夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


日本人と身体性

2010年08月31日 [ 公と私論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「高度な経営」の項で、

(引用開始)

「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」の表出形態の奥にあるエッセンスは、環境を中心に据えた身の処し方、つまりは「身体性」そのものであると考えることができる。

(引用終了)

と書いたけれど、日本人の「身体性」について、最近面白い本を読んだので紹介したい。“裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心”中野明著(新潮選書)がそれである。本カバーの紹介文を引用しよう。

(引用開始)

150年前の「混浴図」が現代日本人に奇異に見えるのはなぜか?
「男女が無分別に入り乱れて、互いの裸体を気にしないでいる」。幕末、訪日した欧米人は公衆浴場が混浴なのに驚いた。当時の裸体感がいまと異なっていたのだ。しかし、次第に日本人は裸を人目に晒すことを不道徳と考えるようになり、私的な空間以外では肉体を隠すようになった。その間、日本人の心の中で性的関心がどのように変化していったかを明らかにする。

(引用終了)

日本語に備わった「環境を守る力」は、話し手の意識を、環境と一体化させる傾向がある。自分の身体も自然環境の一部であってみれば、特に近代以前、日本において裸は互いに隠しあう筋合いのものではなかったのだろう。

 中野氏によると、明治以降日本人が裸を隠すようになったのは、政府が施行した法律や、ライフスタイルの変化などによるという。

 日本語の「環境を守る力」が、「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」として表出することは、これまで「迷惑とお互いさま」の項などでみてきた。

 公衆浴場において「男女が無分別に入り乱れて、互いの裸体を気にしないでいる」昔の日本の状況は、「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」の項で、

(引用開始)

 本来、ゲマインシャフトは「私(private)」の領域に属し、ゲゼルシャフトは「公(public)」の領域に属す。しかし、日本では二つの違いの意識が希薄である。

(引用終了)

と書いたことと呼応しているに違いない。日本語における「話し手の意識を環境と一体化させる傾向」と「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」の二つは同根の蔓であり、二つ合わせて日本人の「私(private)」と「公(public)」に対する意識を曖昧にさせるわけだ。


 「私(private)と公(public)の意識の曖昧性」はまた、以前「広場の思想と縁側の思想」で紹介した、“「縁側」の思想”ジェフリー・ムーサス著(祥伝社)の次のような分析とも呼応しているだろう。

(引用開始)

 町家を改造していく中で、私が最も関心を持ったのは、日本建築における「あいまいな場所」です。例えば、縁側は屋根があるので「外」ではありませんが、壁がないので完全な「内」でもありません。この「あいまいさ」こそが、日本建築における独自の要素、コンセプトであると私は考えています。(同書11ページ)

 日本の伝統的な家屋は外と内の境界がはっきりしておらず、外から内、内から外へと段階的に連なっているようです。第二章でお話したように、町家の構造にはとりわけその特徴が顕著で、層(layer)になっていて、外でもなく内でもない中間的なあいまいな場所があります。
 このような場所として、日本人にとって最もイメージしやすいのが「縁側」です。縁側は家の外でしょうか?それとも家の内でしょうか?(同書107ページ)

(引用終了)

 中野氏は、“裸はいつから恥ずかしくなったか―日本人の羞恥心”のなかで、

(引用開始)

 歴史学者牧原憲夫氏は、昔の家屋について「庶民にとって家の内と外は画然とは分化しておらず、路地は土地の延長でしかなかった」という。そして裸体を取り締まるということは、「家屋と路地が渾然一体だった地域社会から、路上を“公共”の空間として剥離すること」と指摘する。さらに、「道路はもはや住民のものではなく、“私生活”はしだいに家のなかに閉じ込められていく」。これも裸体を極度に隠したひとつの副作用と考えてよい。

(引用終了)
<同書225−226ページ>

と指摘しておられる。日本人の身体性、私(private)と公(public)、家屋の内と外などについて、田舎の温泉にでも浸かりながら、ゆっくり考えることにしようか。

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posted by 茂木賛 at 15:24 | Permalink | Comment(0) | 公と私論

高度な経営

2010年08月24日 [ 起業論 ]@sanmotegiをフォローする

 前回「情報公開」の項で、

(引用開始)

 組織が競争に打ち勝つには、「情報公開」によって組織メンバーの能力を結集し、その上で、最適戦略を立案することが求められるのである。

(引用終了)

と書いたけれど、企業が競争に打ち勝つためには、「情報公開」ばかりではなく、日本語の「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」の源泉を分析し、それをさらに、「自覚的」に利用することも考えなければならない。

 どういうことか説明しよう。「先輩と後輩の関係」「迷惑をかけない」「空気を読む」「派閥をつくる」「敬語の使用」「上座と下座」「お辞儀」「相手にあわせる」といった「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」の表出形態には、そもそも何故それらが日本社会に出現したのかという歴史的理由(わけ)がある筈だ。今日の機能組織(ゲゼルシャフト)では、往々にしてそれらが「組織内の秩序を乱さないように努力する姿」となってしまい、変革の妨げになるわけだが、その表出形態の源泉を探り、その奥にあるエッセンスだけをいまの経営に生かすことができれば、今日の機能組織にとっても、「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」そのものは、力強い見方になり得るということである。

 もともと、「先輩と後輩の関係」「迷惑をかけない」「空気を読む」「派閥をつくる」「敬語の使用」「上座と下座」「お辞儀」「相手にあわせる」といった「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」の表出形態は、日本の近代化以前の、血縁・地縁組織(ゲマインシャフト)において整備された、きわめて「身体性」の強い、日本人特有の行動様式であった。個人という主格中心ではなく、家族や一族、身分、自然や神々などの「環境」を中心に据えた、人々の「身の処し方」であった。

 であるならば、「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」の表出形態の奥にあるエッセンスは、環境を中心に据えた身の処し方、つまりは「身体性」そのものであると考えることができる。従って、その「身体性」を上手くいまの経営に生かすことができれば、今日の機能組織にとっても、「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」そのものは、力強い見方になり得るということなのである。

 一昔前、日本的経営の鏡としてもてはやされた「家族的経営」を例にとって具体的に考えてみよう。

 「家族的経営」手法は、家族や一族、身分、自然や神々などの「環境」の代わりに、「会社」という「環境」を中心に据え、経営者と社員の「身の処し方」を謳ったものである。「会社」をいわば擬似的家族として位置付けるわけだ。昨今のグローバルな競争のなかで、「家族的経営」は、組織の効率的な運営を妨げる元凶として打ち捨てられた感があるけれど、使い方を間違えなければ、今日でも会社運営における力強い見方になる筈だ。

 なぜ「家族的経営」が一見時代遅れのように見えるのか。それは、会社の規模が肥大化し、経営者と社員一人ひとりの顔が見えなくなってしまったこと、経営者が自分の家族を後継者に据えるなど、「家族的経営」を意思決定プロセスに用いてしまったこと、などが主な理由であろう。「身体性」の強い「家族的経営」手法は、組織規模を適正に保ち、その上で、従業員のモチベーション管理などに限定して用いるべきなのである。

 組織経営には、戦略思考であるところのResource Planningと、工程の改善を図るProcess Technologyの両方が必要であることは、以前“現場のビジネス英語「Resource PlanningとProcess Technology」”の項で説明した。意思決定プロセスはResource Planningの重要エレメントであり、従業員のモチベーションはProcess Technologyのエレメントである。このProcess Technologyの実現手段として、日本では「家族的経営」「ボトムアップ」「サークル活動」「全員参加」「会社運動会」などが有効に働く筈である。

 以前“現場のビジネス英語「MarketingとSales」”の項で、今は亡き井上ひさし氏の著書を紹介しつつ、「自治の精神」(Resource Planning的エレメント)と「市民同士の連帯」(Process Technology的エレメント)について書いた文章も、ここに再録しておこう。

(引用開始)

 ところで、Resource PlanningとProcess Technologyの二つを活かす「包容力」は、企業経営だけに止まらず、あらゆる組織運営に必要なことだと思う。

 最近「ボローニャ紀行」井上ひさし著(文藝春秋)を読んだが、氏はその軽妙な語り口で、ボローニャ市民が豊かな地域文化を創りあげてきた背景には、ローマ時代から長く受け継がれてきた「自治の精神」があり、市民たちの思考の原点には自分という「主格」がしっかりと置かれていること、と同時に彼らはボローニャという自分たちの「環境」を大切にし、市民同士の連帯のなかからいろいろなビジネスや施設を立ち上げていることを指摘しておられる。都市の運営にも的確なResource Planningと、行き届いたProcess Technologyが必要なのだ。

(引用終了)

 「崖の上のPonyo」の項で紹介した株式会社「スタジオジブリ」は、数年前に社員のための保育園を設立した。ソフト販売会社の「アシスト」は、数年前から従業員の週末農業を助成している。これらは、「家族的経営」手法を従業員のモチベーション管理に導入した、優れた例と云えよう。

 尚、企業における「従業員のモチベーション管理」の重要性は、以前「リーダーの役割」の項で述べた、

(引用開始)

 社員が何に興味を持っているのか、何に向いているのかを良く見て、社内外で適材適所を図るのがリーダーの役割の第一である。

(引用終了)

という指摘とも重なる筈だ。

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posted by 茂木賛 at 09:21 | Permalink | Comment(0) | 起業論

情報公開

2010年08月18日 [ 公と私論 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」の項で、

(引用開始)

 本来、ゲマインシャフトは「私(private)」の領域に属し、ゲゼルシャフトは「公(public)」の領域に属す。しかし、日本では二つの違いの意識が希薄である。「先輩と後輩の関係」は、大学や会社だけでなく、官僚や公共団体など、日本の機能組織のいたるところで見られる。

(引用終了)

と書いた。しかし、日本の機能組織(ゲゼルシャフト)におけるこの麗しい人間関係も、組織がきびしい競争に晒されると長くは続かない。個人の権利と義務を明確化し、組織の効率的な運営を図らなければ、組織そのものが生き残れないからだ。

 とはいえ、「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」は日本語そのものに根ざしているので、同じ言語を使いながら、個人の権利と義務を明確化し、組織の効率的な運営を図るのは簡単ではない。変革は往々にして上辺を取り繕っただけに終わり、努力は骨抜きにされる。中途半端になされる変革ほど始末が悪いものはない。組織は複雑骨折の様相を呈することになる。昨今、我々の周りには、肥大化した「偽装機能組織」がいたるところに転がっている。

 「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」の項ではさらに、

(引用開始)

我々は、「自然発生的な組織」=「ゲマインシャフト」と、「人為的な組織」=「ゲゼルシャフト」との違いをしっかりと認識し、そのどちらにも影響を及ぼす日本語の「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」に対して、殊の外自覚的でなければならない。

(引用終了)

と書いたけれど、機能組織のリーダーは、特に日本語の「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」への対応策を持つことが必要だろう。

 「自立と共生」の項で触れた“空気の研究”(文春文庫)の著者山本七平氏は、その著書の中で、「空気の支配」に対して「水を指す」ことを奨励した。また、“空気は 読まない”(集英社)の著者鎌田實氏は、その本の中で、「空気に流されるな、空気をかきまわせ」と述べておられる。最近、組織の公用語を英語にする会社も増えているという。しかし、機能組織のリーダーにとって、「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」に対する最も基本的な策は、「情報公開」ではなかろうか。

 個人の権利と義務を明示した上で、意思決定のプロセスをオープンにすること。組織の構成員に何がどうなっているのかを知らせ、彼らの知識や智恵を活用しながら、組織の効率的な運営を図ること。「情報公開」は、組織メンバーの大脳新皮質を活性化させる。彼らの意識を啓発する。日本語における主体の論理や、「存在としてのbe」への意識を覚醒させる。

 「脳と身体」の項で述べたように、人の集まりであるところの会社も一つの有機体であってみれば、組織には脳と身体機能の両方が必要であり、「容器の比喩と擬人の比喩」などで述べたように、「日本語に身体性が残り続ける」のであれば、「情報公開」によって、組織メンバーの脳機能の活性化を図る必要があるわけだ。組織が競争に打ち勝つには、「情報公開」によって組織メンバーの能力を結集し、その上で、最適戦略を立案することが求められるのである。

 また、企業における「情報公開」の重要性は、以前「リーダーの役割」の項で述べた、

(引用開始)

 情報密度はベキ則分布に従うから、リーダーは社員との情報交換を頻繁に繰り返さなければならない。全体の情報量が多ければ収益のチャンスも増える。

(引用終了)

という指摘とも重なる筈だ。

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posted by 茂木賛 at 19:55 | Permalink | Comment(0) | 公と私論

上座と下座

2010年08月10日 [ 公と私論 ]@sanmotegiをフォローする

 前々回「ゲマインシャフトとゲゼルシャフト」の項で、

(引用開始)

 「先輩と後輩の関係」維持は、「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」の典型的な表出形態であろう。

(引用終了)

と書いたけれど、日本の機能組織(ゲゼルシャフト)においては、「先輩と後輩の関係」以外にも、「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」の表出形態が様々見受けられる。「迷惑をかけない」「空気を読む」「派閥をつくる」「敬語の使用」「上座と下座」「お辞儀」などなど。波風を立てないために「相手にあわせる」というのも、その表出形態一つであろう。以前「迷惑とお互いさま」の項で紹介した、海原純子氏の新聞連載コラムから、別の記事を引用しよう。

(引用開始)

 アメリカと日本の往復で仕事をしていると、ボストンに着いてしばらくの間、そして日本に帰ってからしばらくの間は、何となく調子がヘンである。時差ボケではなく、仕事の流れがスムーズではないのだ。
 この原因は一体何だろう、と考えて気がついた。アメリカにいるとき、周囲のペースにあわせようとすると調子がヘンになり、日本に帰って来て、自分のペースで仕事をすると周囲とぎくしゃくするのである。
 発言も同じ。アメリカの研究室でみなの意見を聞きながら自分の発言のタイミングを探していると、いつの間にか論点がかわってチャンスを逃す。つまり、アメリカでは、自分のペースを守らないと疲れるし、日本にいる時は、相手にあわせることが大事なのだ。(後略)

(引用終了)
<毎日新聞「一日一粒心のサプリ」4/25/2010より>

心療内科医である海原氏の研究機関は、日米とも機能組織(ゲゼルシャフト)の筈なのだが、日本では、地縁組織(ゲマインシャフト)的な「相手にあわせる」対応が求められるという訳だ。

 日本語の「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」の表出形態は、往々にして「組織内の秩序を乱さないように努力する姿」となり、硬直化した組織では、そういった表出形態のうち、どれか一つでも作法を間違えると仲間から白い目で見られ、それが続くとみんなから爪弾きに会うことになる。

 「組織内の秩序を乱さないように努力する姿」は、ときに滑稽な光景を生み出す。先日都内の電車に乗っていたら、液晶画面でマナー・クイズのようなものをやっていた。そのお題がなんと、エレベーターの中での立つ位置のどこが「上座」でどこが「下座」かを当てる、というものであった。日本においては、エレベーター(機能空間)の中にも「上座と下座」が存在するのである。

 どこの国にもプロトコル(外交儀礼)はある。どこの国の機能組織(ゲゼルシャフト)にも、合理的な配慮に基づくプロトコル的対応はあってしかるべきだ。しかし、エレベーターの中での立つ位置までうるさく言う国はあまりないのではないか。いくらなんでもやりすぎだろう。

 海原氏は日本の機能組織(ゲゼルシャフト)で、「相手にあわせる」こと以外にも、「迷惑をかけない」「空気を読む」「派閥をつくる」「敬語の使用」「上座と下座」「お辞儀」などなど、様々な「自分の属する組織を盲目的に守ろうとする力」の表出形態に遭遇し、その都度、対応にご苦労されているに違いない。

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posted by 茂木賛 at 09:44 | Permalink | Comment(0) | 公と私論

懐かしのアリーナ

2010年08月03日 [ プレイリスト ]@sanmotegiをフォローする

 一昨年の夏に行われたサザンオールスターズ(サザン)のコンサートから、以前「雨のアリーナ」「想い出のアリーナ」で選んだ曲以外、12曲を選んでプレイリストを作る。プレイリストのタイトルは「懐かしのアリーナ」。

<A面>
「女呼んでブギ」
「いとしのフィート」
「お願いD.J.」
「奥歯を食いしばれ」
「ラチエン通りのシスター」
「TO YOU」

<B面>
「C調言葉に御用心」
「働けロック・バンド(Workin’ for T.V.)」
「松田の子守唄」
「Hello My Love」
「朝方ムーンライト」
「思い出のスター・ダスト」

 今回の選曲は、「雨のアリーナ」で選んだオープニング3曲直後のメドレー7曲、そしてそのあと続いた5曲を、コンサート当日の順番で並べた。サザン初期の曲が並ぶこととなったけれど、どの曲も私にはとても懐かしい。iPodに入れて聴きながら、桑田佳祐(クワタ)が早く病から回復されんことを願おう。参考までに、それぞれの曲を含むアルバムと、それが発表された年を載せておく。

<A面>
1978年(アルバム「熱い胸さわぎ」)
1978年(アルバム「熱い胸さわぎ」)
1979年(アルバム「10ナンバーズ・からっと」)
1979年(アルバム「10ナンバーズ・からっと」)
1979年(アルバム「10ナンバーズ・からっと」)
1980年(アルバム「タイニイ・バブルス」)

<B面>
1980年(アルバム「タイニイ・バブルス」)
1980年(アルバム「タイニイ・バブルス」)
1980年(アルバム「タイニイ・バブルス」)
1981年(アルバム「ステレオ太陽族」)
1981年(アルバム「ステレオ太陽族」)
1982年(アルバム「NUDE MAN」)

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posted by 茂木賛 at 09:57 | Permalink | Comment(0) | プレイリスト

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