去年の暮れから今年の春にかけて、河出書房新社から民俗学者吉野裕子の本が入手しやすい形で二冊出版された。
『隠された神々』吉野裕子著(河出文庫・2014年11月)
『日本人の死生観』吉野裕子著(河出文庫・2015年3月)
がそれだ。まず、内容について文庫カバー裏表紙の紹介文を転載しよう。
(引用開始)
『隠された神々』
日本の信仰は、古代より太陽の運行にもとづき、神の去来を東西軸上に想定していた。だが白鳳期になり、星の信仰である中国の陰陽五行が渡来すると、神への信仰は、南北軸にとって変られる。“隠された神々”の秘密を探りながら、日本宗教の大きな変化に迫る、吉野民俗学の代表作。 解説=安田喜憲
『日本人の死生観』
古代日本人は、木や山を蛇に見立てて神とした。そして、人の生誕は蛇から人への変身であり、死は人から蛇への変身であった……神道の底流をなす蛇信仰の核心へと迫り、日本の神イメージを一新。“吉野民俗学”への最良の入門書となる名著! 解説=井上聰
(引用終了)
吉野民俗学は、様々な事例をもとに、日本の古代信仰が「母なる自然(母胎)」を中心とした同心円的世界観を持っていたことを指適する。しかし、その研究は長い間日本の学会においてまともに取り扱われなかったらしい。その辺の事情について『隠された神々』の解説(国際日本文化研究センター名誉教授安田喜憲氏)から引用したい。
(引用開始)
女民俗学の確立
だが多くの民俗祭祀は豊穣の祭りごとである。豊穣の儀礼は性の営みであり、そこでは生命を誕生させる女性がもっとも大きな役割を果たしたはずである。しかも、ながらく稲作漁撈文明の母権性の伝統のもとにあった日本においては、民俗の祭祀は女性原理と密接不可分にかかわっていた。そこには、女性の感覚でしか理解できないものが、山のように隠されているのである。
にもかかわらず、明治以降の欧米のキリスト教の父権主義のもとに育った近代民俗学を導入することにやっきになった日本の学会では、そうした女性の視点をまったく軽視した。民俗学の中から女性の性や妖艶さを取り除くことが科学的であるとさえ考えていた。柳田国男や折口信夫の民俗学は男の民俗学であり、女の世界を欠如していた。
しかし、日本文明の根幹には女性原理が深くかかわっているのである。日本文明の原点である縄文時代の土偶は、九九パーセントが妊婦である。縄文の社会は、生命を誕生させる女性中心の社会であった。つづく稲作漁撈社会も、女性中心の社会である。雲南省や貴州省に暮らす少数民族のハニ族、ミャオ族、イ族、トン族など稲作漁撈に生業の中心を置く人々は、今でも女性中心の母権制社会の伝統を強く残している(安田喜憲『稲作漁撈文明』雄山閣二〇〇九年)。日本でも平安時代までは妻問婚が一般的であり、母権性文明の伝統が強く残っていた。
こうした母権制社会の伝統に立脚した縄文と稲作漁撈の文明を強く継承する日本の民族事例を研究するには、女性からの視点、なかんずく女性の性からの視点が必要不可欠なのである。(中略)
日本の民俗学が女性の視点を取り入れ、柳田や折口の男民俗学から女民俗学が確立された時に、はじめて、日本民族学の真我、日本文明のエートスが理解されることになるのであろう。
(引用終了)
<同書 233−235ページより>
吉野民俗学の指適は、複眼主義でいう日本人の「自然に偏した意識構造」と整合する。それともう一つ、『隠された神々』において興味深いのは、文庫カバー裏表紙の紹介文にもある東西軸と南北軸の議論だ。新聞の本書紹介文も引用しよう。
(引用開始)
中国から渡来した陰陽五行説と星辰信仰が古代日本に与えた影響を論じ、独自の境地を切り拓いた民俗研究家の代表作。近江遷都や高松塚古墳に方位や占星術によるアニミズム的な呪術がこめられていること、天照大神(太陽神)の裏には太一(北極星の神)が隠されていることなどを鮮やかに示し、今なお異彩を放つ。
(引用終了)
<東京新聞12/21/2014(フリガナ省略)>
安田喜憲氏は、この東西軸と南北軸について、日本では前者から後者に完全に置き換わった訳ではないことを強調する。そこには日本独特の「習合」という作用があったという。安田氏の『隠された神々』解説文から再度引用したい。
(引用開始)
本書で吉野先生はまず「古代日本の文明原理には、太陽の運行から類推された東西軸を神聖視する思考があった」ことを指摘される。(中略)ところがこの古代日本の東西軸に、七世紀に百済を経由して中国大陸から伝来した陰陽五行の南北軸が追加される。(中略)
こうした東西軸から南北軸への世界観の転換は畑作牧畜民(安田喜憲 前掲書)の中国の黄河文明のみでなく、エジプト文明においてもはっきりと認められる。これら畑作牧畜民の地域では、太陽信仰が星の信仰に完全に置き換わる。ところが稲作漁撈民の古代日本においては、陰陽五行の南北軸の星への信仰は、絶対的な太陽信仰の東西軸にとって代るほどの力はなかった。太陽信仰が星の信仰に完全に置き換わることはなかったのである。古代日本においては、新たに伝来した陰陽五行の星の信仰は、在来の太陽信仰に習合されたのである。
ここにこそ日本文化の特色が語られている。日本文化の特色は新たにやって来たものが、これまであったもの全てを飲み尽くすというのではなく、在来のものが新たにやって来たものを受け入れ習合する。「これこそが日本を日本たらしめている力なのである」と本著は語っているように私は思う。
(引用終了)
<同書 235−237ページより>
日本の古代信仰は、その「習合」の力によって、その後も外来の様々な思想や宗教、仏教、儒教やキリスト教などをその懐に取り込んでいく。文字も漢字を取り込んでひらがなやカタカナが作られた。『隠された神々』で著者は、この習合力の背景となったであろう、日本人の「見立て」や「擬(もど)き」といった連想的具象化能力を挙げる。
(引用開始)
古代日本人は他の民族に劣らず、想像力が豊な民俗であったがこの古代日本人がつくり出した文化の型の特徴を一つあげるとすれば、私は「見立て」をあげたい。
ここにいう「見立て」とは何か。日本舞踊を例に取るならば、一本の舞扇はあるいは傘に、あるいは酒器に、筆に、短冊に、手鏡にと見立てられ、その扱い方によっては扇はさらに雨、落花、流水をあらわし、また抽象的な事象をさえ表現する。これがいわゆる「見立て」であるが、日本舞踊におけるこの扇のように、一物で多様の役割を果たしているものは、おそらく世界じゅうどこにもない。(中略)
古代日本人は抽象的な思惟を苦手とし、物ごとを理解しようとする時、それを何かに擬(なぞ)らえ、それからの連想によって捉(とら)えようとした人々だったと思う。つまり、「擬(もど)き好き」「連想好き」であって、それが日本人の原初的心情なのである。
「見立て」の背後に潜むものは、この心情であって、この傾向が神話・進行・世界像を創造し、神事、祭りの形態を定め、神事から諸種の芸能へと発展させてきたのである。
(引用終了)
<同書 12−13ページ>
習合力こそ「日本を日本たらしめている力」だとする吉野民俗学の指適は面白い。これをヒントにして日本の歴史をさらに探ってみたい。