前回「ヤンキーとオタク II」の項で、
(引用開始)
認識と欲望の形式には、初歩的で純粋な段階からグロテスクな最終段階まで、様々な傾向(様式)があると考えられる。芸術様式などでよく使われる「アルカイック→クラシック→マニエリスム→バロック→グロテスク」という流れをそれに当て嵌めて考えると、ヤンキー・オタク文化の度合いが掴みやすいと思う。
(引用終了)
と書いたけれど、この様式(変化)についての説明が不足していたかもしれない。
これは、ルネッサンス期の技法説明などに用いられるセオリーで、芸術運動は概ね、
アルカイック:初歩的で、古拙的。
クラシック:円熟して、古典的。
マニエリスム:形式的で、技巧的。
バロック:歪んだ真珠のようなスタイル。
グロテスク:異様で、怪奇的。
といった流れに沿って、発展・終結するとされる。
この様式・形態変化は、芸術ばかりではなく、あらゆる「時空」の変化に当て嵌まるだろう、というのが私の考えだ。スケールの大・小・長・短は問わない。星の一生、会社、レストランの味、流行、建築様式などなど。認知や思考による「志向」(人が追及する認識と欲望の形式)もその例外ではない筈である。
思考は学習によって深まってゆく。「志向」におけるアルカイックからクラシックへのポジティブな変容を支えるのは、そういった学習効果である。しかし、以前「自分の殻を破る」の項で纏めたように、認知や思考は、
<内的要因>
体全体:病気・疲労・五欲
脳(大脳新皮質)の働き領域:無知・誤解・思考の癖(くせ)
身体(大脳旧皮質・脳幹)の働き領域:感情(陽性感情と陰性感情)
−陽性感情(愛情・楽しみ・嬉しさ・幸福感・心地よさ・強気など)
−陰性感情(怒りと憎しみ・苦しみ・悲しさ・恐怖感・痛さ・弱気など)
<外的要因>
自然的要因:災害や紛争・言語や宗教・その時代のパラダイム
人工的要因:greedとbureaucracyによる騙しのテクニック各種
(greedとは人の過剰な財欲と名声欲、bureaucracyとは官僚主義)
によって、常に歪みを生ずるリスクを抱えている。クラシック段階に達した「志向」は、気をつけないとやがて歪み、マニエリスムからバロック、そしてグロテスクな段階へと変容してゆく。
マニエリスムからバロックまではまだ良い(味わいが継続している)が、グロテスク段階に至ると、その人の「志向」は誰からも相手にされなくなってしまうだろう。だから、興味の横展開などによって自分の関心分野を広げ、思考をつねに新規にしてゆくことが求められるわけだ。
「思考を常に新規にしてゆく」のはそれほど難しいことではない。複眼主義の対比、
A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳(大脳新皮質)の働き−「公(Public)」−男性性
B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体(大脳旧皮質及び脳幹)の働き−「私(Private)」−女性性
に則って、A、a系とB、b系との間を行ったりきたりしながら思考を展開してゆけば宜しい。
川に流れに例えれば、自分の舟(思考)を操りながら、あるときは橋の上から俯瞰し、あるときは流れの渦に巻き込まれるようにして、ゆっくりと下ってゆく感じだ。「橋の上から俯瞰する」ことがA、a系の発想で、「流れの渦に巻き込まれるようにして」というのがB、b系であることはお分かりいただけると思う。この比喩は「現場のビジネス英語“Resource PlanningとProcess Technology”」の項でも引用したことがある。そこには他の比喩もあるから読むと参考になるかもしれない。
川を下るのに慌てる必要はない。支流を見つけたらそちらへ行くも良し、行かぬも良し。途中風景を楽しみながら、まわりの舟とも会話しながら、ゆっくりと下ってゆく。橋の上から別の川を見つけたらそっちへ移ってもよい。そうこうして、川が変わる、あるいは同じ川でも流れが変われば(自分の殻を破れば)、あなたの「志向」は、ふたたびアルカイック状態に戻るだろう。そのとき、あなたの舟(思考)は、以前より一回り大きくなっているはずだ。