起業家に求められる資質であり、ビジネスのあり方だと思う。

(引用終了)

と書いたけれど、『物欲なき世界』菅付雅信著(平凡社)は、世界各地の先駆者たちへのインタビューを通して、こういった時代の実相に迫ろうとする労作だ。本の構成は次のようになっている。

-----------------------------------------------
<まえがき> 欲しいものがない世界の時代精神を探して

<1> 「生き方」が最後の商品となった
<2> ふたつの超大国の物欲の行方
<3> モノとの新しい関係
<4> 共有を前提とした社会の到来
<5> 幸福はお金で買えるか
<6> 資本主義の先にある幸福へ

<あとがき> 経済の問題が終わった後に
-----------------------------------------------

新聞に載った著者の言葉を引用しよう。

(引用開始)

 「今、何が欲しい?」と聞かれて、「特別欲しいモノはないかも」と感じるようになったことから、この本の構想は始まった。そのころ私は、ツイッターやフェイスブックなどのソーシャルメディアの普及によって、人々の行動や人格がかなり可視化できる状況になっていることについて新書でまとめていた。書き終わるころ、もう見栄を張る必要がない社会になった、つまり見栄のための消費が意味をなさなくなるので、物欲が減るのではと思うようになった。
 実際にさまざまな消費者調査を見てみると、そのような結果がいくつも出て来る。また自分も含め、人々のモノに対する執着がかなり落ちている感覚もある。では、欲しいモノがない世界というのは、どういう状況か。そこでは何を持てば幸せと呼ばれるのだろうか。そういう漠とした疑問から、本書の取材をスタートした。
 衣服だけではなく雑貨や食を取り入れた「ライフスタイル・ショップ」と呼ばれる新しいお店が人気を集め、生活提案型の雑誌「ライフスタイル・マガジン」が台頭するなど「生き方」が商品となった消費の終着点的状況。買うよりも「共有=シェア」し、自分たちによるモノ作りを優先する潮流。ほとんどが電子情報となった「お金」の新しい定義。そしてモノを買い続け、お金を使い続けることを強いる資本主義の制度疲労。さまざまな異なる楽器が奏でるノイズが、まとまるとひとつの大きなハーモニーとなって聞こえてきた。
 また日本だけでなく、中国の上海、アメリカのポートランドで生まれている新しい消費意識を取材し、さらに内外の膨大な資料をあさって、モノと幸せと資本主義の行方を探る旅を続けた二年間の結果がこの本となった。
 「自分が本当に欲しいモノは何か?」。その答えはまだ定かではないが、この旅には確かな手応えがあった。それは物欲の行き先には、多くの賢人たちの知恵と数多くの希望があることだ。

(引用終了)
<東京新聞 11/16/2015(フリガナ省略)>

 この本は、モノコト・シフト時代の地殻変動の様子を上手く捉えている。一読してみていただきたい。たとえば<5>章の最後に次のような指摘がある。

(引用開始)

 人はなぜ働くのか。それはお金のため。ではお金を稼ぐのは何のためにあるのか。それは幸せになるため。人々はそう信じ込んできた。それは資本主義のセントラルドグマ(基本原理)だったのだ。でも、それはひょっとすると、人類の長い歴史の中では、二〇世紀後半の数十年間の特殊なドグマだったのではないか。元来、働くことはお金のためだけではないし、お金を稼ぐことが幸福につながることとも限らない。むしろお金を稼ぐことを人生の第一義にしていくと、さまざまなストレスや支障を生むことがある。もちろんお金は強力な交換装置であり、信用の尺度でもあり続けるだろうが、お金で買えないモノや信用もたくさんあることがわかってきた。いや、もともとお金で買えないものの方がたくさんあったし、これからもそうなのだ。
 では、たくさん働き、たくさんお金を稼ぎ、たくさんモノを買って、より幸せになるという資本主義のセントラルドグマが信じられなくなったとしたら?幸せになるための方法としての消費であり、その交換装置としてのお金が一番大事だと思わされてきた社会から、消費ともお金ともあまり結びつかない幸福のカタチがますます露見するようになった社会に移行しつつある中で、資本主義そのものが機能不全となりつつある様子が浮かび上がってきた。社会を動かす原動力として、資本主義はもはや人々に幸福をもたらすエンジンにならなくなっているのではないだろうか(かつてもそうであったかといえば疑問だが、今よりも祖の幻想は抗力があったはずだ)。二一世紀には、新しいカタチの幸福を実現するための新しいエンジン、新しい動燃機関が必要なのではないか。

(引用終了)
<同書 206−207ページ>

 この本に描かれた生活面の変化に加え、「皮膚とシステム」の項でみた新しい非要素還元主義科学の世界観を併せると、21世紀の方向がよく見えてくると思う。

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posted by 茂木賛 at 13:10 | Permalink | Comment(0) | 起業論

“コト”のシェアと“サービス”

2015年12月08日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「所有について」の項で、

(引用開始)


 “モノ”は所有できるが、“コト”は所有できない。だから“コト”を大切に考える人は、「所有」や「私有」に固執しない筈だ。“モノ”を供給するだけのビジネスは縮小してゆくだろう。“モノ”を売るのではなく、商品を通して“コト”をシェアする。そんな商売がこれからは伸びるだろう。ただし、“コト”のシェアは“サービス”とは違う。サービスは一方向だが“コト”は双方向、相互作用だ。

(引用終了)

と書いたけれど、今回は、この“コト”のシェアと“サービス”の違いについてさらに考えてみたい。

 シェアリング・エコノミー(共有経済)という言葉がある。「共有の社会関係によって統御される経済」といったほどの意味だが、「モノコト・シフトの研究」の項でも触れたように、最近この比率が高まっているという。

 このブログで使う「経済」という言葉は、単にマネーのやり取りだけでなく「自然の諸々の循環を含め、人間を養う、社会の根本理法・摂理」を意味するから、共有も私有も包摂するが、普通使われる経済=マネー経済という意味範囲では、私有制を強く必要としない活動領域をそれ以外と区別するために、共有経済という言葉が使われるのだろう。

 『シェアリング・エコノミー』宮崎康二著(日本経済新聞社)には、最近増えてきたP2P宿泊、ライドシェア、カーシェアなどの「シェア・サービス」の実態と仕組みが手際よく纏められている。しかし、それらはあくまでも業者から顧客への一方向のサービスであり、メリットはマネー経済において生産効率や資産効率が上がることだという。これまでの“モノ”の販売よりは“コト”に近づいているが、それだけでは“コト”のシェアとはいい難い。“コト”はあくまでも双方向、相互作用なのだから。

 確かに、IT技術の進化と共に発達したこれらのシェア・サービスは、これまでの“モノ”の販売よりは“コト”に近づいている。しかしモノコト・シフト時代の本質は、その先にあるはずだ。このレベルでしかシェア・サービスが語られないのであれば、次に出てくるのは政府による「規制緩和」の話になってしまう。東京オリンピックに向けてどの法律をどう変えて「民泊」を進めるかなどなど。どこまで許可するか、しないか、それが官僚の手の上で弄ばれるだけだ。あるいは、どのサービスをどこが買収するか。所謂“サービス事業”は所有の対象としてしか扱われない。

 シェア・サービス(の提供と享受)を通して、自分自身がどう変るか、それがモノコト・シフト時代の本質ではないだろうか。

 なぜシェア・サービスを使うのか。使いやすい(手軽)、安い、早い、だけではなく、普通のサービスと違う(新規性)、楽しい、考え方が変った、自分でも何か始めてみよう、というところまでいってはじめて“コト”らしくなる。

 サービスを提供する側からいえば、簡単に始められる、意外に儲かる、だけでは詰まらない。顧客の声を聴いてやり方を変える、一律ではなくパーソナルな対応もする、別のことと関連付けてみる、といったところまでいって“コト”らしくなる。物販との違いがでてくる。

 “コト”は双方向、相互作用なのだ。商品を通して“コト”をシェアする、そしてその先に「変った自分」を発見する。それがこれからの起業家に求められる資質であり、ビジネスのあり方だと思う。

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posted by 茂木賛 at 09:36 | Permalink | Comment(0) | 起業論

所有について

2015年12月01日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 モノコト・シフトの時代、まともな人々は、どちらかというと、過剰な“モノ”の所有よりも、豊な“コト”の繋がりの方を大切に考えるようになる(「モノコト・シフトの研究」)。生活用品はいるけれど、それ以上の贅沢品は所有せずに必要に応じて人とシェアする。家や車、オフィスなどもできればシェアする。音楽やスポーツはライブが一番、休日はトレッキングやサーフィン、キャンプなど出来るだけ自然の中で過ごす。これからの日本の若い人の間ではそんな生活が標準となるのではないか。

 “モノ”は所有できるが、“コト”は所有できない。だから“コト”を大切に考える人は、「所有」や「私有」に固執しない筈だ。“モノ”を供給するだけのビジネスは縮小してゆくだろう。“モノ”を売るのではなく、商品を通して“コト”をシェアする。そんな商売がこれからは伸びるだろう。ただし、“コト”のシェアは“サービス”とは違う。サービスは一方向だが“コト”は双方向、相互作用だ。

 複眼主義によって、所有を脳の働きと身体の働きとに分けて考えてみよう。

A 脳(大脳新皮質)の働き
B 身体(大脳旧皮質+脳幹)の働き

Aにおける所有とは、都市における「法的」な所有を指し、Bにおける所有とは、何かを身につける「身体的」な付加を指す。たとえば、前者は土地や金銭の所有、後者は贅肉が付くことや衣服を纏うことだ。

 衣服、さらには道具、車などは、法的と身体的、両方の「所有」形態がある。車の法的な「所有」は説明するまでもない。車の身体的な「所有」とは、車を運転することだ。AとB、どちらにおいても、「所有」は自己の「肥大」につながってくる。Aの場合は資産の肥大、Bの場合は感覚の肥大。車を運転するドライバーの身体感覚は、ボンネットの先からトランクの後ろにまで拡大する。

 モノコト・シフトの時代、人々は「肥大」化を避けようとする。「自分と外界との<あいだ>を設計せよ」の項で紹介した『不思議な羅針盤』梨木香歩著(新潮文庫)に、次のような文章がある。

(引用開始)

 距離を移動する、それだけで我知らず疲弊してゆく何かが必ずあるのだ。このマクロにもミクロにもどんどん膨張している世界を、客観的に分かろうとすることは、どこか決定的に不毛だ。世界で起っていることに関心をもつことは大切だけれど、そこに等身大の痛みを共有するための想像力を涸らさないために、私たちは私たちの“スケールを小さく”する必要があるのではないだろうか。スケールを小さくする、つまり世界を測る升目を小さくし、より細やかに世界を見つめる。片山廣子のアイルランドはその向こうにあったのだろう。

(引用終了)
<同書 57ページ>

「所有」と「スケールの大きさ」は一見話が違うけれど、所有は肥大であり、肥大はスケールの拡大だから、二つは重なっている。スケールを小さくすることは、所有欲を抑えてスリムになることに繋がる。尚、片山廣子は佐々木信綱に師事した歌人で、大正5年(1916年)に第一歌集『翡翠』を刊行、アイルランド文学に親しみ、松村みね子の筆名で翻訳も行なった。

 これからの時代、所有=肥大であることを弁えて、脳(大脳新皮質)としては資産の肥大の責任を自覚すること、そして賢く使い切ること。身体(大脳旧皮質+脳幹)としては、感覚の肥大をコントロールできる範囲に止めること。そして健康に留意すること。そういった生き方が求められると思う。いづれにしても墓には身体以外、何も持ってゆけないのだから。

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posted by 茂木賛 at 10:21 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

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