夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


容器の比喩と擬人の比喩

2010年01月26日 [ 言葉について ]@sanmotegiをフォローする

 以前「メタファーについて」の項で、月本洋氏の“日本人の脳に主語はいらない”(講談社選書メチエ)を参照しながら、

(引用開始)

会話や文章で多用される「空間メタファー」は空間の論理であり、「擬人メタファー」は擬人の論理である。容器のメタファーは、閉じた曲線で区切られた空間の内と外という論理形式であり、擬人メタファーは、主体―対象―動作という論理形式である。

(引用終了)

と書き、このブログにおいて「公と私論」などで展開している、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳の働き−「公(public)」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き−「私(private)」

という対比に、

A 英語的発想−擬人の比喩(メタファー)の多用
B 日本語的発想−容器の比喩(メタファー)の多用

という対比の追加を示唆した。

 念のために、比喩の形式は論理形式そのものであるということについて、“日本人の脳に主語はいらない”から再度引用しておこう。

(引用開始)

「私の心は満たされない」という容器のメタファーは、心を容器と見立てている。すなわち、心を容器の形式を通して認識して思考している。このように、メタファーの形式は、認識や思考の形式であるといえる。言い換えれば、われわれはメタファーの形式を用いて抽象的なことがらを認識し、思考する。(中略)空間のメタファーで表現するということは、空間の論理で表現するということである。同様に、擬人のメタファー形式を、擬人の論理もしくは主体の論理と呼ぼう。擬人のメタファーで表現するということは、擬人の論理もしくは主体の論理で表現するということである(後略)。

(引用終了)
<同書84−85ページ>

 月本氏は、そのあと去年の7月に出版された“日本語は論理的である”(講談社選書メチエ)において、日本語で多用される「容器の比喩」は、論理学や数学で使われる古典論理でいうところの「命題論理」に用いられる形式であり、英語で多用される「擬人の比喩」は、古典論理でいうところの「述語の部分」に用いられる形式であると書いておられる。私は論理学の専門家ではないが、私なりに理解したところを記してみよう。まず“日本語は論理的である”から引用する。尚、この本は去年の夏休みに読んだ本のなかの一冊である。

(引用開始)

 古典論理は命題論理と述語から構成されるが、命題論理は容器の論理すなわち容器の比喩の形式であり、述語は主体の論理すなわち擬人の比喩の形式であることがわかった。
 日本語の論理は空間の論理であり、日本語の論理の中心的役割を果たす「は」は容器の論理であるから、日本語の論理の基本は容器の論理である。したがって、日本語の論理の基本は命題論理なのである。これに対して、英語の論理は、主体の論理である。したがって、英語の論理は、述語の部分の論理であるといえる。(後略)

(引用終了)
<同書126ページ>

 命題論理とは、真偽を問う文同士の接続・比較ロジックであり、述語部分とは、「何々がこれこれをする」というような、文の主体−対象−動作に関するロジックである。命題論理は、「ベン図」などの空間・容器比喩で示されることが多く、述語部分は、数学のf(x)などと同様、「関数」として示されることが多い。

 この月本氏の“日本語は論理的である”において、日本語と英語は、同じ論理学の土俵の上で、検討・分析できるようになったと云える。単文と複文、日本語の「は」の役割など、詳しくは是非本文をじっくりとお読みいただきたい。

 このブログでは、「メタファーについて」の前後、

脳における自他分離と言語処理」(2/24/09)
身体運動意味論について」(4/7/09)
「メタファーについて」(4/14/09)
心と脳と社会の関係」(4/21/09)
社会の力」(4/28/09)

という一連の項において、

I  日本語には身体性が強く残っていて母音の比重が多い(文化的特徴)
II  日本人は母音を左脳で聴く(身体運動意味論などより)
III 日本語は空間の論理が多く、主体の論理が少ない(脳科学の知見より)
IV 日本語に身体性が残り続ける(社会的特性)

という循環運動(IVから再びIへ)を提示・分析し、「広場の思想と縁側の思想」(1/27/09)の項から懸案であるところの、

(引用開始)

 日本語的発想には豊かな自然を守る力はあるけれど、都市計画などを纏める力が足りない。これからの日本社会にとって大切なのは、日本語のなかに「公的表現」を構築する力を蓄えて、自然(身体)と都市(脳)とのバランスを回復することである。

(引用終了)
<「広場の思想と縁側の思想」より>

という課題について考えてきた。この循環運動と、

A R.P.−英語的発想−主格中心−擬人比喩の多用
a 脳の働き−「公(public)」

B P.T.−日本語的発想−環境中心−容器比喩の多用
b 身体の働き−「私(private)」

という対比からさらに何が見えてくるか、また項を改めて考えてみたい。

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posted by 茂木賛 at 12:52 | Permalink | Comment(0) | 言葉について

上下のベクトル

2010年01月18日 [ 生産と消費論 ]@sanmotegiをフォローする

久しぶりに「生産と消費」について。以前「楕円形と斜線分」のなかで、

(引用開始)

 二つの楕円の相互関係、斜線によって分けられた楕円形内部各領域の意味、全体の構図と時間論との繋がりなどについては、また項を改めて考えてみたい。

(引用終了)

と書いた。この項では、そのうちの「二つの楕円の相互関係」について整理したい。二つの図形は以下の通りである。
都市と自然
脳と身体
尚「斜線によって分けられた楕円形内部各領域の意味」については、一部「庭園について」の項で触れた。

 二つの楕円の相互関係は、「個人と社会集団」の関係である。勿論上の楕円が集団、下の楕円が個人である。そしてこの「個人と社会集団」を繋ぐのは、人の「行為」である筈だ。さらに、人の「行為」は、これまで「生産と消費論」のなかで縷々述べてきたように、「他人のための行為(生産)」と「自分のための行為(消費)」とに分けられる。従って、この二つの楕円は、「生産」と「消費」という二つのベクトルによって結ぶ(関係付ける)ことができる。

「生産」 ↑    
「消費」 ↓ 

 次に、以前「縦軸と横軸」のなかで示した、「個人と社会集団」と「公と私」との関係を思い起こしていただきたい。

(引用開始)

 ここで、前者のつながり(個人と集団)を縦軸に、後者の対比(公と私)を横軸にとり、両軸を中央で交差させると、二つが組み合わさったひとつの図を作ることができる。
c.jpg
(引用終了)

よく見ていただければ分かるように、「縦軸と横軸」の図の、縦軸上の上下に二つの「楕円形と斜線分」、横軸上、二つの楕円の間に「上下のベクトル」を書き込めば、「生産と消費」、「公と私」、「脳と身体」、「都市と自然」という四つの対比構造を、ひとつの図の下に表示することができる。

 いかがだろう。「縦軸と横軸」「楕円形と斜線分」「上下のベクトル」という三組の補助線によって、これまで「生産と消費論」、「公と私論」、「脳と身体」などで論じてきた各対比構造が相互に繋がり、全体の関係が把握しやすくなったのではないだろうか。今後はさらに、「全体の構図と時間論との関係」や「斜線によって分けられた楕円形内部各領域の意味」、「日本語的発想と英語的発想における図形の相違」などについて見て行きたい。

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posted by 茂木賛 at 12:54 | Permalink | Comment(0) | 生産と消費論

街のつながり

2010年01月11日 [ 街づくり ]@sanmotegiをフォローする

 「街の魅力」のなかでご紹介した、吉祥寺の魅力を示すI 歩ける、II 透ける、III 流れる、IV 溜まる、V 混ぜる、の5つキーワードに共通するのは、街に在る様々なものが「繋がっている」という性格である。先日建て直された青山・根津美術館の設計を担当した建築家・隈研吾氏は、「街のつながり」について次のように書いておられる。

(引用開始)

ふたつの森を接続する

建築よりもずっと大きなもの(都市計画)と、ずっと小さなもの(ディテール)を繋ぎたかった。
根津美術館は、表参道の南端に位置する。敷地を歩き回っているうちに、あることに気がついた。表参道は、北端に明治神宮、南端に根津美術館というふたつの「森」を抱えているからこそ、その賑わいに深みがあり、街が柔らかい。表参道とこの「森」をどう接続するかが課題なのだと気が付いたのである。表参道のノイジーなアクティビティをまず竹の「森」で受け止め、表参道の流れのベクトルを、90度旋回させて(日本庭園独特の技法である旋回)40mの竹林、深い(3.6m)庇の間を歩かせて、しっかりとカームダウン(沈静化)させて、「森」に接続させるという「接続形式」に辿り着いた時、この美術館の課題の50%は解けたと思った。これは「露地」という伝統的手法の、アーバンデザインへのアプリケーションかもしれない。(後略)

(引用終了)
<「新建築」11/2009号64ページより>

街のつながり(1)

 隈氏はさらに、「瓦屋根」によって、建物と地面、美術館と街の人々とを繋ぐ。氏のコメントを同じ雑誌から引き続き引用する。

(引用開始)

屋根による接続

もうひとつの「接続」の鍵は屋根である。屋根がつくる深い影が、groundとboxを接続する。(中略)その深い影の下のガラス壁の前に、彫像が並ぶ。アートと庭とがひとつの体験として共存する。屋根と地面との接続には、影だけではなく、屋根の構造性も、また大きな働きをしている。斜めの面、線がつくるトラスト効果によって、地面の上に安定した架構をつくるところに屋根の本質がある。(中略)その屋根の構造性を感じることができるように、軒下の鉄骨の露出をはじめ架構そのものを、可能な限り露出しようと試みた。特に軒の低さと庇の出の深さに留意した。(中略)

瓦という粒子

屋根は、大きいフレームで見れば都市的な装置であるが、小さなスケールで見れば、この屋根と構成する「粒子*」が、か弱い身体と、建築という大きなものとを仲介し、繊細なスケール(たとえば葉、枝)の集合体である「森」と、建築という大きさとの仲介をする。根津では瓦という粒子を選択した。旧根津美術館のお蔵の上にのっていた瓦の粒子感が、この街の人々の身体に、そしてこの通りに浸み込んでいたからである。都市計画は、高さや容積率やオープンスペーズだけの計画だと誤解されているが、実は都市計画とは粒子の計画であり、都市計画にとってそれを構成する粒子は、決定的に重要なパラメターなのである。(後略)

*都市は「粒子」によって構成されている。粒子を上手く選択することで、建築と都市を調停することにわれわれは関心を持っている。

(引用終了)
<同書64ページ>

街のつながり(2)

 「つながっていく性質を持つ3」ではないが、隈氏は根津美術館の設計に当たり、「森」と「屋根」、「瓦(粒子)」という3つの媒体を用いて、「街のつながり」を工夫したのである。

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posted by 茂木賛 at 10:47 | Permalink | Comment(0) | 街づくり

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