夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


内と外 II 

2010年12月28日 [ 街づくり ]@sanmotegiをフォローする

 前回に引き続き、街づくりにおける「内と外」の問題を考えてみたい。この課題は、前回紹介した“小布施 まちづくりの奇跡”川向正人著(新潮新書)の第3章でも詳しく検証されている。一部引用してみよう。

(引用開始)

 修景事業以来、小布施では「外はみんなのもの、内は自分たちのもの」という合言葉が使われてきた。景観を構成する建築外観を共有財産と捉えて「外」はみんなのものと考えましょう、でも「内」は自分たちのものですよ、と呼びかける。この呼びかけには、景観への配慮をうながしつつ、住み手が自由にできろ「内」があることを明確に伝えようという意図がある。(中略)
 小布施の修景事業では、最初から設計によって「外」と「内」を適切の関係付けることに力点が置かれた。たとえば、私も何度か訪ねている市村良三邸の場合、庭をオープンガーデンに開放しても住宅内での家庭生活にまったく支障がない。書斎・居間・ダイニングまでの人の出入りは多く千客万来の状態が続いても、さらに奥があって、必要な家族のプライバシーは守られている。

(引用終了)
<同書141−158ページ>

ここで「内と外」に加えて「奥」という言葉が出てくる。「外」と「内」を適切に関係付ける上で、「奥」というもうひとつの概念が提起される。ここで「奥」を“私生活”のコアとすると、「内」は「客間や応接間」と「縁側や庭」とに分けることができ、「外」は、「縁側や庭」につながる「道」とその先の「他家」ということになるだろうか。

 川向氏は、「縁側や庭」とそれに繋がる「道」は、街づくりの上で、“中間領域”として重要な意味を持つという。“中間領域”の設計の良し悪しが、街の「つながり」具合いに影響するというわけだ。「縁側」については、以前「広場の思想と縁側の思想」の項で、日本家屋建築におけるユニークさとして書き留めておいた。

 さて、この「外・内・奥」の三層構造、以前「里山ビジネス」の項で触れた、里山流域の構造に似ていることに気付かれるだろうか。里山流域の三層構造は、「奥山・里山・人里」ということだけれど、これを街づくりにおける三層構造と対応させてみると、街づくりの「外」が里山流域における「奥山」、「内」が「里山」であり、「奥」が「人里」という図式となる。

「里山」=「街」

「奥山」=「外」
「里山」=「内」
「人里」=「奥」

それぞれの三層構造の中央に位置する「里山」と「内」は、社会と家族にとって、それぞれ大切な“中間領域”なのである。

 そもそも「3の構造」には、安定感と発展性がある。「階層性の生物学」の項で紹介した“性と進化の秘密”団まりな著(角川ソフィア文庫)にも、「外胚葉・中胚葉・内胚葉」という三層構造が描かれている。

(引用開始)

 ヒトの身体には、二百五十種ほどの細胞があると言われていますが、こんなに多くの種類の細胞も、最初に胞胚(はい)の細胞群を三つに分け、それから次に外胚葉を神経と皮ふの二つに分け、というように、それぞれのグループを二つか三つに区切っていけば、何種類にでも分けられます。それが自然のやり方です。
 こうして分けられた細胞は、基本的に最初の位置にとどまります。外胚葉だったものはいつも外側に残り、一番中心には内胚葉があって、消化活動を受け持ちます。物理的な力を出す時には中胚葉の細胞が働きます。たとえば物理的・化学的に食物を砕く役割の胃は、塩酸や消化酵素を分泌する本来の内胚葉の細胞と、ものすごい量の筋肉(中胚葉)とが、一緒になっています。これに対して、小腸はただ吸収するだけですから協力する筋肉も薄くて、食物に接する面積だけがめちゃくちゃ広くなっています。そして小腸で吸収したものを身体中の細胞に配るために、中胚葉からできる血管がきめ細かく張りめぐらされています。

(引用終了)
<同書152ページ>

このように「3の構造」は、人と街づくり、さらには流域全体に適応する優れた構造なのである。

「里山」=「街」=「身体」

「奥山」=「外」=「外胚葉」
「里山」=「内」=「中胚葉」
「人里」=「奥」=「内胚葉」

 ところで、里山と街づくりの三層構造において、「奥」という言葉が、里山流域では一番外側の「奥」山、街づくりでは一番内側の「奥」(私生活)として使われている。流域全体の一番外側と一番内側に、同じ「奥」という言葉が使用されているのは興味深い。流域の両端は、きっと円環面のように、「奥」で繋がっているのだろう。

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内と外

2010年12月21日 [ 街づくり ]@sanmotegiをフォローする

 信州の情報誌「KURA」はいつも愛読している雑誌である。2010年12月号の特集は、“信州発ローカルデザイン”ということで、松本、小布施、軽井沢、木曽福島各地における街のデザインについて、それぞれの地に詳しい方々が特色を紹介しておられる。今回私がとくに注目したのは、小布施についての紹介記事だ。

 小布施についてはすでにご存知の方も多いだろう。

小布施のまち.JPG

写真は今年の6月に撮ったものだが、路地や街並みが修景されて美しい。

 街の案内人は、小布施堂、桝一市村酒造場代表取締役の市村次夫氏、案内文の小見出しは、「ぶらぶら歩きの道を取り戻す」「秩序は美しさ、バラバラは楽しさ」「まちづくりでは外部空間の質を重視」「年を経るほどに価値が増す景観が魅力」といった内容だ。

 ここではその中から「まちづくりでは外部空間の質を重視」の下(もと)の文章を引用したい。

(引用開始)

 小布施の修景事業は1980年代に北斎館周辺から始まりました。「外部空間の質を重視」することを共通認識として、建物の大きさや位置を工夫して移築・改築・新築を行い、気持ちのよい戸外の空間を作ってきたのです。たとえば、四角い空間(広場)は角の部分が通路につながると落ち着かず、辺から通路がつながると落ち着ける空間になる。また、建物に囲まれた空間(囲まれ空間)は落ち着くけれど、中央に建物があってその周囲にある空間にいる場合(たとえば、郊外型大型店の駐車場)は落ち着かない。
 道をクランクにすると、視線がつきあたる部分ができます。T字路でも同様ですね。これをアイストップといって、景観上の価値が高いんです。つきあたりに見えるものを何にするのかを意識して都市全体のデザインを考えることが大切です。ただ、そうはいっても、アイストップになる場所は個人の所有であることが多い。アイストップにあった郵便局が移転し、民有地になっている礼もあります。小布施では修景事業の当初から「内は自分のもの、外はみんなのもの」という考え方があることが大きな強みになっています。

(引用終了)
<同雑誌23ページ>

 以前「街の魅力」や「街のつながり」の項で、都市計画における「つながり」の重要性に注目してきたけれど、小布施でも、景観の連続性が重視されていることが分かる。修景(景観の修復)という街づくりの手法については、“小布施 まちづくりの奇跡”川向正人著(新潮新書)に詳しい。

 さて、「内と外」の話である。小布施の「内は自分のもの、外はみんなのもの」という考え方について、以前「日本人と身体性」の項で“裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心”中野明著(新潮選書)で引用した部分を、補助線として再度掲載したい。

(引用開始)

 歴史学者牧原憲夫氏は、昔の家屋について「庶民にとって家の内と外は画然とは分化しておらず、路地は土地の延長でしかなかった」という。そして裸体を取り締まるということは、「家屋と路地が渾然一体だった地域社会から、路上を“公共”の空間として剥離すること」と指摘する。さらに、「道路はもはや住民のものではなく、“私生活”はしだいに家のなかに閉じ込められていく」。これも裸体を極度に隠したひとつの副作用と考えてよい。

(引用終了)
<同書225−226ページ>

 市村氏のいう「自分のものとしての内」は、牧原氏のいう「私生活」と概ね重なっているだろう。それに対して、「みんなのものとしての外」は、牧原氏のいう「路上空間としての公共」と重なるかどうか。

 牧原氏が想定しておられる「もはや住民のものではない」路上空間は、明治以降、官僚支配のもとで整備されてきた“旧い公共”であり、それに対して、市村氏のいう「みんなのものとしての外」とは、去年鳩山民主党政権が掲げた“新しい公共”の概念に近いのではないだろうか。

 以前「自立と共生」の項で引用した鳩山首相の所信表明演説から、“新しい公共”に言及した部分をもう一度引用してみる。

(引用開始)

 私が目指したいのは、人と人が支え合い、役に立ち合う「新しい公共」の概念です。「新しい公共」とは、人を支えるという役割を、「官」と言われる人たちだけが担うのではなく、教育や子育て、街づくり、防犯や防災、医療や福祉などに地域でかかわっておられる方々一人ひとりにも参加していただき、それを社会全体として応援しようという新しい価値観です。

(引用終了)
<10/27/09 東京新聞より>

“新しい公共”は、勿論街づくりだけではなく社会全体の話だけれど、街づくりもその大切な一角である。

 “小布施 まちづくりの奇跡”川向正人著(新潮新書)を読むと、小布施のまちづくりは、中心部から始められて大きな成果を挙げているものの、観光地化と景観は両立できるのか、周辺部の修景、職人技術の継承、世代交代などの課題もあり、全体としてはまだ道半ばであることがわかる。

 しかし、明治以降近代化を進めてきた我々は、「家屋と路地が渾然一体だった地域社会」へすんなりと戻ることはできない。いまさら裸で街を歩き回るわけにはいかないのだ。であるならば、「内は自分のもの、外はみんなのもの」とする小布施の街づくりに対する考え方は、ほかの都市にとって大いに参考になるに違いない。鳩山政権は挫折したが、「みんなのものとしての外」=“新しい公共”の街づくりは、まだその途に着いたばかりなのである。これからも小布施の街づくりに注目してゆきたい。

 ところで12月号の「KURA」には、街以外にも、各種ブランドや老舗のパッケージなど、いろいろな“信州発ローカルデザイン”が紹介されている。信州に興味のある方はぜひ雑誌をご覧戴きたい。

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posted by 茂木賛 at 11:29 | Permalink | Comment(0) | 街づくり

階層性の生物学

2010年12月14日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 “性と進化の秘密”団まりな著(角川ソフィア文庫)を面白く読んだ。「重力進化学」で紹介した“生きもの上陸作戦”同様、この本の内容も多岐に渡っているから、さまざまな「興味の横展開」が可能だけれど、ここでは「階層性の生物学」というテーマについて考えてみたい。まず同書カバーより紹介文を引用する。

(引用開始)

今から38億年前、とてつもない偶然が重なり、地球上に誕生した、たった1つの細胞。この細胞が人間のような複雑な生命へと進化した生命の仕組みとは?原核細胞から真核細胞、そして21億年もの間生き続ける不死の細胞を経て、有性生殖によって死を克服する細胞へ――。「階層性の生物学」という独自の観点から、“思考する細胞”と進化の秘密にせまる。いのちと性の不思議をやさしく解きあかす、独創的な生物学入門。解説・養老孟司

(引用終了)

 生物学における階層性とは何か。同書から引用しよう。

(引用開始)

 ある単純で、小さな単位が集まって、より大きく複雑な単位を作り出す、というのは、自然界の物質の一般的な性質なのです。この性質を、階層性と言います。そして、酸素の毒に立ち向かった「原核細胞」の一部が、苦し紛れに融合し、さらに酸素を利用できる種類の細胞と協力して生きのびた現場は、「真核細胞」という一段と複雑な細胞、つまり生物、を生み出す現場でもあったのです。
 階層性には、もう一つ大切な法則があります。一般に、より単純な「下位の単位」が集まって「上位の単位」を作ったとはっきりというためには、新しく生まれた「上位の単位」が、それを作った「下位の単位」にはなかったより高度な機能・作用をそなえていなければなりません。

(引用終了)
<同書30ページ>

階層関係について、団まりな氏の別の著書“生物のからだはどう複雑化したか”(岩波書店)には次のようにある。

(引用開始)

 以上のように、階層関係というものは、何がしかの複雑さのあるところなら、どこにも見つけることができます。そして、その内容のいかんにかかわらず、二つのもののあいだには、「包含関係」と「新機能の付加」という一般的な性質が成立しています。

(引用終了)
<同書15ページ>

 階層性とは、下位の単位を上位の単位に含む「包含関係」と、上位の単位にのみ与えられた「新機能の付加」という、二つの要素を備えた概念である。動物の階層的進化を考えると、ハプロイド体制→ディプロイド体制→上皮体制→胚葉分化→間充組織体制→上皮体腔体制→脳・中枢神経系ということで、それぞれの段階で「包含関係」と「新機能の付加」が成立しているという。

 階層性は、多様性とは異なる概念である。多様性とは、たとえば同じ脳・中枢神経系の動物に、キリンもいればライオンもいてゾウもいるという状態を指すのだろう。「包含関係」と「新機能の付加」が成立していない段階である。

 生物を含む自然環境が、「多様性」と共に「階層性」を持っているとすると、ある段階の「多様性」はどうようにして次の「階層性」へ分岐するのかという疑問が沸く。下位の単位から上位の単位への進化は長い長い時間がかかるので、実証は難しいだろうが。個体発生と系統発生、外胚葉・中胚葉・内胚葉からなる3の構造、機能と形態の生成、有糸分裂と減数分裂などなど。興味は尽きない。

 さて、階層性について、“性と進化の秘密”の解説のなかで養老孟司氏が面白い指摘をしておられるので紹介しよう。

(引用開始)

 階層性については、団さんとの間に、個人的な思い出があります。私が最初に書いた本『形を読む』(培風館)のなかで、欧米の学問は階層性を重視するけれど、私にはそれはわからないという趣旨のことを書きました。そうしたら、団さんからお手紙をいただいたんです。生物学では階層性はとても大切なことですよ、もっと考えてくださいな、と。
 こういう嬉しいというか、ありがたい指摘をしてくれる人は、本当に少ないんです。私はわかっていなかったから、すなおにそう書いたんですが、団さんの指摘以来、階層性のことをなにかと考えるようになりました。私の頭のなかの混乱を、読者に伝える必要はないでしょう。でも結局私は、階層性という問題は、日本の伝統的な思考のなかにあまり含まれていないのではないか、と思うようになりました。だから階層性は意味がないということではありません。大切なことなのに、ピンと理解できない。大げさですが、ひょっとすると、それは日本語、あるいは日本の文化と関連していないだろうか。そう思ったのです。べつに私が日本人を代表しているわけじゃない。でも私だって大学院まで教育を受けてきたのに、階層性が話題になる場面に出会わなかったんです。
 この話題の端的な例は、たとえば英語で学ぶ関係節です。一つの文章のなかに、入れ子構造の文章が入っています。文法的には主文と副文といいます。ここにもある「階層」がありますね。でも日本語にはこれがないんです。欧米人なら、ふだん使う言葉のなかに、階層がたえず顔を出す。これが思考の構造に影響を与えないはずがないでしょう。
 じゃあなぜ団さんは階層性を重視できたのでしょうか。育ちが関係あるかもしれません。「あとがき」で書いておられるように、団さんのお母さんはアメリカ人だったし、お父さんも日本人ではあるけれど、ひょっとすると奥さんの故郷の社会のほうが性に合っていたのかもしれません。

(引用終了)
<同書179−181ページ>

 同書の「あとがき」によると団まりな氏は、母親がアメリカ人であるだけではなく、小学五年生のときから一年半ほどアメリカで過ごしたとある。先日「バイリンガルについて」の項で見たように、バイリンガルは“マージナル・マン”たる資格がある。日本語と英語のバイリンガルとして、団氏も優れたマージナル・マン(woman)なのであろう。今後の更なるご活躍を期待したい。

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posted by 茂木賛 at 10:03 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

Season's Greetings 2010

2010年12月07日 [ プレイリスト ]@sanmotegiをフォローする

 昨年のクリスマスは、皆さんを原由子と桑田佳祐(クワタ)の架空ディナー・ショーにご招待した(「Season's Greetings 2009」)けれど、ことしはクワタが病気療養中とのことで、原由子だけの架空ディナー・ショーを企画した。

<A面>

「京都物語」
「Loving You」
「あじさいのうた」
「恋は、ご多忙申しあげます」
「いちょう並木のセレナーデ」
「少女時代」

<B面>

「ためいきのベルが鳴るとき」
「じんじん」
「ハートせつなく」
「花咲く旅路」
「涙の天使に微笑(ほほえ)みを」
「想い出のリボン」
「いつでも夢を」

今回も「A面B面合わせて12曲」というプレイリスト作成の独自ルールに従って作成した。選曲は、今年6月に発売された“ハラッド”から、サザン・オールスターズの曲ではない原由子のものだけに絞った。

 <A面>は、今年のヒット曲「京都物語」から1991年の「少女時代」まで。<B面>は、1989年の「ためいきのベルが鳴るとき」から1991年の「想い出のリボン」まで。ショーの最後に、病み上がりのクワタが登場し、カーテンコール曲として、二人で吉永小百合・橋幸夫よろしく「いつでも夢を」を一緒に歌うという趣向。

 このホリデー・シーズン、ゆっくり原由子の歌声を楽しんでいただければと思う。以下、それぞれの曲の発表年と作詞・作曲者名を記しておこう。

<A面>

「京都物語」(2010年、作詞・作曲:桑田佳祐)
「Loving You」(1981年、作詞:原由子、作曲:HARABOSE)
「あじさいのうた」(1987年、作詞・作曲:原由子)
「恋は、ご多忙申しあげます」(1983年、作詞・作曲:桑田佳祐)
「いちょう並木のセレナーデ」(1983年、作詞・作曲:桑田佳祐)
「少女時代」(1991年、作詞・作曲:原由子)

<B面>

「ためいきのベルが鳴るとき」(1989年、作詞・作曲:桑田佳祐)
「じんじん」(1991年、作詞・作曲:桑田佳祐)
「ハートせつなく」(1991年、作詞・作曲:桑田佳祐)
「花咲く旅路」(1991年、作詞・作曲:桑田佳祐)
「涙の天使に微笑(ほほえ)みを」(1997年、作詞・作曲:桑田佳祐)
「想い出のリボン」(1991年、作詞・作曲:桑田佳祐)
「いつでも夢を」(2002年、作詞:佐伯孝夫、作曲:吉田正)

Season's Greeting 2010.JPG

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posted by 茂木賛 at 12:37 | Permalink | Comment(0) | プレイリスト

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