夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


住宅の閾(しきい)について

2015年09月29日 [ 街づくり ]@sanmotegiをフォローする

 『権力の空間/空間の権力』山本理顕著(講談社選書メチエ)を読んだ。副題に「個人と国家の<あいだ>を設計せよ」とある。この本は、近代社会における家づくり・街づくりの問題についてのスリリングで示唆に富む論考だ。まず新聞の書評を引用しよう。

(引用開始)

 政治というのは抽象的な思考に回収されない。そうではなく、複数の人間が共生するための実践行為である以上、必ず具体的な空間を伴うはずである。だが、政治思想史の研究者の多くは、思想家が残したテキストを丹念に読み込み、政治概念を抽出することには努めても、政治が住居や都市のような空間とどれほど深く関係してきたかを考えようとはしなかった。
 建築家の山本理顕は、思想家のハンナ・アレントが著した『人間の条件』を、これまでの政治思想史研究とは全く異なる視角から読み解いた。それが本書である。著者の読みはきわめて斬新であり、建築家がアレントを精読するとこうなるのかという新鮮な発見に満ちている。
 著者によれば、アレントほど空間のもつ権力性に敏感な思想家はいなかった。そのアレントが古代ギリシャで注目したのが、公的領域(ポリス)と私的領域(オイコス)の間にある「無人地帯」、つまり「閾(しきい)」だというのだ。この指適にはびっくりした。確かに『人間の条件』には、それに相当する文章がある。しかし、政治思想史の分野でここまで「閾」に注目した研究は見たことがない。
 著者はアレントの思想に、私的空間と公的空間が厳密に区画され、官僚制的に統治された都市空間、すなわち「権力の空間」に生きることに慣らされている私たちの日常を根本的に改めるための突破口を見出している。『人間の条件』は、決して政治思想史の「古典」と定まっているわけではなく、未来へと開かれた「予言」としての意味をもつことになる。
 もし本書の問いかけに、政治思想史の側から何の応答もなされないのであれば、あまりにも空しい。著者にならって言えば、それこそ学問のタコツボ化がもたらした「権力の空間」に安住していることに無自覚になっている表われと判断されるからだ。(評・原武史)

(引用終了)
<朝日新聞 6/21/2015)

ハンナ・アレントの著書『人間の条件』を武器に、「閾(しきい)」という空間概念、労働者住宅、「世界」という空間を餌食にする「社会」という空間、標準化=官僚制的管理空間、「選挙専制主義」に対する「地域ごとの権力」、といった刺激的なテーマが並ぶ。「流域社会圏」の項で論じた『地域社会圏モデル』山本理顕他著(INAX出版)から5年、山本氏がよりパワフルになって戻ってきた印象だ。

 近代社会の「1住宅=1家族」という私的空間を「地域」に対して開くにはどうしたら良いのか。このブログでは以前「新しい家族の枠組み」の項で、「近代家族」に代わる新しい家族の枠組みについて、

1.家内領域と公共領域の近接
2.家族構成員相互の理性的関係
3.価値中心主義
4.資産と時間による分業
5.家族の自立性の強化
6.社交の復活
7.非親族への寛容
8.大家族

といった特徴を挙げ、「新しい住宅」「新しい住宅 II」「新しい住宅 III」などでその住宅のあり方を見てきたが、この問題に関して山本氏は、古代ギリシャからある住宅の「無人地帯」=「閾(しきい)」という概念の重要性を指適する。同書25ページにある著者作成の「閾の概念図」(図4)を再構成してみよう。
img022.jpg
理解のために概念図の説明文も引用しておこう。

(引用開始)

「閾」はprivate realm(私的領域)に含まれる空間である。public realm(公的領域)に対して開かれた空間である。「閾」は私的領域の内側にあって、それでもなお公的領域に属する空間である。それをアレントは“no man’s land”と呼んだ。「閾」を含まないプライバシーのための空間は“private sphere”である。古代ギリシャでは奴隷と女の領域であった。「循環する生命過程」のための場所である。

(引用終了)
<同書 25ページ(図の説明文)>

 玄関、土間、縁側、応接間、客間、茶室など、公的役割の浅深によってその場の設えは変わるだろうが、この「閾」は、以前「庭園都市」の項で図示した、<里山システム>における「街」と「家」とのつなぎ部分に当る。
img022.jpg
外からみたつなぎ部分は「庭園」だから、住宅の「閾」は「庭園」へ、そして「庭園」は「里山」へと繋がっていくわけだ。今の多くの住宅には人と公的な話をする場所がない。21世紀の庭園都市が上手く機能するかどうかは、「里山」、そして各家の「庭園と閾」の造営巧抽にかかっているといえるのではないだろうか。

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観光業について II 

2015年09月22日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回の「観光業について」の項に引き続き、これからの観光業にとって大切だと思われることを検討してみたい。前回の復習になるが、モノコト・シフト時代は、経済三層構造、

「コト経済」

a: 生命の営みそのもの
b: それ以外、人と外部との相互作用全般

「モノ経済」

a: 生活必需品
b: それ以外、商品の交通全般

「マネー経済」

a: 社会にモノを循環させる潤滑剤
b: 利潤を生み出す会計システム

において、特にa領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力と、「コト経済」(a、b両領域)に対する親近感が増す。観光業は「コト経済」(b領域)がベースだから、ヨーロッパなど先進諸国における、後者(「コト経済」への親近感)の増大を追い風にすべきである。「コト経済」の真価は、別の層「マネー経済」の指標では捉えきれない、むしろ、

(1)日本語(文化)のユニークさをアピールする
(2)パーソナルな人と人との繋がりをつくる
(3)街の景観を整える(庭園都市)

といったGDPに表われない部分に磨きを掛けることが大切になる、という話だった。

 21世紀は、モノコト・シフトの時代であるとともに、ユーラシア大陸の発展が期待される世紀でもある。ユーラシア大陸とは、ヨーロッパとアジアとを合わせた地形的に独立した地域を指す。最近(2015年8月に)出た『中国、アラブ、欧州が手を結びユーラシアの時代が勃興する』副島隆彦著(ビジネス社)は、これからはアメリカの時代が終わり、中国を中心としたユーラシアの時代が来ることを予言する内容の本だ。「あとがき」から一部引用しよう。

(引用開始)

 いちばん新しい中国の話題は、AIIBアジアインフラ投資銀行の設立である。そして中国政府が4月に打ち出した「一帯一路」構想は、これからの世界に向かって中国が示した大きなヴィジョンだ。ユーラシア大陸のド真ん中に、10億人の新たな需要が生まれる、中国とロシアと、アラブ世界とヨーロッパ(インドも加わる)が組んで、新たなユーラシアの時代が始まるのだ。

(引用終了)
<同書 231ページ(フリガナ省略)>

詳しくは本書をお読みいただきたいが、一帯一路の「一帯(ワンベルト)」とはユーラシア大陸を貫通する幾本もの鉄道と幹線道路のであり、「一路(ワンルート)」とは南米諸国にも繋がる世界横断航路を示しているという。規模の大きな話である。

 英国と日本は、ちょうど西と東からユーラシア大陸を挟むような位置にある。この大陸の発展を観光業の観点でみれば、西欧諸国を西の端として、中欧と北欧、中近東、インド、中国、ロシアを含む大陸全土から、多くの人が日本を訪れるということである。前回、「日本海側の魅力」の項で論じた関心事、と書いたのはこのことだ。

 今の時点では、モノコト・シフトの波を早く被った地域(先進国)と、まださざなみ程度の地域(開発途上国)の違いがあるから、ユーラシアから日本へ来る人々の多くは、単純にモノを買い求めることが興味の中心かもしれない。しかしやがてモノコト・シフトが進めば、彼らの間でも「コト経済」(b領域)への親近感が高まるに違いない。そのとき、日本が大陸と同じではつまらないではないか。だから、

(1)日本語(文化)のユニークさをアピールする
(2)パーソナルな人と人との繋がりをつくる
(3)街の景観を整える(庭園都市)

といった話になるわけだ。「日本の森」の項などで見たとおり、日本列島は南北に長く山が多い。世界のどこにも見られないような多様な森、山、海岸線が広がっている。そういう自然環境(で起る様々なコト)も訪れる人々を魅了するだろう。

 日本の歴史を振り返り、古代からのユーラシアとの接点をいろいろと探り出すのも面白いかもしれない。ユーラシア大陸の西端にある英国と組んで、二つの島国の似ているところ、違っているところを大陸の文化と関連付けて研究するのも楽しいかもしれない。

 その他の地域、南北アメリカ大陸、オセアニア、東南アジア、アフリカ大陸からの観光客に対しても、同様のことがいえる。「コト経済」の最先端を実践する国としての日本、そういう魅力が世界の人々をこの地へ引き寄せる筈だ。

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観光業について

2015年09月15日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 「環境中心の日本語」の項で引用した『新・観光立国論』デービッド・アトキンソン著(東洋経済新報社)について改めて紹介したい。まず新聞の書評を引用しよう。

(引用開始)

 東京五輪開催決定のIOC総会での「お・も・て・な・し」のプレゼン。日本では好評だが、欧州では一つ一つ区切った話し方は相手を見下す態度にとられ、「否定的意見が多い」との記述に一瞬、目が点に。
 在日25年。敏腕証券アナリストから創業300年超の文化財修繕会社の社長に。茶道に通じ、京町家に住むイギリス人が、日本の外国人観光客誘致戦略に「勘違い」はないかただすべく、日本語で書いた辛口提案書だ。
 「世界に誇るおもてなしの心」も、外国人にとっては旅の途中での「人との触れ合い」程度の話で第一目的にはならない。そこには「自分たちが世界でも特別な存在」との「自画自賛」の「上から目線」を感じるという。
 気候、自然、文化、食事の「観光立国の4条件」を満たす希有な国なのに、お金を落としてもらうための、外国人目線に立ったサービスが不足した「観光後進国」との指適も耳が痛い。
 人口減少社会でGDPを増やすには、外国人観光客を「短期移民」と位置づける戦略が必要との論法が面白い。だから、「おもてなし」の精神以上にサービスとインフラを整備せよと。
 観光支出の多い欧州などの「上客」を呼び込む方法も披露。特に文化財の意味を伝える見せ方の提案は傾聴すべきだ。

(引用終了)
<朝日新聞 7/5/2015>

 複眼主義では、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
B Process Technology−日本語的発想−環境中心

という対比を論じているが、この本は特にAの観点から、日本の観光業の足りないところを論じたものだ。たとえば、ゴールデンウィークは無くしたほうが良いなど、日本語的発想とは一味違った指適が多い。観光関連で起業を目指す人にお勧めの本である。

 このブログでは、21世紀はモノコト・シフトの時代だと述べている。モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。

 「経済の三層構造」や「“モノ”余りの時代」の項で論じたように、モノコト・シフトの時代には、経済の三層構造、

「コト経済」

a: 生命の営みそのもの
b: それ以外、人と外部との相互作用全般

「モノ経済」

a: 生活必需品
b: それ以外、商品の交通全般

「マネー経済」

a: 社会にモノを循環させる潤滑剤
b: 利潤を生み出す会計システム

において、特にa領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力と、「コト経済」(a、b両領域)に対する親近感が増す。尚、ここでいう「経済」とは、自然の諸々の循環を含め人間を養う社会の根本理念・摂理(人間存在システムそのもの)をいう。

 開発途上国の国民の間では、前者<a領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力>の方が、後者<「コト経済」(a、b両領域)に対する親近感>よりも重要だろうが、生活必需品が行き渡っている先進諸国の上層国民の間においては、後者の方が重視されるはずだ。観光業はそもそも「コト経済」(b領域)をベースにしたビジネスだから、これからの観光業は、この後者の増大を最大限に追い風とすべきなのであろう。この本でアトキンソン氏は、観光支出の多い欧州などの「上客」をより重点的に呼び込むべきだとしているが、それはこういった背景を踏まえているのだと思われる。

 世界的に見て今の時点では、モノコト・シフトの波を早く被った地域(先進国)と、まださざなみ程度の地域(開発途上国)の違いはある。開発途上国の国民が日本へ買出しに来るのは、モノ信仰の故かもしれない。しかしモノコト・シフトが進めば、彼らの間でも「コト経済」(b領域)への親近感が高まるだろう。

 モノコト・シフトの時代、この本に付け加えて我々のなすべきことは、

(1)日本語(文化)のユニークさをアピールする
(2)パーソナルな人と人との繋がりをつくる
(3)街の景観を整える(庭園都市

など、GDPに表われない部分に磨きを掛けることだと思う。ITを活用するのもいいだろう。「コト経済」の真価は、「マネー経済」の指標では捉えきれない。この件、「日本海側の魅力」の項で論じた関心事と併せ、さらに別途検討してみよう。

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posted by 茂木賛 at 12:27 | Permalink | Comment(0) | 起業論

複眼主義美学

2015年09月08日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 今年2月「郷愁的美学」の項をアップしてから、文芸評論『百花深処』の方でその周辺を「複眼主義美学」と称して継続的に探ってきた。5月に「吉野民俗学と三木生命学」の項で途中経過を報告したが、改めてここに全体を纏めておきたい。


 複眼主義美学とは、藤森照信の『茶室学』、泉鏡花の『草迷宮』や吉田健一の『金沢』、九鬼周造の『「いき」の構造』や『風流に関する一考察』などを手がかりにして、自律神経系(交感神経と副交感神経)、脳(大脳新皮質)の働きと身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き、都市と自然、男性性と女性性、といった複眼主義の諸対比を用い、日本および西洋の思考・美意識構造を分析したものである。

日本人の思考と美意識:
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日本古来の男性性の思考は、空間原理に基づく螺旋的な遠心運動でありながら、自然を友とすることで、高みに飛翔し続ける抽象的思考よりも、場所性を帯び、外来思想の習合に力を発揮する。例としては修験道など。その美意識は反骨的であり、落着いた副交感神経優位の郷愁的美学(寂び)を主とする。交感神経優位の言動は、概ね野卑なものとして退けられる。
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日本古来の女性性の思考は、時間原理に基づく円的な求心運動であり、自然と一体化することで、「見立て」などの連想的具象化能力に優れる。例としては日本舞踊における扇の見立てなど。その美意識は、生命感に溢れた交感神経優位の反重力美学(華やかさ)を主とする。副交感神経優位の強い感情は、女々しさとしてあまり好まれない。
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西洋人の思考・美意識:
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西洋の男性性の思考は、空間原理に基づく螺旋的な遠心運動であり、都市(人工的なモノとコト全般)に偏していて、高みに飛翔し続ける抽象的思考に優れている。例としては神学や哲学など。その美意識は、交感神経優位の反重力美学(高揚感)を主とする。副交感神経優位のノスタルジアは、ともすると軟弱さとして扱われる。
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西洋の女性性の思考は、時間原理に基づく円的な求心運動であり、都市に偏していて、モノやコトの安定化に力を発揮する。例としてはイギリスの女流小説など。その美意識は、静かな副交感神経優位の郷愁的美学(エレガンス)を主とする。交感神経優位の強い情動は、多くの場合魔的なものとして恐れられる。
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 人は皆ある比率で男性性と女性性とを持っているから、両方の性性の思考・美意識を有している。今の日本人は、日本古来の思考・美意識と、西洋的なものとの混合型。人によってそのレベルは異なる。何か強いプレシャーを受けると、先祖帰りして古来の思考・美意識に戻ることがある。日本的なるものを理解する西洋人も最近増えてきている。
 
 複眼主義では、そもそも「都市」(人工的なモノやコト全般)は男性性(所有原理・空間原理)、「自然」は女性性(関係原理・時間原理)に偏していると考える。一神教によって育まれた西洋人の思考は、原則的に人間中心の発想で、反自然=「都市」をベースに発展してきた。だから西洋人の思考は、男女ともに、男性的な合理精神に引き寄せられる。一方、日本人の思考は、原則的に環境中心の発想で、縄文の昔から「自然」との融和を基に展開してきた。だから日本人の思考は、男女とも女性的な感性に引き寄せられる。

 「都市」に偏した西洋人の思考から形成される美意識は、主に、男性的な反重力美学(高揚感)と、その行き過ぎを抑えるよう(カウンターとして)働く女性的な郷愁的美学(エレガンス)、「自然」に偏した日本人の思考から生まれる美意識は、主に、女性的な反重力美学(華やかさ)と、その行き過ぎを抑えるように(カウンターとして)働く男性的な郷愁的美学(寂び)である。

 以上だが、これらの特徴抽出は、私の知識と経験に基づく仮説であり、どこかに正典があるわけではない。あくまでも私がこれまで「複眼主義」として集成してきた考え方の延長線上にある。また複眼主義における二項対比は、「かならず」というものではなく、「どちらかというと」という曖昧さを許容する。複眼主義美学についても同様に捉えていただきたい。

 人の思考と美意識を、このように自律神経や脳の働き、性性と関連づけ、さらには、日本と西洋といった文化の違いに応じて体系立てたのは、初めての試みではないだろうか。「ヤンキーとオタク」の項で論じたような日本論も、この分析を援用することでさらに興味深い検討が可能となる筈だ。これからも様々な視点からこの仮説の整合性を検証していきたい。ご意見・ご指適もお待ちしている。

 さっそくこの成果を基に、最近『百花深処』<平岡公威の冒険 3>をアップした。三島由紀夫(本名平岡公威)のクロスジェンダー的表現の秘密に迫ったもの。お読みいただけると嬉しい。

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posted by 茂木賛 at 13:40 | Permalink | Comment(0) | アート&レジャー

動詞形と名詞形

2015年09月01日 [ 言葉について ]@sanmotegiをフォローする

 前回の「環境中心の日本語」に続いて言葉の問題をもう一つ。新聞のコラムを引用する。

(引用開始)

 人とは何者か―ホモ・ロクエンス(ラテン語で、話す人)という言い方がありますが、ことばと人間の営みは密接に結びついています。
 我々には「一を聞いて十を知る」文化があります。均一性の高い社会ゆえでしょう。各国に散らばって生きてきたユダヤ人には「千を聞いて百を知る」という格言があり、異国で生きる必然性が反映されています。十倍と十分の一、想像を絶する違いです。国・国民(ネイション)の間(インター)を意味する「インターナショナル」を考えるテーマともなります。今は「グローバル」という言葉が行き交ってます。これはグローブ(地球)レベルで一つになろうということを経済活動の面から追求することに端を発しています。
 こうした流れの中、ことばの使用で気になることがあります。経済発展を志向するあまり、物への執着からか、ことばにおいて「物(もの)化」が目立ちます。動詞を使うべきところで名詞を用いる傾向です。「対応をしていきます」とか、もっとひどいのは「情報をお伝えをしてまいります」とかです。変ですよね。それに類することはE.フロムが名著“To have or to be?”で「多くの悩みを持っています」といった言い回しは所有意識の表われの典型だと指適しています。フロムさんへの同感から書きました。「人はパンのみにて生くるものに非(あら)ず」(安村仁志=中京大学長)

(引用終了)
<東京新聞夕刊 7/14/2015(傍点省略)>

 ご存知のように、このブログでは「モノコト・シフト」と称してこれからの時代を予見している。モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。

 このコラム執筆者がいうように、「物(もの)化」=「動詞を使うべきところで名詞を用いる傾向」と、「物への執着」=「グローバリズム」とは、関連し合っているのかもしれない。そうだとすると、モノコト・シフトの時代、「対応をしていきます」というような言い方は次第に減り、「合わせていきます」といった動詞形が復活してくるのだろうか。政治家や巷の何気ない言葉遣いに注目してみるとしよう。

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