日本語の助詞「が」についてもうすこし追ってみよう。「助詞の研究 IV」の項では、「が」も「の」も、古くは所有、所属を示す助詞だったけれど、江戸時代以降、「が」だけが主格を表わす助詞としても使われるようになった、ということだった。なぜ「が」の方がそういう役割を担うようになったのか。
『日本語で一番大事なもの』大野晋・丸谷才一共著(中公文庫)によると、「が」と「の」の違いは、「が」が主として内扱いにする人物につくのに対して、「の」は外扱いにする場合に使用されたところだという。「わが子」「山の端」といった感じだ。それでその後どうなったか。
(引用開始)
大野 このように、助詞「が」は本来、体言と体言の間に入るのが基本だったんですけれども、「が」と下の体言の間に動作を表わす動詞が入ってくるようになります。もともと「が」の上に体言は人物であることが多いものですから、それが動作の主体となって、「が」は下の動詞と結びつきやすい状態が生じました。この場合、動詞は下の体言につづくので連体形です。連体形は体言相当の資格があるので、「人物+が+動詞の連体形」という形式は「体言+が+体言」という「が」の使い方の基本の形に合致しているわけです。ところが一方で、前に係り結びのときにお話したように、係り結びが広く使われるようになって連体形終止が多くなり、それによってかえって連体形終止の価値が失われた。つまり、それによって連体形終止を特徴とする係り結びが分らなくなり、本来の終止形の終止よりも連体形終止という終止の仕方が一般化するようになったのです。すると、ここに見られる「人物+が+連体形」という形は連体形による終止の形と意識されるようになり、この形から、主語を表わす「が」を含む文、たとえば「花が咲く」のような形式が、終止できる形として一般化されてきたのです。つまり、「が」に限って、「私が見る」とか、「春が来た」という形は、江戸時代以降に一般化したのです。
場所を表わす連体助詞であるという点では同じようなものであった「の」と「が」のうち、「の」は外扱いにする助詞だったので客観的な状態を言うのに使われて形容詞句を作り、もとの役割を保ったのにたいし、「が」のほうはそれが承ける人や物を内扱いする助詞で、人物を承けることが多かったので、その下の動詞の連体形といっしになって、「……がする」という動作を表わすことが多くなり、今日のように主格の助詞として使われるようになったと考えられます。
(引用終了)
<同書 294−295ページ>
言葉が時代に沿って流動・変化してゆく様がよく見える。この本を読むと他にもそういう例が沢山あって面白い。引用はしなかったけれど、例として短歌が多く載っているので分りやすい。興味のある方は是非お読みいただきたい。
場所の内扱い、外扱いというのは、環境をさらに細かく内と外に分けるわけで、「環境中心」の日本語ならではの着想といえる。確かに今でも「わが子」「わが町」というのと「私の子」「私の町」というのではニュアンスに微妙な違いがある。前者は後者よりもより親密な感じだ。日本(語)人はこの微妙なニュアンスの違いを使いこなしながら、今も日々社会生活を送っているわけだ。