夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


経済の三層構造

2013年10月29日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「政治と経済と経営について」の項で、経済とは、「自然の諸々の循環を含めて、人間を養う社会の根本の理法・摂理である。経済とは、人間集団の存在システムそのものであり、通貨のやり取りはそのごく一部でしかない」と書いたけれど、ここでその「経済」の全体構造について、コト経済、モノ経済、マネー経済、という三つの層に分けて考えてみたい。

 「コト経済」とは、食・睡・排といった人の生命の営みそのものを指すと同時に、それ以外の、人と外部との相互作用全般を表す。私の造語だが意味は理解していただけると思う。

 「モノ経済」とは、衣・食・住といった生活必需品の循環であると共に、その他、ハコモノ、贅沢品など商品の交通全般を表す。

 「マネー経済」とは、モノの循環を助ける潤滑剤としての役割と共に、信用創造と金利を通して、計算上の利潤を齎す会計的仕組みを表す。

 纏めると、

「コト経済」

a: 生命の営みそのもの
b: それ以外、人と外部との相互作用全般

「モノ経済」

a: 生活必需品
b: それ以外、商品の交通全般

「マネー経済」

a: 社会にモノを循環させる潤滑剤
b: 利潤を生み出す会計システム

ということになる。

 このブログでは、21世紀を「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト(略してモノコト・シフト)」の時代としているが、それは、20世紀の大量生産・輸送・消費システムと、人のgreed(過剰な財欲と名声欲)が生んだ、「コーポラティズム」のような“行き過ぎた資本主義”に対する反省として、また、科学の「還元主義的思考」によって生まれた“モノ信仰”の行き詰まりに対する新しい枠組みとして、(動きの見えないモノよりも)動きのあるコトを大切にする生き方・考え方への関心が高まっている、という意味である。

 “行き過ぎた資本主義”と“モノ信仰”は、地球環境の破壊と貧富格差の拡大を齎した。

 モノコト・シフトの時代においては、経済の各層において、a領域への求心力が高まってくると思う。a領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)は、地球環境の破壊に直面する人々にとって、より重要な関心事となるからである。

 とくにこの時代、(greed以外の)人々の間では、「コト経済」(a、b両領域含めて)に対する親近感が強くなってくるだろう。貧富の格差拡大に直面する人々にとって、所有よりも関係、私有よりも共同利用、格差よりも分配、独り占めよりも分担、といった生き方・考え方が切実なものとなってくる筈だからだ。

 a領域(生命の営み、生活必需品、モノの循環)への求心力と、「コト経済」に対する親近感。「経済」をこのように、コト経済、モノ経済、マネー経済と分けて考えることで、今の時代のニーズがより良く見えてくるのではないだろうか。

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政治と経済と経営について

2013年10月22日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「里山システムと国づくり」の項で、政治と経済、経営について、その定義を簡単に書いたけれど、ここで今一度それぞれの定義について、「複眼主義」の観点から整理しておきたい。

 「経済」とは、自然の諸々の循環を含めて、人間を養う社会の根本の理法・摂理である。経済とは、人間集団の存在システムそのものであり、通貨のやり取りはそのごく一部でしかない。

 「政治」とは、社会集団における利害の合理による調停・調整であり、そのプリンシプル(principle)は、集団において制度的に合意された「理念と目的」に基づくものでなければならない(プリンシプルとは、原理・原則・信条のこと)。

 「経営」とは、集団の「理念と目的」の実現に努めること。通常、国家経営を統治(governance)、企業経営を(management)と呼ぶ。経営には、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
B Process Technology−日本語的発想−環境中心

両方の能力が求められる。前者は「戦略」や「政治」能力であり、後者は主に「工程改善」能力である(詳細はさらにカテゴリ「起業論」を参照のこと)。

 以上の定義から、「里山システムと国づくり」で述べたことを再度確認しよう。

 まず大切なことは、経済が、人間集団の存在システムそのものであり、通貨のやり取りはそのごく一部でしかないことだ。このブログでは、カテゴリ「生産と消費論」のなかで、生産とは「他人のための行為」全般を指し、消費とは「自分のための行為」全般であると述べてきたが、それはこの考え方に基づくものだ。「マネー資本主義」が、いかに偏ったものかということでもある。

 次に大切なのは、国の経営には「理念と目的」が必要だということだ。20世紀の国の「理念と目的」は、日本の富国強兵など、モノ中心主義に沿った中央集権的なものだったと思う。21世紀のモノコト・シフト時代のそれは、多様な「コト」の起こる環境や場を守る、地方分権的な理念が入っていなければならない。「里山システムと国づくり」の項で述べたような重層的なプロセスによって練り上げられた「理念と目的」の作成が急務だと思う。今の内閣にそれが見えているとは思えない。議会が国家理念を検討しているとも聞かない。

 最後に確認しておきたいのは、国の経営において、政治は万能ではないということだ。政治は、所詮、集団の利害の調整でしかない。政治は、経営の一部でしかない。国の「理念と目的」に基づいて、合理的な調整を行なえる者を「政治家」と呼び、greed(過剰な名声欲と財欲)によって調整を行なう者を「政治屋」と呼ぶ。

 「外交」も政治であるから、日本の国づくりを里山から始め、里山同士が国を越えて繋がるとすれば、外交交渉も、そういった地方の連携の交通整理が主な仕事になるはずである。安全保障や通商条約などについても、地方の流域価値を重層的に集約した、その国の「理念と目的」に沿った形で交渉が進められなければならない筈だ。

 いまの日本の議会や内閣には「政治屋」が多すぎる。そして、「理念と目的」の見えないままの国家経営。さらに、そもそも「理念と目的」を語る資格のない官僚が、そういうお粗末な政治屋を裏から操って、国家を運営(とても経営とは呼べない)しているという事態。これらが、今の日本の危機の本質だと思う。

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里山システムと国づくり

2013年10月15日 [ 街づくり ]@sanmotegiをフォローする

 “里山資本主義”藻谷浩介・NHK広島取材班共著(角川oneテーマ21)という本を読んだ。まずは本の内容について、新聞の書評を紹介しよう。

(引用開始)

 中国地方を舞台に森林資源などを活用し、自然エネルギーの普及と地域再生に取り組む動きを紹介したNHK広島放送局制作の番組を活字にしたのが本書だ。「里山資本主義」は広島放送局のプロデューサーが考えた言葉である。
 同番組にも出演した藻谷氏は、里山資本主義を「マネー資本主義」を補完するシステムと位置付ける。大震災でエネルギーの原子力発電への依存に限界があることがわかった今、自然エネルギーの普及は急務だ。本書に登場する岡山県真庭市の銘建工業のように木質バイオマス事業に取り組む地域企業が増えている。
 耕作放棄地を使って自然放牧に取り組む若者や、空き家を転用した福祉施設で地元のお年寄りがつくる野菜を食材に使う話なども取り上げている。身近な資源を最大限に生かし、お金に過度に依存しない社会をつくる試みだ。
 藻谷氏はそれが現代人の不安や不信を解消し、高齢者の健康につながり、少子化を食い止める対策にもなると指摘する。地方の集落崩壊が人口の減少に拍車をかける一因になっているのは事実だろう。
 里山資本主義の先進国として紹介しているオーストリアの話が面白い。森林資源をエネルギーとして生かすだけでなく、木造の高層ビルも続々と増えている。日本でも強度に優れた集成材を普及させ、木造建築物に対する規制を緩和することが必要になる。

(引用終了)
<日経新聞 8/18/2013>

 以前「効率と効用」の項で書いたように、経済とは、「自然界の諸々の循環を含めて、人間を養う、社会の根本の理法・摂理」を意味する。里山資本主義は、これからの日本の経済システムとして、充分通用する考え方だと思う。

 「地方の時代」の項で、「新しい国づくりは魅力ある地方都市から始まる」と書いたけれど、里山資本主義こそ、地方都市発の国づくりに相応しい。統治とは国家経営であり、経営とは、集団の理念と目的の実現に努めることだから、国づくりにも「理念と目的」が必要だ。モノコト・シフト時代の国の「理念と目的」には、多様な「コト」の起こる環境や場を守る理念が入っていなければならない。里山資本主義が、これからの日本の国づくりに相応しい由縁である。

 これからの時代、そもそも、「国」が一方的に価値を縛る時代ではあるまい。「近代家族」同様、「民族国家」という概念は、20世紀の遺物なのではないだろうか。21世紀の国づくりには、全国各地の里山システムが、多様な流域価値を生み出し、それが繋がり、大河となって全体の価値観が形成される、といった重層的なプロセスが必要だと思う。この本にもあるが、里山システムが海外のそれと連携するといったことも積極的に行なわれるべきだ。むしろ、これからの国の「外交」は、そういった地方の連携の交通整理が主な仕事になるのかもしれない。そもそも政治とは、社会集団における利害の合理による調整なのだから。

 里山については、このブログでもこれまで「里山ビジネス」や「内と外 II」、「継承の文化」の項などで、いろいろと考察してきた。併せてお読みいただけると嬉しい。

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日本語の勁(つよ)さと弱さ

2013年10月08日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 今年も夏休みを蓼科にある兄の山荘で過ごすことができた。今回山へ持っていった本は、

“(株)貧困大国アメリカ”堤未果著(岩波新書)
“ピスタチオ”梨木香歩著(筑摩書房)
“アマン伝説”山口由美著(文藝春秋)
“占領史追跡”青木富貴子著(新潮文庫)
“文人荷風抄”高橋英夫著(岩波書店)
“福島原発の真実”佐藤栄佐久著(平凡社新書)

など。去年(「長野から草津へ」)同様、平行読書法の要領でこれらの本を読み進めた。

 “(株)貧困大国アメリカ”については、前回「地方の時代 II」の項で紹介、引用した。“ピスタチオ”は、「両端の奥の物語」の項で紹介した梨木香歩さんのエッセイ“水辺にて”(文庫本)と同時に出版された小説。日本とアフリカを精霊が繋ぐ不思議な物語だ。「ヨーロッパ人が最初にアフリカと出会ったとき、もっと互いの深いレベルで働いている何かを補完し合うような形の接触の仕方があったはずなのに、結局それはなされなかった。」(17ページ)という一文がある。彼女は、日本とアフリカの出会いを、「精霊」という互いの深いレベルで繋ごうと試みたのだろう。最後の“ピスタチオ―死者の眠りのために”という短編が味わい深い。

 “アマン伝説”は、ホテルや旅をテーマにしたノンフィクション作家による新作。取材が行き届いていて、アマンリゾーツなど、東南アジアのリゾート地図に私もだいぶ詳しくなった。“占領史追跡”は、ニューズウィーク東京支局長パケナムの日記を通して日本の戦後政治の貴重な一面を描く。

 “文人荷風抄”は、永井荷風とフランス語の弟子阿部雪子との交流を描いた評論。章立ては「文人の曝書」「フランス語の弟子」「晩年の交友」となっているけれど、眼目は真ん中のフランス語の弟子だろう。雪子(と荷風)の写真が本の絶妙な場所に載せてあるのが秀逸。

 “福島原発の真実”は、「アッパーグラウンド II」で検証した原発事故の発端となる、福島原発そのもの(特に3号機のプルサーマル導入)に対する前福島県知事による告発だ。「原発全体主義政策」という、日本の「過剰な財欲と名声欲、そしてそれが作り出すシステムの自己増幅」に対する告発書である。こういう優れた政治家の抹殺を許す土壌が今の日本(語)にはある。本書から一節を引用しておきたい。

(引用開始)

 日本では、使用済み核廃棄物――つまり、使用済み核燃料の処分方法について、歴史の批判に耐える具体案を持っている人は誰もいないのである。責任者の顔が見えず、誰も責任を取らない日本型の社会の中で、お互いの顔を見合わせながら、レミングのように破局に向かって全力で走っていく、という決意でも固めているように私には見える。大義も勝ち目もない戦争で、最後の破局、そして敗戦を私たち日本人が迎えてからまだ七〇年たっていない。
 これこそが「日本病」なのだと私は思う。

(引用終了)
<同書 205−206ページ>

 「両端の奥の物語」と「原発全体主義政策」。この両方を生み出す日本語の勁(つよ)さと弱さについて、改めて考えさせられる夏休みの読書だった。また、日本とアフリカ、フランス、アメリカ、東南アジアなど、地域間に起こるさまざまな“コト”の連携を思う読書ともなった。

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地方の時代 II

2013年10月01日 [ 公と私論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回に引き続き、地方都市の魅力・意義について考えたい。“(株)貧困大国アメリカ”堤未果著(岩波新書)によると、いまアメリカを中心に世界で「コーポラティズム」(政治と企業の癒着主義)が進行しているという。本書から引用しよう。

(引用開始)

 いま世界で進行している出来事は、単なる新自由主義や社会主義を超えた、ポスト資本主義の新しい枠組み、「コーポラティズム」(政治と企業の癒着主義)にほかならない。
 グローバリゼーションと技術革命によって、世界中の企業は国境を超えて拡大するようになった。価格競争のなかで効率化が進み、株主、経営者、仕入れ先、生産者、販売者、労働力、特許、消費者、税金対策用本社機能にいたるまで、あらゆるものが多国籍化されてゆく。流動化した雇用が途上国の人件費を上げ、先進国の賃金は下降して南北格差が縮小。その結果、無国籍化した顔のない「1%」とその他「99%」という二極化が、いま世界中に広がっているのだ。
 巨大化して法の縛りが邪魔になった多国籍企業は、やがて効率化と拝金主義を公共に持ち込み、国民の税金である公的予算を民間企業に委譲する新しい形態へと進化した。ロビイスト集団が、クライアントである食産複合体、医産複合体、軍産複合体、刑産複合体、教産複合体、石油、メディア、金融などの業界代理として政府関係者に働きかけ、献金や天下りと引きかえに、企業寄りの法改正で、“障害”を取り除いてゆく。
 コーポラティズムの最大の特徴は、国民の主権が軍事力や暴力ではなく、不適切な形で政治と癒着した企業群によって、合法的に奪われることだろう。

(引用終了)
<同書 273−274ページ>

 この「1%」によるコーポラティズムは、以前「世界の問題と地域の課題」の項で述べた、世界の問題としての「過剰な財欲と名声欲、そしてそれが作り出すシステムの自己増幅」そのものだ。それに対して、「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」(略してモノコト・シフト)は、世界の「99%」が希求する新しい時代の規範である。

 モノコト・シフトの時代においては、「個の自立」と、コトの起こる小規模な「地方都市」が必要であり、コーポラティズムを撃退できるのは、そのような“コト”同士の横の連携だろう。堤さんは、

(引用開始)

 食、教育、医療、暮らし。この世に生まれ、働き、人とつながり、誰かを愛し、家族をいつくしみ、自然と共生し、文化や伝統、いのちに感謝し、次の世代にバトンを渡す。そんなごく当たり前の、人間らしい生き方をすると決めた「99%」の意思は、欲で繋がる「1%」と同じように、国境を越えて繋がってゆく。
 意思を持つ「個のグローバリゼーション」は、私たちの主権を取り戻すための、強力な力になるだろう。

(引用終了)
<同書 277ページ>

と述べておられる。単なる“モノ”の流通ではなく、物語を持った“コト”の横の連携。流域思想でいうところの「両端の奥の物語」を持った“コト”同士の共振。日本語発のそういう物語をもっと紡いでゆきたいものだ。

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posted by 茂木賛 at 10:34 | Permalink | Comment(0) | 公と私論

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