夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


儲からない経営

2013年12月31日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 今回は、最近読んで面白かった『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』渡邉格著(講談社)という本を紹介しよう。いつものようにまず新聞書評によってその内容を紹介する。

(引用開始)

 おいしいと評判の岡山のパン屋さんは“21世紀のマルクス”であるらしい。江戸時代の風情が残る人口8千人の山あいの町。著者はここで、地元の素材と天然菌にこだわったパン屋を営む。規模は小さくとも地域内で富を循環させて、自然や生態系を守りながら心豊かに暮らす――その生き方の背景には、効率や利潤第一の資本主義経済に対する強烈な違和感がある。
 天然酵母パンの奥深き風味にも似て、本書の内容も重層的だ。元フリーターの起業物語であると同時に、食の安全や地域経済再生の提言でもある。瞠目すべきはマルクスの『資本論』をパンづくりの観点から読み解いていること。自然栽培の作物に比べ、無理やり栄養を与えられたものは生命力に乏しく腐敗しやすい(つまり財政出動などの「肥料」で経済を太らせてもダメ)など、菌と発酵の話もめっぽうおもしろく、考えさせられる。
 菌とマルクスに導かれ、著者は「腐る経済」なる理想にたどり着く。やがては土に還る自然の摂理に反して増え続けるお金。「腐らない」お金が問題を引き起こしているからだ。ネーミングは目を引くが、少々腑に落ちない部分も。だが前代未聞の菌が主役のビジネス書ゆえ、そこは大目に見よう。静かなる革命の書は、読むほどにライ麦パンの酸っぱい香りが漂う気がする。

(引用終了)
<朝日新聞 11/3/2013 フリガナは省略>

どこが「少々腑に落ちない部分」なのかは不明だが、だいたいの内容はお分かりいただけると思う。このブログでは、モノコト・シフト時代の産業システムとして、多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環、新技術の四つを挙げ、それを牽引するのは、理念濃厚なスモールビジネスであるとしているが、このパン屋さんは、正にこれからの時代の代表選手だろう。

 この本には少なくとも三つのポイントがある。一つは天然酵母によるパン作りの話し、二つは食材の地産地消活動、そして、三つ目が「儲からない経営」。前の二つの詳細は本をお読みいただくとして、ここでは第三の儲からない経営について、「経済の三層構造」の観点から論じてみたい。経済の三層構造とは、

「コト経済」

a: 生命の営みそのもの
b: それ以外、人と外部との相互作用全般

「モノ経済」

a: 生活必需品
b: それ以外、商品の交通全般

「マネー経済」

a: 社会にモノを循環させる潤滑剤
b: 利潤を生み出す会計システム

であり、モノコト・シフトの時代には、特にa領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力と、「コト経済」(a、b両領域)に対する親近感が増す。尚、ここでいう「経済」とは、「自然の諸々の循環を含めて、人間を養う社会の根本理法・理念」を指す。

 この構造で見えてくるのは、儲け(利潤)というものが、「マネー経済」の

b: 利潤を生み出す会計システム

からしか生まれないという事実だ。それ以外の経済における生産と消費は、互いに等価である。事業には再投資の為の資金が必要だが、それは「マネー経済」の

a: 社会にモノを循環させる潤滑剤

によって(商品の価格に上乗せされる形で)ストックされ捻出される。この上乗せ分は、

b: 利潤を生み出す会計システム

から発した余剰マネーではなく、ビジネスの「理念と目的」を達成するために必要な蓄え(コストの先取り)だ。身体にたとえれば、運動のための体脂肪のようなものである。

 だから、モノコト・シフト時代のビジネスは、「儲からない経営」で一向に構わない。むしろ、その方が経済合理的だと思う。皆さんはいかがだろう、是非この本を読んでご一緒に考えていただきたい。

 この本にはもう一つ、地方都市の魅力というポイントがある。著者が移り住んだのは、岡山県の真庭市という山あいの小さな町だ。しかしそこには、草木染で暖簾をつくる職人、200年以上の歴史を誇る造り酒屋、豊な水、江戸の風情を残す町並みがあり、活き活きと暮らす人々の姿がある。「地方の時代」の項で述べたように、モノコト・シフトの時代の革命は、大規模都市からではなく、このような魅力溢れる地方都市(や「都市の中のムラ」)から始まってゆく。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 11:07 | Permalink | Comment(0) | 起業論

本当の地域再生

2013年12月24日 [ 街づくり ]@sanmotegiをフォローする

 『地域再生の罠』久繁哲之介著(ちくま新書)という本を共感しながら読んだ。いろいろな都市の失敗例に学びながら、本当の地域再生を考える本。まずは新聞の書評を引用しよう。

(引用開始)

 「失敗学」を提唱するアナリストが書いた本書は地域おこしの必読書として有名。地域再生施策の大半は「成功事例にならう」という発想を基本にしているが、この「成功模倣主義」は2つの点で大問題という。
 第一に、専門家が推奨する成功事例の多くは実は成功していない。また「本当の成功」話はたいてい外国や昔の話で実際には役立たないことのほうが多いのだ。本書は成功例とされる宇都宮、松枝、長野、福島、岐阜、富山をくわしく分析。そこから得た教訓として「地方自治と土建工学」のいびつな関係を批判する、地元おこし関係者のみならず、住民運動や一般の生活人としても考えたいテーマが目白押しだ。

(引用終了)
<日刊ゲンダイ 10/29/2013>

ここに「土建工学」という面白い言葉が出てくる(失敗学については以前「失敗学」の項で解説した)。土建工学者とは、土木、建築、都市計画、都市工学における技術分野の学者の総称。彼らの発想は往々にして住民を置き去りにするという。同書カバー裏の紹介文も引用しよう。

(引用開始)

社員を大切にしない会社は歪んでいく。それと同じように、市民を蔑ろする都市は必ず衰退する。どんなに立派な箱物や器を造っても、潤うのは一部の利害関係者だけで、地域に暮らす人々は幸福の果実を手にしていない。本書では、こうした「罠」のカラクリを解き明かし、市民が豊になる地域社会と地方自治のあり方を提示する。

(引用終了)

ということで、この分野に興味がある人には大いに参考になる本だと思う。本の内容を、さらに章立てのタイトルから見ていただこう。

第1章 大型商業施設への依存が地方を衰退させる
第2章 成功事例の安易な模倣が地方を衰退させる
第3章 間違いだらけの「前提」が地方を衰退させる
第4章 間違いだらけの「地方自治と土建工学」が地方を衰退させる
第5章 「地域再生の罠」を解き明かす
第6章 市民と地域が豊になる「7つのビジョン」
第7章 食のB 級グルメ化・ブランド化をスローフードに進化させる
第8章 街中の低未利用地に交流を促すスポーツクラブを創る
第9章 公的支援は交流を促す公益空間に集中する

 このブログでは、モノコト・シフト時代の産業システムの一つとして、食の地産地消を挙げているが、「食のB級グルメ化・ブランド化をスローフードに進化させる」という提案は、導入ステップとして分りやすい。「勝負の弁証法 II」の最後で述べたように、スポーツクラブも、モノコト・シフト時代に相応しい提案だ。第6章の「7つのビジョン」とは以下の通り。

ビジョン@「私益より公益」
ビジョンA「経済利益より人との交流」
ビジョンB「立身出世より対等で心地よい交流」
ビジョンC「器より市民が先に尊重される地域づくり」
ビジョンD「市民の地域愛」
ビジョンE「交流を促すスローフード」
ビジョンF「心の拠り所となるスポーツクラブ、居場所」

 また、第2章には、商店街再生へ向けての4つの提案がある。

1.車優先空間から「人優先空間」への転換 
2.出店者一人にリスクを押しつけず、「市民が安心・連携して出店できる仕組みを創る 
3.店舗個別の穴埋めをする発想をあらため、地域一帯の魅力を創造することを考える 
4.商店街の位置づけを「物を売る(買う)」場」から「交流・憩いの場」へ変える 

中でも最後のポイントは、モノコト・シフト時代を象徴する提案であろう。「経済の三層構造」の項で述べたように、これからは「モノ経済」以上に「コト経済」が重視される時代だからだ。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 10:21 | Permalink | Comment(0) | 街づくり

勝負の弁証法 II 

2013年12月17日 [ 公と私論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回の「勝負の弁証法」の項では、勝負の弁証法の適用範囲を、「勝負事=明示されたルールの元で戦うゲームや競技」に限定して話を進め、勝負事には合意された「理念と目的」が大切だということと、敗者とその戦いのプロセスは、つねに勝者の内に包摂されなければならない、ということを論じた。今回は、それ以外の戦い、すなわち、ルールがあって無き様な国同士の戦争や、そもそもルールのない裏切りに満ちた抗争、正当防衛、自然界の生存競争、生物進化などに話を広げ、弁証法ロジックとの関係について考えてみたい。

 まず、戦争や抗争について。明示的なルールのある無しは、「ルールが無い」ことがルールだと考えれば、ゲームや競技と同じ土俵に乗せて考えることができる。しかし、勝負の弁証法が通用するのは、その勝負に合意された「理念と目的」が存在する場合である。戦争や抗争に(一方的な「理念と目的」はあり得ても)当事者双方に合意されたそれがあるとは考えにくい。従って、戦争や抗争は、弁証法ロジックの対象にならないと思われる。単なる「喧嘩」だ。

 次に、正当防衛について。降りかかった火の粉を払う行為には、法律的に認められた正当防衛と、そうでない場合とがあろう。前者には法律という「ルール」があり、後者にはそれが無い。しかし、いづれの場合でも、当事者同士は加害者と被害者の関係だから、そもそも合意された「理念と目的」などある由もなく、従って、これも弁証法ロジックの対象にはならないと思われる。

 自然界の生存競争について。生存競争には、弱肉強食など(明示されてはいなくとも)一定のルールがあることが知られている。しかし、自然界そのものに合意された「理念と目的」があるかどうかは「神のみぞ知る」だ。

 ここまで検証してくると、勝負における弁証法ロジックは、ゲームや競技に限定された話であったように思える。では生物の進化はどうか。

 生物の進化に、明示的ルールや「理念と目的」など無いように見える。しかし進化には、「何かと何かが作用しあって新しい何かが生まれる」という発展構造がある。生物進化のみならず、自然界の諸々の出来事は、「何かと何かが作用しあって新しい何かが生まれる」という“コト”そのものである。実は、人智が考え出した「弁証法ロジック」自体、自然界の出来事や生物進化の様子を模倣したものなのだ。だから、大きく考えれば、生存競争もそういう“コト”の一局面だし、人の喧嘩や正当防衛行為ですら、社会において起こる“コト”の一部であると云うことが出来る。

 さて、自然界に、勝ち組と負け組みはない。人類が勝ち組だとする考え方は浅はかな驕りであって、いつか人が住めない地球環境が齎されれば、人類は簡単に滅ぶだろう、嘗て恐竜が(巨大隕石によって?)滅んだように。勝ち組と負け組みがないのは、自然には(神を持ち出さない限り)明示的な「理念と目的」が無いからだ。「集団の時間」や「自然の時間」の項で述べたように、自然の時間は無限大(t = ∞)だから、限定的な「理念」や「目的」を決めようがないわけだ。

 ここまで考えて来ると、勝負における「理念と目的」の設定は、「都市」(人の脳が作り出した様々な機能・構造)においてのみ意味を持つことが分る。勝負の弁証法は、様々な戦い、争いの中で、「都市」において、その構成員によって合意された「理念と目的」があるものにのみ適応されるロジックなのである。

 「理念と目的」(の設定)は、極めて都市的なものである。それは、生存競争や生物進化にはない特色だ。勝負事において(勝つ為の努力は勿論大切だが)負けることは問題ではない。再チャレンジへの闘志さえ持ち続ければ、人は幾度でも勝負に参加できる。そういえば、選挙も勝負事の一つだ。健全な社会であれば、選挙に勝った候補者は、負けた候補者と、その他全有権者を代表する立場になる筈だ。勝者は、敗者およびそのプロセス全てを包摂し、「理念と目的」をより高いレベルへ押し上げる役割を付与されたと考えるべきである。だから、そこでは、勝ち逃げが一番悪いということになる。

 プレイヤーの中には、勝つと責任がかかってくるから、それを回避しようとわざと負ける者もいる。「理念と目的」をより高いレベルへ押し上げる役割を付与されることに耐えられないからだ。それを人は「敗北主義者」という。勝ち逃げと敗北主義者。どちらも戦いの場を選び損ねた卑怯者たちの謂いである。

 勝負が“コト”であってみれば、“モノコト・シフト”の時代、世界中でスポーツ・イベントやゲームなどがますます興隆するであろうことは容易に想像できる。ワールドカップ、オリンピック、各種コンテスト、チェスや囲碁、将棋、ネットゲームなどなど。それがスポーツやゲームに留まっている分には良いが、greed(過剰な財欲と名声欲)が関わってくると、抗争や戦争にエスカレートする危険性もある。試合の開催が利権の巣窟と化すわけだ。こういう時代だからこそ、今一度、戦いの「理念と目的」をよく見定めようではないか。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 10:58 | Permalink | Comment(0) | 公と私論

勝負の弁証法

2013年12月10日 [ 公と私論 ]@sanmotegiをフォローする

 ゲームや競技などの勝負事を弁証法の一つとして考える。どういうことか説明しよう。弁証法とは、テーゼ(一つの意見)とアンチテーゼ(反対の意見)が止揚されてジンテーゼ(新たな見識)へと到るプロセスを指すわけだが、それは、「何かと何かが作用しあって新しい何かが生まれる」という発展構造として捉えることが可能だ(「3の構造 II」)。

 一方、勝負事とは、AとBとが一定のルールの下で戦い、新しい結果(勝者と敗者)が生まれるプロセスだが、戦いの場、自然環境、両者の力量の差、戦術や気魄、応援、勝者の喜び、敗者の落胆などのプロセス全体を俯瞰すれば、勝負事もまた、何かと何かが作用しあって新しい何かが生まれる、という発展構造(弁証法)として見ることが出来る筈だ。これはプロ、アマを問わない。

 上の二点を言い換えれば、勝負事は、「本物を見抜く力」の項で述べた、人の時空と外部の時空とが作用しあって新しい何かが生まれる、という“コト経済”の一種であり、弁証法は、コト経済のプロセスを跡付ける“メタ・ロジック”である。

 さて、弁証法には証明すべき元の命題が必要だ。コト経済における命題とは何か。それは、「政治と経済と経営について」の項で述べた、その集団の「理念と目的」ということになろう。社会集団の理念と目的の完成は、数式の証明のようにストレートには行かないだろうが、それは、社会の到るところで波のように起こる“コト”の一つひとつが、弁証法ロジックを伴って、少しづつ高みに達していくというダイナミズムの内に成される。

 そう考えると、勝負事にも固有の合意された「理念と目的」がある筈だ。なぜその勝負を行なおうとするのかという「理念」と、その勝負によって何を達成したいのかという「目的」。

 弁証法における命題と同じくらい、勝負事において達成されるべき「理念と目的」は大切な筈なのだが、往々にして、勝負事においては結果(勝ち負け)だけがクローズアップされるケースが多い。皆、「理念と目的」の方を忘れてしまうのだ。勝つ為の努力は勿論大切だが、それだけに目を奪われていると、「理念と目的」の方を忘れてしまう。

 弁証法において、止揚される意見は、新たな「見識」の中に包摂される。止揚された意見は、けっして排除される訳ではなく、高みに達するために積み重ねられた礎の一つとしてロジックの内に存在し続ける。別の言い方をすれば、止揚される意見がなければ、新たな見識も生まれ得ないということだ。

 社会においても、起こった“コト”はなくならない。歴史はなくならない。歴史に学ぶという意味は、そこで起こった“コト”全てを俯瞰してそこから教訓を得るということである。

 勝負事においても、敗者がいなければ勝者は居ない。だから、敗者とその戦いのプロセス全体は、勝者の内に包摂されなければならないと思う。勝負を観戦するときは、まずその「理念と目的」をしっかり見極めて、さらに、敗者とその戦いのプロセス全体が、掲げられた理念に達するために積み重ねられた「礎」なのだということを忘れないようにしたいものだ。

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 09:35 | Permalink | Comment(0) | 公と私論

Season's Greetings 2013

2013年12月03日 [ プレイリスト ]@sanmotegiをフォローする

 今年のクリスマスに贈るプレイリストは、ポール・マッカートニー来日に因んで、ビートルズの往年の曲で構成してみた。題して「No Reply」。

<A面>

「No Reply」
「I Saw Her Standing There」
「Rock And Roll Music」
「Long Tall Sally」
「Matchbox」
「Roll Over Beethoven」

<B面>

「Mr. Moonlight」
「All My Loving」
「I’m Happy Just To Dance With You」
「I Feel Fine」
「Taxman」
「We Can Work It Out」

ということで、今回も「A面B面合わせて12曲」というプレイリスト作成の独自ルールに従って作成した。

 ビートルズはジョン中心のバンドとして始まり、ポール中心のバンドとして終わったわけだが、中期以降、ジョージも力をつけ、リンゴも独特のリズムで3人の複雑化してゆくメロディーを支えた。どの時期の作品も趣があるが、私は12歳の時(1964年2月)にニューヨークで彼らのエド・サリバン・ショーのステージを(TVで)見た原体験があるから、初期の音楽が特に好きだ。

 このプレイリストは、その初期のビートルズをイメージした構成になっている。A面、B面両方とも1曲目はジョンのボーカルでスタート、2曲目はポールが(張り合うように)リードを取る。このプレイリストを牽引するのはあくまでもジョンだ。A面の場合、3曲目は再びジョン、4曲目はポール、そして5曲目にリンゴのボーカルを入れて、最後にジョージが来る。全て初期のロックンロール。

 B面は、(最初の2曲のあと)3曲目にジョージのボーカルがあって、4曲目にジョンの中期の実験的な曲を入れた。ここでも変化を起こすのはジョンという寸法。5曲目にジョージの曲があって、最後はジョンとポールのボーカル両方が楽しめる中期の曲で締める。

 ビートルズの音楽の多くは作詞作曲レノン・マッカートニーとなっているが、曲によってだいたいジョン、ポール主導が分かれている(たとえばGirlはジョン、Yesterdayはポールのように)。最後の「We Can Work It Out」は、ポールらしい部分とジョンらしい部分が両方あるから、正に作詞作曲レノン・マッカートニーであり、プレイリストの最後に相応しいだろう。

 参考までに、プレイリスト「No Reply」それぞれの曲を含むアルバムを載せておく。

<A面>

「BEATLES FOR SALE」
「Please PLease Me」
「BEATLES FOR SALE」
「PAST MASTERS・VOLUME ONE」
「PAST MASTERS・VOLUME ONE」
「With The Beatles」

<B面>

「BEATLES FOR SALE」
「With The Beatles」
「A HARD DAY’S NIGHT」
「PAST MASTERS・VOLUME ONE」
「REVOLVER」
「PAST MASTERS・VOLUME TWO」

外は寒いが、iPodに入れてジョギングの時などに聴いていただければ嬉しい。きっと寒さを忘れることが出来るだろう。

005.JPG

TwitterやFacebookもやっています。
こちらにもお気軽にコメントなどお寄せください。

posted by 茂木賛 at 09:29 | Permalink | Comment(0) | プレイリスト

夜間飛行について

運営者茂木賛の写真
スモールビジネス・サポートセンター(通称SBSC)主宰の茂木賛です。世の中には間違った常識がいっぱい転がっています。「夜間飛行」は、私が本当だと思うことを世の常識にとらわれずに書いていきます。共感していただけることなどありましたら、どうぞお気軽にコメントをお寄せください。

Facebookページ:SMR
Twitter:@sanmotegi


アーカイブ

スモールビジネス・サポートセンターのバナー

スモールビジネス・サポートセンター

スモールビジネス・サポートセンター(通称SBSC)は、茂木賛が主宰する、自分の力でスモールビジネスを立ち上げたい人の為の支援サービスです。

茂木賛の小説

僕のH2O

大学生の勉が始めた「まだ名前のついていないこと」って何?

Kindleストア
パブーストア

茂木賛の世界

茂木賛が代表取締役を務めるサンモテギ・リサーチ・インク(通称SMR)が提供する電子書籍コンテンツ・サイト(無償)。
茂木賛が自ら書き下ろす「オリジナル作品集」、古今東西の優れた短編小説を掲載する「短編小説館」、の二つから構成されています。

サンモテギ・リサーチ・インク

Copyright © San Motegi Research Inc. All rights reserved.
Powered by さくらのブログ