夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


複眼主義とは何か

2012年06月26日 [ 公と私論 ]@sanmotegiをフォローする

 ここのところ「自分でよく考えるということ」や「精神的自立の必要性」の項において、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳の働き(大脳新皮質主体の思考)―「公(public)」
Α 男性性=「空間重視」「所有原理」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き(脳幹・大脳旧皮質主体の思考)―「私(private)」
Β 女性性=「時間重視」「関係原理」

という対比を見、偏ることなく物事を考えるにはAとB両方のバランスが大切であると繰り返し述べてきた。私はこれを「複眼主義」と名付け、これまでも「複眼でものを見る必要性」や「複眼主義のすすめ」、「南船北馬」といった各項で論を拡げてきた。今回はこの「複眼主義」とは何かについて、もう一度考え方を整理してみたい。

 複眼主義の第一は、脳と身体、都市と自然といった二項対比や双極性の特質を、的確に抽出することである。例えば、脳と身体という対比において、その重要な特質は、「思考における脳と身体性の違い」にあるという点にまず気づかなければ何事も始まらない。この点に気がつけば、頭脳には大脳新皮質と脳幹・大脳旧皮質という異なる部位があり、大脳新皮質が主に論理的な思考を司り、脳幹・大脳旧皮質が身体的な機能と密接に関連していることを学び、脳の働き=大脳新皮質主体の思考、身体の働き=脳幹・大脳旧皮質の思考、といった特質の抽出が可能となる。

 複眼主義の第二は、そういった二項対比や双極性を踏まえた上で、どちらか片方に偏らないバランスの取れた考え方を実践することである。例えば、脳の働きと身体の働きとのバランスの取れた考え方とは、ある物事に対して、理詰めに考えることと身体で感じることの両方を実践し、全体を網羅的に把握・体感することである。どこかの山に登る場合を考えてみよう。理詰めに考えるとは、事前によく地図を調べ、天候を調べ、服装などを整えることである。そして身体で感じることとは、当日の体調をよく勘案して、決して無理をせず、五感を研ぎ澄まして山道を歩くことである。そうすれば、山登りを十全に楽しむことが出来るだろう。

 ものごとを両眼で見ると奥行きがみえる。単眼だと表面しか見えない。そこで、二項対比や双極性を踏まえた上で、どちらか片方に偏らないバランスの取れた考え方を実践することを、「複眼主義」と名付けたのである。

 「自由意志の役割」の項で「世界はすべて互いに関連しあったプロセスで成り立っている」というホワイトヘッドの考え方を紹介したが、複眼主義の第三は、いろいろな二項対比や双極性を、様々な角度から関連付け、発展させていくことである。例えば、男女という二項対比を考えた場合、ホルモンの違い、脳構造の違いなどから、男性性=空間重視・所有原理、女性性=時間重視・関係原理といった特質が抽出できる。次はそれを他の二項対比、例えば脳と身体の対比と関連づけてみるわけだ。そうすると、脳の働き=大脳新皮質主体の思考=男性性=空間重視・所有原理といった一連の繋がり見えてくる。そして、身体の働き=脳幹・大脳旧皮質の思考=女性性=時間重視・関係原理というもう一方の繋がりも見えてくる。

 尚、ここでいう男性性・女性性とは、人(男女)がそれぞれ一定の比率で持っている認識の形式を指す。男性、女性そのもののことではない。男は生得的に男性性比率が高いけれど、女性性も持っている。女は生得的に女性性比率が高いけれど、男性性も持つ(詳しくは「男性性と女性性」、「男性性と女性性 II」の項を参照のこと)。

 ここまで関連づけたところで、偏らないバランスの取れた考え方を実践するために、再び山に登る場合を考えてみよう。理詰めに考えるとは、事前によく地図を調べ、天候を調べ、服装などを整えることであるが、さらに男性性を発揮して、空間を重視した山の位置関係を把握し、当日の経費の概算や山登りチームの編成などを考えておく。当日は、体調をよく勘案して、決して無理をせず、女性性を発揮してその時その時の楽しみを見つけながら互いに協力し合い、五感を研ぎ澄まして山道を歩く。そうすれば、山登りをさらに楽しむことが出来るはずだ。

 こうして、いろいろな二項対比や双極性を、様々な角度から関連付け、発展させていったもの(の一部)が、冒頭のAとBの対比なのである。

 社会には、バランスの偏った考え方がいまだ多く蔓延っている。例えば、考え方が男性性に偏りすぎると、社会は公私にわたり規律が強まり、成果主義が求められるようになる。一方、考え方が女性性に偏りすぎると、何でも馴れ合い・もたれ合いになってしまう。複眼主義の考え方は、都市空間における公(public)の事項(政治・経済)は、規律と成果主義で考え陋習を廃し、地縁・血縁・家族などの私(private)な事項(文化・宗教)は、それとはまったく別の共生・伝統主義で考えるということである。そしてその二つの理念の上に立脚し、さらに社会の発展を考えるということなのである。「都市の中のムラ」の項で論じたのは、そういう社会のあり方を探る試みの一端である。

 さてここまで「複眼主義」について説明してきたが、改めて纏めておこう。

(一)二項対比や双極性の特質を、的確に抽出すること
(二)どちらか片方に偏らないバランスの取れた考え方を実践すること
(三)特質を様々な角度から関連付け、発展させていくこと

いかがだろう、複眼主義のエッセンスをご理解いただけただろうか。以前「マップラバーとは」の項で紹介した“世界は分けてもわからない”福岡伸一著(講談社現代新書)の最後に、「世界は分けないことにはわららない。しかし、世界は分けてもわからない」という著者の言葉がある。この言葉は複眼主義にも当て嵌まると思う。世界は、二項対比や双極性を抽出し、関連付けなければわからない。しかし、分けて関連付けるだけで、バランスの取れた考え方を実践しなければ、認識がさらに次の段階に発展していくことは望めないのである。

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posted by 茂木賛 at 09:37 | Permalink | Comment(0) | 公と私論

ヒューマン・スケール

2012年06月19日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 このブログでは、安定成長時代の産業システムとして、多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環、新技術の四つを挙げ、それらを牽引するのは、フレキシブルで判断が早く、地域に密着したスモールビジネスであると主張してきた。ここでいうスモールビジネスとは、起業理念が明確な小規模企業を指す。従業員数の目安としては、社長1人から全員で30人くらいまでを想定しているが、業種によって適正規模があるからあまり拘らなくても良い。

 先日“小商いのすすめ”平川克美著(ミシマ社)という本を読んだ。このブログでの主張と重なるところが多いので、今回はこの本を紹介したい。まずは新聞の書評から。

(引用開始)

 装丁のセンスと「小商い」という言葉の響きに惹かれて手に取った。が、著者が前書きで断っているように、本書は小規模ビジネスの指南本ではない。
 グローバル資本主義が行き詰まり、経済成長神話や原発安全神話が崩壊した今、我々はどんなやり方で未来を描くべきか。本書では貧しくも活気があった昭和30年代を見つめ直しながらそのヒントを探る。キーワードは経済の縮小均衡とヒューマン・スケール(身の丈)の復興だ。
 金融技術によって膨らませた経済とは対極にある、地に足のついた、血の通った営み――そんな“小商いの哲学”に日本再生の希望を見る。「経営規模としては、むしろ小なるを望む」と謳ったソニーの設立趣意書を「小商いマニフェスト」と捉え、その精神を軽視したが故に、ソニーは輝きを失ったと説くのだ。
 換言すれば、経済成長の夢から覚めて「大人になれ」ということ。例えば高度成長を主導した下村治は、日本の拡大均衡が限界に達したことを1980年代半ばに見抜いていたという。
 小商いとは「身の回りの人間的なちいさな問題を、自らの責任において引き受ける」生き方のことでもある。脱・経済成長論は多々あれど、興味をそそるタイトルが本書の白眉。小商いを旨とする版元の出版社のありようが著者の主張を体現している。(ミシマ社・1680円)

(引用終了)
<朝日新聞 4/1/2012(ルビ省略)>

ということで、この本には私が勤めていたソニーの設立趣意書も出てくる。小商いについて、さらに本書から引用しよう。

(引用開始)

 小商いとは、自分が売りたい商品を、売りたい人に届けたいという送り手と受け手を直接的につないでいけるビジネスという名の交通であり、この直接性とは無縁の株主や、巨大な流通システムの影響を最小化できるやり方です。
 当然のことながら、そこに大きな利潤が生まれることはありません。
 しかし、小商いであるがゆえに、それほど大きな利潤というものも必要とはしていない。 
 何よりも、送り手と受け手の関係が長期にわたって継続してゆくことで、送り手は自分が行なっていることが意味のあることであり、社会に必要とされているのだと実感することができることが重要なのです。

(引用終了)
<同書 212ページ>

 本書の鍵となるコンセプトは、書評にもあるとおり「ヒューマン・スケール」という言葉だろう。本書のあとがきから引用する。

(引用開始)

 人間は誰でも自然の摂理のなかから偶然にこの世に生れ落ち、数十年を経て再び自然の摂理の中に回収されていく存在です。
 本書の中で繰り返し述べているヒューマン・スケールとは、まさに人間がどこまでいっても自然性という限界を超え出ることはできない存在であり、その限界には意味があるのだということから導き出した言葉です。
 小商いという言葉は、そのヒューマン・スケールという言葉の日本語訳なのです。

(引用終了)
<同書 227ページ>

 ヒューマン・スケールという言葉には、物事を判断するに及んで「自分を外さない」という意味も込められている。

(引用開始)

 ひとは、自分を棚上げにしたところでは何でも言うことが可能ですが、自分を棚上げしてなされた言葉は中空に浮遊するだけで、他者に届くことはありません。

(引用終了)
<同書 132ページ>

このブログでも、「集合名詞(collective noun)の罠」の項で、「これまで人間社会で起こったことのすべては一人一人の判断と行動(あるいは非行動)の結果であり、これからもそれ以外はあり得ないということを我々は肝に銘じるべきだろう。(中略)ビジネスの現場でも、本当のところ個人の力が全てである。何かを成し遂げるためには、社員一人ひとりが持てる力をフルに発揮する以外に道はない。スモールビジネスにおいては特に、社長以下社員一人ひとりの行為がそのまますぐ会社の業績・評価につながる。」と述べたことがある。

 著者の平川氏はさらに、ヒューマン・スケールとは、本来自分には責任のない「いま・ここ」に対して、責任を持つ生き方だという。

(引用開始)

 そういった合理主義的には損な役回りをする人があって、はじめて地域という「場」に血が通い、共同体が息を吹き返すことができる。(中略)
 ともかく、誰かが最初に贈与的な行為をすることでしか共同体は起動していかない。
 合理主義的には損な役回りといいましたが、ほんとうはそうとばかりはいえないだろうとわたしは思っています。
 なぜなら、責任がないことに責任を持つときに、はじめて「いま・ここ」に生きていることの意味が生まれてくるからです。
 自分が「いま・ここ」にいるという偶然を、必然に変えることができる。

(引用終了)
<同書 195−196ページ>

この考え方は、「人は自分のために生まれるのではなく、社会のために生まれてくる」とする私の「生産と消費論」とシンクロする。人は、自然の摂理のなかから、本来自分には責任のない「いま・ここ」(社会)に生まれてくる。そして、その「いま・ここ」に貢献することで、生きていることの意味が生じてくるのだ。この考え方については、小説“僕のH2O”でも展開しているので併せてお読みいただければ嬉しい。

 平川氏は、新聞のインタビュー記事(東京新聞 3/4/2012)のなかで、この本は、執筆中の昨年三月に東日本大震災があり、同じ年の六月に一年半介護した父親を看取るという二つの体験がなければ書けなかったとし、「毎日早く帰ってスーパーに立ち寄り、ご飯をつくって洗濯する。それを続けて分かったのは、人間は自分のために生きているのではない、ということです。自分を必要としてくれる人間のために生きているときに、生命エネルギーはものすごく上がるんです。震災以降にわれわれが身に付けなければいけない耐性はそれだと思う」と述べておられる。また、同インタビュー記事によると、平川氏は、現在IT関連など二つの会社を都内で経営しているが、社員は合わせて十人。自ら「小商い」を実践しているとのことである。小商い(スモールビジネス)については、ここのカテゴリ「起業論」でもいろいろな角度から論じているので、参照していただきたい。

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posted by 茂木賛 at 10:06 | Permalink | Comment(0) | 起業論

都市の中のムラ

2012年06月12日 [ 街づくり ]@sanmotegiをフォローする

 先日「都市計画の不在」の項で紹介した“対談集 つなぐ建築”(岩波書店)の著者隈研吾氏が、都市における「ムラ」の可能性を求めて「下北沢」「高円寺」「秋葉原」「小布施」の四箇所を歩き、同行したジャーナリスト清野由美氏と対話しながらその考えを纏めた本が“新・ムラ論TOKYO”(集英社新書)である。

 「都市の中のムラ」とは何か。“新・ムラ論TOKYO”から引用しよう。

(引用開始)

「ムラ」とは、人が安心して生活していける共同体のありかであり、また、多様な生き方と選択肢のよりどころである。
わたしたちは今、都市の中にこそ、「ムラ」を求める。

(引用終了)
<同書 9ページ>

ということで、ここでいう「ムラ」とは、その場所と密着した暮らしがある共同体を指す。だから都市の中にも「ムラ」はあり得る。隈氏のことばをさらに本書から引用したい。

(引用開始)

二〇世紀の建築は、場所を曇らすために、人々を場所から切り離すために建てられた。僕たちはもう一度、場所を見つめることから始めなくてはいけない。大地震と津波とが、そんな僕らを場所へと連れ戻した。夢もフィクションも捨てて、場所から逃れず、場所に踏みとどまって、ムラを立ち上げるしか途(みち)はないのである。

(引用終了)
<同書 21ページ>

隈氏は、人を場所から切り離すために作られる建築を「空間の商品化」と呼ぶ。空間が商品化された「ハコ」としての建築物。そういう無数のハコが商品市場で売り買いされる時代が二〇世紀だったと隈氏はいう。しかし、

(引用開始)

土地というもの、それと切り離しがたい建築というものを商品化したことのツケは大きかった。商品の本質は流動性にある。売買自由で空中を漂い続ける商品という存在へと化したことで、土地も建物も、人間から切り離されて、フラフラとあてどもなく漂い始め、それはもはや人々の手には負えない危険な浮遊物になってしまった。

(引用終了)
<同書 20ページ>

だからこれからの時代は、場所に踏みとどまって、「ムラ」(その場所と密着した暮らしがある共同体)を立ち上げる必要があるという訳だ。

 隈氏はこういった思考から、「負ける建築」「つなぐ建築」「場所のリノベーション」「フレームとシークエンス」「境界設計」「都市の中のムラ」といった新しい建築思想を紡いでおられるのだろう。

 この考え方は、以前「流域社会圏」の項で紹介した“地域社会圏モデル”山本理顕他著(INAX出版)とも共通する問題意識に支えられているといえよう。このブログで提唱している「流域思想」とも勿論共鳴する。

 「下北沢」「高円寺」「秋葉原」「小布施」四箇所それぞれのムラとしての魅力については本書をお読みいただきたいが、このブログでも「内と外」と「内と外 II」などの項で小布施について、「森ガール II」の項で高円寺について書いたことがあるのでお読みいただければ嬉しい。

 また、この“新・ムラ論TOKYO”という本は、“新・都市論TOKYO”隈研吾・清野由美共著(集英社新書)の続編ということなので、興味のある方はそちらも併せて読まれると良いと思う。

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posted by 茂木賛 at 09:17 | Permalink | Comment(0) | 街づくり

水と社会とのかかわり

2012年06月05日 [ 街づくり ]@sanmotegiをフォローする

 前々回「水の力」の項で、

(引用開始)

「流域思想」、あるいは水と社会との関わりが、私の水に対する興味の第三である。

(引用終了)

と書いたけれど、この「水と社会とのかかわり」を様々な視点から纏めたのが、“水の知 自然と人と社会をめぐる14の視点”沖大幹監修・東京大学「水の知」(サントリー)編<化学同人>である。まず本の裏帯にある目次の抜書きを引用したい。

(引用開始)

プロローグ「水の知」への招待

I  水とかかわる「人」 
第1章  川の本質と河川技術のあり方
第2章  水と森と人
第3章  農地は水のコントロールが命

II 「地域社会」に根づく水
第4章  地下水と人と社会
第5章  水と生態系と地域社会
第6章  水と市民参加型社会

III 「世界」のなかの水問題
第7章  世界の水と衛生問題と日本の役割
第8章  飲み水の水質基準はどのように決めるのか
第9章  トイレから世界を変える
第10章 水を巡る国家間の確執と協調

IV  ビジネス」としての水
第11章 マニラにおける水道時事業民営化
第12章 健全な水ビジネス
第13章 今、なぜ世界が水ビジネスに着目するのか

(引用終了)

ということで、「水と社会とのかかわり」について、広範囲な論点が網羅されていることがお分かりいただけると思う。大きく分けて「人」「地域社会」「世界」「ビジネス」という四つの観点から「水と社会とのかかわり」を考えるわけだ。勿論「流域思想」にとってはどれも外せない。

 この本は、本の表帯に「東大とサントリーのコラボ、水のスペシャリストがおくる“水の世紀”を生きるヒント」とあるように、サントリーという会社が東京大学と一緒に創設した、“東京大学統括プロジェクト機構「水の知」(サントリー)統括寄付講座”が元になっている。こういう形で企業と大学が連携するのは良いことだと思う。サントリーの水への拘りについては、「多様性を守る自由意志」の項で紹介した“水を守りに、森へ”山田健著(筑摩選書)にさらに詳しい。

 このブログでは、安定成長時代の産業システムとして、多品種少量生産、食品の地産地消、資源循環、新技術の四つを挙げているが、主にこの本の後半で論じられている水処理に関する新技術(淡水化技術やエネルギー変換技術など)は、地球環境というグローバルな観点から、高度成長時代を迎えている中国やインドなどに於いても必要とされるものだ。以前「マグネシウム循環社会」の項で、矢部孝東京工業大学教授の研究活動(海水に含まれるマグネシウムを使ったエネルギー循環社会の構築)を紹介したことがあるけれど、「新技術のビジネス化」という視点から、日本の水処理に関する技術分野はこれからもっと注目されてよい。

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posted by 茂木賛 at 09:34 | Permalink | Comment(0) | 街づくり

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