夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


後継者づくり

2014年12月30日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 よく経営者の最大の仕事は適任後継者を選ぶことだというが、前回の「現場のビジネス英語“dispositions”」から引き続いて考えれば、それは会社の「理念と目的」を自らのdispositionsとして習得し得た者の中から最適任者を選ぶという話になる。

 事業経験者の中から後継者を選ぶという人がいるが、「事業(Buisness)」は「理念と目的」の下位に位置付くものであってみれば、「理念と目的」をdispositionsとして習得していない者はいくら事業に精通していても後継者にはならない。

 逆に、事業経験は全くないが「理念と目的」だけならよく理解しているという人があった場合どうするか。これは、

skills(スキル)
dispositions(資質)
responsibilities(責任)
self-assessment(自己評価)

のうち、事業運営というskillsがない場合に当る。

 少し具体的な例で考えてみよう。先日の「空き家問題をポジティブに考える」に因んで、次のようなケースを想定しよう。架空の話だからその積もりで。

「石田商店(経営者:石田肇)」:

「理念」:土地や建物の有効利用を促進し、地元社会・文化の活性化を計る
「目的」:町の空き家率を下げる

「ビジネスモデル」:

「事業」:不動産の紹介
「目標」:@町の空き家率を全国平均以下にする A通年での黒字化

(背景)石田肇は都心の大手不動産会社に勤めていたが定年退職を機に、地元で小さな不動産会社を開業した。

 さて、石田はそろそろ引退したいと考えて後継者について考え始めた。候補者は以下のとおり。

石田みどり:肇の娘。都内の美術館でキュレーターの仕事をしている。父の会社の理念には共鳴するものの、地元に帰る意思は今のところなし。

石田健:肇の息子。都内の病院で医師をしている。そろそろ地元に帰って開業したいと考えている。

石田優紀子:肇の妻。ガーデニングが趣味。夫の仕事を手伝っているので不動産の実務には詳しい。

高見賢治:石田が仕事の片腕として頼りにしている不動産業のプロ。しかし経営者タイプではない。

五反田裕太:地元へ戻ってきた若者で石田の仕事を手伝ってくれている。農業がやりたくて今研修中。

五反田沙織:裕太の妻でネックレスなどのアクセサリー作家。

 なんだか小説みたいになってきたが、この中から石田肇氏は後継者を選ぼうと思っている。実際は、他にも地元の商工会議所や前の職場の友人などにコンタクトして適任者を探すなどするのだろうが、話が長くなるのでここではこの6人の中から選ぶという設定にする。

 事業経験者の中から選ぶというのであれば、高見賢治、石田優紀子、五反田裕太ということになろう。一番の経験者は高見賢治だが、彼は実務屋で「理念と目的」をdispositionsとして習得してない。

 逆に、事業経験は全くないが「理念と目的」を理解しているということであれば、石田みどりということになる。息子の石田健も候補者ではあるが医者だからその道を歩ませた方がいいだろう。五反田裕太も候補だが、彼には農業というやりたい事がある。

 ここで石田肇は、高見を教育して「理念と目的」を自らの資質にするまで待つか、石田みどりを説得して地元へ帰って来させるか、という二つの選択肢を持つことになった。

 結果として、石田は後者を選んだ。その背景には、事業の目標だった「町の空き家率を全国平均以下にする」ことにある程度目処が立ったことと、もう一つの目標だった「年度での黒字化」も去年達成したという事実がある。石田は、娘と話し合い、利害関係者の合意を取り付けた上で、「理念と目的」と「ビジネスモデル」を次のように改めた。

「石田商店(経営者:石田みどり)」:

「理念」:地域社会・文化の活性化を計る
「目的」:@町の空き家率を下げる A文化活動の支援

「ビジネスモデル」:

「事業」:@不動産の紹介 A個人美術館の設立
「目標」:@人材の活用 A個人美術館運営を軌道に乗せる

みどりと話し合う中で、石田は、彼女の夢が小さな美術館を持つことだと知り、それなら自宅の一部を改築して小さな美術館にしようと思い立ち、彼女と合意の上、それを軸に「理念と目的」を書き直し、「ビジネスモデル」を再編した。

「目標」:A個人美術館運営を軌道に乗せる

はすこし曖昧だが、明確化(たとえば「5年以内に通年での黒字化を果たす」など)はもう少し後になってから決める旨を註に書き込んだ。これは「現場のビジネス英語“crossing the bridge”」の要領。目標設定如何で(自宅の一部から)もっと大きな建物にすることも出来る。

 ここでいえることは、もし「理念と目的」と「ビジネスモデル」、特に「事業」の「最終目標」が設定されていなかったら、石田にこのような判断ができたかどうか疑問だということだ。もしかすると、(後継者選びの際)高見賢治の教育の方に行ったかもしれない。結果は分らないが、石田は「理念と目的」、「ビジネスモデル」を当初からはっきりさせておいたことで、納得できる後継者づくりが出来たわけだ。

 もし当初の最終目標、@町の空き家率を全国平均以下にする、A通年での黒字化、に両方とも目処が立っていなかったとしたらどうだろう。その場合、娘みどりの夢である個人美術館は先延ばしせざるを得ないだろう。地域の活性化はまだ道半ばであり、資金的にも個人美術館を設立できるような状況にはないのだから。石田はもっと別のことを考える必要がある。しかし「理念と目的」と「ビジネスモデル」が当初設定されていたからこそ、安易に個人美術館設立に動いてはいけないということが分るわけで、その重要性に変わりはない。

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現場のビジネス英語“dispositions”

2014年12月23日 [ 現場のビジネス英語シリーズ ]@sanmotegiをフォローする

 前回「integrityをインストールせよ」の項で、アメリカの学習基準として、

skills(スキル)
dispositions(資質)
responsibilities(責任)
self-assessment(自己評価)

の四つがあり、そのうちdispositions(資質)は、日本語には馴染まないが「思考や知的活動を左右する持続的な信念や態度」を意味する重要な項目だと述べた。このdispositionsについて、今回、ビジネス経営の観点からもう少し敷衍しておきたい。

 ビジネスにおいて、経営者はdispositionsとして何を習得しなければならないのか。何を「信念」とし、「持続」させなければならないのか。

 state(国家)の場合もそうだが、会社など「公」に関わる組織にはかならず「理念と目的」がなければならない。state(国家)の場合それが憲法前文などであるわけだが、会社の場合は企業理念などと呼ばれる。このブログでの言葉の定義を『複眼主義〜起業論』から引いておこう。

「理念(Mission)」:その会社がどのような分野で、どのように社会へ貢献しようとするのかを表現した声明文

「目的(Objective)」:その会社が具体的に何を達成したいのかを纏めた文章で、理念の次に大切なもの

 会社とは、複眼主義でいうところの「生産」(他人のための行為)を、個人を越えた規模で行なう場合に設立されるもので、そもそも社会の役に立つために存在する。会社の利害関係者(stakeholders)には、株主・社員・顧客・地域社会などあるけれど、その商品やサービスが社会の役に立っていなければ会社の存在価値はない。会社がどう社会に役立とうとしているのかを示すのが「理念と目的」であり、それは、会社にとって自身の存在価値に関わる最も大切な文章だ。

 従って、ビジネスにおいて、経営者が持つべき「持続的な信念」=dispositionsは、会社の「理念と目的」に裏打ちされていなければならない。会社の「理念と目的」こそ、経営者がdispositionsとして最初に習得しなければならないitemだと言ってもよい。以前「理念希薄企業」の項で述べたけれど、ここのところがしっかりしていない経営者が昨今多いのではないか。

 ここで、「理念と目的」以下、このブログでの経営に関する言葉の定義を記しておこう。

「事業(Business)」:会社の「目的(Objectives)」の実現手段

「目標(Goals)」:事業の達成ゴール。年度別、月別など。いつ頃までに何をするのか。事業の最終目標を予め明らかにしておくことも大切。事業の最終目標は、何を達成したら(あるいは失ったら)その事業をやめるかという目標であって、売却のためのいわゆる出口戦略(exit strategy)とは違う。

「ビジネスモデル」:「事業と目標」のこと

「企業戦略(Corporate strategy)」:会社の資産(asset)と市場とを分析し、最適なビジネスモデルを考えること

 留意していただきたいのは、「事業」も「ビジネスモデル」も、会社の「理念と目的」を達成するために存在するのであって、幾ら儲かるからといって、それらを独走させてはならないということだ。「企業戦略」「ビジネスモデル」あるいは事業戦略、事業計画などは、全て「理念と目的」の下位に位置付くものだ。重要な経営判断は全て、「理念と目的」に照らして成されなければならない。「理念と目的」の見えなくなった会社は、往々にして陳腐化した既存の「事業」や「ビジネスモデル」に縋り、ますます墓穴を掘ることになる。気をつけていただきたい。

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integrityをインストールせよ

2014年12月16日 [ 公と私論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「国家理念の実現」の項で、そろそろ我々もどのような道筋で合理的なstateをつくるかきちんと話し合うべきだと書いたが、その際に必要なのは、話し合う人たちがintegrityを持っているということだ。

 integrityとは何か。『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治著(集英社インターナショナル)から引用しよう。

(引用開始)

「インテグリティ(integrity)」というのは、アメリカ人が人間を評価する場合の非常に重要な概念で、「インテグレート」とは統合するという意味ですから、直訳すると「人格上の統合性、首尾一貫性」ということになると思います。つまりあっちこっちで言うことを変えない。倫理的な原理原則がしっかりしていて、強いものから言われたからといって自分の立場を変えない。また自分の利益になるからといって、いいかげんなウソをつかない、ポジショントークをしない。
 そうした人間のことを「インテグリティがある人」と言って、人格的に最高の評価をあたえる。「高潔で清廉な人」といったイメージです。一方、「インテグリティがない人」と言われると、それは人格の完全否定になるそうです。ですからこうした状態をただ放置している日本の政治家や官僚たちは、実はアメリカ人の交渉担当者から、心の底から軽蔑されている。そういった証言がいくつもあります。

(引用終了)
<同書 13−14ページより>

ここでいう「こうした状態」とは、沖縄米軍飛行訓練基準が米国内のそれと違っている状態を指す。

 強い国の言うことはなんでも聞き、相手が自国では絶対にできないようなことでも原理原則なく受入れ、その一方で自分たちが本来保護すべき国民の人権は守らない、といった官僚・政治家のことを「インテグリティがない」というわけだ。

 このintegrityという言葉、日本語では「高潔」、「清廉」などと訳されるが、これでは「統合性」のニュアンスが出ない。一体具体的に何が統合されているのか。

 以前『21世紀を生きる学習者のための活動基準』(アメリカ・スクール・ライブラリアン協会編)という本の編集協力(翻訳のお手伝い)をしたことがある。ここで挙げられている学習の基準は大きく分けて、

skills(スキル)
dispositions(資質)
responsibilities(責任)
self-assessment(自己評価)

の四つあり、学生はこれらを学ぶべく様々なカリキュラムをこなす。integrityで思い浮かぶのは、これら四つが高いレベルで統合された人だ。

 四つの基準を高いレベルで統合した人格。これはあくまでも私の言葉解釈だが、integrityを保つには、単に高潔であればよいというものではなく、この四つの面での学習と努力が必要だと思う。

 逆にいうと、人は誰でも学習によってintegrityを持つことが出来るということでもある。高潔を求めて仏門に入る必要があるわけではない。

 上の四つのうち、dispositionsだけはぴったりくる訳語がなくて困った。結局「資質」と訳したのだが、ぴったりこないのは、日本語の「資質」という言葉が、教育によって後天的に高められるというよりも、生得的なニュアンスが強いからだろう。dispositions in action(行動に結びつく資質)ともいい、それは、思考や知的活動を左右する持続的な信念や態度のことで、実際の活動によって評価できるとする。日本では、スキル(技能)、責任、自己評価などは教えるが、この「資質」はあまり教えないのではないだろうか。これが日本人の「公」の弱い理由(の一つ)ではないかと思う。

 integrityは、stateの議論みならず、business全般においても極めて重要だ。スキル、資質、責任、自己評価をバランスよく学び、高いレベルで統合された人格を目指そうではないか。資質の向上については、「自分の殻を破る」の項も参照していただきたい。

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posted by 茂木賛 at 09:53 | Permalink | Comment(0) | 公と私論

国家理念の実現

2014年12月09日 [ 公と私論 ]@sanmotegiをフォローする

 『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏治著(集英社インターナショナル)という本を読んだ。日本国という非独立国家の法的実態を明らかにした好著である。

 この本には、敗戦占領時代から現在まで、憲法などの法的状況が歴史的・体系的に分るように書いてある。昭和天皇の光と影への言及も良い。詳細は本書をお読みいただきたいが、日本国という「state」の統治に関して、今も憲法の上位に日米地位協定が存在しているという。

 矢部氏はこの本の「あとがき」に、日本の国家権力構造の変遷を次のようにまとめる。

(引用開始)

戦前(昭和初期):天皇+日本軍+内務官僚
戦後@(昭和後期):天皇米軍+財務・経済・外務・法務官僚+自民党
戦後A(平成期):米軍+外務・法務官僚

(引用終了)
<同書 282ページより。枠内文字は太字とした>

 以前「nationとstate」の項で、「nationとは、文化や言語、宗教や歴史を共有する人の集団、すなわち民族や国民を意味し、stateとは、その集団の居場所と機構を意味する」とし、stateは「人々の間で合意された『理念と目的』に基づいて合理的に運営されなければならない」と書いたけれど、通常stateにおいては「憲法」の理念と目的が最上位のものであるから、日本国憲法の上に別のものがあるのであれば、いまの日本国は非合理的に運営されているわけだ。

 それをどのような道筋で合理的なstateにしていくか。今年はスコットランドで英国からの独立を問うた住民投票があり、カタルーニャでスペインからの独立を問うた(非公式の)住民投票があったが、そろそろ日本でもそういう話をnationの側できちんと話し合うべき時代になっていると思う。

 街づくりやビジネスの経営にとっても、人の居場所である「state」側がしっかり合理的に運営されていなければ、その理念の実現に影響が出る。

 このブログでは、21世紀はモノコト・シフトの時代だと述べてきた。モノコト・シフトとは、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」の略で、二十世紀の大量生産システムと人の過剰な財欲による「行き過ぎた資本主義」への反省として、また、科学の還元主義的思考による「モノ信仰」の行き詰まりに対する新しい枠組みとして生まれた、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方、考え方への関心の高まりを指す。

 高齢化、少子化をいち早く迎えた今の日本は、モノコト・シフトの最先端を走っている。時代の最先端をゆく日本のstate(集団の居場所と機構)はどうあるべきか。それを論するには、まずこの本を読み、日本やアメリカの組織や法律についての解像度(理解度)を上げていくことが不可欠だ。その意味で、この本は日本文化を共有するnation側の人々の必読書といえるだろう。

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金沢の魅力

2014年12月02日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 この秋、金沢の町を少し歩いてきた。『金沢を歩く』山出保著(岩波新書)によると、金沢は「ヒューマンスケールのまち」だという。確かに、金沢城址・兼六園から30分もあれば、旧市域のどこへでも歩いて行くことができる。

 金沢の町を上から眺めると、東に浅野川(女川)、西に犀川(男川)が流れている。その中心の台地に金沢城址・兼六園などがあるわけだが、二つの川は用水路で結ばれていて、市中いたるところに清らかな水が流れている。

 金沢は、戦国武将の前田利家が築城とまちづくりを行なったわけだから、室町・江戸時代の文化様式を色濃く残している。成巽閣、長町武家屋敷跡、にし・ひがし茶屋街、寺町などなど。空襲の被害を免れたから今でも古い家並みが多く残っている。

 金沢は金箔、加賀友禅、九谷焼など、職人文化の町でもある。石川県立美術館や石川県立歴史博物館、金沢21世紀美術館など文化施設も多い。泉鏡花、徳田秋聲、室生犀星などの文学者、鈴木大拙、西田幾多郎などの思想家たちも金沢の出身だ。鮮魚、加賀野菜などを扱う近江町市場の賑わいもある。郷土料理や鮨、和菓子やケーキなども美味しかった。

 最近文芸評論『百花深処』<出口なき迷宮>の項において、「女性的な鏡花の小説世界と、反転同居の悟りを齎す利休の茶室。この二つの時空構造の共通性にこそ、日本文化の真髄があるのではないか」と書いたけれど、金沢という町の魅力は、バランスよくこの二つをその懐に擁しているところではないかと思う。

 その象徴が「泉鏡花記念館」と禅の「鈴木大拙館」だ。前者は東の浅野川の畔、後者は西の犀川に近い場所にある。旧市域を歩いて実感したのは、文化の豊かさと共に、このバランスの良さだ。勿論、東京や京都、その他の町にも、女性的な鏡花の小説世界と禅の茶室はあるだろう。しかし金沢は、東西がそれぞれの個性を発揮しながら、全体がコンパクトに纏まっている。

 『金沢を歩く』を書いた山出保氏は、1990年から5期20年金沢市長を勤めておられた。本の新聞紹介記事には、

(引用開始)

 一国一城の武家文化を基礎とする城下町の景観とものづくりの伝統。街の個性をコミュニティーとして確認しながら、新しい仕掛けをつくってきた都市の歴史と魅力を、5期20年市長を務めた著者が語る。二つの美術館をつなぐ「美術の小径(こみち)」や歴史景観の町並みなどを紹介。

(引用終了)
<朝日新聞 9/14/2014>

とある。以前「元気なリーダー」の項で、元気な街にはかならず元気なリーダーが居ると書いたことがあるが、市長のリーダーシップによって金沢の今があるようだ。氏はこの本の「あとがき」に、

(引用開始)

 まちは、長い時間のスパンのなかで、ていねいにつくりあげていくことが大切です。
 まちづくりには、テーマがあってストーリーが必要です。理念のもとに、計画と方針があるべきです。計画と方針に沿って、拙速を避け、識者や市民の意見を聴きながら、ゆっくりとつくりあげていく過程が、まちづくりでしょう。もし、理念や計画・方針を変えようとするなら、識者による審議と市民の合意が欠かせません。
 「まちは市民の手に成る芸術品」といわれます。市民一人ひとりの協力と参画が必要です。
 いたずらに効率と機能を追い求めるのではなく、歴史や伝統を重んじ、住む人の息づかいが聞こえる、そんなまちこそ望まれます。あわせて、まちは美しくなければなりません。そのためにも、緑と水を守り育てるほか、市民と企業の美的感性が磨かれ、高められなければならないのです。

(引用終了)
<同書 207−208ページより>

と書いておられる。金沢は、これからもたびたび訪れたいと感じさせる町だ。

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