夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


庭園都市

2015年07月28日 [ 街づくり ]@sanmotegiをフォローする

 『庭の旅』白井隆著(TOTO出版)という本を愉しく読んだ。庭園都市計画家の白石氏は、

(引用開始)

 人はハコに暮らすのではなく、「人は庭園に暮らす」と考える。その全体を庭として計画することを通して、施主の求める幸福な風景を造ることはできないだろうか。土木建築を、世界から切り離してしまわずに、庭園構想の一部として、全体に関係付けることによって。
 庭には、人と、時間と、自然と、構造物が備わっている。暮らしの場全体を計画する方法として、庭園という装置を使うことはできないだろうか。

(引用終了)
<同書 9ページ>

と考え、それを探るために、奥さまでガーデン・デザイナーの白井温紀さんと一緒に世界各地の庭を巡る。

 山形の田舎家の庭、共同体を生き返らせた水俣市の田園、バリ島のアマンダリ・リゾート、京都南禅寺無鄰庵・小川治兵衛の庭、八ヶ岳にある造園家中谷耿一郎の庭、英国ヘリガンの庭、日光東照宮、昭和記念公園、高千穂夜神楽などなど、美しい写真やスケッチと共に多種多彩な庭や公園が紹介されている。スケッチは奥さまが描いたもの。

 白石氏の職業である「庭園都市計画家」というのは広がりのあるいい言葉だと思う。都市計画家でもなく、造園家でもなく、建築家でもない。その全てを含む感じだろうか。氏は、

(引用開始)

 二一世紀の集落は、人々に幸福を約束する「庭園」として、自覚的に構築されなければならない。

(引用終了)
<同書 40ページ>

と書く。

 以前「庭園について」の項で、「庭園は、人々の心の城郭として、都市と自然との境界に存在している」と書いたけれど、庭園都市と言うと、人が暮らす家と庭、その集合であり都市機能も併せ持つ街、街と聖なる奥山、その二つを繋ぐ農業生産中間地帯としての里山、といった集落全体を的確にイメージすることができる。「3の構造」の手法を用いて図示してみよう。
img022.jpg
 庭園都市という言葉は昔の田園都市よりも、「庭園」ということで、都市と自然の境界性、全体性を明示できるように思う(田園都市はもともとgarden cityの翻訳語)。この「庭園都市」が、そこを流れる河川を通して山岳地域から海辺まで複数繋がると、「流域」として独自の文化圏を成す(可能性が生まれる)ことになる。

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posted by 茂木賛 at 10:34 | Permalink | Comment(0) | 街づくり

日本の森 

2015年07月22日 [ 街づくり ]@sanmotegiをフォローする

 先日「自然の捉え方」の項で、『唱歌「ふるさと」の生態学』(ヤマケイ新書)という本のことを書いたが、もう一冊、同新書シリーズから最近出た『日本の森列伝』(米倉久邦著)についても併せて紹介しておきたい。前者は山と川、里山の生態学であり、後者は森と人とが織り成す物語である。まずは新聞の紹介文から。

(引用開始)

 国土の7割が森林、緯度や標高により亜寒帯から亜熱帯までの植生を持ち、多様な樹木を育てる日本の森。北海道のブナ林から西表島のマングローブの森まで、12の森の歴史や生態系を記述。山の恵みの暮らしを支える豪雪の奥会津ブナ林、国家運営と宗教に関わる歴史の色濃い比叡山の人工林…。環境保全や気候変動など今の問題も背景に説明する。

(引用終了)
<東京新聞 5/24/2015(フリガナ省略)>

 本帯の紹介文も引用しよう。

(引用開始)

 海を渡ったブナの謎、海底に沈む太古の埋没林、宗教と国家権力に翻弄された山――知れば知るほど深い日本の森。(帯表紙)
 森のインストラクターであり、元・共同通信記者でもある筆者による、森林大国・日本の12の森のルポ。北海道から沖縄まで、強烈な個性と存在感を持つ森を訪ね、生命の生存競争の奥深さ、そして人との関わりが生んだ知らざれる歴史を追う。(帯裏表紙)

(引用終了)

 本の構成は、

●北海道黒松内・北限のブナの森
―ブナ、10万年の彷徨、北から南へ、そしてまた北へ
●山形県・庄内海岸砂防林
 ―厳冬の季節風が巻き起こす砂嵐、植えては枯れる辛苦の400年
●福島県・奥会津原流域の森
 ―豪雪の山で生き抜く人と植物たちのしたたかな知恵
●新潟佐渡島・新潟大学演習林
 ―冬の豪雪と夏の霧、離島が育んだ知らざれる神秘の森
●富山県立山・稜線を覆うタテヤマスギの森
 ―屋久島をはるかの凌ぐ巨大スギ群、謎に満ちた生態
●富山県・魚津洞杉の森
 ―埋没林が語る巨木伝説、太古の森はなぜ海底に沈んだのか
●長野県松本市・上高地の森
 ―標高1500mの稀有な空間に秘められた300年伐採の歴史
●静岡県伊豆半島・天城山の森
 ―フィリッピン沖プレートが運んできた大地
●滋賀県・比叡山延暦寺の森
 ―宗教と国家権力に翻弄されながらいまに続く森
●奈良県・春日山原始林
 ―神鹿降臨に始まる神の山は、シカの食害で衰退の危機
●紀伊半島・大台ヶ原の森
 ―南限のトウヒ白骨林が教えてくれるのは、人災か自然現象か
●沖縄県西表島・マングローブの森
 ―汽水線に生きる不思議の樹木たち

となっている。これをみてお分かりのように、それぞれの森の生態が魅力的な話題と共に目の前に広がる愉しい本だ。本文(まえがき)からも引用したい。

(引用開始)

 日本列島は南北に長い。北海道から沖縄まで、大まかにいってざっと3000kmにも及ぶ。北の北海道は亜寒帯、東北は冷温帯、南にいくについれて温暖帯へと代わり、沖縄の南端は亜熱帯のはずれになる。しかも、日本の国土は約7割が森林に覆われている。世界でもトップクラスの森林国である。気候の違いは、その土地に生育する森林の違いをもたらす。日本列島の位置と地形が、世界のどこにも見られないような多様な森を育んでいる。北から南まで個性のある森にあふれている。
 そうと知れば、行かずばなるまい。視点をひとつ、付け加えた。「人」である。日本の森の60%は天然の森だ。だが、いわゆる「手付かずの森」というのは、ほとんどない。太古の昔から、日本人は森と暮らし、森の恩恵を受けて命をつないできた。時には森から奪い、森を破壊してきた。人は森にどうかかわってきたのか。それを知らなければ、日本の森を知ることにはならない。そう思うのは、ジャーナリストの性のせいだろう。

(引用終了)
<同書 4ページ>

 この本の後半、奈良県・春日山原始林や紀伊半島・大台ヶ原の森のところで、最近増えてきた鹿による被害の話が出てくる。人はどこまで自然に関与し、管理すべきなのかということなのだが、確かに難しい課題だ。最近の新聞に白神山地でも鹿の目撃情報が急増しているとあった(東京新聞夕刊 6/29/2015)。

 5月に施行された改正鳥獣保護法も読んでみたが、こういう場合必要なのは、まず、地域の人々がその森をどのようにしたいのか、そこで何を達成したいのか、という「理念と目的」を書き出してみることだと思う。生態系のバランスが大事なのか、あるがままに任せ変化を受入れるのが良いのか。その土地の山岳信仰との関係や里山システム、流域価値、観光資源としての活用、産業用、防風林や砂防林として、津波対策用、学術研究のため、住民の憩いの場としてなどなど。重複する場合は優先順位付けや区分けを行なう。ただなんとなくではいずれ腰砕けになってしまうだろう。

 複眼主義では、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
B Process Technology−日本語的発想−環境中心

という対比のバランスを重視している。管理という側面ではA側の「Resource Planning」、つまり資源の最適化を図る力が求められる。今の日本(語)人はこちら側が弱い。だから、理念として生態系のバランスの方が大事だと決めても、狩猟のためのResource(知識や情報、人や道具、流通網など)が不足して、対応が後手後手になってしまう、あるいはやり過ぎてしまう可能性もある。この点にも留意すべきだと思う。

 先日青森の奥入瀬へ旅行した際、白神山地の方も少し歩いてきた。鹿には出会わなかったけれど。これからも読書や体験を通して、森林についての解像度(理解度)を高めて行きたい。

尚、森についてはこれまで、

牡蠣の見上げる森
森の本
森ガール
里山と鎮守の森

などを書いた。併せてお読みいただければと思う。

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posted by 茂木賛 at 12:37 | Permalink | Comment(0) | 街づくり

日本海側の魅力

2015年07月14日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 先日青森の奥入瀬へ旅行したついでに、津軽まで足を伸ばしてその先の日本海を見てきた。今回は日本海側について書いてみたい。

 最近日本海や日本海側について書いた本が多い。北陸新幹線開通の影響かもしれないが、それ以上に、モノコト・シフトの時代、人々の関心が大量生産時代に発展した太平洋側から、発展の遅れた日本海側へ向いてきているせいではないだろうか。

 モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。

 発展が遅れると(それでもなんとか持ちこたえていると)一周遅れで時代の先端に立つことがある。日本海側もその一例に違いない。こちら側にはまだ自然が多く残されている。

 日本海や日本海側について書かれた本のうち目に留まったものをざっと挙げるだけで、

『裏が、幸せ。』酒井順子著(小学館、3/2/2015)
『北陸から見た日本史』読売新聞北陸支局編(洋泉社、3/5/2015)
『日本海ものがたり』中野美代子著(岩波書店、4/22/2015)

がある。単行本が出たのは少し前だが最近文庫になった『奇跡のレストラン アル・ケッチャーノ』一志治夫著(文春文庫、3/10/2015)もある。これは山形の庄内平野にあるレストランの物語だ。

 私自身、青森や秋田、北陸など、最近日本海側へ行く機会が増えた。増えたというより意図的に日本海側への旅を増やしているというべきかもしれない。まあ、京都や奈良、四国や瀬戸内海、長野や福島、北海道などへも行っているから実際の比率はそうでもないかもしれないが、気持ちの上で日本海側への旅は格別なものがある。『裏が、幸せ。』の書評を引用しよう。

(引用開始)

日本海側から価値の転回迫る

 近代日本は国民国家として統合されると同時に「表」と「裏」の分断を経験した。重工業中心の国土開発から取り残されがちだった日本海側、いわゆる裏日本は雪に閉ざされる冬の厳しさもあり、過疎化を深めた地域も多い。
 しかし、そんな日本海沿岸を旅行して現地の人々と交わり、それぞれの地に縁のある人物の生きざまや文学作品に触れた著者は、改めて「裏」の魅力に惹かれ始める。
 それは弱者に同情する「判官びいき」ではない。たとえば輪島塗の漆器には暗さの中でこそ浮かび上がる美がある。光よりも陰翳を味わおうとするその感性は、輝かしい未来を無邪気に夢見た経済成長を終え、限りある条件の中での成熟を目指すことにあるこれからの日本に必要なものだろうと著者は指適する。
 折しも北陸新幹線開通とタイミングが一致。親しみやすい文体も相まって観光指南書として楽しく読めるが、実は価値観の本質的な転回を迫る野心的な一冊でもある。武田徹(評論家)

(引用終了)
<朝日新聞 4/12/2015(フリガナ省略)>

本の帯には、<これからの日本で輝くのは「控えめだけれど、豊かで強靭な」日本海側です。>とある。開発が遅れた日本海側は起業チャンスとして、将来有望だと思う。

 この本でも紹介されているけれど、雑誌『自遊人』の編集部は、新潟にある(東京から新潟に移した)という。このブログでは「心ここに在らずの大人たち」「フルサトをつくる若者たち」「限界集落は将来有望」「高度成長という幻想」などの項で、これからは「地方の時代」だと述べてきた。雑誌『ソトコト』が最近「地方で起業するローカルベンチャー」という特集を組んだ(7/2015号)のもその表れだろう。中でも「日本海側」は、これから発展が期待されるユーラシア大陸への玄関口でもある。だからそれを視野に入れた発想のビジネスも展開できる。

 私にとって日本海側への旅が格別な理由がもう一つある。それは古代史に関わる関心事で、日本列島への文化の流入ルートとしていわゆる「時計回り」、シベリアから北海道をへて東北、北陸へと伝わった筈のヒトとモノのトレースに興味を持っている。今回青森では三内丸山遺跡も見てきた。

 ビジネス的な関心と古代史的な興味、それがあるからこれからも日本海側への旅を続けようと思う。尚、金沢のことは「金沢の魅力」の項をどうぞお読み下さい。

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posted by 茂木賛 at 13:20 | Permalink | Comment(0) | 起業論

英国の歴史

2015年07月07日 [ 公と私論 ]@sanmotegiをフォローする

 福田恒存の『私の英国史』が中公文庫から復刻されたので、この春じっくりと読んだ。単行本は1980年に出たとあるから35年ぶりのこと、端正な旧仮名の文章は読みやすく、内容は重厚だが分りやすい。カバー裏表紙の紹介文には、

(引用開始)

ノルマン人征服から、チャールズ一世の処刑(清教徒革命)まで。美徳と悪徳、利己心と虚栄心、愚行と蛮行……、史劇さながらに展開する歴代国王の事績を、公正な眼差しで叙述した、シェイクスピア翻訳者・福田恒存が書きたかった英国史。ジョン・バートン編「空しき王冠」(福田逸・訳)を併録。
解説・浜崎洋介

(引用終了)

とあり、本の帯には<現代日本のために……「反省の鑑(かがみ)」としての英国史>とあった。

 ノルマン人征服からプランタジネット朝、テューダー朝からステュアート朝に至る歴史の中で、立憲君主制がどのようにして成立し維持されてきたのか、本の帯にあるように、同じ体制を標榜する日本国との違いについて考えさせられる。反省の鑑は立憲君主制のことだけに限らない。以前「nationとstate」や「ヒト・モノ・カネの複合統治」の項で21世紀の国家(state)のあり方について論じたが、United Kingdomという連邦国家は複合社会であり、その歴史と今を深く知ることは、これからの日本列島の統治そのものを論じる上で大いに参考になる筈だ。同じ島国という類似性もある。本書の「あとがき」から引用したい。

(引用開始)

 私は本文の中で、「英国史の基調音」といふ言葉を用ゐたが、それは宗教的には英国国教会といふ鵺的なものを生み、道徳的には愛国心と利己心との妥協によって、個人の自由を確保し、政治的には中央集権的指導力(統治する技術)と民主主義(統治される或は統治させる技術)とを融合させ、心情的には国家主義と国際主義とを両立させる事によつて、ヨーロッパのどの国よりも先に近代国家として出発した事を意味する。随つて「私の英国史」は「英国の為の英国史」ではなく、「現代日本の為の英国史」といふ意味でもある。正直に言つて、私は過去の英国の歴史に対して飽くまで忠実であらうと努めながらも、現代の日本にとつてこれほど格好な反省の鑑はあるまいと思ふ箇処が随所にあり、さう書き添へたい誘惑に駆られる事が屢々であった。福沢諭吉に倣つて新「西洋事情」英国篇の積りだと言つたら、その厚顔無恥を嗤はれるであらうか。

(引用終了)
<同書 367ページより。フリガナ省略>

 ご存知のようにこのブログでは「複眼主義」と称して、

A 主格中心−所有原理−男性性−英語的発想
B 環境中心−関係原理−女性性−日本語的発想

という対比を論じているが、政治体制の背景には当然言葉がある。百年戦争(フランスとの戦い)や薔薇戦争(ランカスター家とヨーク家の争い)、英国国教会設立などの詳しい背景を知ることは、英語の来歴を考える上でも重要だ。

 読むきっかけを与えてくれた新聞の紹介文も引用しておこう。

(引用開始)

アングロサクソン人定住から百年戦争などをへて、清教徒革命のチャールズ一世処刑まで、歴代国王の盛衰や波乱が史劇のごとく展開する英国史。シェークスピア翻訳の泰斗でもある保守派の論客が、民主主義を標榜する戦後日本にとり<反省の鑑>とすべき点は多いとの思いを込めて執筆。バートン編「空しき王冠」を併録。

(引用終了)
<東京新聞 4/5/2015(フリガナ省略)>

この名著を復刻した中公文庫の編集部と、協力したご子息の福田逸氏に感謝したい。

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posted by 茂木賛 at 14:41 | Permalink | Comment(0) | 公と私論

山岳信仰

2015年07月01日 [ 街づくり ]@sanmotegiをフォローする

 前回「自然の捉え方」の項で、日本人は、自然と対峙するのではなく、手入れをしながら共生する道を選んできたことを論じたが、生き方の背景にある信仰もまた、日本人の場合、自然崇拝という形をとる。日本列島は国土の七割から八割を山が占める。だから日本の自然崇拝は、山岳信仰と重なる。最近この山岳信仰について、『山岳信仰』鈴木正崇著(中公新書)という題名もそのものずばりの本が出たので紹介しておきたい。本のカバー裏の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

 出羽三山、大峰山、英彦山の三大霊場をはじめ、富士山、死者の魂が赴く立山と恐山、御座の木曽御嶽山、鎖禅定の石鎚山――。個性豊な山々に恵まれた日本人の精神文化の根底には、山への畏敬の念が息づく。本書は山岳信仰の歴史をたどりつつ、修験道の成立と展開、登拝の民衆化と女人禁制を解説。さらに八つの霊山の信仰と祭祀、神仏分離後の状況までを精解する。長年、山岳修験研究に携わってきた著者による決定版。

(引用終了)
<フリガナは省略>

副題に「日本文化の根底を探る」とあるが、この本は日本人の山岳信仰の歴史としきたりを詳細に記録した労作だ。新聞の紹介文も二つ載せておこう。

(引用開始)

 山は日本の風土と日本人の生活の根源をなすとともに、畏怖心から信仰の対象ともなった。山岳で修行した者が霊力をつけ里人を救う修験道はそんな自然を背景に生まれた。出羽三山、大峰山、富士山、恐山、御嶽山など八つの霊山を取り上げ、山岳信仰の歴史や、巫女や即身仏、講や曼荼羅など信仰の諸相を紹介し、山をめぐる想像力のありようを探る。<東京新聞 4/26/2015>

 副題<日本文化の根底を探る>。古代の他界観や近世の死者供養のありようを反映する山岳信仰は、民衆世界と深いつながりを持ってきた。明治維新の神仏分離で断絶した修験道も、現在は各地で復興が続いている。出羽三山、大峰山、英彦山、富士山、木曽御嶽山など八つの霊山をとりあげて、伝承と歴史を概説する。<朝日新聞 5/3/2015>

(引用終了)
<フリガナは省略>

 著者の言葉も一部引用しておきたい。

(引用開始)

 日本では超越的な神観念は風土になじまず、複雑な教理や煩瑣な哲学は発達しなかった。つねに体験知の具体的な世界を通して、見えない世界との交流が図られ想像力を飛翔させた。その中でも身近な山が重要な役割を果たしてきた。その根底にあるのは「山川草木すべてものいう」の世界であり、あらゆるものがいのちや霊魂を持つという認識である。宗教学者はこれをアニミズム(animism)と呼んできた。しかし、西欧由来の狭い学問定義では、日本の長い歴史の中で生成されてきた融合と混淆の複雑性は捉えきれない。

(引用終了)
<同書 9ページ(フリガナ省略)>

日本列島の男性性思考が、抽象的な高みに飛翔し続けるよりも具体的な場所性を帯びることは、先日『百花深処』<修験道について>の項で敷衍したばかり。こちらも併せてお読みいただきたい。

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posted by 茂木賛 at 13:14 | Permalink | Comment(0) | 街づくり

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