夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


進化論と進歩史観

2015年03月31日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 私は生物学者ではないが「進化論」には特別な関心を持っている。20世紀の半ばにワトソンとクリックがDNAの二重らせん構造を発見して以降、進化はDNAという“モノ”によって齎されるという還元主義的な考え方が支配的であったが、21世紀の初めにヒトのDNA配列の全てが解析されてなお進化の全てが分らないという事実を前にして、人は進化には“モノ”以外のさまざまな“コト”の関与が欠かせないことに気付き始めた。

 『「進化論」を書き換える』池田清彦著(新潮文庫)という本は、その“コト”を受入れる身体側の仕組みを「形態形成システム」と呼び、進化学の最前線を分りやすく説明してくれる。カバー裏表紙にある紹介文を引用しよう。

(引用開始)

ダーウィン以来の、突然異変や自然選択に基づく進化論は、蛾の翅の色や鳥のくちばしの大小の違いなど、小さな変化しかカバーできず、種を超えた大進化を説明できない―――。伝統的な進化論の盲点と限界を示し、著者が年来の主張とする「形態形成システムの変更」に生物進化の核心をみる画期的論考。信仰と化した学問上の通説に正面から切り込み、科学的認識の大転換を迫る。

(引用終了)

 生物学における「進化」は価値ニュートラルな概念といわれるが、多くの人の意識の底には「進化」=「進歩」という西洋の進歩史観が潜んでいて、進化がDNAという“モノ”によって齎されるという考えは、社会の「進歩」も“モノ”が潤沢に流通することによって起る、という物質主義的な思想を支えてきたと思う。

 このブログでは、21世紀はモノコト・シフトの時代だと述べている。モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。進化が「形態形成システムの変更」によって齎されるという知見は、この新しいパラダイムを支える柱の一つとなるであろう。

 進化論の書き換えによって、「進化」=「進歩」という進歩史観も変るのだろうか。これはなかなか微妙な問題だ。分子生物学の最前線では、むしろDNAを取り巻く環境までをもコントロールして新薬を作り、より良い社会のために役立てようとする動きも盛んだ。

 少し考えれば、コントロール出来たと思った環境はすぐにまた変化するから、そういう努力は新薬と環境変化のいたちごっこにならざるを得ないことは自明だが、進歩史観の下では、これからも巨額をかけてそういう開発が続けられるだろう。

 進歩史観の基にあるもう一つの考えは、過去から未来へ向かって一定速度で進む「統一時間」が宇宙を律していて歴史は滔々とその流れに沿って動くとする時間論で、この考えが効率を是とする資本主義思想を支えてきた。今の社会では、新薬や新食品の開発は時に高額な利益を生み出す。

 進化論とともに時間論が新しく書き換えられてはじめて、科学的認識の大転換は完成するのだと思うがいかがだろう。

 それまで、進歩史観の影響下にある人々の間では、後ろ向きな気持ちで“コト”に浸ろうとする動きと、強大なコンピュータを駆使してでも“コト”を凍結しより効率のよい“モノ”を作ろうとする動きとが、混在する形で進むと思われる。

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高度成長という幻想

2015年03月24日 [ 公と私論 ]@sanmotegiをフォローする

 これからの日本のあるべき姿や将来展望を、ここまで、政治・政策の視点から(「地方の時代 III」)、識者の対談から(「心ここに在らずの大人たち」)、体験的エッセイとして(「フルサトをつくる若者たち」)、さらに小説を通じて(「限界集落は将来有望」)見てきたわけだが、それを、経済を通して考えるのが『脱・成長神話』武田春人著(朝日新書)という本である。副題に「歴史から見た日本経済のゆくえ」とある。まず新聞の書評を紹介しよう。

(引用開始)

量より質で広がる選択肢

 「成長の限界」とか「脱成長」という言葉が使われ始めてから久しいが、新聞や雑誌には相変わらずいまのデフレから脱却し、いかにして成長復活への道を探るべきかという論説があちこちに見られる。現政権が「アベノミクス」の三本の矢のひとつに「成長戦略」を掲げていることからもわかるように、かつての高度成長の記憶はいまだに私たちの思考法を支配しているかのようだ。だが著者は、歴史家の立場から資本主義経済三百年の歴史を振り返り、永続的な高度成長などは一時的な現象に過ぎない、と説得力をもって論じている。
 成長なしでは私たちの生活が豊にならないのではないか、という反論がある。しかし、経済成長至上主義の呪縛から解き放たれると、「多様な選択肢の可能性」が見えてくる。所得や消費の「量」が大きければよいと考えるのではなく、例えば自発的なワークシェアによって「働き手」の選択の幅が広がり、過剰消費を避けながらも労働生産性が上昇し、労働時間の削減や生活の「質」が向上することは十分に可能であるという。
 本書によれば、もともと、日本語の「はたらく」という言葉は、「傍(はた)」を「楽(らく)にする」という意味とする考え方があり、自分のためだけに長時間仕事をするのではなく、村などの共同体のために汗を流すことを指す言葉だったという。著者は、「労働=苦役」という経済学の労働観から自由になれば、社会的責任を果たしながら生き生きとした仕事もできるようになり、活力が失われることはないと主張している。
 J・S・ミルが『経済学原論』のなかで、「定常状態」における人間的・精神的な進歩について語ったのは十九世紀の半ばだったが、「環境と資源の制約」が本当に意味で深刻になった現代、ようやく「成長神話」からの脱却の準備ができたのかもしれない。本書は、その意味を多方面から考えるよい機会を提供してくれるだろう。

(引用終了)

<東京新聞 2/22/2014>

 このブログでは、21世紀はモノコト・シフトの時代だと述べている。モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。このブログではまた、経済というものを、自然の諸々の循環を含め人間を養う社会の根本理念・摂理(人間集団の存在システムそのもの)とし、その全体を三つの層で捉えている。

「コト経済」

a: 生命の営みそのもの
b: それ以外、人と外部との相互作用全般

「モノ経済」

a: 生活必需品
b: それ以外、商品の交通全般

「マネー経済」

a: 社会にモノを循環させる潤滑剤
b: 利潤を生み出す会計システム

という三層で、モノコト・シフトの時代においては、経済の各層において、a領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力が高まると共に、特に「コト経済」(a、b両領域含めて)に対する親近感が強くなってくるだろうと予測している。

 経済というものを、「コト経済」「モノ経済」「マネー経済」という三層の集合体としてみれば、永続的な高度成長という概念は、「マネー経済」のb領域においてのみ成立することがわかる。他の領域では、需要と供給はバランスが取れれば均衡するのだ。資本主義経済が成立してから300年、持続的高度成長などというものが一時的な現象であったという本書の主張は最もなものだと思う。

 地球の限られた資源を、どのように有効活用し人々の生活を安定させるか、安定した生活のなかから生まれる多様な文化をまたどのように社会にフィードバックして生活に活用するか、ということが政策として問われているのであって、「マネー経済」のb領域だけを見てそれを決めようというのはまったく馬鹿げた話なのだ。

 「地方の時代 III」の項で紹介した「ミニマ・ヤポニア―日本を)」で田中康夫氏も、「小日本主義」「量から質へ」という言葉によって成長神話からの脱却を主張している。田中氏は『33年後のなんとなく、クリスタル』でも、敢て小説の最後に50年後にも一億人程度を保つという日本政府の人口予測を載せ、その成長神話に基づく間違った政策を批判している。

 以前「国家理念の実現」の項で、高齢化、少子化をいち早く迎えた今の日本は、モノコト・シフトの最先端を走っていると書いたけれど、この本『脱・成長神話』にも、

(引用開始)

 「ゼロ成長」を受入れることができると、1990年代から四半世紀に及ぶ日本の「経済停滞」も違った風景に見えてきます。日本の現状は、先進国がいずれも歩まねばならない「ゼロ成長」の先駆けとなる時代として見えてくるからです。つまり、日本は先進国経済の最先端に位置しているのです。

(引用終了)
<同書 216ページ>

という文章がある。最先端にいる我々がこれからどう進むか、それが、後に続く世界全体のこれからを決めるといっても言い過ぎではないと思う。

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限界集落は将来有望

2015年03月17日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 ここまで、前々回の「心ここに在らずの大人たち」や前回「フルサトをつくる若者たち」の項で、限界集落に近い田舎に拠点を構え、「生きる」と「楽しむ」を自給するのは、モノコト・シフト時代の確かな暮らし方でありそこにスモールビジネスの活躍の場も大いにある筈だ、と述べてきたが、その主張を小説の形で表現したものが、『限界集落株式会社』黒野信一著(小学館文庫)とその続編『脱・限界集落株式会社』同著(小学館)という二冊の本だ。前者『限界集落株式会社』は最近TVドラマ化されたから知っている人もおられると思う。内容について、本のカバーや帯にある文章を紹介しよう。 

(引用開始)

 起業のためにIT企業を辞職した多岐川優が、人生の休息で訪れた故郷は、限界集落と言われる過疎・高齢化のため社会的な共同生活の維持が困難な土地だった。優は、村の人たちと交流するうちに、集落の農業経営を担うことになった。現代の農業や地方集落が抱える様々な課題、抵抗と格闘し、限界集落を再生しようとするのだが……。
 集落の消滅を憂う老人達、零細農業の父親と娘、田舎に逃げてきた若者。かつての負け組みが立ち上がる!過疎・高齢化・雇用問題・食糧自給率、日本に山積する社会不安を一掃する逆転満塁ホームランの地域活性エンタテインメント。(『限界集落株式会社』カバー裏表紙)

 東京から来た多岐川優の活躍で、消滅の危機を脱した止村。あれから4年――。駅前のシャッター通り商店街、再開発か、現状維持か!?優との行き違いから家を出ていた美穂は、劣勢側の駅前商店街保存に奮闘するが……。地方が直面する問題に切り込む、地域活性エンタテインメント!人口減少社会の希望がここにある!!(『脱・限界集落株式会社』帯裏表紙)

(引用終了)

 『限界集落株式会社』は農業による地域の活性化であり、『脱・限界集落株式会社』は駅前商店街再生による地域の活性化だ。どちらも小説ではあるけれど、現実的で、起業を目指す人にとっていろいろと参考になると思う。

 ストーリーは本を読んでのお楽しみとして、ここでは『限界集落株式会社』の解説から、「フルサトをつくる若者たち」の項でも述べたマネー経済について書かれた部分を引用しておこう。

(引用開始)

 本書を読み進めていくと頭に浮かぶ疑問がる。
 はたして人が生きていくうえで必要なのはお金だろうか、それとも水や食糧だろうか。いわゆるマネー資本主義とよばれる思想が、いつの頃からか隆盛を極めるようになった。自分の存在価値は稼いだお金の額で決まると、大なり小なり皆が思っている。それどころか、他人の価値までをも、稼いだ金の多寡で判断しようとしてはいないだろうか。
 本来は、必要な何かと交換するための手段であったはずの通貨が、それ自体を集めることが目的化してしまう矛盾。
 いくら人里離れた農村といえども、現代社会においてはマネー経済と無縁ではいられない。それは「限界集落」と「株式会社」という一見相反するような、前近代と近代との融合を感じさせるタイトルにも表れているのだろう。

(引用終了)
<同書466ページ>

こういった問題提起を含みながら、多岐川優と美穂を中心とした個性あるれる面々の愉快な物語が展開していくわけだ。本とTVドラマとではストーリーが少し違っているようだから、ドラマだけ見た人は本も読むことをお勧めする。

 これからの日本のあるべき姿や将来展望を、ここまで、政治・政策の視点から(「地方の時代 III」)、識者の対談から(「心ここに在らずの大人たち」)、体験的エッセイとして(「フルサトをつくる若者たち」)追いかけてきたわけだが、こうしたエンタテインメント小説を通して考えるのも面白い。

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posted by 茂木賛 at 13:03 | Permalink | Comment(0) | 起業論

フルサトをつくる若者たち

2015年03月10日 [ 街づくり ]@sanmotegiをフォローする

 前回「心ここに在らずの大人たち」の項で、養老孟司氏と隈研吾氏の『日本人はどう死ぬべきか?』という本を引用したけれど、その隈研吾氏が、『フルサトをつくる』伊藤洋志×pha(ファ)共著(東京書籍)という「心ここに在る若者たち」の本を新聞で紹介している。まずはその新聞書評を引用しよう。

(引用開始)

 参勤交代を復活すべきだというのが、養老孟司の説である。都市と地方の格差解消策、過疎地対策として有効なことはわかるが、現実的に無理だろうと思っていた。
 しかしこの本を読んで、参勤交代は復活できると確信した。しかも、上からの強制によらず、各自が勝手に、自分たちの変える場所を見つけ、それを自分のフルサトとして再定義することができれば、結果としてそれが現代の参勤交代となり、日本を救うかもしれないのである。
 2人のニート、ギーグ(オタク)っぽくてゆるめな若者の主張が説得力を持つのは、2人が縁もゆかりもなかった熊野という場所に通って、新しいフルサトつくりを実践し、それなりの成果を獲得し、かなり充実した感じで実際に「交代」しているからである。
 2人がフルサトつくりに成功したのは、骨を埋めようという面倒臭いことは考えず、可能な限り軽くて、気楽に場所をエンジョイし、友達を作ったからである。都市の再生に用いられるシェアハウス、シェアオフィスという新しい概念も、彼らは地方でこそ有効だと考えて、実践した。
 まず2人は熊野が好きになって通いはじめた。その「通う」感じがまさに参勤交代で、「通う」距離感が、地域と東京との新しい関係性を作り、おかみに頼らず、補助金にも大資本にも依存しない、地域のお気軽な活性化の鍵となる。移動によって、シェアによって「小さなお金を」生み出す具体的秘策ももりだくさんである。「小さなお金」で満足できれば、フルサトは誰でもつくり出せる。
 これは定住とも遊牧とも異なる第3の道である。読み終わって、日本人にはそもそも、こんな軽いフルサトが似合っていたような気がしてきた。日本人は縄文の頃から、採集生活が得意で、物を拾い集めて場所を渡り歩くような、軽やかな生き方をしてきたのだから。

(引用終了)
<朝日新聞 7/13/2014>

本のサブタイトルは「帰れば食うに困らない場所を持つ暮らし方」、本の帯(表紙)には、

(引用開始)

「ふるさと」は、自分でつくってもいい。
暮らしの拠点は1箇所でなくてもいい。都会か田舎か、定住か移住かという二者択一を越えて、「当たり前」を生きられるもう一つの本拠地、“フルサト”をつくろう!多拠点居住で、「生きる」、「楽しむ」を自給する暮らし方の実践レポート。

(引用終了)

とある。

 このブログでは、経済というものを、自然の諸々の循環を含め人間を養う社会の根本理念・摂理として捉え、その全体をマネー経済、モノ経済、コト経済の三層に分けて考えている。「経済の三層構造」で述べたことだが、

「コト経済」

a: 生命の営みそのもの
b: それ以外、人と外部との相互作用全般

「モノ経済」

a: 生活必需品
b: それ以外、商品の交通全般

「マネー経済」

a: 社会にモノを循環させる潤滑剤
b: 利潤を生み出す会計システム

ということで、モノコト・シフトの時代においては、経済の各層において、a領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力が高まると共に、特に「コト経済」(a、b両領域含めて)に対する親近感が強くなってくるだろうと予測している。

 この本にある、フルサトをつくる、食うに困らない場所をつくる、小さなお金を生み出す、多拠点居住を目指す、「生きる」と「楽しむ」を自給する、といったことは、まさにa領域の経済、さらには「コト経済」を最大限に起動させようということに他ならない。本書から引用しよう。

(引用開始)

 ここで考えたいのは「経済とはマネーの交換だけじゃない、とにかく何かが交換されればそれは経済が生まれたと言ってもよいのではないか」ということだ。交換が活発であれば人は他人同士がうまくやっていける状況ができている、これが大事だろうと思う。地域経済活性化を「お金を落としてもらう」とか、そういう意識で捉えている人は、はっきり言ってズレている。「交換を活性化させる、それが経済の活性化」と定義しなおすと、いろいろやるべきことがはっきりする。

(引用終了)
<同書 159ページ>

限界集落に近い田舎に第二の生活拠点を構え、「生きる」と「楽しむ」を自給すること、それはこれからの確かな生き方の一つであり、そこにスモールビジネスの活躍の場も大いにある筈だ。

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心ここに在らずの大人たち

2015年03月03日 [ 街づくり ]@sanmotegiをフォローする

 『日本人はどう死ぬべきか?』養老孟司×隈研吾共著(日経BP社)という本に、地方の限界集落について次のような面白い指適があった。

(引用開始)

年寄りのいない田舎がフロンティア

養老 今、都道府県でいうと、大阪と広島の人口構成が二十年前の鳥取県と同じなんだそうです。つまり、都市部で高齢化が進んでいるとということなんですけどね。
 そうなんですか。それはあまり知られていないことですね。大阪でそこまで高齢化が進んでいるとしたら、恐るべきことです。
養老 そうはいっても何のことはないんですよ、みんなが年を取っただけの話です。鳥取は、いわば先進県だったということですよ。
 二十年前にすでに現在の状況を先取りしていたわけですね。
養老 じゃあ今どき人口構成がちゃんとしているところはどういう場所か?日本総合研究所の藻谷浩介さんがそいうったことを日本中で調べているんですが、大阪のような都市ではなくて、なんと「田舎の田舎」なんです。うんと田舎になると、二〜三組の夫婦が子供二〜三人を連れて移住しただけで人口構成がちゃんとしたかたちになる、なぜかというと、そこまで田舎になるともう「年寄りがいないから」なんですね。
 究極の田舎に一番健全な人口構成が出現する。
養老 岡山なんかは限界集落が七百以上もあるというから、将来有望な場所だと僕は思っているんです。だってそれらの限界集落は、二十年以内にはほとんどなくなるということですから、地域の人口構成がいったんリセットされる。そこへ若い人が入ってきて、新たなスタートを切る。アメリカ的にいえば、日本にもやっと西部(フロンティア)ができ始めているんですね。
 養老先生のお宅がある鎌倉には、最近、若いベンチャー世代の人たちが多く移住していますよね。軽井沢に住んで仕事は東京という若い世代も増えているそうです。これからもっと田舎に移る人たちは増えていくんじゃないでしょうか。
養老 若い人たちが今、移るところは、ただの田舎じゃないんです。
 どういう田舎なんですか。
養老 つまり、年寄りのいない田舎なんです。若い人にとって、年寄りって邪魔なんですよ。だって既得権を持っているでしょ。田舎っていうのは一次産業がなければやっていけないところで、そうすると畑のいいところは全部、年寄り連中が持っている。年寄りで今、地元に残っている人たちというのは、僕らの世代から団塊の世代まででしょう。そういう人たちが既得権を持ってしまっているから、ものごとが動かない。テレビのニュース番組で農業の後継者問題なんかを取り上げると、田舎のじいさんが「後継者がいなくて……」と、こぼしているんだけど、「お前がいるからだろう」って、思わず画面に向かっていいたくなることがあるんです。
 年寄りって、いるだけで邪魔という面があるんです。今、そういうことをはっきり言わなくなっちゃったけど、とりわけ若い人にとっては、うっとうしいに決まっていますよ。

(引用終了)
<同書 20−22ページ>

 前回「地方の時代 III」の項で、県レベルには「心ここに在らず」の(greedとbureaucracyを許し続ける)大人たちがまだ大勢棲みついているようだと書いたけれど、地方でも限界集落と呼ばれるようなところは、そういう大人がいなくなって理想的な場所になりつつあるわけだ。

 勿論、世の中には「心ここに在る」大人たちもいるわけだから、彼らと若い人たちが人口の過半数を超すようになれば、その地域ではいろいろと新しいことが起り始めると思う。地域密着型のスモールビジネスは、こういったニーズを積極的に取り入れるべきだ。

 『百花深処』<雨過天青>の項で、ドナルド・キーン氏が応仁の乱後の東山文化と三島由紀夫や吉田健一などが活躍した戦後文化との類似性を述べていることを引き合いに、室町のあとは戦国・群雄割拠の時代だから、これからの日本は地域・群雄割拠の時代を向かえることになるだろうかと書いたけれど、このような地域が増えてくれば満更空絵事ではないかもしれない。ただしこれからの群雄割拠は、近代民主政治制度下で「ヒト・モノ・カネの複合統治」を目指すべきだし、個人の「精神的自立の重要性」を忘れてならないけれど。

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posted by 茂木賛 at 14:53 | Permalink | Comment(0) | 街づくり

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