夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


自分でよく考えるということ

2012年04月30日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「1969年」の項で自分を振り返り、

(引用開始)

 当時私は高校三年生、世界のことなど何も知らないくせに、受験勉強の振りをしながら吉本隆明の“共同幻想論”(河出書房)などを読む、生意気盛りの若者だった。

(引用終了)

と書いたけれど、私は当時から、多少偏ってはいたものの、何でも自分でよく考える習慣だけは物にしていたと思う。このブログではこれまで、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳の働き―「公(public)」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き―「私(private)」

という対比を見、偏ることなく物事を考えるには、この両方を以ってバランスよく考える必要があると述べてきた。尚、ここでいう「脳の働き」とは、大脳新皮質主体の思考であり、「身体の働き」とは、身体機能を司る脳幹・大脳旧皮質主体の思考のことを指す(詳しくは「脳と身体」の項を参照のこと)。

 若かりし頃の自分を省みるに、何でもよく考える習慣はあったものの、どちらかというと、「大脳新皮質主体の思考」に偏っていたように思う。「大脳新皮質主体の思考」は、客観的に状況を把握して物事を分析するのに必要だが、人に共感し環境を体感するには、「脳幹・大脳旧皮質主体の思考」が重要である。前者を「頭で考える」と譬えれば、後者は「腹で考える」といえるだろう。歳を重ねるうちにこのことがわかってきた。例えば寅さんの映画は、腹で考えることが出来ないとなかなかその良さがわからない。

 以前「複眼主義のすすめ」の項で、この対比に、

Α 男性性=「空間重視」「所有原理」
Β 女性性=「時間重視」「関係原理」

という別の対比を重ね合わせたことがある。人はそもそも性別によって、どちらかに偏りが出るのかもしれない。とすると、もともと男性性が優位な人は「女性性」=「脳幹・大脳旧皮質主体の思考」を、女性性が優位の人は「男性性」=「大脳新皮質主体の思考」をそれぞれ鍛え、バランスよく物事を考える力を養う必要があるということになる。

 ただし同じ「大脳新皮質主体の思考」でも、(「母音言語と自他認識」の項で述べたように)日本語においては、自分と相手とを区別する「自他分離機能」が充分に働かないという仮説がある。英語や他の外国語の勉強を通して、この機能も上手く使えるようになることが大切である。

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多様性を守る自由意志

2012年04月24日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「自由意志の役割」の項で、

(引用開始)

 人間社会における「ゆらぎ」は、自然環境変化や気候変動、科学技術の発展、歴史や言葉の違い、貧富の差や社会ネットワーク・システムなどなど、それこそ無数の要因(コト)が複雑に絡み合って齎されるが、人の「自由意志」もそれらの要因の大切な一部である。とくに社会の多様性を保つために、人の「自由意志」の果たす役割は大きいと思う。

(引用終了)

と書いたけれど、「多様性を守る自由意志」というテーマにとって、最適なテキストがあった。“水を守りに、森へ”山田健著(筑摩選書)という本である。サブタイトルに“地下水の持続可能性を求めて”とある。まず新聞の書評を紹介しよう。

(引用開始)

 サントリーで長くコピーライターを務めた著者は21世紀が迫ってきたころ、ふと、同社の事業がいかに「地下水」に依存しているかに気づく。同時に、その地下水が、森林の荒廃によっていかに危うい状況に置かれているかも。
 以来10年余りにわたって、地下水を涵養(かんよう)する森を守ろうと日本中を奔走してきた経験が、軽妙につづられる。
 ユニークなのは、企業の社会貢献ではなく、本業としての位置づけだ。水に生かされている会社が水を守るのは当たり前というわけだ。
 ミネラルウォーターなどを生産する工場の周辺で、約7千ヘクタールの森林を整備してきた。山手線を一回り大きくしたとてつもない広さだが、日本全体では微々たるものだ。
 広大な森林を守るには、国や自治体の力だけでは到底足りない。多くの企業に、本業に近いところで森林に目を向けてほしい。そう提案する。
 「だれか」ではなく「私」の問題としてとらえてこそ。今こそ必要な発想の転換だ。

(引用開始)
<朝日新聞 2/26/2012>

ということで、なぜこれが(多様性を守る自由意志というテーマにとって)最適なテキストかと云うと、まず著者に「水を守るための森づくり」という明確な自由意思があり、それが会社の本業として位置づけられることで「社会(企業活動)の多様性」が生み出されたこと、と同時に、森を再生することで「自然の多様性」が守られるからである。

 このブログでは、これからの街づくりを支えるコンセプトとして、山岳と海洋とを繋ぐ河川を中心にその流域を一つの纏まりとして考える「流域思想」を提唱しているが、山田氏のいう「水を守る森づくり」は、流域思想の優れた実践でもある。

 それにしても、この本によると、日本の森林の荒廃は限界に来ているようだ。山田氏によると、放置された杉や檜の人工林問題はもとより、鹿の増加による食害、カシナガという虫によるナラ枯れ、止まらない松枯れなどなど、難問が山積しているという。「自由意志の役割」の項で考察したように、「世界はすべて互いに関連しあったプロセスで成り立っている」のであるから、このことは我々水を使う人すべての問題である。

 ちなみに、山田氏は本のあとがきで、「水を守る森づくり」のお手本は、気仙沼で「森は海の恋人」活動を立ち上げた畠山重篤氏であると書いておられる。畠山氏については、私も「鉄と海と山の話」の項でその著書を紹介したことがある。併せてお読みいただければ嬉しい。

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自由意志の役割

2012年04月17日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「場のキュレーション」の項で、“石ころをダイヤに変える「キュレーション」の力”勝見明著(潮出版社)という本について、

(引用開始)

 勝見氏はまず、ものごとの捉え方には、固定的で静態的なビーイング(being =〜である)と、流動的で動態的なビカミング(becoming =〜になる)の二つの見方があると指摘する。人を見るときにも、「〜である」と捉えると固定的な見方が前面に出され、「〜になる」と捉えると、未来に向かって開かれ、様々なかかわりを通じて変化していくという「人の可能性」が浮かび上がる。

 そこで、「場のキュレーション」にとって大切なのは、顧客をビーイングの存在として見るのではなく、ビカミングの存在としてみることである、と勝見氏は述べる。

(引用終了)

と書いたけれど、このビカミングの考え方について、同書から、関連する部分を引用しておきたい。

(引用開始)

 ものごとをビカミングとしてとらえる世界観は、「世界はすべて互いに関連しあったプロセスで成り立っている。したがって、世界は常に動き続ける出来事の連続体である」という考え方に由来します。イギリス出身のホワイトヘッドという哲学者が唱えた考え方です。
 ホワイトヘッドは、「世界はことごとく、常に生成発展するため、目を向けるべきはモノそのものではなく、コトが生成して消滅するプロセスである」と説きました。コトは人とモノと時間と空間の関係性の中から生まれます。そのため、コトのあり方は時間とともに変化し、生成しては消滅します。昨日のコトと今日のコトは同じようで違う。だから世の中はビーイングではなく、ビカミングである、と。
 このホワイトヘッドの考え方が、二十一世紀に入った今、注目されているのは、モノが氾濫した二十世紀が終わり、ビジネスの世界でも、単にモノを売るのではなく、どんなコトを提供できるかという、コト的な発想が求められているからでしょう。

(引用終了)
<同書 180ページ>

 さて、「世界はすべて互いに関連しあったプロセスで成り立っている」というと、この世の中のことはすべて決まっている(運命論)、自由意志など存在しない、と勘違いする人がときどきいる。しかし、繋がっていることと、決まっていることとは違う。人は自由意志を大いに発揮して、世界をより良い方向に転ずる努力をすべきである。

 以前「1/f のゆらぎ」の項で、佐治晴夫氏の著書に触れながら、自然界において、時間や空間の中の場所が変わっていくにつれて物理的な性質や状態が変化していく様子を「ゆらぎ」という、と書いたけれど、人間社会においても、平均値の近くで自律的にその性質や状態が変化する様子を「ゆらぎ」と呼ぶことができる。

 人間社会における「ゆらぎ」は、自然環境変化や気候変動、科学技術の発展、歴史や言葉の違い、貧富の差や社会ネットワーク・システムなどなど、それこそ無数の要因(コト)が複雑に絡み合って齎されるが、人の「自由意志」もそれらの要因の大切な一部である。とくに社会の多様性を保つために、人の「自由意志」の果たす役割は大きいと思う。

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1969年

2012年04月10日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 先回、寅さんの映画シリーズの始まりが1969年ということで、当時のことをいろいろと想い出した。考えてみれば、いまの若い人は1969年という年をリアルタイムで知らないわけだ。私は1969年のとき18歳だったから、当時のことは今でもよく覚えている。

 1969年は、1月に東大安田講堂陥落、5月に東名高速道路が全線開通している。映画「男はつらいよ」の封切はこの年の8月27日、第二作目「続・男はつらいよ」は同じ年の11月15日である。当時のことを、“『男はつらいよ』の世界”吉村英夫著(集英社文庫)から引用しよう。

(引用開始)

 要するに、人間性を置き去りにした「高度成長」下、社会的矛盾がいやおうなく激化する時代を迎えている。むろんバブルがその彼方ではじけてしまうなど思いもよらぬ時点に、時代錯誤の落ちこぼれとでもいうべき「姓は車、名は寅次郎」のフーテンが、四角いトランクをぶら下げた雪駄ばきで、下総の国から矢切の渡しを船に乗って、混沌のるつぼ東京は江戸川べりの葛飾柴又に戻ってきたのである。
 放蕩児寅次郎の二十年ぶりの故郷への帰還である。何かが起こらないわけがない。

(引用終了)
<同書 21ページより(フリガナは省略)>

ということで、そのあと26年間も生き長らえる時代のアンチ・ヒーローは、1969年という高度成長後半期にひょっこりと登場したわけだ。

 当時私は高校三年生、世界のことなど何も知らないくせに、受験勉強の振りをしながら吉本隆明の“共同幻想論”(河出書房)などを読む、生意気盛りの若者だった。その夏封切られた寅さんの映画を私は観に行かなかった。寅さんの映画などダサいと思っていたのだろう。

 1969年といえば、去年、由紀さおり&ピンク・マリティーニによる“1969”というアルバムが発売された。佐藤利明氏(オトナの歌謡曲/娯楽映画研究家)の解説には、

(引用開始)

 1969年という年は、由紀さおりが「夜明けのスキャット」でデビューを果たしただけでなく、日本の、そして世界の音楽シーン、ポップカルチャー、政治、モラル、あらゆるコトやモノが大きく変革を遂げた年でもある。その1969年に日本でラジオから流れていた歌をセレクトして、「1969」というタイトルのアルバム企画が進んでいくなかで、由紀さおりはスタッフとともに10数曲を選曲、アレンジとプロデュースをPink Martiniに依頼することとなった。こうして両者の本格的なコラボレーションが実現に近づいた。

(引用終了)
<「1969」CDアルバムの解説より>

とある。ちなみに、Pink Martini編曲による「夜明けのスキャット」はとても佳い出来だと思う。

 思えば、1960年代というのは面白い時代だった。戦後の日本の高度成長は、復興期(1946年−54年)、前半期(55年−65年)、後半期(66年−75年)に分けられるが、1960年代は、その前半期半ばから、後半期の半ばまでに相当する。和暦でいえば昭和35年から44年である。

 東京タワーの完成が1958年、東京オリンピックの開幕が1964年、ザ・ビートルズの来日は1966年だ。世界的に見ると、ケネディ大統領の暗殺が1963年、ビートルズのアメリカ上陸1964年、ベトナムでアメリカの北爆が始まったのが1965年である。時代のパラダイムは、まさに「大量生産・輸送・消費システム」が中心だった。ベトナムでアメリカが敗北したのは、下って1975年のことである。

 1969年が終わり1970年に入ると、3月に万国博覧会が開会し、11月に三島由紀夫(ペンネーム平岡公威)が割腹自殺する。寅さんの映画は、第三作「男はつらいよ フーテンの寅」が1970年1月15日、第四作目「新・男はつらいよ」が同年2月27日、第五作目「男はつらいよ 望郷篇」が同年の8月26日、と立て続けに封切られている。三島由紀夫については以前「平岡公威の冒険」の項で書いたけれど、死に急ぐ晩年、彼はこの遠い将来のヒーロー寅さんを映画館で観る余裕があっただろうか。

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寅さん考

2012年04月02日 [ アート&レジャー ]@sanmotegiをフォローする

 「“モノからコトへ”のパラダイム・シフト」(略してモノコト・シフト)についてあれこれ考えているうち、ふと、ある映画シリーズのことが頭に浮かんだ。ご存知、フーテンの寅さんこと車寅次郎が活躍する、映画「男はつらいよ」シリーズである。

 「モノコト・シフト」は、

私有    → 共同利用
独占、格差 → 分配
ただ乗り  → 分担
孤独    → 共感

世間    → 社会
もたれあい → 自立
所有    → 関係
モノ    → コト

ということであるが、寅さんの行動パターンは、左側ではなく、右側の新しいパラダイム項目に概ね当て嵌まるのである(この新旧パラダイム項目については、「“シェア”という考え方」「“シェア”という考え方 II」を参照のこと)。

 寅さんは、トランク一つ以外何も私有していない。もともと縁のない金銭的なもの以外、出来ることはすべて分担しようとする。何も独占せず、唯々、まわりの人々に分け与える。孤独に陥った人々に寄り添って共感し、勇気を与える。世間を気にしながらも最後は社会正義を貫く。過度のもたれあいを拒否して自立している。所有することよりも関係性を重んじ、まったくモノに拘らない。そしていつもまわりに新しいコトを引き起こす。

 いかがだろう、勿論寅さんはあくまで放浪者であり、定着して日常生活を送る我々とは違うけれど、こうして見ると、彼の行動パターンは今の時代のパラダイムにぴったりとフィットしているではないか。

 重要なことは、この映画シリーズが、高度成長後半期の1969年に始まり、バブル崩壊後、まだ新しいパラダイムが見えてこない1995年に終わったということである。これらの作品は、時代を映す華やかな光に対する陰画として描き続けられ、寅さんは、時代錯誤的なアンチ・ヒーローとして人気を博した。そして今になってようやく、時代(のパラダイム)の方が寅さんに追いついてきたのである。

 葛飾柴又の人情味溢れる商店街や家族愛、お寺や町工場などは、いま再び見直されつつある。寅さんが旅する日本各地の今は失われた風景を懐かしむ声も多い。我々は「男はつらいよ」シリーズというこの国民的資産を繰り返し観ることで、これからの「モノコト・シフト」の時代に備えよう。そして今からでも遅くはないから、寅さんが愛した日本の流域風景や下町情緒といったものを、もう一度取り戻したいものだ。

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