前回の「新書読書法(2014)」に引き続き、単行本についても去年読んだ中で、これまでこのブログや文芸評論『百花深処』で取り上げなかったけれど印象に残ったものを幾つか紹介したい。
1.Art
『女のいない男たち』村上春樹著(文藝春秋)
六つの短編はどれも暗く救いがない。中でも「木野」が特に深い喪失を感じさせる。魂の底に下りていくような重苦しい作品。ここに出てくる男たちはみな同じ場所(喪失感に苛まれた居場所)をぐるぐると回っている感じだ。それにしてもこの作品の「女」とは一体何の象徴なのだろう、「日本」のことだろうか。しかし『33年後のなんとなく、クリスタル』田中康夫著(河出書房新社)と比べると、女子力は見えず、父性も現れず、しなやかな<公>の精神もない。暗い闇の中を延々と歩かされて辿り着く先は果たして何処なのだろう。「向き合うヤスオと逃げ回るハルキ」といったフレーズが頭に浮かぶ。『アフターダーク』(新潮文庫)の最後、ようやく明けたばかりの夜の先へ、あるいは『1Q84』(新潮文庫)の最後、天吾と青豆が手に手を取って(一つの)月を眺めるホテルの部屋からその先へ、と思うが、好意的に考えれば一番苦しい心持のときなのだろう。次作に期待したい。
2.History
『桂離宮と日光東照宮』宮元健次著(学芸出版社)
桂離宮と日光東照宮という対照的な建物は、ほぼ同じ時代、17世紀初頭に造られた。この本はまず、寛永文化サロンが両方の建築に加わったことによる様式の共通性、特にその西欧文化の影響(パースペクティブ、ビスタ、黄金分割といった建築手法)を指摘する。その上で二つの建物の対照性は、一時代における勝者と敗者、権威と虚構、北極星と月といった対立概念にあるとする。東照宮が勝者、権威、北極星であり、桂離宮が敗者、虚構、月といった差異である。先日『百花深諸』<迷宮と螺旋>の項で、求心的な鏡花の世界と、遠心的な禅の世界が日本文化を形造ってきたと書いたが、これを当て嵌めて、東照宮は権威の身体表現として絢爛な求心性を、桂離宮は敗者の精神表現として隠遁的な遠心性を求めた、と付け加えたいがいかがだろう。「時系列読書法」の項でも紹介した本だが年末このことを考えたくて再読した。
3.Natural Science
『腸・皮膚・筋肉が心の不調を治す』山口創著(さくら舎)
人の神経は、中枢神経系と抹消神経系からなり、中枢神経系には脳(大脳/脳幹/小脳)と脊髄があり、末梢神経系には体性神経(感覚神経/運動神経)と自律神経(交感神経/副交感神経)がある。複眼主義で「脳の働き」と呼んでいるのは大脳の内の進化的に新しい大脳新皮質の働きを指し、「身体の働き」と呼んでいるのは、大脳の大脳旧皮質、脳幹の働きを指している。後者は小脳、脊髄および末梢神経全体と強く結ばれているから総じて「身体の働き」と言っているわけだ。人は「脳の働き」と「身体の働き」をバランスさせながら生きている。「身体の働き」と直結する腸・皮膚・筋肉の異変は早晩「脳の働き」にも影響してくる。この本は「脳の働き」を支える身体側のケアの大切さを説く。
4.Social Science
『東京ブラックアウト』若杉冽著(講談社)
現役キャリア官僚が電力モンスター・システムと、それに蝕まれる日本の姿を描く。この本はフィクションだが、「国家理念の実現」の項で紹介した『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治著(集英社インターナショナル)の外伝的シュミレーションとして読む価値ありと思う。矢部氏のいう平成期の国家権力構造:米軍+外務・法務官僚のうち、官僚(この本では主に経済産業省の官僚たち)の生態が詳しく描かれる。ストーリーや登場人物の多くは前著『原発ホワイトアウト』若杉冽著(講談社)から引き継がれているから、そちらから先に読むとより分りやすいだろう。
5.Geography
『匠たちの名旅館』稲葉なおと著(集英社インターナショナル)
棟梁平田雅哉、建築家吉村順造、村野藤吾の三人が建てた戦後日本を代表する名旅館の数々(南紀白浜・万亭、熱海・大観荘、芦原温泉・つるや、京都・俵屋など)を、作家・写真家にして一級建築士でもある著者が(泊り込みで)訪れる。旅館やホテルのホスピタリティは人と共に、建物によっても支えられていることに改めて気付く。多く掲載された白黒写真が美しい。渡辺鎮太郎という建築家が建てた倉敷の旅館やホテルも紹介されている。去年倉敷を訪れた際、そのうちの一つ倉敷国際ホテルに泊まることができた。ロビーにある棟方志功の大きな版画が素敵だった。