夜間飛行

茂木賛からスモールビジネスを目指す人への熱いメッセージ


現場のビジネス英語“会議にて”

2008年12月30日 [ 現場のビジネス英語シリーズ ]@sanmotegiをフォローする

 会議に出席し、発言せずにじっとボスのトムや他の出席者の発言を聴いていたAさんは、会議が終わった後トムから「会議で発言しないのなら次から出席しなくてもいいよ」(“If you are not going to say anything in the meeting, you don’t have to attend anymore.”)と云われてしまった。Aさんは自分の意見が無いわけではなかったが、「でしゃばる必要もないか、あとでトムに個人的に意見を言えばいいわ」と考えていたのだが…。

 Aさんはある外資系の会社に勤めている。この会社では、最近日本へやってきたばかりのアメリカ人のリーダー・トムの下であるプロジェクトが進められていて、Aさんもそのプロジェクトの重要メンバーである。

 トムの発言の理由について、「日本語について」で紹介した「外から見た日本語」という西原教授の記事を一部引用して説明しよう。

「意見を理論的に述べたり、仮説を立てて自分の意見とは異なった論調の立場からでも論じたりする『ディベート』形式の話し合いは、議論を楽しむ精神と、論議が尽くされたと考えられれば、多数決で決着をつける習慣が伴って初めて意味を持つ。表決の結果が51対49であっても、多数意見が得られれば、それで決着がついたと考えることでもある。
 日本語社会では、対立はなるべく避け、話し合いに参加する全員が納得したと思われる雰囲気を作り出すことに細心の注意が払われる。また、『仮にある立場を採って議論する』ということは不誠実だと思われがちである。だから、『落としどころ』が何処になるかを皆で探し出すまで、時間をかけて話し合うことになる。
 話し合いとは論理の詰めでなく、妥協点が何処に落ち着くかを探り合うプロセスだということもできるだろう。その代わり、一旦全員の気持ちが一致し、結論に納得すれば、実行は速やかに行われる。
 この『日本的な意思決定』を日本社会の特徴であるとして、日本人と一緒に仕事するための警告にしているビジネス関係出版物もあるほどである。
 話し合いの過程に関してもう一つ特徴とされるのは、日本的な意思決定の過程では、格別発言しないことも許されるし、黙って聞いている場合でも、話し合いに参加しているとみなされるということである。
 しかし、西洋的な話し合いの場では、発言しないことは議論を放棄することとみなされるのが通例である。ある外資系会社の日本人社員が、外国人の上司に『話し合いに参加していない』と注意されたという逸話を読んだことがある。その社員は、上司の意見に賛成だったので、頷きながら傾聴していたのだという。」(「結論より妥協点の話し合い」より)

長い引用になったが、Aさんの場合もまさにこの例に相当するといえる。まだボスのトムは来日して間がなく、「日本人と一緒に仕事するための警告にしているビジネス関係出版物」を読んでいなかったのだろう。

 英語における「ディベート」形式の会議については、個人的な思い出がある。子どものとき通っていたアメリカの小学校での体験なのだが、あるとき「ディベート」の授業があり、生徒の中から数人が選ばれて国連代表の役割が与えられた。私はクラスのなかで只一人の東洋人だったので、中国代表の役割が与えられた。さて実際のディベートが始まると、教師は私に中国代表らしく振舞うことを求め、(自分の意見はさておいて)各国が提案することに対してなんでも反対するよう指示した。だから会議が始まると、私はいつも「反対!」(“I disagree.”)とだけ叫んでいたのであった。

 中国代表は何でも反対するというのも今から思えば誇張した教え方だが、それはさておき、私はこの授業で、英語のディベートとは「ある役割を演じること」であり、極端な場合、会議のためには自分が思っていないことでも発言し、参加者の議論を喚起する必要があることを学習した。

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳の働き−「公(public)」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き−「私(private)」

という私の発想の原点はここにあるのかもしれない。英語社会においては、ディベートが終われば、参加したメンバーはみな友人に戻る。そうやって議論を戦わせることは、「公(public)」としての役割に過ぎないからである。

 西原教授は同記事の最後に、「ますますグローバル化する今の時代においては、意思決定の文化差にも注意し、時と場合によって使い分けることが期待されているのではないだろうか。」と書かれているが、私は同時に、日本語表現そのもののなかに、もう少し「公的表現を構築する力」を付与すべきだと考えている。それをどのように実現するか、これからみなさんと一緒に考えていきたい。

尚、「現場のビジネス英語」シリーズはこれまで、
否定形の質問について
Resource PlanningとProcess Technology
MarketingとSales
と回を重ねてきた。併せて読んでいただければ嬉しい。

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視覚と聴覚

2008年12月23日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 これまで「集団の時間」や「公(public)と私(private)」などでみた脳と身体、都市と自然について、徹底的に論じてきたのが解剖学者の養老孟司氏である。私の考察は多く氏の著書に啓発されてきた。最近、初期の「唯脳論」に並ぶ論考「人間科学」養老孟司著(筑摩書房)がちくま学芸文庫に収録された(「養老孟司の人間科学講義」)ので、興味のある方は是非お読みいただきたい。

 「養老孟司の人間科学講義」の中に、言葉に関して、視覚と聴覚の観点から論じた部分がある。一部引用してみよう。

『もっとも重要な点は、言語が聴覚と視覚に共通な情報処理過程として成立していることである。(中略)ところが言語が視聴覚という、まったく異質な二つの感覚を「結合する」からこそ、音声言語はたとえば擬音語をしだいに排除し、文字言語は象形文字の「象形性」を消していくのである。(中略)こうして近代言語は、聴覚に特有、および視覚に特有の性質を、言語の記号系から排除しつつ成立する。』(同書196−198ページ)

近代化が都市化=脳化のことであるとすれば、英語的発想と日本語的発想の対比、

A Resource Planning−英語的発想−主格中心
a 脳の働き−「公(public)」

B Process Technology−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き−「私(private)」

から、日本語に擬音語や擬態語が多い(「日本語について」)理由が納得できる。脳の働きによって排除されるべきオノマトペ(擬音語や擬態語)が未だ多く見られる事実は、象形文字としての漢字が使われていることとも相俟って、日本語に身体性が色濃く残っている(身体の働きが重視される)証拠だろう。

 視覚と聴覚の関係については、「カミとヒトの解剖学」養老孟司著(ちくま学芸文庫)にも面白い指摘がある。解剖学的にいうと、もともと脊椎動物には「第三の目」とでもいうべき光受容細胞があり、ヒトを含む哺乳類ではそれが「松果体」と呼ばれる器官に転化しているらしい。

『そういうわけで、視覚系というものを、目だけではなく、松果体を含めた広義のものと考えるならば、脊椎動物は、脳の下位中枢と深く関連する光受容器すなわち「第三の目」を、いまわれわれが持っている通常の「目」と独立に持っていた、あるいはいまでも持っているのである。そこに、われわれの現在持つ「目」が、耳と異なって、下位の脳と関連が薄い理由があるのではないか。ここでは視覚系は、一種の「二重構造」を示すことになる。耳であれば「陶酔」に関連するような、生に対してより「根源的」な部分を、視覚系では、もともと松果体が受け持つ。ところが、哺乳類では、なぜかそれが脳との直接の関連を絶ってしまう。それによって、深いところで我々を支配する「根源的なもの」と視覚との連関が絶たれ、単純で透明で明晰な「アポロ世界」のみが、現にわれわれが目として知っている構造によって構成される。他方、耳では両者がおそらく相変わらず渾然一体となっているのである。』

いかがだろう、これが、なぜ視覚がより明晰なプラトン的世界に親和性をもち、聴覚が混沌としたアリストテレス的世界に親和性があるかということに対する養老氏の推論なのである。

 これからも養老孟司の数々の知見を参考にしながら、脳と身体、都市と自然、言葉などについて考えて行きたい。

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posted by 茂木賛 at 13:40 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

相転移と同期現象

2008年12月16日 [ 非線形科学 ]@sanmotegiをフォローする

 先日「競争か協調か II」のなかで、「競争を選ぶか協調を選ぶかは、資源全体の多寡・増減に依る」という原則に関連して、コイン・パーキングの例で、需要供給のバランスに応じて値段を上げたり下げたりするのではなく、他のビジネスとの協調・連携によって新しいサービスを作り出していくことの重要性を指摘した。これは、非線形科学でいう「相転移」の考え方を応用したものだ。

 「非線形科学」蔵本由起著(集英社新書)によると、「相転移」とは、「氷、水、水蒸気のような物質のマクロな姿は、相とよばれています。個体、液体、気体は、物質の代表的な相です。温度を変えていくと、一般に相は突如変化しますが、これを相転移とよびます。」(38ページ)と定義される。

 「全体の性質が要素の性質の単純な合成からわかるというのが線形システムの特徴」(同書16ページ)であるから、需要供給のバランスに応じて値段を上げたり下げたりするのは、水の温度を上げたり下げたりしているのと同じ線形的な考え方である。しかし、それだけでは地域社会の活性化には繋がらない。地域社会の活性化とは、水がお湯になる程度の話ではなく、お湯が激しく沸騰するような「相転移」現象だからである。

 勿論、コイン・パーキング場の「棲み分け戦略」や「付加価値戦略」だけで地域社会が活性化するわけではない。しかしそういった店舗・産業を巻き込んだチームワークが、やがて大きなうねりとなって地域全体に波及していくのだ。

 非線形科学といえば、以前「スモールワールド・ネットワーク」や「ハブ(Hub)の役割」で論じた複雑系ネットワーク理論も、非線形科学のひとつだった。非線形科学には、これら以外にも興味深い現象を扱った分野が多い。そのひとつに「同期現象」というものがある。

 同期現象とは、「二つのリズムが相互作用すると、周期がピタリと一致して歩調関係は少しも乱れない、ということが起こるのです。」(同書129ページ)ということだが、「並行読書法」や「脳について」で述べた「ニューロンの同時発火」もその一例だろう。

 同期現象はリズムの相互作用だが、リズムは振動であり、振動はさらに様々な波動を生み出していく。「相転移としての集団同期」(同書148ページ)の項によると、二つの現象(相転移と同期現象)には密接な関連があるという。「生産と消費の等価性」のなかで、「生産と消費の連鎖は波のようなものだ。波は増幅したり減衰したりしながら、社会を縦横に駆け巡る。振幅が大きいほど活気のある豊かな社会だといえる。」と書いたが、これを二つの現象に関連付けて、(コイン・パーキング場のサービスなどの)生産と消費の連鎖が同期すると、相転移現象としての社会の活性化が生まれる、と考えてもよいのかもしれない。

 同期現象については、「SYNC−なぜ自然はシンクロしたがるのか−」スティーヴン・ストロガッツ著(早川書房)などにさらに詳しい。

 非線形科学とは、「生きた自然に格別の関心を寄せる数理的な科学」(「非線形科学」18ページ)といわれる。「1+1=2」というのが線形的な、比例法則の基本的考え方だとすれば、「1+1=1」、もしくは「1+1=多数」というのが非線形的な考え方である。ビジネスも人という「生きた自然」を相手にしているのだから、このような「数理的な科学」が必要なのだ。今後も、非線形科学のビジネスへの応用についていろいろと考えていこう。

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posted by 茂木賛 at 11:30 | Permalink | Comment(0) | 非線形科学

日本語について

2008年12月09日 [ 言葉について ]@sanmotegiをフォローする

 以前「言葉について」のなかで、言葉に関する論点を

1. 言葉を使った作品(小説や詩、俳句や歌など)
2. 言葉の歴史(漢字、万葉仮名、ひらがな、カタカナなど)
3. 言葉と脳科学(身体運動意味論など)
4. 言葉と社会学(不変項としての言葉など)
5. 日本語と英語の違い(言語の特性など)

の五つに分類したけれど、5.の日本語と英語の違い(言語の特性など)に関連して、東京女子大学西原鈴子教授の「外から見た日本語」という新聞連載記事を紹介しよう。

 「外から見た日本語」は、7/2/08から9/3/08まで「東京新聞」に毎週(全10回)連載された。各週のタイトルは以下の通り。

1.  暗黙の了解前提の「高文脈」(7/2/08)
2.  情緒を重視した「パトス」の言語(7/9/08)
3.  結論より妥協点の話し合い(7/16/08)
4.  「言い切らない」が不可解に(7/23/08)
5.  親密になるほど沈黙長く(7/30/08)
6.  トラブル対処に内罰的傾向((8/6/08)
7.  構成逆にし高い評価の翻訳(8/13/08)
8.  外国人悩ませるカタカナ語(8/20/08)
9.  オノマトペ多彩 表現豊か(8/27/08)
10. 挨拶としてのお辞儀と握手(9/3/08)

日本語は、お互いに分かり合っていることを暗黙の前提とする「高文脈」であり、論理的な「ロゴス」ではなく情緒的な「パトス」の言語であること、意見を戦わせることよりも妥協点を探りあうこと、「膠着語」(文法要素がニカワのようにくっついてゆくことで拡大する言語)であること、親密になるほど沈黙が長くなり、トラブルの対処には内罰的(攻撃が自分自身に向けられている)であること、オノマトペ(擬音語や擬態語)が多いことなどについて、挿話ごとに例を挙げて分かりやすく解説してある。

 日本語と英語との違いについては、これまで「Resource Planning(R.P.)とProcess Technology(P.T.)」の議論において、

A R.P.−英語的発想−主格中心
a 脳の働き−「公(public)」

B P.T.−日本語的発想−環境中心
b 身体の働き−「私(private)」

という対比を見てきた。西原教授の各種指摘は、この環境中心の「日本語的発想」について、より深く理解するための補助線となるだろう。一部引用してみよう。

「日本語では、お互いに分かり合っていることは、暗黙の前提として了解済みであるとする。一方ドイツ語(英語も同じ)では、口にしないことは伝わらないという了解でいるから、伝えたいことはことばにしないと収まらないと考えるのである。」(『暗黙の了解前提の「高文脈」』」より)

『たとえば、いわゆる「やりもらい」の言語形式のことを考えてみよう。「与える」の意味で使われる「あげる、差し上げる、やる」「くれる、くださる」は誰が受け手かによって区別される二つの語彙グループであるが、グループ内のどの表現を選ぶかは、与え手、受け手の力関係にしたがって決められることになる』(「情緒を重視した「パトス」の言語」より)

「ものごとを決めようとする時、日本語社会では、トップダウンに提案されることも少ないし、提案をはさんで賛否両論を理論的なゲーム感覚で対立させて論じ合うことも少ない。(中略)日本語社会では、対立はなるべく避け、話し合いに参加する全員が納得したと思われる雰囲気を作り出すことに細心の注意が払われる。」(「結論より妥協点の話し合い」より)

『日本語の会話では、文末のメッセージがとても大切だといわれる。分の構成要素で言えば「ムード形式」に当たる部分がそれに当たる。日本語は「膠着語」(文法要素がニカワのようにくっついていくことによって拡大してゆくタイプの言語)に分類される言語なので、文の終わりに向かって色々と要素が付着されて文が完成する。』(『「言い切らない」が不可解に』より)

『日本語で感謝の表現と謝罪の表現が同じ言葉であり得ることに関して、特に取り上げて言及している言語学の研究もあるほど特徴的な表現なのである。感謝するために「すみません」というのは究極の内罰的態度である。』(「トラブル対処に内罰的傾向」より)

『「なく」を例に考えてみよう。日本語は、「ワーワー」「ギャアギャア」「シクシク」「ワンワン」「ニャーニャー」に動詞「なく」が付くが、英語のほうは、それぞれ異なった動詞になり、順に「cry」「scream」「weep」「bark」「meow」、「ニコニコ笑う」は「smile」、「クスクス笑う」は「chuckle」、「ハハハと笑う」は「laugh」にあたる。』(「オノマトペ多彩 表現豊か」より)

「私たちの行動は、所属する社会の文化的規範によって制約されていると言われている。人は成長する過程で、ことば遣いや立ち居振る舞いについて、何が適切な規範なのかを陰に陽に教えられ、矯正されて大人社会の仲間入りをするのである。」(「挨拶としてのお辞儀と握手」より)

 以上いくつか引用したが、全文は図書館などで実際の記事に当たって欲しい。これらの補助線についてはこれからも機会を見つけて論じていきたい。

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Season's Greetings

2008年12月02日 [ プレイリスト ]@sanmotegiをフォローする

 クリスマスの季節に、桑田佳祐(クワタ)とサザンオールスターズ(サザン)の曲の中から幾つか選んでプレイリストを作ってみた。<A面>はクワタの曲、<B面>はサザンの曲、どちらも、思い出の夏と過ぎ行く秋を振り返る風情で歌が進行し、最後にクリスマスの曲で終わる。

<A面>
「MERRY X' MAS IN SUMMER」
「遠い街角(The wanderin' street)」
「いつか何処かで(I feel the echo)」
「誰かの風の跡」
「白い恋人達」
「ダーリン」

<B面>
「SAUDADE〜真冬の蜃気楼〜」
「海」
「Bye Bye My Love(U are the one)」
「慕情」
「CHRISTMAS TIME FOREVER」
「クリスマス・ラブ(涙のあとには白い雪が降る」

以上全12曲。「雨のアリーナ」できめた「昔のレコードアルバムを模して、A面B面合わせて12曲」というプレイリスト作成の独自ルールに則って作るにしても、サザンに純然たるクリスマス・ソングが少ないことから、<A面>クワタ、<B面>サザンという合わせ技が生まれた。

 それにしてもまだクリスマス・ソングが少ないこと、せっかくの「MERRY X’MAS IN SUMMER」という曲をどう活かそうかということから、「思い出の夏と過ぎ行く秋を振り返りながらクリスマスを迎える」という<A面>の構成が決まり、それと同じ流れに「異国からの望郷」というテイストを加えて<B面>の構成が定まった。

 <B面>には隠し味として、この夏のサザンのコンサートで歌われた「Bye Bye My Love(U are the one)」を入れた。「去った人への追憶」といったプレイリスト全体のイメージは、この10月亡くなった岩本えり子さんへのオマージュともなった。

 この季節、皆さんもこのプレイリストをiPODに入れて楽しんで欲しい。雪でも降れば一層気分が盛り上がるのだが東京ではどうだろう。参考までに、それぞれの曲が含まれるアルバム・シングル版を載せておこう。

<A面>
「MERRY X’MAS IN SUMMER」(ROCK CONCERT)
「遠い街角(The wanderin’street)」(Keisuke Kuwata)
「いつか何処かで(I feel the echo)」(Keisuke Kuwata)
「誰かの風の跡」(Keisuke Kuwata)
「白い恋人達」(同名シングル)
「ダーリン」(桑田さんのお仕事07/08〜魅惑のAVマリアージュ〜)

<B面>
「SAUDADE〜真冬の蜃気楼〜」(さくら)
「海」(人気者でいこう)
「Bye Bye My Love(U are the one)」(KAMAKURA)
「慕情」(世に万葉の花が咲くなり)
「CHRISTMAS TIME FOREVER」(世に万葉の花が咲くなり)
「クリスマス・ラブ(涙のあとには白い雪が降る」(同名シングル)

Season's Greetings 

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