前回「女子力」の項で、日本の政治やビジネスにおいては「律令」主義を排して女性性=「関係原理」を取り入れることが必要になってくる、と書いたけれど、それは大規模都市からではなく地方都市から始まるように思う。
「若者の力」の項でみたように、地方都市の魅力が高まっていることが一つ。新しい「コト」が起きるためには、ある程度小さな規模の枠組みが必要なことがもう一つ。一方、大規模都市にはgreedとbureaucracyと、それを許し続ける「心ここに在らず」の大人たちが大勢棲みついていることが第三の理由だ。そういう大人たちが大勢棲みついていると、多様性への対応の四段階、
第一段階 「抵抗」 違いを拒否する <抵抗的>
第二段階 「同化」 違いを同化させる・違いを無視する <防衛的>
第三段階 「分離」 違いを認める <適応的>
第四段階 「統合」 違いをいかす・競争的優位性につなげる <戦略的>
における「同化」圧力が高く、新しい「コト」が起こりにくい。起こしにくい。
モノコト・シフト後の「新しい家族の枠組み」の価値観は、
1. 家内領域と公共領域の近接
2. 家族構成員相互の理性的関係
3. 価値中心主義
4. 資質と時間による分業
5. 家族の自立性の強化
6. 社交の復活
7. 非親族への寛容
8. 大家族
といったことだ。だから、大量生産・輸送・消費に便利な大規模都市に住む理由はない。これからは、少品種少量生産、資源循環、食の地産地消、新技術の時代なのである。それを牽引するのは、理念と目的を持ったスモールビジネスと、その横の連携だ。
さらに、このブログでは、モノコト・シフト後の新しい地域価値観として、「流域思想」というものを提唱している。流域思想とは、山岳と海洋とを繋ぐ河川を中心に、その流域を一つの纏まりとして考える発想のことで、これからの食やエネルギー、文化の継承などを考える上で重要な思想の一つだ。流域思想は、山岳と河川の豊な地方都市の方が、ビルに覆われた大規模都市よりも実践的である。これが、地方都市から新しい日本が生まれるであろう第四の理由である。
勿論、大規模都市近辺にも魅力的な場所はある。「都市の中のムラ」の項ではそういう場所について述べた。大事なのは、そこに暮らす人々が精神的に自立できていること、そして、新しい価値観に対して寛容なこと。さらにそこに地域固有の流域価値があれば、黙っていても多くの若者たちが集まってくるだろう。
以前「小さな町」の項で、イタリアの地方都市の新しい試みについての本を紹介し、
(引用開始)
日本も明治の開国から150年近く経つわけだから、そろそろ真剣に過去を見直して、新しい国づくりを考える時期に来ているのではないだろうか。
(引用終了)
と述べたけれど、新しい国づくりは、魅力溢れた地方都市から始まるといって良いと思う。