夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


地方の時代

2013年09月24日 [ 街づくり ]@sanmotegiをフォローする

 前回「女子力」の項で、日本の政治やビジネスにおいては「律令」主義を排して女性性=「関係原理」を取り入れることが必要になってくる、と書いたけれど、それは大規模都市からではなく地方都市から始まるように思う。

 「若者の力」の項でみたように、地方都市の魅力が高まっていることが一つ。新しい「コト」が起きるためには、ある程度小さな規模の枠組みが必要なことがもう一つ。一方、大規模都市にはgreedとbureaucracyと、それを許し続ける「心ここに在らず」の大人たちが大勢棲みついていることが第三の理由だ。そういう大人たちが大勢棲みついていると、多様性への対応の四段階、

第一段階 「抵抗」 違いを拒否する <抵抗的>
第二段階 「同化」 違いを同化させる・違いを無視する <防衛的>
第三段階 「分離」 違いを認める <適応的>
第四段階 「統合」 違いをいかす・競争的優位性につなげる <戦略的>

における「同化」圧力が高く、新しい「コト」が起こりにくい。起こしにくい。

 モノコト・シフト後の「新しい家族の枠組み」の価値観は、

1. 家内領域と公共領域の近接
2. 家族構成員相互の理性的関係
3. 価値中心主義
4. 資質と時間による分業
5. 家族の自立性の強化
6. 社交の復活
7. 非親族への寛容
8. 大家族

といったことだ。だから、大量生産・輸送・消費に便利な大規模都市に住む理由はない。これからは、少品種少量生産、資源循環、食の地産地消、新技術の時代なのである。それを牽引するのは、理念と目的を持ったスモールビジネスと、その横の連携だ。

 さらに、このブログでは、モノコト・シフト後の新しい地域価値観として、「流域思想」というものを提唱している。流域思想とは、山岳と海洋とを繋ぐ河川を中心に、その流域を一つの纏まりとして考える発想のことで、これからの食やエネルギー、文化の継承などを考える上で重要な思想の一つだ。流域思想は、山岳と河川の豊な地方都市の方が、ビルに覆われた大規模都市よりも実践的である。これが、地方都市から新しい日本が生まれるであろう第四の理由である。

 勿論、大規模都市近辺にも魅力的な場所はある。「都市の中のムラ」の項ではそういう場所について述べた。大事なのは、そこに暮らす人々が精神的に自立できていること、そして、新しい価値観に対して寛容なこと。さらにそこに地域固有の流域価値があれば、黙っていても多くの若者たちが集まってくるだろう。

 以前「小さな町」の項で、イタリアの地方都市の新しい試みについての本を紹介し、

(引用開始)

日本も明治の開国から150年近く経つわけだから、そろそろ真剣に過去を見直して、新しい国づくりを考える時期に来ているのではないだろうか。

(引用終了)

と述べたけれど、新しい国づくりは、魅力溢れた地方都市から始まるといって良いと思う。

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posted by 茂木賛 at 09:12 | Permalink | Comment(0) | 街づくり

女子力

2013年09月17日 [ 公と私論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回の「若者の力」の項で紹介した“地方にこもる若者たち”阿部真大著(朝日新書)に、「ギャル的マネジメント」という言葉が出てくる。多様性への対応の四段階、

第一段階 「抵抗」 違いを拒否する <抵抗的>
第二段階 「同化」 違いを同化させる・違いを無視する <防衛的>
第三段階 「分離」 違いを認める <適応的>
第四段階 「統合」 違いをいかす・競争的優位性につなげる <戦略的>

を踏まえて、著者は「ギャル的マネジメント」について次のように語る。

(引用開始)

流動性・多様性の増す現代社会において、若者たちは、「分離」(違う者同士互いに干渉し合わない)の段階のハイポコミュニカティブ(過小にコミュニケーション志向の)な傾向と、「統合」(違う者同士がぶつかり合い落としどころを探っていく)の段階のハイパーコミュニカティブ(過剰にコミュニケーション志向の)な傾向とに二極化していると考えられる。前者は男性に、後者は女性に強く見られる傾向であるが、これらはともに他者の違いを認めるものである。

「ギャル的マネジメント」とは、身近な人間関係の多様性に意識的で、同質的な仲間集団に対する愛着心は強いながらも異質な他者とのコミュニケーションを厭わず、謙虚に集団をまとめあげていくような仕切り方のことを指す。これは、「分離」から「統合」の段階へとステップアップするのに必須な資質であり、つまりは内にこもる若者を外に引き出すコツを導く鍵であり、「新しい公共」の構築への鍵である。

(引用終了)
<同書 198ページより>

「ギャル的マネジメント」とは、「男性性と女性性 II」の項で述べた「女性性に基づく関係原理」と「男性性に基づく所有原理」とを、上手にバランスさせる能力だと思われる。「森ガール」の更なる進化系といえるかもしれない。人は性差に拘らず、ある比率で、男性脳=「所有原理」、と女性脳=「関係原理」の両方の機能を持っている。だから「ギャル的マネジメント」は女性だけでなく、男性にも可能なマネジメント・スタイルである。

 日本はこれまで、社会や人々は「世間」という関係原理、政治やビジネスは「律令」という所有原理によって形作られてきた。「“シェア”という考え方 II」の項で述べたように、モノコト・シフト後の日本は、社会や人々は「世間」に縛られすぎることなく「所有原理」を自覚して精神的に自立すること、政治やビジネスにおいては「律令」主義を排して「関係原理」を取り入れること、が必要になってくる。

 モノコト・シフトのパラダイム項目は、

私有    → 共同利用
独占、格差 → 分配
ただ乗り  → 分担
孤独    → 共感
世間    → 社会
もたれあい → 自立
所有    → 関係
モノ    → コト

といったことだ。多様な価値観の渦の中で、「ギャル的マネジメント」は、新しい日本の構築に欠かせない力なのであろう。ただし多様性を認めるには、人々が自立していなければならない。そのためには「新しい日本語」が必要になる筈だ。

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posted by 茂木賛 at 08:56 | Permalink | Comment(0) | 公と私論

若者の力

2013年09月10日 [ 公と私論 ]@sanmotegiをフォローする

 “地方にこもる若者たち”阿部真大著(朝日新書)という面白い本を読んだ。本の帯には「地方都市はほどほどパラダイス 満員電車、高い家賃、ハードな仕事…… もう東京には憧れない」とある。まずカバー裏の紹介文を引用しよう。

(引用開始)

都会と田舎の間に出現した、魅力的な地方都市。若者が地方での生活に感じる幸せと不安とは―――?
気鋭の社会学者が岡山での社会調査を元に描き出す、リアルな地方都市の現実と新しい日本の姿。

(引用終了)

ということで、これは、新しい日本の社会を作る「若者の力」についての本だ。著者は、いまの岡山を次のように描く。

(引用開始)

容赦なく進行する郊外のモータライゼーション、国道沿いに並ぶ巨大な路面店やショッピングモール、シャッター通りが増え高齢化の進む旧市街、人口の減少に悩む過疎地域、縮小する製造業と拡大するサービス業、地域社会と切り離された「脱社会化」した若者たち、古き良き「戦後社会」の幻影にしがみつく年長世代、広がる貧困とそのなかでいよいよ閉塞していく近代家族。すべてが「どこかで見た光景」であった。

(引用終了)
<同書 208ページより>

以前私は「継承の文化」の項で、いまの日本社会の姿を「奥山は打ち捨てられ、里山にはショッピング・センターが建ち並び、縁側は壁で遮断され、奥座敷にはTVが鎮座する」と描写したことがあるけれど、それとよく似た日本のどこにでもある(郊外の)光景だ。

 「アッパーグラウンド」の項で述べたように、世界中でモノコト・シフトが進んでいるにも拘らず、今の日本の大人たちは「心ここに在らず」の状態のまま、大量生産・輸送・消費システムが作り出したこの寒々とした光景の中で暮らし、財欲に駆られた人々による強欲支配と、古い家制度の残滓に寄りかかった無責任な官僚行政を許している。

 しかし阿部氏は、今の若者たちの中に、新しい日本の社会を作るエネルギーが生まれているという。1990年代以降のモータリゼーションが生み出した巨大な路面店やショッピングモールは、若者たちに、地方特有のしがらみや因習から自由な「ほどほど」の都市空間を与えた。一方、(モノコト・シフトによる)近代家族の崩壊は、若者たちが反抗の対象とすべき「大人の世界の安定性」そのものを無化してしまった。社会の安定性の崩壊は、画一的な生き方の押し付けから若者たちを解放する一方、多様な価値観の渦の中に若者たちを放り出すこととなった。著者は、その先に「都会と田舎の間に出現した新しい社会」(同書のサブタイトル)の可能性を見る。

 本書に引用されている“ダイバシティ・マネジメント――多様性をいかす組織”谷口真美著(白桃書房)によると、多様性への組織の対応には、

第一段階 「抵抗」 違いを拒否する <抵抗的>
第二段階 「同化」 違いを同化させる・違いを無視する <防衛的>
第三段階 「分離」 違いを認める <適応的>
第四段階 「統合」 違いをいかす・競争的優位性につなげる <戦略的>

といった四段階があるという。著者は、この考え方を多様な価値観の渦の中に放り出された若者たちの生き方に応用し、一部の若者たちは第四段階の「統合」の段階に進んでいるという。そして、

(引用開始)

現在「こもっている」若者は、「同化」ではなく「分離」の段階にあるのではないか。社会の多様性を認識したうえで「こもる」という選択をしているのであれば、彼らは既に「統合」に向けた準備ができていると言えるかもしれない。そう考えると、準備ができていないのは「こもっていないで外に出ろ」と声高に叫ぶような、社会の多様性に鈍感で未だ「同化」の段階にある「大人」たちではないか。「新しい公共」が社会の多様性を前提とする「統合」によって構築されるのであれば、「同化」の段階にある大人たちより彼らのほうが「新しい公共」に近い場所にいると言えるだろう。

(引用終了)
<同書 199ページより>

と述べる。ここでいう「新しい公共」とは、以前「自立と共生」の項で引用した、2009年鳩山政権所信表明演説にある「人を支えるという役割を、『官』と言われる人たちだけが担うのではなく、教育や子育て、街づくり、防犯や防災、医療や福祉などに地域でかかわっておられる方々一人ひとりにも参加していただき、それを社会全体として応援しようという価値観です」といった内容のことで、モノコト・シフト以降の日本社会の「公共」のあり方と言ってよいだろう。

 「心ここに在らず」の大人たちが大量生産・輸送・消費システムが作り出した寒々とした光景の中で、惰性のまま、財欲に駆られた人々による強欲支配と、無責任な官僚行政を許し続けるのであれば、新しい日本社会の構築は、「統合」に向かう若者たちに期待すべきだ。これからも若者たちの勉強や起業を応援したい。

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posted by 茂木賛 at 10:17 | Permalink | Comment(0) | 公と私論

新しい日本語

2013年09月03日 [ 言葉について ]@sanmotegiをフォローする

 このブログでは、これまでモノコト・シフト後の社会について、「新しい家族の枠組み」「新しい住宅」などの項でその特徴を探ってきたが、ここでは、前回の「会話と対話」の項を踏まえて、「新しい日本語」について考えてみたい。他にもあるだろうが、まず以下3点について述べる。

1.公(Public)の場で使う言葉の創造

カテゴリ「言葉について」や「公と私論」などで書いてきたように、今の日本語は、前回見た二項対比、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳の働き(大脳新皮質主体の思考)―「公(Public)」
「対話」−社交性の重視

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き(脳幹・大脳旧皮質主体の思考)―「私(Private)」
「会話」−協調性の重視

のうち、Aの領域における構文や語彙が不足していると思う。だから、普段使うBの領域の日本語はそのままにしておいて、公(Public)の場で使う言葉を、幾つか新しく作ってみてはどうだろうか。

 その一つは、存在としてのbeである。「XXはYYである」という等価のbe、説明のbeとは違ったかたちで、これを簡潔に表現できないものだろうか。

 もう一つは、環境に依存する人称名詞、私や僕、手前や俺、あなたや君、お前やきさまといった言葉を、非環境依存的に表現したいということである。たとえば数字ではどうだろう。自分は1。相手は2。第三者は3。自分の意見は「1の意見は」、相手の意見は「2の意見は」第三者の意見は「3の意見は」という具合だ。

2.初等教育の改革

 平田オリザ氏は、その著書“わかりあえないことから”(講談社現代新書)の中で、これからの初等教育では、「国語」という科目をやめて、「表現」という科目と「ことば」という科目に分けるべきだと述べている。その部分を引用してみよう。

(引用開始)

 私は初等教育段階では、「国語」を完全に解体し、「表現」という科目と「ことば」という科目に分けることを提唱してきた。
「表現」には、演劇、音楽、図工はもとより、国語の作文やスピーチ、現在は体育に押しやられているダンスなどを含める。(中略)
「ことば」科では、文法や発音・発声をきちんと教える。現在、日本は先進国の中で、ほとんど唯一、発音・発声をきちんと教えない国となっている。口の開き方や舌のポジションをしっかり教えていくことが、話し言葉の教育の基礎となる。
 初等教育の過程では、この「ことば」科の中に、英語や地域の実情に応じて、韓国語や中国語を入れていけばいい。そうすれば、子どもたちは日本語をもう少し相対的に眺めることができるようになるだろう。

(引用終了)
<同書 59−60ページ>

このような改革によって、子どもたちが「会話と対話」の両方をきちんと学ぶことが出来るようになれば素晴らしいと思う。

3.不思議な日本語の見直し

 今の日本語には不思議な表現が沢山ある。たとえば「入力」と「出力」。英語ではinputとoutputだが、これは何かを出し入れすることであって、「力」とは無関係だ。中国語では「輸入」と「輸出」というらしいが、そのほうが正しく、日本語のように「力」という言葉をつけると、forceが加わっているような誤解が生じる。「酸性とアルカリ性」、「酸化と還元」の両方に使われている「酸」という言葉も分かりにくい。酸性はacidityだからこれで良いが、酸化の場合はoxidizationなのだから、「酸素化」とした方が良いのではあるまいか。「入力」、「出力」、「酸化」のような不思議な日本語は、どんどん正しい言葉に直していくべきだ。

 勿論、日本語の改革は一朝一夕には行かないだろう。真摯な研究と広汎な議論が必要だ。以上はほんのたたき台に過ぎないが、他人任せにしておいて良い訳ではあるまい。これからもいろいろと考えてゆきたい。

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posted by 茂木賛 at 11:33 | Permalink | Comment(0) | 言葉について

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