夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


新しい住宅 

2012年10月30日 [ 街づくり ]@sanmotegiをフォローする

 前回「新しい家族の枠組み」の項で、「近代家族」に代わる新しい家族の枠組みについて、

1. 家内領域と公共領域の近接
2. 家族構成員相互の理性的関係
3. 価値中心主義
4. 資質と時間による分業
5. 家族の自立性の強化
6. 社交の復活
7. 非親族への寛容
8. 大家族

といった特徴を挙げたけれど、これらの家族が暮らす住宅について考えてみたい。

 その形態の一つが「シェアハウス(シェア型住居)」であろう。以前「“シェア”という考え方」の項で紹介した三浦展氏の本からその部分を引用しよう。

(引用開始)

 ひつじ不動産が物件情報を掲載しているシェアハウスは「事業体介在型」の「シャア型住居」と定義されている。これは単なるルームシェアとは違う。ルームシェアは、友人、知人など、個人同士の私的な信頼関係によって運営される。しかし、シェア型住居では、運営に責任を持ち、運営によって収益を上げている事業体が存在している。こういうシェアハウスに住む人が、二〇〇九年一二月時点で、主に東京を中心に約一万人いるという。ここには友人同士がひとつの家に住むケースは含まれない。また、六畳一間に二段ベッドを二つ置いて四人で住むという低所得者向けのシェアハウスというのもあるそうだが、それもここには含まれない。

(引用終了)
<“これからの日本のために「シェア」の話をしよう” 77−78ページ>

 シェアハウスは、home/officeによる家内領域と公共領域の近接、趣味や価値観による構成員の決定、得意技や時間帯による家内分業など、上に挙げた新しい枠組みの特徴によく対応できるので、今後「新しい住宅」の基本形になるではないだろうか。普及が進めば、そこに暮らす人々によって自主的に運営されるシェアハウスも出てくるかもしれない。

 社会には勿論「近代家族」も多く残存するから、これからの住宅街には、近代家族が暮らす「近代住宅」(とその延長線上にある老人ホームや二世帯住宅)と、こういった「新しい住宅」とが、斑模様に存在することになるのだろう。

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新しい家族の枠組み

2012年10月23日 [ 公と私論 ]@sanmotegiをフォローする

 近代家族を超える新しい家族の枠組みについて考えてみよう。新しい枠組みの方向性については、これまで「“シェア”という考え方」、「“シェア”という考えかた II」の項で、

私有    → 共同利用
独占、格差 → 分配
ただ乗り  → 分担
孤独    → 共感

世間    → 社会
もたれあい → 自立
所有    → 関係
モノ    → コト

といったパラダイム・シフトとして提示してきたが、これをベースに、「近代家族」の特徴、

1. 家内領域と公共領域の分離
2. 家族構成員相互の強い情緒的関係
3. 子供中心主義
4. 男は公共領域・女は家内領域という性別分業
5. 家族の団体性の強化
6. 社交の衰退
7. 非親族の排除
8. 核家族

に倣ってそれを列記してみる。

 高度成長経済が終わり、不況で外で安定的収入を得ることでかろうじて保たれてきた父権が崩れ、妻が働きに出ることで性別分業が意味を失い、高齢化社会によって子供中心主義が崩壊したこれからの家族は、

1. 家内領域と公共領域の近接
2. 家族構成員相互の理性的関係
3. 価値中心主義
4. 資質と時間による分業
5. 家族の自立性の強化
6. 社交の復活
7. 非親族への寛容
8. 大家族

といったものになるのではないだろうか。

 日本社会は今、「近代家族」の崩壊を目の当たりにしながらも、糸の切れた凧のように彷徨っている。それは、敗戦直後アメリカに強制された理念優先の新憲法のもと、長く続いた経済的高度成長が、まともな思考の停止と麻薬のような享楽主義とを生み、環境に同化しやすい思考癖(日本語の特色)と相俟って、財欲に駆られた人々による強欲支配と、古い家制度の残滓に寄りかかった無責任な官僚行政とを許しているからである。「近代家族 II」の項の最後に、

(引用開始)

 「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」(略してモノコト・シフト)の時代、街づくりにおいても、地域単位の新しい枠組みと、官僚まかせ主義からの脱却が求められている。

(引用終了)

と書いたけれど、この「新しい家族の枠組み」をベースに、商店街や街づくり、食生活や住宅などについて考えてゆこうではないか。新しいスモールビジネスの種もいろいろと見つかると思う。

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近代住宅

2012年10月16日 [ 街づくり ]@sanmotegiをフォローする

 ここでいう近代住宅とは、「近代家族 III」などで見てきた、近代家族が暮らす住宅のことを指す。戦後の日本の近代住宅について、最近読んだ“フジモリ式建築入門”藤森照信著(ちくまプリマー新書)から引用しよう。

(引用開始)

 日本固有の住宅表示として“2LDK”などというが、2とはふたつの寝室を指し、LDKとは、居間と食堂と台所が、壁とドアで仕切られず一つづきに納まっている部屋を意味する。(中略)
 もともと一体化は“狭いながらも楽しいわが家”のための工夫だったが、広くて立派な家にまでおよび、今ではたいていの家がLDK一体となっている。
 ではなぜ、三つの部屋をそれぞれ独立して充実させるだけの経済的ゆとりのある人々まで、一体化を受け入れたんだろうか。それは民主主義、男女平等をを掲げる戦後思想のゆえだった。
 LDKは、LもDもKも、主役は実は母にほかならない。男女平等というけれど、帰りが遅く朝の早い父がLDKに占める役割も過ごす時間も少ない。
 LDKのうち、DとKは完全に母の勢力下にあり、とりわけKは母の拠点。そのKを、拠点にふさわしく作り変えたのはステンレス流し台だった。(中略)
 輝く流し台の前で、キビキビと立ち働きながら、家の中の子供たちの様子にも気を配る母。戦後の母のステンレス流し台は、戦前の父の床柱にとって代わった。住いは、家父長制から母制へ。それにしても父権の場が失われた今、住いの中で父はどこでどう存在感を示せばいいんだろう。

(引用終了)
<同書 20−22ページ>

近代住宅は、

1. 家内領域と公共領域の分離
2. 家族成員相互の強い情緒的関係
3. 子供中心主義
4. 男は公共領域・女は家内領域という性別分業
5. 家族の団体性の強化
6. 社交の衰退
7. 非親族の排除
8. 核家族

といった特徴を持つ「近代家族」に都合よく作られてきたわけだ。このブログでは、「複眼主義のすすめ」の項などで、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳の働き−「公(Public)」−男性性

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き−「私(Private)」−女性性

といった二項対比を論じているが、日本語の特色からも、家父長制をなくした日本社会が、母制へ傾いていくのは必然の流れなのだろう。

 昔よく、戦後強くなったものは女性と靴下といわれたものだが、最近、特にスポーツの世界で、日本の女子力が世界に冠たるものになってきた。日本の女子力がこれほど強くなったのは、輝く流し台を中心に据えた「近代住宅」の後押しを受けたからに違いない。

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海と心月

2012年10月09日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 先日新宿の「朝日カルチャーセンター」で、「密息と倍音」と「音響空間」の項で紹介した中村明一氏の講演を聴く機会を得た。中村氏とは中高(私立武蔵中学・高校)が同窓だったことがわかりご招待いただいた次第。当日は、中村氏による倍音に関する講義のあと、「鶴の巣籠」と「薩慈(さじ)」の独奏、深海さとみ氏と黒川真理氏による箏や三絃、唄もあり、久々に日本独自の音楽を堪能した。

 日本独自の音楽といえば雅楽もそうだ。私は尺八を聴きながら、三島由紀夫(本名平岡公威)の短編「蘭陵王」の一節を想起した。富士の裾野の営舎で、Sの横笛を学生達と聴いている場面だ。

(引用開始)

 私は、横笛の音楽が、何一つ発展せずに流れるのを知った。何ら発展しないこと、これが重要だ。音楽が真に生の持続に忠実であるならば、(笛がこれほど人間の息に忠実であるように!)、決して発展しないということ以上に純粋なことがあるだろうか。

(引用終了)
<「蘭陵王」(新潮社)258ページより(新かな・新字体に変更した)>

 中村氏の尺八演奏には「循環呼吸法」が使われる。循環呼吸法とは、吹きながら同時に息を吸い、まったく息継ぎをしないで吹き続ける呼吸法のことで、この部分を聴いていると、音楽が発展しないというよりも、さらに、一瞬時が止まったような感覚に襲われた。

 時の流れは環境変化によって知覚されるから、どこか山奥の静かなところでじっとしていると時が止まったように感じられる。しかし、耳を澄ませばせせらぎの音や鳥の声が聞こえたりして、人は改めて時の流れを知覚するわけだ。循環呼吸法によって奏でられる音は、ときにそのまま変化なく持続するから、時が止まったように感じられるのだろう。

 尺八を聴いた翌日、私は講演会場で買い求めた中村氏のCD“虚無僧尺八の世界 薩慈”(DENON)をかけながら、数日前に京橋で観た“ドビュッシー、音楽と美術”という美術展のカタログを見ていた。そういえば、三島由紀夫にはドビュッシーの“沈める寺院”を思わせる“沈める瀧”という題名の小説があった。“沈める瀧”のことは、「長野から草津へ」の項で触れた岩下尚史著“ヒタメン”にも出てくる。

 美術展のカタログの中に、ドビュッシーの音楽と浮世絵の影響について書かれた文章があったので、ふと思いついて(このような聴き方はあまりしないのだろうが)、ドビュッシーの交響詩“海”のあとに、中村氏のCDにある“心月”という静かな曲をかけてみた。このブログでは、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳の働き

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き

という二項対比を論じているが、ドビュッシーの音楽が、Aの観点から「海」という自然を、五線譜によって知的(印象的)に描いているのに対し、中村氏の音楽は、Bの観点から「月」という自然を、息を通して身体の内側から描き出している。“海”が終わり“心月”が始まると、海のざわめきの上に、静かな月が煌々と照る様を観ているようで、尺八の音がことのほか深く心に染み入ってきた。

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近代家族 III

2012年10月02日 [ 公と私論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回、前々回と、「近代家族」の限界とそれに代わる新しい枠組みの必要性について、主に街づくりの観点からみてきたが、このことを食生活について見たのが、“日本のリアル”養老孟司著(PHP新書)という本の第一章である。この本は、

(引用開始)

「本当の仕事」をしている4人と考える。
「家族の絆」の実状 岩村楊子
耕さない田んぼ 岩澤信夫
ダム、震災、牡蠣(かき) 畠山重篤
森林を合理的に救う 鋸谷(おがや)茂

(引用終了)
<同書 帯の紹介文より>

ということで、養老氏とそれぞれの人との対談集であり、そのうちの第一章が、岩村楊子氏との対談「現代人の日常には、現実がない」である。

 岩村氏には、“変わる家族 変わる食卓”(勁草書房、中公文庫)などの著書があり、今の日本家族の平均的な食生活の実態はそれらの本に詳しい。岩村氏は対談で次のように述べる。

(引用開始)

 十数年調査してきて、やはり家族がそれぞれますます「自分」を大切にし、個を優先するようになっていると感じています。食卓にもそれははっきりと表れていて、家族が家にいても同時に食卓に着かず、たとえ一緒に食卓を囲んでも違うものを食べる「バラバラ食」、さらには一日三食も崩れて、みんな自分のペースで好きな時間に勝手に食べる「勝手食い」も増えています。「バラバラ食」や「勝手食い」の家では、親は子供が何を食べたのかも知らなかったり、無関心になっている。

(引用終了)
<同書 19ページ>

前回も引用した「近代家族」の特徴は、

1. 家内領域と公共領域の分離
2. 家族成員相互の強い情緒的関係
3. 子供中心主義
4. 男は公共領域・女は家内領域という性別分業
5. 家族の団体性の強化
6. 社交の衰退
7. 非親族の排除
8. 核家族

といったことである。岩村氏の調査は、これらの限界をよく示している。養老氏は、日本社会について次にように述べる。

(引用開始)

 そもそも、高度成長期に若い世代の多くが地方から東京に出てきたのは、「絆」というややこしい人間関係を断ち切るためでもありました。
 戦後、民法改正で家制度がなくなりましたが、その影響が残っていたときは、人々はまだ理屈抜きで故郷と結びついていました。(中略)
 ところが、今ではお盆や正月に帰る故郷がない人が増えています。それはどういうことかというと、結局のところ、日本人は戦後、絆をお金に変えてきたんですね。
 昔は、仕事もしないでブラブラしている人間が親戚にいても、みんなで助け合ってなんとか食わせていました。それが今では、親戚を頼れなくなったので、それぞれが保険に入ったり、行政の福祉サービスを受けたり、あるいは生活保護を受けるしかなくなっています。
 そのような社会の中で、途方に暮れている人もいるはずですよ。社会はどんどん個にバラけていきましたが、日本にはアメリカ風の自助の精神はありません。戦後の新憲法は、独立した家族が集まって集団をつくり、国家を運営していくという理想像を描きましたが、日本人の中では自助の精神はあまり育たず、伝統的な「長いものには巻かれろ」式の考えかたでやってきたのですから、「これからは個として生きろ」といきなり言われても、どう生きてよいのかわからない人は多いはずなんです。

(引用終了)
<同書 23−24ページ>

養老氏の言葉は、日本の近代家族が初めから内包していた問題点をよく言い表している。日本人の思考法の基には勿論「日本語」がある。日本語については、このブログでもカテゴリ「言葉について」や「公と私論」などで論じているので参照していただきたい。

 この本は、岩村氏の他、不耕起栽培の岩澤信夫氏、「鉄と海と山の話」の項でも紹介した畠山重篤氏、森と木の研究所代表鋸谷茂氏との対談を収める。養老氏は岩澤氏との対談の中で、最近人々が自然と触れなくなったとし、

(引用開始)

 僕はずっと前から「参勤交代を復活させるべき。都会の人は、たとえば一年のうち三ヶ月は田舎で暮らす、という制度を作ったらどうか」と主張してきました。
 都会は、食料や木材などあらゆるものを供給する田舎がなければ成り立ちません。それはちょうど、身体がなければ頭が成り立たないのと同じことです。しかし頭はそうは考えたがりません。だから、身体という自然を使うことを覚え、外の自然に触れる機会をつくることが大切なんです。

(引用終了)
<同書 90ページ>

と述べておられる。

 近代家族を超えた新しい枠組みの必要性は、街づくりばかりではなく、食生活や、そのほかの日常生活を含む、今の日本社会のあり方全体についていえるのである。

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