夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


日本の農業

2012年11月27日 [ 公と私論 ]@sanmotegiをフォローする

 “日本農業への正しい絶望法”神門善久著(新潮新書)といういささか刺激的なタイトルの本を有意義に感じながら読んだ。本の紹介文をまず引用しよう。

(引用開始)

「有機栽培」「規制緩和」「企業の参入」等のキーワードをちりばめて、マスコミ、識者が持て囃す「農業ブーム」は虚妄に満ちている。日本農業は、良い農産物を作る魂を失い、宣伝と演出で誤魔化すハリボテ農業になりつつあるのだから。JAや農水省を悪者にしても事態は解決しない。農家、農地、消費者の惨状に正しく絶望する。そこからしか農業再生はありえないのだ。徹底したリアリズムに基づく激烈なる日本農業論。

(引用終了)
<同書カバー裏より>

ということで、この本は日本の農業の問題点を率直に抉り出す優れた研究である。

 このブログでは、安定成長時代の産業システムとして、多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環、新技術の四つを挙げ、それらを牽引するのは、フレキシブルで判断が早く、地域に密着したスモールビジネスであると主張している。

 戦後の高度成長時代を支えてきたのは、遠くから運ばれる安い原材料と大きな組織によって可能となった大量生産・輸送・消費システムだったが、高齢化が進む今の日本はすでに安定成長時代に入っている。当然のことながら、これまでと同じ産業システムでは立ち行かない。

 勿論これからも大量生産が日本から無くなることないだろうが、新しい価値や文化を育むのは、多品種少量生産の方に違いない。「近代家族」の崩壊、「新しい家族の枠組み」の必要性、いま世界規模で起こっている「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」(略してモノコト・シフト)も、日本の多品種少量生産への追い風になるだろう。

 詳細は本書をお読みいただきたいが、神門氏はこの本の中で、日本農業の本来の強みである「技能集約型農業」の復活を主張しておられる。技能集約型農業は、多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環、新技術という四つの産業システムに適合するだけでなく、まさに地域に密着したスモールビジネスであり、これからの日本を牽引すべき職業であると云えるだろう。

 神門氏はまた、「技能集約型農業」による雇用について次のように述べる。

(引用開始)

 かつての高度経済成長期の工業化の局面では、人口が都市に集中し、大量消費・大量生産を進めることで経済成長を遂げた。しかし、脱工業化時代の今日にあっては、首都圏一極集中をあらため、地方文化を育てて日本社会を多様化する方が有利だ。脱工業化時代では、ソフトの開発能力が国力の浮沈の鍵を握る。ソフト開発では画一的発想の打破という創造的破壊が不可欠であり、そのためには、つねにさまざまな価値観や文化を社会に共存させておく必要がある。農作業のあり方は地域の気象や地形を色濃く反映するため、農業者は地域への意識が強くなりがちで、地域社会の担い手としても好適だ。したがって、技能集約型農業による農村雇用の創出は、農業のみならず、国内の文化の多様性を通じて、脱工業化時代の日本経済全般の活性化に役立つ。

(引用終了)
<同書 103−104ページより>

ということで、これは、山岳と海洋とを繋ぐ河川を中心にその流域を一つの纏まりとして考える「流域思想」とも親和性が強い。

 だが一方、先日「新しい家族の枠組み」の項で、

(引用開始)

 日本社会は今、「近代家族」の崩壊を目の当たりにしながらも、糸の切れた凧のように彷徨っている。それは、敗戦直後アメリカに強制された理念優先の新憲法のもと、長く続いた経済的高度成長が、まともな思考の停止と麻薬のような享楽主義とを生み、環境に同化しやすい思考癖(日本語の特色)と相俟って、財欲に駆られた人々による強欲支配と、古い家制度の残滓に寄りかかった無責任な官僚行政とを許しているからである。

(引用終了)

と述べたように、今の日本人のメンタリティーや思考法が、このまま変わることがなければ、「技能集約型農業」も絵に描いた餅でしかない。

 今の日本を覆う、農地利用の乱れ、消費者の舌の劣化、放射能災害の放置、うわべだけの農業ブーム、ヨソ者排除という社会の悪しき風習などなど、真の「技能集約型農業」の確立には、まだ幾多のハードルを乗り越えなければならない。それを踏まえて、神門氏はこの本を“日本農業への正しい絶望法”というタイトルにされたのだろう。まず必要なのは日本人の「精神的自立」なのである。

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posted by 茂木賛 at 16:16 | Permalink | Comment(0) | 公と私論

流域価値

2012年11月20日 [ 街づくり ]@sanmotegiをフォローする

 前項まで、新しい家族の枠組みとその住宅形態を見てきたわけだが、各々の家族の価値が様々なかたちで定まってくると、街づくりにとっては、「継承の文化」の項で述べたような「コミュニティ全体の価値」と、これら「新しい家族の価値」との接点をどう作ってゆくか、ということが課題となる。

 「新しい家族の価値」は様々であっても、住宅(暮らしの場所)がある地域を貫くいわゆる「コミュニティ全体の価値」は、ある程度の地理的な広がりにおいて集約できなければ意味がない。そのなかの一番大きな枠を地球全体とすると、次に大きな枠は言語もしくは国、そしてその次の枠が「地域社会」と呼ばれるものになるだろうか。

 「新しい家族の価値」が様々であればあるほど、地域社会としての価値を何か一つの「新しいこと」に集約するのは難しいだろう。といって、これまでの地縁・血縁に頼った価値観をそのまま引きずるのも実情から外れる。

 このブログでは、「流域思想」や「流域思想 II」、「流域社会圏」や「行事の創造」、「鉄と海と山の話」や「“タテとヨコ”のつながり」の項などで、山岳と海洋とを繋ぐ河川を中心にその流域を一つの纏まりとして考える「流域思想」について述べてきた。

 山岳と海洋とを繋ぐ河川を中心にした領域は、自然エネルギーと生産物の通う道として古くから経済の中心であり、文化的には、奥山から里山、家の奥座敷を繋ぐところの「両端の奥の物語」を生み出す重心であった。今の時代、様々な「新しい家族の価値」を繋ぐ「地域社会価値」として、この「流域思想」ほど相応しいものは無いのではないだろうか。

 流域思想に基づく「流域価値」は、山奥の水源を起点に、“鉄は魔法つかい”にあるような分散型エネルギーを生み出す力の纏まりとなるだろう。このことは資源循環が必要となるこれからの時代に極めて重要だ。文化的には、“オオカミの護符”で語られるような古くからの価値と、新しい家族の価値とを繋ぐだろう。

 先日新聞のコラムに鷲田清一氏の次のような一文があった。

(引用開始)

 コミュニティーの勁(つよ)さというのは、生きるため、生き延びるためにどうしても必要な作業を共同でおこなうところにある。かつて地方が町方に対し「ぢかた」と呼ばれたころには、食材の調達や分け与え、排泄(はいせつ)物の処理、次世代の育成、相互治療、防災、祭事、墳墓の管理など、広い意味での「いのちの世話」はみなが協力して担った、そこでは子供もあてにされていた。
 もちろんそれはしがらみにがんじがらめになった共同体ではあった。掟(おきて)を破り、秩序を乱した者を「村八分」する過酷(かこく)な共同体でもあった。

(引用終了)
<東京新聞夕刊 10/5/2012より>

「流域価値」には、エネルギーや食物、防災などの「いのちの世話」要素が色濃く含有される。それが、しがらみの少ない「新しい家族の価値」と融合すれば、新しいコミュニティの価値として申し分ないと思う。

 中小様々な河川に生まれる多様な流域価値は、その流域の新しい家族の価値によって豊かに育ちながら、川が合流するように、他の流域価値と出会い入れ子構造となり、やがて中小の河川が大河に流れ込むように、“長良川をたどる”で描かれるような大河流域価値を形成する。そして、次に大きな枠としての言語もしくは国の価値と融合し、その文化をさらに豊かなものにしてゆく。

 流域によって形成される分散型エネルギー・文化的価値は、新幹線や高速道路によって形成される大量輸送型エネルギー・文明的価値と、際立った対比を齎すだろう。勿論、日本も地球規模のグローバルな文明的価値と無縁ではあり得ないが、それとは時空を異にして、日本列島各地に生まれるこの多様な「流域価値」こそ、“モノからコトへ”のパラダイム・シフト(モノコト・シフト)の時代、我々にとってより重要な意味を持つと思われる。

 以前「場所の力」の項で、

(引用開始)

 世界は、XYZ座標軸ののっぺりとした普遍的な空間に(均一の時を刻みながら)ただ浮かんでいるのではなく、原子、分子、生命、ムラ、都市、地球といった様々なサイズの「場」の入れ子構造として存在する。それぞれの「場」は、固有の時空を持ち、互いに響きあい、呼応しあい、影響を与え合っている。この「場所の力」をベースに世界(という入れ子構造)を考えることが、モノコト・シフトの時代的要請なのである。

(引用終了)

と書いたけれど、「流域価値」こそ「場所の力」の源泉となり得るだろう。

 この夏、私は草津から長野蓼科まで車で走った。その途中、地蔵峠付近で日本海と太平洋を分ける「中央分水嶺」を通った。その案内板を見ながら不思議な戦慄を覚えたのだが、それは、「流域価値」という力に対する潜在的な畏敬の念だったのかもしれない。

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posted by 茂木賛 at 09:13 | Permalink | Comment(0) | 街づくり

新しい住宅 III

2012年11月13日 [ 街づくり ]@sanmotegiをフォローする

 先日新聞に「独居より擬似家族」というタイトルの記事があった。このブログでは「新しい家族の枠組み」の住宅形態を、前回(凱風館)、前々回(シェアハウス)とみてきたわけだが、この記事ではフランスと韓国の事例を紹介している。

 フランスには「受け入れ家族制度」というものがあるという。韓国には、独居高齢者が4、5人で寝食を共にする施設「共同生活空間」があるという。介護施設のような職員は置かず自分の力で暮らす。詳しくは記事をお読みいただきたいが、ここではフランスの事例を一部引用しておこう。


(引用開始)

 プルニさん宅は夫婦と4人の子供がおり、高齢者ら3人受け入れる。同じ屋根の下に9人。いわば「擬似家族」だ。ムリエール・プルニさん(45)は「お年寄りが自由に暮らせる空間をつくりたい」と受け入れ家族になった。(中略)
 この制度は1989年に法律ができ、順次始まった。核家族化などで在宅看護が難しくなったためだ。
 一人で暮らせない高齢者3人まで、県の審査をパスした家族が受け入れる。漢語、医療が必要な人もケアが可能ならば受け入れる。入居者は平均でつき1500〜2千ユーロ程度(15万〜20万円)を支払う。
 利用者の理由はさまざまだ。ブレーズモローさんは身の回りのことは一通りできるが、たびたび物忘れをするので、見守りが欠かせない。実の息子は、つきっきりではいられず、入居した。「(プルニさん一家は)家族のよう。夜部屋に一人でも、誰かがリビングにいると安心します」

(引用終了)
<東京新聞9/23/2012より>

これらフランスや韓国の住宅も、「新しい家族の枠組み」の特徴、

1. 家内領域と公共領域の近接
2. 家族構成員相互の理性的関係
3. 価値中心主義
4. 資質と時間による分業
5. 家族の自立性の強化
6. 社交の復活
7. 非親族への寛容
8. 大家族

に対応できていると思う。

 日本における「新しい家族の枠組み」の住宅形態も、「シェアハウス」や「凱風館」以外、さまざま生まれつつあるようだ。“住み開き”アサダワタル著(筑摩書房)には、そのような住宅が多く紹介されている。新聞の書評を引用しよう。

(引用開始)

 自宅という今までは閉じられていた空間を開放して、サロンやギャラリーを催す小さなコミュニティーが増えている。と今日・大阪などの都市に点在する、そんな楽しい三十の<住み開き>の実践を紹介。型破りなシェアハウス、長屋での共同育児、自宅と弛緩など、従来の地縁・血縁でも金銭の交換でもないこだわりを持ち、無縁社会もどこ吹く風の、新しい関係性や公共性を形作る取り組みだ。

(引用終了)
<東京新聞 3/11/2012>

本のサブタイトルには“家から始めるコミュニティ”とある。ユニークで楽しい価値観満載なので一読をお勧めしたい。こういった住宅では、いろいろなサポートが必要だろうから、小回りの効くスモールビジネスのチャンスも多くあると思う。

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posted by 茂木賛 at 09:35 | Permalink | Comment(0) | 街づくり

新しい住宅 II 

2012年11月06日 [ 街づくり ]@sanmotegiをフォローする

 前回「新しい住宅」の項で、これからの家族が暮らす住宅形態の一つとして「シェアハウス(シェア型住居)」についてみたが、“みんなの家。”光嶋裕介著(アルテスパブリッシング)という本に描かれた住宅も、これからの新しい形態の一つだと思う。この住宅は、思想家内田樹氏の自宅兼道場で、最近建てられたものだという。新聞の書評から本の内容を紹介しよう。

(引用開始)

 僕たちの時代の建築家が姿を現した。
 「みんなの家」とは、思想家・内田樹の自宅兼道場「凱風館」。内田は設計をこれまで一軒も家を建てたことがない若者に託した。しかも、ほぼ初対面でいきなり。本書は、若き建築家が設計の依頼を受けてから、一軒の家を完成させるまでを綴った記録である。
 内田の周りには、自然と魅力的な人が集まる。内田はそれを拒まない。すると自宅は単なるプライベート空間を越えたパブリックの要素を持つ。仲間は「拡大家族」となり、家はみんなに分有される、私的所有という観念が揺らぐ。
 凱風館には、自ずと寄贈品が集まってくる。丸太梁から棟木、冷蔵庫、ベンチまで。みんなは自分の家のように愛着を抱き、建築プロセスに関与する。内田は家の一部を開放し、若者にチャンスを与える。つまり、関係性の基盤が、市場的価値ではなく贈与によって成り立っているのだ。
 もちろん、お金はかかる。
 重要なのは、どこにお金を流し、何を支えるべきかを吟味することである。山を守りながら丹念に木を育てる林業者、国産材を使い続ける工務店、高い技術を持つ大工、土を知り尽くした左官職人、手作りの瓦屋……。安上がりの大量生産に背を向け、守るべき価値を大切にする職人たちを応援する。(中略)
 「凱風館」は、それ自体が思想である。そして、あるべき社会の方向性が提示されている。この建物は、グローバル資本主義の嵐が吹き荒れても、びくともしない。
 希望に満ちた清涼感のある一冊だ。

(引用終了)
<朝日新聞9/9/2012より。フリガナは省略。>

いかがだろう。この住宅も、「新しい家族の枠組み」の特徴、

1. 家内領域と公共領域の近接
2. 家族構成員相互の理性的関係
3. 価値中心主義
4. 資質と時間による分業
5. 家族の自立性の強化
6. 社交の復活
7. 非親族への寛容
8. 大家族

によく対応できていると思われる。

 内田氏自身も、その著書“ぼくの住い論”(新潮社)のなかで、この住宅を建てた経緯を書いておられる。短い書評を引用しておこう。


(引用開始)

 『自分だけの家』では、こうはいかなかったはず。「『みんなのための建物』をつくろうと思ったら、どこからともなく資金も知恵も集まってきた」。長年勤めた大学を定年退職した著者が建てた、能舞台にもなる、家つき武道場「凱風館」。若き建築家、きこり、工務店、瓦や漆喰(しっくい)の職人など、顔の分かる人の手が造りあげた家とそこに託した夢、開かれた場の力、磨かれる感覚、人と人の関係の広がりを、“抱え込まずどんどん次にパスを出す”経済の思想とともに語る。

(引用終了)
<東京新聞夕刊9/11/2012より>

興味のある方はこちらも併せてお読みいただきたい。

 先日「近代住宅」の項で、これまでの「近代家族」の暮らす住宅が、流し台を中心に据えたxLDKスタイルの母制住宅であることを論じ、

(引用開始)

このブログでは、「複眼主義のすすめ」の項などで、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳の働き−「公(Public)」−男性性

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き−「私(Private)」−女性性

といった二項対比を論じているが、日本語の特色からも、家父長制をなくした日本社会が、母制へ傾いていくのは必然の流れなのだろう。

(引用終了)

と書いたけれど、「凱風館」の男性家主による適度な統率は、これからの新しい住宅が、バランス的に、過度にBの母制に傾くことなくAの父性を取り込むための有効な方法であろう。

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posted by 茂木賛 at 09:31 | Permalink | Comment(0) | 街づくり

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